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サダム・フセインにはどんな公正な裁判が必要か
ノーム・チョムスキー 『トロント・スター紙』2004年1月25日、(翻訳:寺島隆吉+寺島美紀子、公開040201)
サダム・フセインと西側の間の長期にわたる捻れた関係は、どんな問題やどんな当惑が[サダム・フセインを裁く]法廷で浮上するか、という問題を起こしています。
なぜなら、サダムに対する公正な裁判(実際には想像できないものだが)では、被告弁護人は、その独裁者に重大な支援を提供していたコリン・パウエル、ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド、ジョージ・ブッシュ・シニアや、他の高官たちを、当然のことながら、難なく証人喚問することができるはずだからです。彼らは最悪の残虐行為の間でさえも支援していたのです。
公正な裁判は少なくとも普遍性という初歩的な道徳的原理を受け入れるでしょう。告訴人と被告人には同じ規準が適用されねばなりません。
真に公正な裁判のためには、多くの会議や他の記録が示すように、1980年代の間ワシントンがサダムと不道徳な蜜月関係を築いていたということが必ずや関わってきます。
蜜月関係を築く最初の口実は、イラクがイランの抑止力になるというものでした。米国の支援でイラクにイランを攻撃させることでしたが、同じ支援が戦争後も続いたのです。
ところが、蜜月の方針に責任のあった人たちが、今やサダムを正義の法廷に立たせようとしているのです。
ラムズフェルドはロナルド・レーガンの中東特使として1983年と1984年にイラクを訪れ、サダムとの堅固な関係を確立しました。(それと同時に、表向きは、レーガン政権は、化学兵器を使用しているとしてイラクを批判していました。)
パウエルは、1987年12月から1989年1月までブッシュ・シニアの国家安全保障顧問で、その数ヶ月後、共同参謀本部議長になりました。チェイニーはブッシュ・シニアの国防長官でした。
したがって、クルド人の毒ガス大虐殺(1988年)と、シーア派の反乱鎮圧(1991年)というサダムの最悪の残虐行為の時代に、パウエルとチェイニーは意志決定の最高地位にあったのです。このシーア派の反乱はサダム政権を転覆できる可能性があるものでした。
今日、ブッシュ2世の下でパウエル、チェイニー、その他は、絶えずサダムの残虐行為を持ち出して、悪魔を打ちのめすことを正当化していますが、まさに、この残虐行為の期間に米国がサダムを支援していたという決定的要素だけは、蓋をされているのです。
1989年10月にブッシュ・シニアは国家安全保障の指針を出し、「米国とイラクとの正常な関係は我々の長期的利益をもたらし、湾岸と中東双方における安定性を促進するであろう」と、宣言しました。
米国は、サダム政権が非常に必要としていた食物供給援助を提供しました。同時に大量破壊兵器に適応可能な先進技術と生物学的薬剤をも提供しました。
1990年にサダムが足を踏み外してクウェートに侵攻した後、方針と口実が変化しましたが、変わらない原則が一つだけありました。すなわち、イラク人民は自国を自分で統治してはならないということです。
ですから、1990年に国連がイラクに経済制裁を課しましたが、それは主に米国と英国によって管理されたのです。これらの制裁は、クリントン大統領からブッシュ・ジュニアにまで引き継がれました。これはおそらく米国のイラク政策のもっとも悪しき遺産です。
西側の人間で、1997年から2000年までイラクでの国連人道的支援調整官だったデニス・ハリディやハンス・ボン・スポニックほど、イラクを知っている人物はいないでしょう。その二人とも経済制裁に抗議して辞職しました。その経済制裁をハリディは「大量虐殺」と特徴づけています。
その二人だけでなく他の人々が何年間も指摘してきたように、経済制裁はイラク人民を打ちのめし、その一方で、サダムとサダムの徒党を強化しました。こうしてイラクの民衆は生きるために暴君に依存するようになっていきました。
このような歴史が法廷に出てくることが許されるのかどうか、誰がイラクの将来に責任を持つことになるのかという問題は依然として 困難な状況にあり、現在の時点でも大きな論点になっています。
その問題はさておき、イラクの悲劇に関心を寄せてきた人たちは3つの目標を持っていました。すなわち(1)専制政治を打倒すること、(2)支配者ではなく民衆を標的にした経済制裁を終わらせること、(3)世界秩序を破壊せず何らかの形で維持すること。
誠実な人々の間では、はじめの2つの目標にどんな不一致もあり得ません。その目標達成は、特にサダムへの米国支援に抗議したり、後には殺人的な経済制裁制度に反対してきた人々にとっては、歓喜の時です。したがってその時が来れば彼らは嘘いつわり無く拍手喝采できます。
第2の目標は、3番目の目標を傷つけることなく(おそらく1番目の目標も)、達成可能だったことは確かです。
ところがブッシュ政権が公然と宣言したのは、現存する世界秩序のシステムを破壊し、世界を力で支配するという意図でした。イラク侵攻はそのモデル事業でした。
そのような意図は世界中に恐怖を引き起こし、またしばしば憎悪を引き起こしてきました。また「何時でも何処でも好き勝手に侵略する」という現在の米国の政策に協調することを選ぶと、将来どのような結果が待ち受けているか、ということに関心を持ってきた人々の間に絶望を引き起こしています。もちろん、その選択の鍵はほとんどアメリカ国民の手中にあるのですが。
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