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「テロの時代」への重大な疑問
Crucial
Questions in the “Age of Terror”
ノーム・チョムスキー
2002年9月
(翻訳:寺島隆吉+岩間龍男+寺島美紀子)
「ひび割れた鏡 − 911の結果は原因と瓜二つ。モラルのない権力者の世界的独白」と題して、OutlookIndia.comに掲載されたもの。
9月11日のテロリスト攻撃は世界を劇的に変え、世界が「テロの時代」に入ったので、何事ももはや同じにはならないだろうと、広く議論されています。「テロの時代」というのは、エール大学その他の学者による学術論文集のタイトルであり、そこでは炭素菌の攻撃をさらに不吉なものと見なしています。
9・11の残虐行為が歴史的重要事件であったことは疑いの余地はありません。それは、遺憾ながら、その規模のためではなく、無実の人々が犠牲者に選ばれたためです。しばらくの間は新しい科学技術をもちながら、工業大国はこれまでの暴力の実質的独占をおそらく失うだろうと認識されていました。その大きな優位性を保ちながらも。
その予測が成し遂げられる特別な方法など誰も予測だにできなかったのに、その予測は成し遂げられてしまったのです。現代史上はじめてヨーロッパとその子孫米国は、他の場所で自分たちがいつもやってきたような残虐行為を、自らの本土で受けたのです。そういった歴史はとてもよく知られているので、振り返る必要はないでしょう。
西側はそれを無視することを決め込むかもしれませんが、西側によって行なわれた残虐行為を犠牲者たちは忘れません。これまで通りのやり方でのそうした西側と犠牲者間の鋭い分裂は、きっと9・11を歴史的な事件とみなし、その反響は必ず重大なものとなるのです。
ただちに幾つかの難問が起こってきました。誰に責任があるのか。理由は何なのか。適切な対応は何なのか。長期的に見るとこの先どうなっていくのか。
最初に、有罪の当事者はオサマ・ビンラディンと彼のアルカイダ・ネットワークだと、まことしやかに考えられています。CIA(中央情報局)より彼らをよく知っているものは誰もいません。CIAは、米国の同盟国の同じような諜報機関とともに、多くの国々からイスラムの過激派を募り、彼らを軍隊やテロリスト集団として組織化しました。これは、アフガニスタン人がロシアの侵略に抵抗するのを援助するためではありませんでした。ロシアの侵略は合法的なものだったのでしょうが、それは国家のいつもの理由です。
ムジャヒディンが支配権を握ってからはアフガニスタンの人々にとって残忍な結果となりました。米国の諜報機関はこれらネットワークの他の偉業を確かに綿密に追いかけてきました。20年前にエジプトのアンウワー・サダト大統領を彼らが暗殺して以来ずっとです。さらには、1993年の非常に野心的なテロリスト作戦で、世界貿易センターや他の多くの目標物を爆破しようという試みがあって以来は集中的に追いかけてきました。
それにもかかわらず、史上最大の集中的国際諜報機関の調査にもかかわらず、9・11犯の証拠は発見するのが困難でした。爆撃から8ヶ月後、FBI局長ロバート・ミューラーは議会で証言して、次のように言っただけでした。「他の場所で計画・実行されたが、陰謀はアフガニスタンで企てられたと、米国の諜報機関は今のところ“信じています”」と。
炭素菌攻撃の出所が、米国政府武器研究所だと限定されてから長く経ちますが、それについては今もって特定されていません。これらのことは、テロがこの先、豊かで強力な国をターゲットにする行動に対抗するのが、いかに難しいかを示しています。それでもなお、証拠が十分でないとしても、9・11の最初の結論はおそらく正しいと思います。
次の疑問は、何が理由なのかということです。これに関しては、学者の意見は事実上、一致してテロリストの説明をそのまま受け止めています。説明は過去20年間の彼らの行為と符合しているからで、彼らの目的は、説明によれば、不信仰者をイスラムの土地から追い出し、不信仰者が押し付け維持している腐敗政府を転覆させ、イスラム教の過激な教義を実施することです。
更に重要なのは、更に同種のテロ犯罪の可能性を減らすことを望む人々にとって少なくとも、テロの背景を理解することです。その背景からテロリスト組織が生まれ、その背景のために、テロリストを軽蔑し恐れる人々の中にさえ、テロリストのメッセージに部分的にでも共感する人たちを生み出すことになっているのです。
「なぜ、彼らは私たちを憎むのか。」とジョージ・ブッシュは泣き言を言います。その疑問は新しいものではありませんし、答を見つけるのは難しいことではありません。45年前にドワイト・D・アイゼンハワー大統領と彼のスタッフが議論したのは、アラブ世界における「我々を敵とするキャンペーン」というものだが、「政府によってではなく民衆による」ものでした。国連安保理が忠告したその基本的理由は次のような認識なのです。すなわち、民主主義と発展を阻止する腐敗した残虐な政府を米国が支持し、米国がそうするのは「近東の石油利権を守る」という関心事のためだ、という認識です。『ウオールストリート・ジャーナル』が9・11以降、裕福で西洋化したイスラム教徒の姿勢を調査した時、それとほとんど同じだと気が付いたのです。米国への感情は、イスラエル、パレスチナ、イラクに関する米国の特定政策によって今や悪化しているのです。
時事解説者は一般にもっと慰めとなる解答を好みます。彼らの怒りは次の事柄に根ざしているというのです。我々の自由に腹を立てるが民主主義を好むこと、何世紀もの彼らの文化的失敗、「グロバリゼーション」に彼らが参加できないこと(実際に彼らは喜んで参加しているのだが)、その他、様々な欠陥などです。それは確かに慰めとなる解答ですが、賢明な解答ではありません。
適切なテロ対応はどうでしょうか。その解答は確かに議論のあるところです。しかし、少なくともそのテロ対応は、最も初歩的な倫理的基準を満たさねばなりません。明らかに、その行動が我々にとって正しいものであるならば、他の人々にとっても正しいものとなります。もし他の人々にとって誤ったものであるならば、それは我々にとっても誤りです。そのような基準を拒絶する人々は、行動は力によって正当化されると宣言するだけです。もしこの単純な基準が採用されるならば、この問題に関する論評(「正しい戦争」についての討論など)の洪水の中で、何が残っているのか尋ねてもよいでしょう。
2、3の論争の余地が無い事例で説明してみましょう。40年も経ったのです。ジョン・F・ケネディ大統領は次のように命じてから。「キューバは米国主導の侵略に抵抗して成功するなど、礼儀に反した行いをした。キューバの指導者が抹殺されるまでは、“地球のテロすべて”がキューバに訪れる」と。そのテロは非常に深刻なもので、1990年代まで続きました。
20年も経ったのです。レーガン大統領がニカラグアに対するテロリスト戦争を始めてから。野蛮な残虐行為と莫大な破壊が行なわれ、数万人の人々を殺害し、国を再建不可能な状態まで破壊し尽くしました。それはまた国際司法裁判所と国連安保理によって国際的テロリズムとして非難されました(米国はこの国連決議を拒否した)。しかし、キューバやニカラグアが、米国の政治指導者を暗殺するために、ワシントンやニューヨークで爆弾を爆発させる権利があったなどとは誰も考えません。そして、現在に至るまでの多くのもっと遙かに甚大な例を付け加えるのは、あまりにも容易なことです。
したがって、初歩的な倫理基準を受け入れるならば、犯罪的残虐行為の容疑者だと米国が考えた人々を強制的に引渡させるためには、アフガニスタン人を米英が爆撃するのは正当なことだった、と示すことが必要です。この公式の戦争目的は、爆撃が始まった時に大統領によって発表されたものです。あるいは政権転覆が目的だったのかも知れませんが、その戦争目的は数週間後に発表されました。
同じ倫理基準には、テロリストの残虐行為に対する適切な対応について、微妙に異なる提案が含まれます。尊敬を集める英国系米国人の軍事歴史家マイケル・ハワードは次のような提案をしました。「警察活動は、国連の援助のもと、犯罪的陰謀に対して行なわれるべきで、犯罪者メンバーは捕らえられ、国際法廷に引き出され、そこで公正な裁判を受けるべきである。そしてもし有罪ならば、適切な判決が下されるべきである」(『ガーディアン、外交問題』)。その提案は妥当なものと思われます。ただし、その提案が普遍的に適用されるべきだという提言に対してどんな反応が出るのかはわかりませんが。それは想像を絶することです。そして万一そのような提案が実施されたならば、暴行と恐怖を生み出していたでしょう。
同じような疑問が、潜在的脅威への「先制攻撃」という「ブッシュドクトリン」に関しても沸きあがります。そのドクトリンが新しいものでないことは注目すべきことです。政策決定の高官たちはみなレーガン政権の残留者で、レーガン政権といえば、リビアへの爆撃が「将来の攻撃に対する自己防衛」として国連憲章下で正当化されていると主張したのです。クリントンの政策立案者たちも、「先制対応」(核先制攻撃を含む)を進言していました。そのドクトリンはもっと前に先例があったというわけです。
それにもかかわらず、そうした先制攻撃権を「あからさまに」「堂々と」主張するのは全く新しいことであり、脅威を誰だと言っているのかも秘密ではないのです。政府と時事解説者は、そのドクトリンをイラクに適用するつもりだと、大声で明確に強調しています。したがって、普遍性の初歩的基準は、イラクを米国に対する「先制的恐怖」だと位置づけているように見えますが、もちろん誰もこの結論は受け入れません。
またもし私たちが初歩的道徳原理を採用するならば、明白な疑問が沸きあがります。そして、世界がどう考えようが気にも留めず強国が勝手に実行する権利を認めるという、この「先制対応」原則の選択を主張し黙認する人々は、その「明白な疑問」に答えなければならなくなるのです。その立証責任は軽いものではありません。暴力による脅しや暴力の使用が支持され黙認される時、それに対する立証責任が必要だということは常に真実なのです。
以上の単純な議論への対案はもちろんあります。つまり、「我々」は善で「奴ら」は悪だ、という原則です。その実利的原則はどのような議論に対しても実際的切り札になるのです。論評の分析や研究で明らかになっているのは、そのルーツが上記の決定的原則に則っていて、しかもそれは議論の対象でなく断定あるのみだということです。
滅多にあることではありませんが、しかし時々、いらだった人たちが、近現代史の記録をもって上記の核心的原理に対決しようとします。こうして私達はテロにたいする対応を観察することによって、支配的な文化基準について多くを学べますし、この「異説への転落」を思いとどまらせるために打ち建てられた興味深い一連の障壁も学べます。
もちろん、この支配的な文化基準と一連の障壁のどちらも、現代の権力中枢部と支配的な知的文化による発明ではありません。それは以前から存在していました。それでもなお、少なくとも私たちが今どこに立ち、この先何が起こるのかを理解したいという関心のある人々にとっては、それは注意を払う価値があるものです。
長期的に見ると、9・11の犯罪がすでに進行中の傾向を加速するだろうと私は思っています。ブッシュ・ドクトリンがその実例です。すぐに予測されたように世界中の政府は9・11を、国内の厳しい抑圧的プログラムを拡大する機会の窓と捉らえました。ロシアは熱心に「対テロ同盟」に加わりました。これはチェチェンでの恐ろしい残虐行為の許可を期待してのことです。そしてロシアは失望しませんでした。中国も同じ理由のために嬉しそうに「対テロ同盟」に加わりました。
トルコは米国の「対テロ戦争」の新局面に軍隊を提供する最初の国となりました。首相説明によれば、みじめに抑圧されているクルド人に対するトルコの作戦に米国が貢献してくれたことに感謝を表すため、ということです。このクルド人抑圧はたいへん野蛮に行なわれ、米国の武器の大規模流入に決定的に頼ったからです。
トルコは、恐ろしい1990年代の最悪の残虐行為を含め、これら国家テロ作戦の業績で非常に賞賛され、カブールをテロから守る権限を認められるという御褒美をもらいました。すなわち、その同じ超大国からトルコは資金提供も受けただけでなく、さらに米国はトルコの最近の残虐行為に軍事的手段や外交的イデオロギー的支援を与えたのです。
また、イスラエルは米国の強い支援を受けて、さらに残酷にパレスチナ人を押しつぶすことが出来ると認識しました。世界の至るところで、このような事態となっています。
米国を含め多くの民主主義社会は、恐怖感を煽り「愛国心」を強要しながら、国内の人々に規律を押し付ける施策を行いました。「テロと戦う」という口実で評判のよくない施策を行なったのです。実際そのことが意味するのは「お前は黙っていろ。俺は容赦なく俺自身の予定を追及するからな。」ということなのです。
この機会を利用して、ブッシュ政権は、国民や若い世代への攻撃を進め、度はずれに政権支配する独占企業の利益に奉仕しているのです。
要するに当初の予測は十分に的中しました。
ひとつの主要な成果は、米国が中央アジアに主要軍事基地をはじめて持つということです。このことは重要なことです。現代の「グレートゲーム」の中で米国の多国籍企業を有利な状況に置き、その地域のかなりの資源を支配するだけでなく、湾岸地域の世界一重要なエネルギー資源の包囲を完成させたのです。
湾岸地域を標的とした米国の基地システムは、太平洋からアゾレス諸島にまで及ぶようになっていますが、アフガニスタン戦争以前の最も近くて頼りになる基地はインド洋のジエゴ・ガルシア島だけでした。しかし今は違います。中央アジアに主要軍事基地をはじめて持つことができたのです。
状況はたいへん改善されているので、適切だと判断されるならば、強い介入も非常に容易でしょう。ブッシュ政権は「対テロ戦争」(多くのやり方が20年前にレーガン政権によって宣言された「対テロ戦争」の複製である。)の新局面に気がついています。すなわち、既に圧倒的な軍事的優位をさらに世界中に拡張し、世界的支配を保障する別の方法に突き進むチャンスとして、この新局面を捉えているのです。
サウジアラビアのアブドラ皇太子が4月に米国を訪れ、イスラエルのテロと抑圧に米国が強い支持を与えていることに対するアラブ世界の反応に注意を払ってほしい、とブッシュ政権に促した時、政府の考え方が政府高官によって明確に述べられました。すなわち、米国はアブドラ皇太子や他のアラブ人が考えていることなど気にかけていないと述べたのです。
ニューヨークタイムズによれば、政府高官はその態度を次のように説明しました。「我々が湾岸戦争における“砂漠の嵐作戦”で強かったとアブドラ皇太子が考えているなら、我々は今ではその10倍も強いのだ。こうして我々は、“アフガニスタン戦争が我々の能力を実証している”という考えを彼に伝えたのだ。」
古参の防衛アナリストは単純な注釈を付け加えました。「他の者たちは“我々のタフさを尊敬し、我々に一切干渉しない”だろう。」そのような態度は多くの歴史的先例がありますが、9・11後の世界では新しい力を得ています。
私たちは内部文書をもってはいませんが、そのような成果を得ることがアフガニスタン爆撃のひとつの主要目的だったと推測するのは妥当なことです。もし誰かが列をはみ出せば、米国は何でもするぞと世界に警告しているのです。セルビア爆撃も同様の理由で行われました。
その主要な目的は、ブレアとクリントンが説明したように、「NATOの信頼性を確保する」ことでした。ここでは、ノルウェーやイタリアの信頼性のことを言っているのではなく、米国とその第一の軍事的従属国である英国の信頼性を言っているのです。それは政治的手腕の共通テーマであり国際関係という学問にもなっています。これは、歴史が十分に明らかにしていることです。
国際社会の基本的問題は、昔とほとんど同じだと私には思われますが、確かに9・11は、いくつかのケースにおいて、重大な変化を引き起こしました。しかもそれは非常に好ましくない変化でした。
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