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イラク戦争と民主主義への軽蔑
2003年10月31日
ノーム・チョムスキー
翻訳:寺島隆吉+寺島美紀子(公開2003年11月9日)
英国の指導者たち(トニー・ブレア、ジャック・ストローなど)は2002年、サダムの犯罪の関係書類を公開しました。が、フセインがそのような犯罪行為をしているとき、その当時の議事録によれば、ブレアらは野党にありながらも、フセイン政権を支持していた当時のサッチャー政府を一言も批判していません。また、ストローが2001年に内務大臣だった時、拘留と拷問を受けて英国に逃げてきたあるイラク人が保護を要求しましたが、ストローは彼の要求を拒否しました。その上、世論調査(GALLUP)によれば、ブッシュを拒否する「古い欧州」政府の民衆より、ブッシュを支持する「新しい欧州」政府の民衆の方が、イラク戦争に対してはるかに強い抗議と反対の意思を示しています。以下のチョムスキー論文は、このような興味ある事実を次々と私たちに教えてくれます。
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イラク戦争に対する体制側の評論家は、自分たちの論評を武装解除・テロ抑止などテロ関係に議論を限定しています。彼らは、イラクの解放、中東の民主化、武器査察を無効にする他の事態、および安全保障理事会や政府部内で起こったすべてのことに実際ほとんど言及していません。
おそらくその理由は、高尚なレトリックが事実上の軍事力への依存に必須の付属物であり、したがって何の情報も伝えないということを、彼らが認識していたということなのです。そのレトリックは、過去の記録や現在の実践は言うまでもなく、民主主義への軽蔑という観点からすれば、二重に語るに足る価値のないものです。
評論家達には同様に気づいていることがあります。それは、イラクの民主主義について関心を持っていると主張している現政権担当者からは何も聴くことができないということです。つまり現政権担当者が、かつてサダム・フセインを支持していたことに対して遺憾の意を示したり、あるいはサダム・フセインが本当に危険だったときに大量破壊兵器(WMD)を開発するのを助けてきたことに対して悔恨の意を示すことなどあり得ないのです(彼と似た他の独裁者には現在も支援を継続中です)。
また現政権指導者は、1991年の彼らの見解を何時あるいは何故放棄したのかを説明しませんでした。すなわち「世界最良のものはサダム・フセイン抜きのイラク鉄拳軍事政権」であり、それはサダムが行ったような独裁的支配はするが、1990年8月のような判断ミスはしない政権です。というのは[米国に逆らって独自行動をするという]判断ミスがサダムの経歴を台無しにしたからです。
現政権担当者の英国における同盟者は、当時は野党でしたから、英国によって支えられたサダムの犯罪に対しサッチャー支持者よりも自由に反対意見を表明することができたはずです。ところが、これらの犯罪に対して抗議したとする議会記録には、トニー・ブレア、ジャック・ストロー、ゲオフ・ホーンなどの、「新しい労働党」の指導的人物の名前が載っていません。これは注目に値するものです。
2002年12月、ジャック・ストローは、当時外務大臣でしたが、サダムの犯罪の関係書類を公開しました。それはほとんど全て米英が強固にフセインを支持していた時代の資料から引き出されたものです。道徳的一貫性を普通に示すことによっては、見落とされた事実でした。関係書類のタイミングと質は多くの質問を喚起しましたが、同時にストローは「サダム・フセインの性格と行動を良しとする彼の意見を最近なぜ懐疑論へと転向させたか」の説明も出来ませんでした。
ストローが2001年に内務大臣だった時、拘留と拷問を受けて英国に逃げてきたあるイラク人が保護を要求しましたが、ストローは彼の要求を拒否しました。内務省の説明によると、ストローは「イラクは、特にイラク治安部隊は、適切な裁判権を被告に提供することによって被告に罪状を認否し有罪を宣告しようとしているだけだ。したがって独立した適切に構成された司法制度のもとで、誰でも公正な裁判を受けることが期待できる。」と認識していたのです。
だとするとストローの転向は、クリントン大統領が1999年9月8日と11日の間のいずれの日にかに発見したものと類似のものだったに違いありません。つまり、インドネシアは東ティモールで過去25年間も不愉快なことをしてきたという発見です。その間、インドネシアは米英の決定的な支持を享受してきたのですが。
民主主義に対する姿勢は、2002年秋の戦争への動員の最中、異常なまでの明瞭さで暴露されたのです。というのは、圧倒的な民衆の反対を何とかするためには、それが必要になったからでした。
米国を支持する「有志の連合coalition of the
willing」諸国(イギリス、スペインなど)の内部では、米国大衆の世論は9月に行われたプロパガンダ・キャンペーンによって、少なくとも部分的にはコントロールされました。他方、英国では、国民が戦争に関して賛否が真二つに分裂しましたが、英国政府は「目下の同盟者」の姿勢を取り続けました。それは、英国が第二次世界大戦後いやいやながら受け入れてきた地位であり、そのような配慮すら米国指導者によって屈辱的に無視・却下された時でも、国家存亡の危機に当たっては仕方なしとして維持されてきた地位です。
有志連合の両雄[英米の2国]以外では、問題はさらに重大になっていました。主要なヨーロッパ諸国、ドイツ、フランスは、国民の大多数の意見と一致した見解を取っています。すなわち明確に戦争に反対したのでした。それはワシントンと多くの政治批評家によって痛烈な非難を浴びました。
ドナルド・ラムズフェルドは不快な国家を「古いヨーロッパ」として退けました。ワシントンの路線に従うことを彼らが嫌っているので、重要な国ではないとしたのです。「新しいヨーロッパ」はイタリアに象徴されます。イタリアの首相シルビオ・ベルルスコーニはホワイトハウスを訪問する予定でした。イタリアの世論は圧倒的に戦争に反対だったことは、明らかに疑問の余地がありませんでした。
新旧ヨーロッパの政府は単純な基準で区別されたのです。もし国民の大多数と同じ立場を取り、ワシントンの命令に従うことを拒否したりすれば、その政府は不当にも古いヨーロッパになるのです。
世界の支配者と自認するブッシュやパウエルその他が「国連や他の組織が“後に付き従うか” “適切なものになるか”にお構いなく、我々は戦争を行う予定である」と、率直に宣言したのを思いだしてご覧なさい。古いヨーロッパは、「不適切な」泥沼に落ち込んで「後に付き従う」ことはできませんでした。新しいヨーロッパも、少なくとも国民が国家の一部だとすれば、同じく「後に付き従う」ことはできませんでした。
ほとんど全ての東西ヨーロッパにおける地域情報だけでなく、『ギャラップ・インターナショナル』から手に入れた世論調査の結果によれば、「アメリカとその同盟国によって一方的に」遂行された戦争への支持は、どの国でも11%以上には上がりませんでした。「もし国連によって命令された戦争ならば支持してもよい」とする者でさえ、13%(スペイン)から51%(オランダ)に止まっています。
とくに興味深いのは、指導者が自国を新しいヨーロッパだと表明した8国家です。その勇気と誠実さは[米国に]歓呼して迎えられました。彼らの宣言は、方法を特定せずに「決議案に完全に承諾する」ことを、安全保障理事会が保障してくれるよう要求するという陳述形式を取っていました。
新しいヨーロッパの発言は、[古いヨーロッパを]脅かし「ドイツとフランスを孤立化させている」と米国の新聞は勝ち誇って報道報告しましたが、実際には、新旧ヨーロッパの内実はほとんど違いがなかったのです。ドイツとフランスの「孤立化」を確実にするために、彼らは新しいヨーロッパの大胆な宣言への署名に招待されませんでした。明らかに、招待すると署名するかも知れないと恐れたのです。その意図は後になってさりげないかたちで示されました。
刺激的で前途有望な新しいヨーロッパがワシントンに付き従っているので、たとえフランスやドイツが支持しなくても、「多くのヨーロッパ人はアメリカの見解を支持している」ことを示すのが狙いだ、とするのがメディアの一般的な解釈です。
この「多くのヨーロッパ人」とは誰のことなのか。世論調査を調べてみると、「新しいヨーロッパ」では「アメリカの見解」への反対がフランスやドイツよりも概してむしろ高かったことが分かります。とくに新しいヨーロッパの指導者として選ばれて賞賛を浴びたイタリアとスペインでは反対世論が高かったのです。
ワシントンにとっては幸福なことに、かつての共産主義国も「新しいヨーロッパ」に加わりました。しかし、その内部では、パウエルによって定義された「米国の見解」への支持、すなわち国連の承認がない「意志連合」による戦争の支持は4%(マケドニア)から11%(ルーマニア)しかありませんでした。
[それどころか]国連の承認を得た上での戦争であっても、その支持は、[国連の支持なしの戦争と]同様に、非常に低いのです。ラトビアの前外務大臣は[その理由を次のように]説明しました。「我々は敬礼し、イエスサーと叫ばなければならない。どんな犠牲を払ってもアメリカを喜ばせなければならないのだ。」
要するに、民主主義が重要な価値だと見なす新聞の大見出し[の裏]を正しく読めば、「古いヨーロッパ」が実際は大多数の東西ヨーロッパ人の意見を代表しているのに対して、一方、「新しいヨーロッパ」は、自国の圧倒的多数意見を無視してワシントンと(曖昧に)足並みを揃えることに決めた少数の指導者からなっている、ということでした。
しかし現実の報道のほとんどは意見が分散し事態を斜めにしか見ていないものばかりでした。つまり、戦争反対をワシントンにとってのマーケティングの問題としてしか描いていないのです。
意見分布スペクトルの自由主義的終端[左端]にはリチャード・ホルブルックがいます。彼は、「もし(声明文の発起人である「新しいヨーロッパ」8カ国の)人口を合計すれば、その文書に署名していない国々の人口よりも多くなるという点が非常に重要である」ということを強調したのでした。確かにそのとおりですが、ここには見落とされていることがあります。すなわち、それら「新しいヨーロッパ」の国民は圧倒的に戦争反対だったということです。そのほとんどは、古いヨーロッパとして排除された諸国よりも、遙かに戦争反対の率が高かったのです。
意見分布のスペクトラムの他の終端[右端]には、『ウオールストリート・ジャーナル』の編集者たちがいます。彼らは、「新しいヨーロッパ8カ国の首脳が発起人として発表した声明文は、次の一般通念が全くの間違いだったということを暴露する」ものだとして、それに拍手喝采しています。つまり「フランスとドイツは全ヨーロッパを代表して演説しているのであり全ヨーロッパは今や反アメリカだ」という通念はひっくり返されたというわけです。
『ウオールストリート・ジャーナル』によれば、「大陸におけるアメリカ賛成の多数派の見解はメディアでは聞き入れられなかった」が、8人の立派な「新しいヨーロッパ」の指導者達の声明によって、『ウオールストリート・ジャーナル』の社説が正しかったことが、今や証明されたというのです。『ウオールストリート・ジャーナル』の編集者達は他のメディアを「左寄り」[偏った意見]だと酷評しました。彼らの言う「左」こそ、むしろメディアの本質的な部分ですが。
それはともかく、『ウオールストリート・ジャーナル』によれば、仏独が明らかに哀れな少数派だったときに、その「左」のメディアが、フランスとドイツがヨーロッパ全体のために発言しているというばかばかしい考えを、あたかも「本当であるかのように撒き散らした」というのです。つまり「ヨーロッパとアメリカ双方にいる、ブッシュ大統領のイラク戦争に反対する人々の、政治的目的に奉仕するために」そのような嘘をまき散らしたというわけです。
この結論は、ヨーロッパからヨーロッパ人を排除するなら、正しいものです。ただし、そのためには、人々が民主主義社会において或る種の役割を担っているという左翼の根本原理を拒絶しなければなりません。
<註:上記で「8カ国の新しいヨーロッパ」と言われているものは、スペイン、イギリス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ポーランド、チェコ、ハンガリーの8カ国。スペインのアスナール首相が呼びかけ人と言われているが、下記の「JCER 研究員リポート」によると、実は、裏の仕掛け人は『ウオールストリート・ジャーナル』当人だったようである。>
JCER研究員リポート http://www.jcer.or.jp/research/kenrep/kenrep030513.pdf
ノーム・チョムスキーは最新著『ヘゲモニーか生存か:アメリカは地球支配を狙う』の著者である。
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