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現下の爆撃
レトリックの背後に潜むもの
By Noam Chomsky (March,’99)
Kosovoに関連して、NATO (それは主としてアメリカを意味するのだが )の爆弾投下に関する多くの問合せがあった。Znetの批評を含め、その話題について既に多くのことが書かれている。きちんと検討されていない事実にしぼって、2
、3の一般的な考察を加えてみたい。
2 つの基本的な問題がある : (1) 皆に容認され、かつ適用可能な「世界秩序を守るためのルール」とは何か
?(2)コソボの場合、上記の考察は、どのように適用されるか ?
(1) 皆に容認され、かつ適用可能な「世界秩序を守るためのルール」とは何か
?
国連憲章、その附則、及び国際司法裁判所判決に基づく国際法と国際秩序の体系があり、それはすべての国家を拘束するものである。要するに、威嚇または力の使用は、一般的には禁止されているのである。それが許されるのは、平和的方法が失敗したことが明らかになり、安全保障理事会によってそれが公然と認可された場合か、もしくは安全保障理事会が行動するまで「武装攻撃 (狭い概念における)」に対してやむを得ず自衛せざるを得ない場合である。
もちろん更に言うべきことが多くある。たとえば、国連憲章に書き記された世界秩序の決まりと世界人権宣言において明瞭に述べられた権利の間には、たとえそれが全くの矛盾ではないとしても、少なくとも緊張関係がある。(しかも皮肉なことに、世界人権宣言は第二次世界大戦後、アメリカのイニシアティブの下で確立された世界秩序の第2の柱なのである。)たとえば国連憲章は国家の主権を侵害する軍事力を禁止するが、他方、世界人権宣言は圧制的国家に対して個人の権利を保証する。「人道主義的介入」の問題はこの緊張から生じる。コソボ問題において、アメリカ/NATOによって主張され、新聞の社説やニュース報道によって一般的に支持されているのは、この「人道主義的な介入」の権利というものである。(ニュース報道の場合、「人道的」という用語の選択によって、既にその支持が反映されている)。
この問題は、ニューヨーク・タイムズ (3月27日) のニュース・レポートで、「法律学者、コソボにおける軍事力の使用を支持」という見出しで提起されている。その一つの例として、前アメリカ国連大使、Allen
Gersonの意見が紹介され、他にも2人の法律学者が引合いに出されている。そのうちの一人、Ted Galen Carpenterは、「政府の議論を冷笑し」、政府によって主張されているような介入権は「なし」とした。第3はシカゴ大学
Law schoolのJack Goldsmithで、国際法の専門家である。彼によれば、NATO 爆撃の批判には「それなりの法的論拠がある」が、「多くの人々は(人道主義的介入のための例外)が慣習と実践の問題として存在する、と考えている」という。それは結局、新聞の見出しに述べられた好意的結論を正当化するために提出された論拠を要約したものとなっている。Goldsmith の意見は、議論されている事実がこれまでの「慣習と実践」の決定に見合ったものであるということに少なくとも我々が同意するならば、妥当なものである。。
我々はまた次のような公理を心に留めておくのが良いかもしれない:つまり人道主義的介入の権利が、もしそれが存在するものなら、それは今までの介入に対する「良き信頼」を前提にしているものであり、その仮定は、レトリック(言葉の魔術)に基づくものではなく、事実の記録に基づくものでなければならない。それは特に国際法の原則、国際司法裁判所の決定等にきちんと合致した記録に基づくものでなければならない、という公理である。事実、それが少なくとも他国に対する一つの公理である。
このことは例えば、大虐殺を妨げるためという理由でイランがボスニアに介入することを申し出た時に西側が介入しようとしなかったことを考えてみれば良い。これらの提案は嘲笑によって退けられた(実際は無視された)のである。その理由としてイランが強権政治をしていること以上の理由があるとすれば、それは、西側諸国にイランへの「良い信頼」が予測されなかったからである。
だとすれば、論理的にものを考える人には次の明白な疑問が浮かぶはずである: イランによる介入とテロの歴史的記録は、アメリカによる介入とテロの歴史的記録より本当に悪いのか? また他の質問として次のようなものも考えられる。つまり、
安全保障理事会決議は全ての国家が国際法に従うことを要求しているが、これを拒否してきた唯一の国アメリカへの「良き信頼」を、我々はいかに評価するべきであろうか?アメリカは本当に信頼して良い国なのだろうか?その国の歴史的な記録はどんなものだったのだろうか?
そのような疑問が協議議題上で明らかにされない限り、原則に忠実に従った単純な結果として、正直な人はアメリカの人道的介入を退けるであろう。これお検証する一つの有益な方法は、上記の基本的条件・基本的疑問をアメリカがどれだけクリアしているか、メディアのものにしろ他のものにしろ、それをどれだけ多くの文献で示せるかを見極めることである。
(2) 上記のような検討事項はコソボの場合にいかに適用されるか
?
過去1年間、コソボに人道主義的大惨事があったことは事実だし、それが圧倒的にユーゴスラビア軍に起因することも事実である。主な犠牲者はユーゴスラビア領コソボ自治区に住み、その人口の約90%
を占めている少数民族のアルバニア人である。標準的見積りによると、犠牲者は死者2000人、難民数十万人である。
そのような場合、部外者には 3 つの選択肢がある : (T)大惨事をエスカレートさせようとする、
(II)何もしない、
(III)大惨事を食い止めようとする
世界で現在起きている事例で、この選択肢を説明してみよう。コソボが上記のどのパターンに適合するかを見るために、コソボとほぼ同規模の惨事を取り上げる。
(A) コロンビア
アメリカ国務省の見積りによれば、コロンビア共和国における、政府軍と民間警備隊による政治的な殺人の年間規模はコソボとほぼ同規模で、主として彼らの残虐行為から逃れるために産まれた難民は百万人を優に越える。コロンビア共和国は、これまでずっと暴力行為が一貫して増加してきた90年代に、アメリカの武器と軍事訓練の、西半球での主要な受取人であったし、今もアメリカによる支援は増加している。しかし「麻薬戦争」という口実の下で、これらの事実はほとんど全てのまじめな批評家に取り上げられず投げ捨てられてきた。大統領在任期間に「ぞっとするような残虐行為」を引き起こしたその当の人物、Gaviria大統領を、Clinton政権は特に熱狂的に賞賛していた。人権擁護組織によれば、その残虐行為は彼の前任者をはるかに越えるものである。その詳細は容易に入手可能である。
この事例では、アメリカの反応は(T)型、すなわち「残虐行為をエスカレートさせる」に当たる。
(B) トルコ
非常に控えめな見積りで見ても、90年代の、クルド人にたいするトルコの弾圧は、90年代初期に頂点に達したが、コソボと同類のものである。その
1 つの指標は、トルコ軍が地方を徹底的に破壊していた1990年から1994年までの間、地方からクルドの非公式の首都 Diyarbakir まで、少なくとも百万人以上にものぼるクルド人の難民移動があったことである。
1994年には2つの際立った事件が記録されている。それはトルコによる「クルド地方における最大最悪の弾圧の年」であったと、Jonathan
Randalが現場から報告している。また同時にその年は、トルコが「アメリカの武器の輸入国の中でも、単独で最大の輸入国になり、したがって世界最大の武器購入国になった」年でもあった。
トルコによるアメリカ製ジェット機の使用目的が村落爆撃であったことを、人権擁護団体が暴露したとき、クリントン政権は、武器輸送の一時停止を要求する法律が出されたとき、それを巧妙に回避する手段を講じた。それはインドネシアや他の地域でアメリカが行なってきた方法と全く同じやり方であった。
コロンビアとトルコは、(アメリカに支援された)残虐行為を、暴力的破壊集団によるゲリラ活動の脅威から自国を守るためであると説明している。これはユーゴスラビア政府が行っている説明と全く同じものである。
以上の事例は再びアメリカが(T)型であったことを例証するものとなっている。すなわち介入は残虐行為をエスカレートさせるものになっったのである。
(C) ラオス
毎年、数千人が(ほとんどが子供や貧しい農民であるが)、北ラオスのJars大平原で殺されている。その光景は、私の見るところでは、民間人を標的にした歴史上、最もひどい爆撃であり、ほぼ間違いなく、最も残酷なものである。貧しい農村にたいするワシントンの怒り狂った暴行は、その地域がその戦争にほとんど何のかかわりもないものだったのに。
最悪の期間は1968年からだった。その年、ワシントンは、定期的に行っていた北ベトナムに対する爆撃を(世論と経済界の圧力で)終わらせ、ハノイとの交渉に着手せざるを得なくなった。その結果、キッシンジャーとニクソンは飛行機を移動させ、ラオスとカンボジアを爆撃する決定をしたのである。
死者は「bomby」という小型対人兵器によるもので、地雷よりはるかに悪いものだった。それらは人を殺したり不具者にするが、トラックや建物には影響を与えないように特別に設計されている。大平原は数億個のこれらの犯罪的兵器で大量飽和攻撃された。その製造会社、ハネウェル社によれば、その爆弾の不発率は20%-30%であるという。
それらの数が示唆するのは、著しく貧しい品質管理か、あるいは不発弾処理による一般市民の殺害という合理的な政策のいずれかである。これら「bomby」は、家族が避難場所として見つけ出した洞窟をも貫通するような進歩したミサイルをも含む、使用可能になった軍事用技術のひとかけらに過ぎない。
Wall
Street Journalのベテラン・アジア・レポーター、Barry Wain は、アジア版で「 bombies 」による現在の年間死傷者は、年間「数百人から2万人の全国死者率」と推計している。したがって、控えめな見積りでも、ラオスの、今年の危機的状況はおおよそコソボに匹敵する(ただし、コソボと比べて死亡率が異常に高く子供に集中しているが)。1977
年以来、引き続く残虐行為を緩和するためにラオスで働いてきた Mennonite Central Committee によって報告された分析によれば、死者の半数以上が子供となっている。
この大虐殺を広く知らしめ対処するために、多くの努力がなされてきた。たとえば、イギリスを基盤とする地雷勧告集団 Mine Advisory Group ( MAG ) は、この破壊的兵器を除去しようとしている。ところがイギリスの新聞報道によれば、アメリカは「MAGの方針に従ってきた小さな西側組織からすらも、堂々と脱落しようとしている」のである。最終的には何人かのラオス市民を破壊的兵器除去のため養成することに同意したけれども。
同じくイギリスの新聞は、MAG 専門家の主張を、怒りをもって報道している。アメリカがMAG
に対して小型対人破壊兵器bomby を解体し無害化する技術・やり方の提供を拒否しているというのである。その提供があれば、彼らの仕事が大幅に進展し、作業の安全性もいっそう増すことは確実だからである。これらの技術は、アメリカにおけるあらゆる国事と同様、国家機密のままなのである。バンコクの新聞は、カンボジア、特にその東方地域における非常に似た状況を報告している。そこは1969年初頭からアメリカの爆撃が最も激しかった地域である。
この事例の場合、アメリカの行動パターンは前述の(II)型、つまり「何もしない」に当たる。そして、それに対してメディアと解説者は、ラオスに対する戦争が「秘密戦争」とされてきた報道規制に従って、沈黙を保っている。すなわち、上記の事実はメディア関係者にはよく知られていることであるにもかかわらず、報道を自主規制し、それは1969年3月からのカンボジア爆撃の場合にも同様であった。自己検閲のレベルは当時も並はずれていたが、それは現段階も同様である。この驚くべき事例と現在のコソボ問題との関連性は、これ以上コメントする必要もなく明白であろう。
(I)(II)の他の例については省略する。それは有り余るほど多くあるからである。また現在も行われつつある更に重大な残虐行為、たとえば細菌戦という特に悪意に満ちた手段によるイラク市民の大量虐殺についても詳しい説明は省略する。が、オルブライト国務長官(Madeleine
Albright)は、1996 年に全国放送のテレビで、過去5年間で50万人のイラクの子供が殺害されたことに対してどう思うかを聞かれたとき、「非常に難しい選択だった」しかし「それは価値ある代償である」とコメントした。現在の見積りでは、いまだに毎月約5000人の子供が殺されており、それでもなお、そのような代価は「支払うに値する」というのである。
これらの事例は、クリントン政権の「道徳のコンパス」がコソボの事件が例証するように遂に正しく機能しつつある!などという、ぞっとするようなレトリックの記事を読むとき、同じく心に留めておいてよい事実である。
では、そのコソボの事例は一体、何を例証しているのか? 爆撃によるNATO軍の威嚇は、予想どおりに、セルビア軍と民間警備隊による残虐行為の鋭いエスカレーションにつながり、それはさらに国際的監視団の出発につながった。
それはもちろん(T)型と同じ効果、すなわち、残虐行為のさらなるエスカレーションをもたらすことになったのである。NATO軍総司令官 Wesley Clark は、セルビア側のテロと暴力は NATOの爆撃後いっそう激化することは「確実に予想される」と言明したが、事実それが起こったのである。
破壊行為は初めて首都 Pristina にまで到達し、そして村落の大規模破壊、暗殺、巨大な難民流出の発生、民族浄化(アルバニア人の人口のおそらく大部分をコソボから追放しようとするセルビア側の奮闘)などの信頼すべき事実が報道されているが、--これら全てのことは、Clark
総司令官が正しくも述べているように、力による威嚇と力の行使による「完全に予測できた」結果なのである。
従ってコソボは、 (T)型のもうひとつの実例である。それはまさに、意図的に暴力行為をエスカレートさせようとする試みなのである。
少なくとも公式の政府発表どおりのレトリックに従うならば、「大惨事を食い止めようとした」事例、 すなわち(III)型の例証を見出すことも極めて容易である。
「人道主義的介入」に関する、Sean Murphyの最近の注目すべき学問的研究は、戦争を非合法行為とした1928
年のKellogg‐Briand 協定以後の記録と、さらにこれらの条項を補強し明瞭化した国連憲章以後の記録を検証している。
彼によれば、最初の段階における「人道主義的介入」の最も顕著な例は、満州に対する日本の攻撃、エチオピアへのムッソリーニの侵入、そしてヒトラーのチェコスロバキア地域の占領であったという。 これら全てには、精神的高揚を掻き立てる人道主義的レトリックが付きまとい、同時に事実に基づく正当化が付きまとっていた。
日本は、中国の有力な民族主義者の支援を得て、満州を「中国の強盗たち」から守りつつ、「この世の楽園」を設立しようとしていた。日本が支援を得た民族主義者は、南ベトナムを攻撃している間にアメリカがでっち上げたどの傀儡政権よりも、はるかに信用できる人物であった。
ムッソリーニも、エチオピアで西洋流の「蛮族を文明化するという使命」を推進させた時、彼は何千人もの精神的奴隷を解放していたのだ。
ヒトラーは、民族間の緊張と暴力を終結させるというドイツ側の意図を内外に示し、「その地域に住む人々の真の利益に奉仕するという熱烈な願望で満たされた」作戦において、「ドイツとチェコの人々の民族的独自性を擁護した」のである。それが彼らの意思に沿っていた証拠に、当時のスロバキア大統領はヒトラーに、スロバキアがドイツの保護国だと宣言するよう要求したのである。
もうひとつの有益な知的演習として、国連憲章以前の、上記のような不潔な正当化と、国連憲章以後の、「人道主義的介入」を含めた、介入の申し出とその正当化を比較してみればよい。
その期間における(III)型のおそらく最も注目すべき例は、1978年12月のカンボジアへのベトナム侵入である。それは当時頂点を極めたポル・ポト派の残虐行為を終了させるためであった。ベトナムはポル・ポト派の武装攻撃に対する自衛権を主張した。それは国連憲章以後で、その主張が一見正当性を持つ数少ない例のうちの1
つであった。事実、赤いクメール政権 (民主カンボジアDemocratic Kampuchea、DK)が、境界地域でベトナムに対する残忍な攻撃を実行していた。
それに対するアメリカの反応は教訓的である。当時のアメリカの新聞は、ベトナムをアジアの「プロシア人」だとし、国際法の許すべからざる侵犯だと強く非難したのである。こうしてベトナムは、ポル・ポト派の虐殺行為を終了させたという罪で、まずアメリカから後押しされた中国軍の侵入というかたちで第1の懲罰を受け、次にアメリカによる極めて厳しい経済制裁で第2の懲罰を受けたのであった。
アメリカは、国務省の説明によれば、ポル・ポト政権との「継続性」を理由に、国外に追放された民主カンボジア(DK)をカンボジアの公式政府であると承認したのだ。こうしてアメリカは、それほど巧妙な手段を使わずとも半ば公然と、赤いクメールによるカンボジアの継続的攻撃を支援したのである。
上記の例は、「人道主義的介入」という、現在、出現しつつある「新しい法的規準」の裏に潜む「習慣と慣行」について、さらに多くのことを教えてくれる。
丸が四角であることを証明するために、体制派の論客たちが必死に努力しているにもかかわらず、NATO 軍による爆撃が、国際法の脆い構造の、まだ残っている部分をさらに掘り崩していることは、疑いようもないことである。NATOの空爆決定につながる議論において、アメリカは、以上のことを完全に暴露する結果となった。
イギリスは別として (今では、ウクライナがゴルバチョフ以前の時代に独立した行動をとっていたと同じ程度に独立した国だから)
、 NATO諸国はアメリカの政策について疑い深かったから、とりわけオルブライト国務長官の「武力による威嚇」に困惑させられたのであった。(Kevin
Cullen 記者、ボストン・グローブ Boston Globe 、2月22日号)
今日、紛争地域に近づけば近づくほど、NATO内でさえも(ギリシアとイタリアに見るとおり)ワシントンの武力行使に反対する意見は更に大きくなる。フランスはずっと以前から、NATO
平和維持軍の派遣を認可するために、国連安全理事会の決議を求めていた。
アメリカは、国務省当局の説明によれば、「NATOは国連とは無関係に行動することができなければならない」という立場を主張して、フランスの要求を、にべもなく拒絶した。アメリカは、あらゆる権限が国連憲章と国際法に与えられることが気にくわなかったから、「アメリカの神経にさわる『許可する』(authorize)という用語」が
NATOの最終宣言に現れるのを拒否し、「是認」(endorse)という言葉のみを許したのである ( Jane Perlez 記者、ニューヨーク・タイムズ、2月11日号)
。
同様に、イラクへの爆撃は、その爆撃のタイミングだけを取り上げてみても、あからさまに国連を侮蔑するものであったし、世論もそのように理解している。そしてもちろん、イラク爆撃の2 、3 カ月前に、アフリカの小国で、製薬工場の半分を破壊した件でも全く同じである。
それもまた、当局の目から見れば、アメリカの「道徳的なコンパス」が正義から逸脱していないことを示す事件だが、もし事実が「習慣と慣行」を決定するのに関与すると考えるのであれば、それは言うまでもなく、今すぐにでも再検討が加えられるべき際立った事件であった。
以上の事実を踏まえるならば、1930 年代末までに世界秩序を維持するルールが意味を失ったのと同じように、今や世界秩序を維持するルールの更なる破壊が問題視されなくなっている、と言ってもよいかもしれない。世界をリードする大国の、世界秩序の枠組に対する軽蔑が、あまりに極端で論じる余地がない状態になってしまったからである。
内部文書を再検討してみると、このアメリカの姿勢は、最も初期の時代まで、すなわち1947年に造られたばかりの国家安全保障会議の最初の覚書にまでさかのぼることができる。その姿勢はケネディ政権のとき隠されず公の表現を取り始めた。レーガン‐クリントン政権の間の主要な変化は、国際法と国連憲章に対する挑戦が完全にあからさまになったことである。
この姿勢は興味深い説明で後押しされ正当化されてきたが、新聞の第1面を飾り、学校や大学のカリキュラムにおいてもよく知られているこの説明は、真実と正直が重要な価値であると考えられるならば、とりわけ興味深いものである。
つまり、「国際司法裁判所・国連・他の諸機関は、もはやアメリカ流の秩序に従わないため、アメリカとは無関係になった」と最高当局は粗暴な明瞭さで説明した。それは、かって第2次大戦戦後の数年間、アメリカ行ったのと同様のやり方だった。
確かにそのような公的立場を取ることもできるであろうし、それは正直な態度でもあろう。少なくとも、自分が軽蔑している国際法の原理を立場の違った敵・相手に対しては高度に選ばれた武器として独善的に使うという、人を馬鹿にしたゲームを止め、首尾一貫した態度を貫くならば。
レーガン政権が新生面を切り開いたこの世界秩序への侮蔑が、クリントン政権下で、あまりにも極端になり、タカ派的な政治批評家にとってすら関心を呼ぶものになっている。Samuel
Huntington は、体制側の最有力誌、Foreign Affairs の最新号で、「ワシントンは危険な道を歩んでいる」と警告しているほどである。
世界の多くの眼には 、おそらく世界のほとんどの眼には、アメリカは「悪党的大国になりつつ」あり、「社会にとって唯一最大の外的脅威」と映るようになっている、と彼は言う。彼の主張によれば、現実主義者による「国際関係理論」は、悪党的大国と対抗するための世界的連合が起こることすら予測しているという。
だとすれば、実利的見地からしても、アメリカの上記のような姿勢は再考されるべきである。しかし、自分たちの社会をこれまでとは違ったイメージで選ぼうとするアメリカ人は、実利的観点以外で再考を求めるであろう。
しかし、再考するにしても、コソボで何をすべきかという問題をどこから出発させるか? その回答はいまだ与えられていない。アメリカは自分でも明確に認識しているように、「自分で予測した通りの」残虐と暴力をエスカレートさせるコース、国際秩序の枠組みに更なる打撃を加えるコースを選択したからである。
この現在の枠組みは、略奪的国家から弱小国を守り、たとえ限られているにしても、少なくとも何らかの保護を弱小国に提供する役割を果たしているのだが、それに更なる打撃を加えるコースを選択したのである。
長期的に見て、この結果がどうなるかは予測不可能である。1 つの尤もらしい観測は、「セルビアに落下する全ての爆弾とコソボにおける全ての民族殺害が示唆するのは、セルビア人とアルバニア人がある種の平和状態で共存することはほとんど不可能」というものである。(
ファイナンシャル・タイムズ紙、3月27日号)
より長期的に見て、起こりうる結果のいくつかは、これまでも予測どおり起きてきたように、極めて醜悪なものである。しかし一般的な議論は、我々は何かをしなければならなかったというものである :つまり、残虐行為が続いているからには傍観できず、だから爆撃したのだと言うのである。しかし、それは決して真実ではない。
ではどうすれば良かったのか。1 つの選択肢は、ヒポクラテスの原則「何よりもまず害をなすな」に常に従うことである。その基本的原則に従う以外に他の方法が思いつかないならば何もしてはいけないのである。そうしているうちに、いつも必ず幾つかの方法が思い浮かぶものである。外交と交渉が決して最終到達点ではない。
「人道的介入」の権利は、おそらく正当化を伴って(あるいは冷戦という口実が効力を失ったために正当化を伴わないまま)今後もますます頻繁に行使される可能性がある。国際司法裁判所は良しとした判決をアメリカが拒絶し、したがってその要点は報道さえされていないのだが、そのような時代だからこそ、国際司法裁判所は言うまでもなく、高い評価を受けている時事解説者の見解に注意を払うことは有益であろう。
たとえば、国際問題と国際法の学問分野で、Hedley Bull またはLouis
Henkin ほど、皆からその意見を尊重されている人物を見出すことは難しいが、その Bull が、既に15 年前に、「特定の国家やグループが自らを世界公益の権威ある裁判官として位置付け、他者の意見を無視するとしたら、それは国際的秩序にとって事実上の脅威となり、その結果、この分野における実行ある行動に対する脅威となろう」と警告している。またHenkin
も、世界秩序に関する定評ある著作のなかで次のように書いている。
「軍事力の使用を禁止する条項を徐々になし崩しにしていこうとする圧力があるのは嘆かわしい。このような情況では、軍事力の使用を合法化するための議論は説得力がなく危険でもある。人権の侵害は、実際あまりにも一般的になっているが、それを改善するためと称して外部から軍事力を行使することが許されるならば、それを禁じる法律がなくなってしまうであろう。私が信じるところでは、人権は擁護されなければならないし、また他の不正は正されなければならないが、ただしそれは、侵略への扉を開いたり、国際法の原則・前進--戦争を非合法とし軍事力を禁止する--を破壊することによってではなく、他の平和的な手段によって行われなければならない。」
国際法と世界秩序の、皆によって認められた原則、たとえば厳粛な条約履行義務、国際司法裁判所による判決、最も尊敬されている時事解説者によって熟慮された声明など-- これらは特別な問題を自動的に解決しない。各々の問題は事実の是非に基づいて考察されなければならない。
サダム・フセインの判断基準を採用しない人々にとっては、国際的秩序の原則に違反して軍事力による威嚇または軍事力の使用に着手する際、その用件を満たす重い立証責任があるのである。その立証責任が果たされたとしても、それは言葉だけが踊っているようなレトリックによってではなく、具体的事実で示されなければならないし、そのような侵害の結果は注意深く検討・評価されなければならない。 既に見てきたような、「予測され得る」ことに関しては特にそうである。
また、真面目に考え行動することを、できるだけ最小限に留めようとする人々に対しては、その行動の理由もまた検討・評価されなければならない。単に我々の指導者とその「道徳的コンパス」へのお世辞によってではなく具体的事実によって、その行動の理由が検討・評価されなければならないのである。
(翻訳:寺島隆吉 Znet Internet Magazine, March ’99;
http://www.zmag.org/chomsky/article)
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