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サダム・フセイン拘束の後に
恣意的選択的記憶と不誠実な政策原理
『トロント・スター』の記事、2003年12月21日
ノーム・チョムスキー
翻訳:寺島隆吉+岩間龍男、公開2003年12月27日
・・・そのような英米両国のやり方は、一般に英米国の知的文化に深く根ざした策略・仕掛けを映し出している。それは、しばしば「進路の変更」と呼ばれている政策原理である。これは米国で2,3年おきに出てくるもので、その政策原理の中味は「我々は無知や不注意のためにいくつかの誤りを犯した。しかしもうそのことは終わったので、退屈で陳腐なことにこれ以上時間を使うのはやめよう。」というものだ。 |
人権と正義と誠実さに関心を払うすべての人々は、サダム・フセインが拘束されたことに大喜びし、国際裁判所による公正な裁判を待っているに違いない。
サダムの残虐行為の起訴状には、1988年のクルド人の毒ガスによる虐殺だけでなく、さらに重大な1991年にサダム政権を崩壊させようとしたシーア派の反乱に対する大虐殺も含まれるだろう。
その当時ワシントンとその同盟国は「際立って一致した見解」を持っていた。つまり、「イラクの指導者サダムの罪がたとえどのようなものであろうとも、サダムはより良い希望を西側と中東地域にもたらしている。彼の方が、彼の抑圧に苦しんできた人々よりもイラクを安定させる。」(昨年12月の『ニューヨークタイムズ』のアラン・カウエルのリポート)という見解である。
英国の外務大臣ジャック・ストローは、その当時にサダムが犯した犯罪記録の関係書類を公表した。だが、その犯罪のほとんどは、英米両国がサダムを強力に支援していた期間におこなわれたものだった。いつものように道徳的な誠実さを売り物にしながら、ストローの報告とワシントンの反応は、彼ら自身がサダムを支援していたことに目をふさいでいた。
そのような英米両国のやり方は、一般に英米国の知的文化に深く根ざした罠を映し出している。それは時々「進路の変更」と呼ばれている政策原理である。これは米国で2,3年おきに出てくるもので、その政策原理の中味は「我々は無知や不注意のためにいくつかの誤りを犯した。しかしもうそのことは終わったので、退屈で陳腐なことにこれ以上時間を使うのはやめよう。」というものだ。
その政策原理は不誠実で卑怯なものだ。だが、いくつかの利点がある。それは私たちの目の前で起きていることを理解させないようにすることだ。例えばブッシュ政権がイラク戦争を始めるもともとの理由は、「独裁者が大量破壊兵器を開発しテロとの繋がりを育てるのを阻止して世界を救うこと」であった。現在は誰もそんなことは信じていない。ブッシュの演説原稿作成者でさえも信じていない。それに代わる新しい理由は、イラクに民主主義を確立するためそして中東地域全体を事実上民主化するためにイラク侵略を行ったというものだ。
この繰り返される民主主義建設の姿勢は、時には熱狂的な賞賛をあびる。例えば『ワシントンポスト』のコメンテーターであるデビッド・イグナティウスは、イラク侵略を「現代の最も理想的な戦争」でありイラクと中東地域に民主主義をもたらすためだけに戦われた戦争であると述べた。イグナティウスは特に「ブッシュ政権の最高の理想主義者」ポール・ウオルフォイツの行動に感銘を受け、「抑圧に抗して(アラブ世界のために)血を流し、その解放を夢見る」真の知識人であると彼を評していた。
おそらくそのことは国防副長官ウオルフォイツの経歴を説明するのに役立つだろう。ウオルフォイツはロナルド・レーガン政権時代にインドネシアの駐在大使であったが、今世紀最悪の大量殺人者であり侵略者のひとりであるインドネシアのスハルト[訳注1]を強力に支援していたのである。レーガン政権下でのアジア問題の国務省の職員だった時には、ウオルフォイツは韓国の殺人的な独裁者である全斗煥[訳注2]やフィリピンのマルコス[訳注3]への支援を監督していた。
「進路変更」という便利なドクトリンのおかげで、これらすべてのことは彼とは無関係のこととされる。したがってウオルフォイツの心臓は抑圧された犠牲者のために血を流していることになり、もし過去の記録がその正反対のことを示しても、それは例の陳腐で退屈なものとして我々米国人が忘れ去りたいことになるのだ。
ウオルフォイツの民主主義を愛する実例を、私たちは最近の例で思い出すことができる。トルコ議会は、国民がイラク戦争に対して全員一致に近い反対の意志を表明していることに従って、トルコから米軍が全面的に軍事展開することを拒否した。このことはワシントンの全面的な激怒を引き起こした。ウオルフォイツはトルコ軍がその決定をひっくり返すよう議会に介入をしなかったことを非難した。トルコはテキサスのクロフォード[ブッシュ大統領の居住地]やワシントンDCからの命令ではなく、自国民の声に従ったのだった。
最も最近の事件では、ウオルフォイツの「決定と裁定」がある。これは、イラクでの気前のよい復興ビジネスのについて入札・契約を決めるものだが、政府が人々の圧倒的多数と同じ立場を取った国々はこの契約から除外された。ウオルフォイツの主張の根拠は
"security interests,「治安権益」というものだったが、そんなものは存在しない。しかし彼の民主主義に対する理屈抜きの憎悪は見逃してはならない。またハリバートン社やベクテル社が先進工業国とではなくウズベキスタンやソロモン諸島の活気に満ちた民主主義
[発展途上国]と「競争」を思うがままにできることも見逃してはならない。
[訳注:ハリバートン社やベクテル社が、先進工業国を排除し、発展途上国と入札競争をしても、勝つに決まっている。既に湾岸戦争のあとクウェートでハリバートン社は油井を修復し、ベクテル社はパイプライン復興を請け負っている。関連記事「PaulWolfowitz」「ウォルフォウィッツが本音をぽろり」「米軍がイラク復興事業からハリバートン以外の ...」
「イラク戦争で大儲けする企業の元CEOは……
」「戦争民営化のなれの果て」 などを参照。]
明らかになりつつあり将来にとって重要なことは、ワシントンが民主主義への軽蔑を示している一方で、民主主義を求めているとして政府の行動が持て囃(はや)されていることである。そのようにして民主主義を奪い去ることができるとすれば、それは目覚しい業績であり、全体主義国家でさえもその真似をすることは難しいだろう。
イラク人たちはこの征服者と被征服者の過程に、ある洞察力を持っている。かって英国人は自らの利益のためにイラクという国を捏造した。彼らがこの地域を支配していた時、いわゆる「アラブの前衛」をどのように築くべきか議論した。その「前衛」は弱くて英国の言いなりになる従順な政府であり、英国人が彼らを効果的に支配できる限りにおいて、可能ならば議会制が望ましいというものだった。
米国が独立したイラク政府の存在を許すことなど誰も信じないだろう。米国は、世界最大の産油地帯の中心に恒久軍事基地を築く権利を確保し、主権国家ならどのような国も受け入れがたいような経済体制をイラクに押しつけているのだから、なおさらのことだ。こうして、この国の運命は今や西側の企業の掌中に握られている。
歴史を通観すれば、最も厳しく最も恥ずべき政策ですら、それに対して常に崇高な意図が表明され、自由と独立を与えるという言い回しが使われてきた。誠実に情勢を見るならば、トーマス・ジェファーソン[訳注4]が当時の世界情勢について述べた次の発言を一般化できることが分かるだろう。
「海洋の自由のためにだけボナパルト[訳注5]が戦ったなどと誰も信じていない。それと同じく、人類の自由のために英国が戦っているなどと誰も信じていない。その目的は同じである。すなわち他国の権力や富や資源を自分たちに引き付けることにある。」
以下の訳注の出典はすべて『英辞郎』。
【訳注1】スハルト◆1921〜。インドネシア大統領。スカルノ Sukarno前大統領追放(1968年)後、共産勢力を一掃。インドネシアを経済発展させる、その間の親族腐敗政治で引退(1998年)。その後汚職問題で告訴されているが病気理由で出廷してしない(-2001現在)
【訳注2】全斗煥、チョン・ドゥファン、ぜん・とかん〔Chun Doo Hwan〕◆1931年生れ。韓国軍リーダ。朴正熙大統領暗殺の後、大統領に(1980-88)。戒厳令を敷く。Roh
Tae Wooの民主化政策を採用。しかし両者とも1995,96に腐敗政治、1979年のクーデタ、1980年の光州事件(民主化運動弾圧で多数が死亡)で起訴、投獄される。1997年に金大中・Kim
Dae-jung大統領が恩赦。
【訳注3】フェルディナンド・エドラレン・マルコス〔Ferdinand Edralin Marcos〕◆1917-89。フィリピン大統領(1965-86、前大統領はMacapagal)。親米・反共産。共産ゲリラHukbalahap、回教徒反乱ゲリラ・モロ(Moro、ミンダナオ島)を掃討実行。ASEAN発起国の1つ(1967年)。戒厳令発布(1972-1981)。Moro問題はまだ紛争中。政権末期の収賄や、妻イメルダImelda(元俳優)の浪費でも追及される。反政府活動家ベニグノ・アキノBenigno
Aquinoを殺害?。妻Corazon Aquinoにより政権崩壊、米に亡命(1986年)。ハワイで死去。
【訳注4】トマス・ジェフアーソン◆米国第3代大統領(在任1801-9)。仏から Louisiana を買収。欧州でのナポレオン戦争では不介入の政策をとった。ワシントンで就任式を行った最初の大統領。
【訳注5】ナポレオン・ボナパルト〔Napoleon Bonaparte〕◆=ナポレオン一世。フランス。ヨーロッパ中世終末期の大風雲児。帝政・共和制混乱期の欧の。伊・エルバ島に幽閉され脱出したがワーテルーで欧連合軍に敗北。
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