無料-
出会い-
花-
キャッシング
中米からイラクへ
ノーム・チョムスキー
『クハリージ・タイムズ』Khaleej
Times 2004年8月6日
翻訳:寺島隆吉+寺島美紀子、公開2004年10月24日
|
911事件にフセインがアルカイダを通じて関わっていたから、大量破壊兵器があるからとか、などの口実で始めたイラク戦争ですが、その口実が嘘だと発覚したら、今度は「イラク民主化」を口実に掲げました。
それが全くの嘘であることはイラク大使に「レーガン時代のホンジュラス大使」ネグロポンテを選んだことでも分かります。ではネグロポンテとはどんな人物なのでしょうか。それを説明したのが次に紹介するチョムスキーの小論です。
ここでチョムスキーが指摘しているようにホンジュラスはイラクから兵を引揚げました。「新しいヨーロッパ」の国々も引き揚げを表明しているところが少なくありません。スペインも引揚げました。さて次は?(関連項目としてレーガンはニカラグアの人々を虐殺した(益岡賢、2004年6月10日)を御覧ください。)
|
論議の余地がない道徳的公理とは普遍性をもつ原理です。それは「他に適用しているのと同じ基準を自分にも適用すべき」という原理です。
むしろ自己には、より厳しい基準を適用すべきなのです。
ところが一般には、もし国家が力を持てば、罪を免れ、道徳的公理を軽蔑します。なぜなら国家が規則を定めるからです。
もし我々が普遍性原理からは比類なく免除されていると宣言することができるなら、それが我々の権利なのです。そして常に、そのように我々は行動するのです。毎日、私たちは新しい実例を眼にしています。
たとえば、ちょうど先月、ジョン・ネグロポンテが駐イラク米国大使として世界最大の外交使節団を率いてバグダッドに行きました。イラク人に主権を移譲し、中東と世界に民主主義を移植し、ブッシュの「救世主的使命」を成し遂げるための大使だとされています。少なくともそんな風に厳粛な調子で報道されています。
しかし誰もその不吉な先例があることを見落とすべきではありません。なぜならネグロポンテは1980年代に米国大使としてホンジュラスに赴任したとき、既に汚い取引の仕方を学んでいるからです。ワシントンの現政権担当者の多くが、その当時もレーガン政権の要職に就いていました。第1次「対テロ戦争」が中米と中東で宣言された、その時だったのです。
ネグロ・ポンテのイラク任命について、『ウォール・ストリート・ジャーナル』のカーラ・アン・ロビンスは4月に、大見出しで現代の植民地提督と書きました。というのは、ネグロポンテはホンジュラスでは「植民地提督」として知られていたからです。植民地時代の強力な行政官に与えられた称号がホンジュラスでも使われていたのです。
ホンジュラスでは、彼はラテンアメリカ第2の大きな大使館を統括していました。そこは当時では世界最大のCIA支局を有していました。ただし、それはホンジュラスが世界的強国の最重点地域だったからではありません。
ロビンスの記事によれば、ネグロポンテは「ホンジュラス軍による虐待を隠蔽している」(これは大規模な国家テロの婉曲表現ですが)として人権活動家に批判されています。この隠蔽工作は、極めて重要な国ホンジュラスへ「米国の援助が流れていくのを保証するため」でありました。というのは、ホンジュラスが「ニカラグアのサンディニスタ政権に対するレーガン大統領の秘密戦争の基地」だったからなのです。
秘密戦争はサンディニスタがニカラグアで革命政権を打ち立てた直後に開始されました。ワシントンが公言した懸念は、第2のキューバがこの中米の国で発展するかもしれないというものでした。ホンジュラスにおける植民地提督ネグロポンテの仕事は、ホンジュラスにおける基地を監督し、金銭目当てのテロリスト軍隊(すなわちコントラのことですが)を訓練し武装し、サンディニスタ政権を転覆させるために、ニカラグアへ送り出すことでした。
1984年、ニカラグアは法治国家としてふさわしいと対応をとりました。すなわち米国の犯罪をハーグの国際司法裁判所に提訴したのです。
国際司法裁判所は、ニカラグアに対する「軍隊の不法使用」(すなわち世俗的用語で言えば、国際テロですね)を止め、相当な賠償金を支払うように米国に命令しました。しかしワシントンは司法裁判所を無視しただけでなく、その後、国連安全保障理事会の2つの決議をも拒否しました。その安保理決議は、裁判所の判断を良しとし、全ての国が国際法を守るようにと要求するというものでしたが、それに拒否権を発動したのです。
米国官庁法律顧問アブラハム・ソフェイアーは次のようにそれを正当化しています。
世界のほとんどが「我々と見解を共有するとは期待できない」ので、「我々がどのように行動するか」「どんな問題が米国によって決定されるべきものとして国内法で裁かれるべきなのか」を決定する権利を我々は留保しなければならい。「決定権を自らに確保」しなければならない。
(「どんな問題が」とは、この場合、国際司法裁判所によって非難されたニカラグアでの行動のことを言っているのです。)
国際司法裁判所の判決に対するワシントンの無関心と国際社会への傲慢は、おそらく現在のイラク情勢でも同じなのです。ニカラグアでの軍事行動は計り知れない犠牲と従属的民主主義の典型例を残しました。民間人の死者は数万人と見積もられています。人口に比例してみると、ニカラグアでの死亡者数は、「南北戦争と20世紀のあらゆる戦争で死んだ米国人の合計数よりも著しく高い」と、ラテンアメリカ民主化史の著名な研究者トーマス・キャロウサーズは書いています。
キャロウサーズは学者であると同時に当事者の立場から書いています。というのは彼は、中米「民主主義強化」プログラムを推進するためにレーガン政権の国務省に勤めていたからです。レーガン時代のプログラムは、キャロウサーズによれば「誠実」ではありましたが「失敗」でした。なぜならワシントンは「上意下達の、制限された民主主義的変革」しか許そうとしなかったからです。「そういう形態ならば、米国が長く同盟関係を持ってきた伝統的権力構造を転覆させる危険がないからなのです。」
これは、民主主義のビジョン追求においてはよく知られた歴史的繰り返しです。それをイラク人も明らかに知っております。我々が民主主義のビジョン追求しないことに決めれば、なおさら嘘つきだということになりますが。
今日、ニカラグアは半球における第2の最貧国です(ハイチは世界最貧国で、20世紀の間、米国介入のもう一つの主要なターゲットでした)。ニカラグアの2歳未満の子供達は、その約60パーセントがひどい栄養失調のため貧血で苦しんでいます。それが民主主義の勝利として歓呼して迎えられたニカラグア転覆の、ぞっとするような結末なのです。
ブッシュ政権は、中米で豊かな経験を積んだ、その同じ大使を使うことによって、イラクに民主主義をもたらすと主張しています。ネグロポンテの指名承認公聴会は開かれているとき、ニカラグアでは米国を国際的テロリストだとするキャンペーンがメディアの紙面に現れましたが、それに何の重要性も付与されていません。おそらく、「輝かしい」自己を普遍性の原理から免罪しているからです。
ネグロポンテ就任の数日後、ホンジュラスはイラクから軍隊の小さな部隊を引き上げました。それは偶然の一致かもしれません。あるいは恐らくホンジュラスは、ネグロポンテがそこにいた時代から何かを思いだしたのかもしれません。私たち米国人が忘れたいと思っている何かを。
[PR]マネー 涼しい アンチエイジング 訳あり