無料-
出会い-
花-
キャッシング
Zネット論評解説
ファルージャを救うために
我々はファルージャを攻撃しなければならない
2004年11月8日
エドワード・ハーマン
翻訳:寺島隆吉+岩間龍男、公開041123
●イラク戦争はファルージャが米軍によってほぼ制圧されて、いま戦いは北部のモスルに移りつつあると言われています。その中で負傷して横たわっている武装勢力が米軍によって銃殺されるという衝撃的映像が世界を駆けめぐりました。これはベトナム戦争時に、捕虜となった解放戦線の兵士が白昼に公衆の面前で頭を銃で撃たれ殺された映像が世界を駆けめぐったのと同じと言えるかも知れません。
●ベトナム戦争は、米軍が介入してからでも 、終結するのに15年を要しました。この間に殺されたベトナム兵士は、米軍が5万人程度であるのに対して、数百万人と言われています。その中で傀儡政権が次々とすげ替えられていきました。イラクでも同じことが続くとすれば、イラクの惨状はまだまだ続くでしょう。私たちはE.ハーマンによる以下の報告から何を学べば良いのでしょうか。
●イラクの惨状については、バグダードバーニングを御覧ください。 |
ベトナム戦争とイラク戦争の類似が、ここ数週間でますます注目されるようになっている。米軍はファルージャを暴徒の手から解放するために、ファルージャを包囲し今まさに全面攻撃をしようとしている、と伝えられている。米軍はすでに曲射砲やミサイルで町を攻撃している。町が破壊され民間人死傷者が多く出ることは確実と言える。
米国による侵略/占領と支配への抵抗勢力からファルージャを守り、抵抗勢力が街を支配するのを防ぐために、ファルージャは攻撃されなければならない。この言い方はベトナム戦争時にベン・チェを破壊した時と同じ言い方である。
「我々は町を守るために破壊しなければならない。」これはベン・チェの破壊を遂行していた米軍将校によって持ち出された有名な言い回しだった。当時も今と同様に、メディアやお抱え知識人は、遠く離れた国を侵略し破壊して思うがままの政体をつくりあげる権利を米国に与えている。
いずれの場合も、無防備な人々に新型兵器を使用し、民間人に多くの死傷者が出ても、それを容認し、かつそれを隠し通す用意がされていた。もちろんメディアの支援によって。
ベトナムでの死者の数は数えられていなかった。コリン・パウエルやトミー・フランクス将軍のような米国の指導者たちは、とても率直だった。イラク市民と同様、死者を数えることは興味深い問題ではなく、実際に「我々は死者の数は数えていない。」(フランクス)と述べている。
ベトナムでは、米国の法律関係職員は、「単なるグーク(黄色い猿)の支配地」という言葉さえ作り出した。この言葉に、私たちの「救っている」現地人に対する姿勢が表れている。同じようにイラクでは、現地の人々は侵略者によってハジスという侮蔑的な言葉で呼ばれている。
この言葉は、各家庭への襲撃、捕虜の取扱い、そしてハイテク兵器(重爆弾、クラスター爆弾、劣化ウラン弾)の容赦のない使用といった行動と符号するものである。この兵器を使って民間人地域を爆撃し、またもや多くの民間人犠牲者を出している。
いずれの場合も、大規模な捕虜の虐待とひどい監獄の状況があった。ベトナム戦争では、電気による拷問の方法が広く使用されていた。この拷問は、部分的には、米国によってアドバイスを受け、最新の方法で訓練された代理軍[南ベトナム政府軍]によっても為されていた。
捕虜は通常尋問の後に殺害され、時として飛行機から突き落とされることもあった。ベトナムは[捕虜を収容する]「トラの檻」で有名であったが、これはグアンタナモ湾で使用されている「檻」の前身となるものであった。
いずれの場合も、占領軍によって傀儡政権が打ち立てられていた。その傀儡政権の指導者たちは米国から指示を受けて、米国に爆撃や殺害を自由にできる権利を与えた。1966年と67年にベトナムでは選挙があったが、全く自由のない滑稽な状況で行われたので、簡単に勝利を収めた。
というのは、軍事傀儡政権は、純粋に政治的な基盤の上では、反政府活動家たちとは競争できないことを公然と認めていた。にもかかわらず、米国のメディアはこの選挙結果におおいに元気づけられた。イラクでも、おそらく1月に選挙をすることになるだろうが、あまり自由な選挙ではないだろう。
(私の次の記事参照。「チェイニーとニューヨークタイムズ」とZネット・マガジン12月号で掲載予定の「アフガニスタン、エルサルバドルそしてイラクの選挙」)
この間、イラクはアヤド・アラウィによって名ばかりの統治が行われている。彼は明らかに米国の当局者によって選ばれた人物であるにもかかわらず、メディア(とコフィ・アナンと国連)は、彼をイラクの本当の指導者だと考えられている。
ファルージャを「救う」準備をしながら、米軍当局者は、イラクの最高指導者アラウィ氏のゴーサイン、すなわち攻撃の許可を待っているところだと述べている。これは、枯葉剤やナパーム弾でベトナムを破壊するために、グエン・カオ・キやグエン・ヴァン・チュウ[南ベトナム政府の歴代大統領]からの許可が必要だったのと同じだ。
いずれの場合も国連は、国連憲章違反の直接的侵略を阻止するために何もしなかった。それどころか、コフィ・アナンと彼の仲間が米国の侵略に奉仕するよう巧く操られているという点で、今や後退すらしている。
第一に、イラクの大量破壊兵器の脅威を非常に重大な取引材料する際に、国連を隠れ蓑にしたことだ。しかし[大量破壊兵器の]査察が占領の正当化をもたらすには不十分だと分かったとき、結局、米国は国連を踏みつけにしたのだ。
しかし第二に、イラク侵略と占領の後に、国連は米国に占領許可を与えるように仕向けられた。このことは平和を生み出す組織としての国連、その機能低下を加速させ、国連を侵略と帝国主義の公然たる道具と化してしまった。
いずれの場合も、侵略と占領の結果に起きた混乱は、侵略国[米国]によって、さらなる介入と殺人を正当化するために使われた。これは大きな不安定を生み出し、その残虐な戦術は強力な抵抗運動に火をつけることになった。不安定をつくり出した者たちが、「政情を“安定させる”ために駐留し、相手を大量に殺す必要がある」と主張した。
もちろん、侵略者によって求められている唯一の安定は、少なくとも攻撃目標が達成された上での安定である。うまくいけば標的としている国を従属国に変えることである(イラクではそれがまだ目標になっている)。
ベトナムでは部分的な勝利があるのみで統制が効かず、それはベトナムを荒廃させ、最も活力に富み創造的な市民たちを余りにも多く殺害したので、ベトナムでの大虐殺から実際に利益を上げている米国の属国と競い合うための、相手に脅威を与えるような開発モデルの立案できなかった。
いずれの場合も、攻撃された国の和平が予想したより手間のかかるものとなって、多くの問題が発生し、そこから抜け出すことが困難になった。ベトナムで、「共産主義者」、その上「黄色の小人たち」(リンドン・ジョンソン)に敗れること、イラクで、みすぼらしい連中、つまり1機のヘリコプターさえ持たず多様に分裂しているが、ますます民衆に依拠しつつある抵抗者に敗れることは耐え難いことであった。また、それは国内の政治的コストを高くつくものにするだろう。
したがってベトナムの場合、撤退が遅れ、長年もかかることになってしまった。米国人は潔く負けることを知らないから、イラクの場合も、神の命による高貴な殺人目標を捨て去るならば強力な右翼連中が甲高い悲鳴を上げるだろう。いずれの場合も、侵略と占領への大きな関わりは米国の威信を喪失させ、その結果、脅迫によって劣等人種を整列させる米国のやり方が、逆に米国の脅威が見せかけのものだったことを教えることになるだろう。
実際の損失あるいは見かけ上の損失によって、[米国]国内の人々は、将来の侵略を支持しなくなるだろう。この問題は、今までは、部分的には次のように解決されてきた。つまり弱い標的を選択し、その指導者を巧く悪魔に仕立て上げ、そして迅速に相手を征服をして、そこから抜け出すことである。
したがって、イラクでの「使命」を迅速に達成できないでいることは、ブッシュ政権にとって痛手である。しかし今やブッシュは大統領選に勝利を収めたのだから、殺人を意欲的に行うことを妨害する倫理的価値は何もなく(彼の支持者に影響力ある価値観には「汝殺すなかれ」は含まれていない)、ファルージャを皮切りに暴力の一層の拡大が予測される。
どちらの場合も、ベトナム戦争でもイラク戦争でも、共和党と民主党の両党は大量殺人で重要な役割を果たした。
アイゼンハワー、ニクソン、ケネディー、ジョンソンはベトナム戦争において、ブッシュ1世は1990年の湾岸戦争において、そして彼の息子ブッシュ2世は1993年から94年の間に、映画『White Man's Burden』で描かれたと同じように、人種差別的戦争を遂行した。
また、クリントンは100万人以上のイラクの市民を殺害した「大量破壊の経済制裁」を実行し、彼の任期期間中に、ブレアとともに、イラクへの絶え間のない不法な空爆を行った。
ジョン・ケリーはブッシュ2世の戦争に賛成票を投じ、「軍隊を増派して4年間は駐留しながら最後まで“完走”する」ことを約束した。
要するに、イラクが、ゴッドファザーである米国の支配から離れていくことを防ぐために、町や都市や国々を破壊することは、共和党であろうが民主党であろうが同じであり、それは高度に軍国主義化した帝国アメリカの抜きがたい本性なのだ。米国の政治経済の変化なしには、このことは変わらないだろう。そして今や、支配と拡大、そして果てしない戦争へと力を傾注している。
[PR]動画