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イタリア情勢、麻薬とマフィアの役割、「民主主義の危機」とは、・・・
An Interview with Chomsky、by Domenico Pacitti in Italy、May 2002
ノーム・チョムスキーは言語学者、哲学者、政治的活動家です。彼は、長い間の不屈の人権活動家であり、米国の外交政策を批判し暴露した30冊以上の本や無数の記事を書いています。
イタリア総選挙とマフィア組織とアメリカ政府
Pacitti:昨年5月にイタリアの総選挙で、億万長者のメディアの大立者シルビオ・ベルルスコニSilvio
Berlusconiが首相に選ばれました。重大な犯罪の告発や政財界の利権にからむゴタゴタがあったにもかかわらずです。イタリアの投票者たちは道徳的な問題には関心がなく、むしろ彼が自分たちに何をしてくれることができるのかについて興味があるように思われます。
Chomsky:どうして、あなたはそういったことが、英国や米国と違っていると思われるのですか。
Pacitti:そのことをあなたが説明して下さるものと期待していたのですが。
Chomsky:イタリアの状況と、英国や米国の状況は何の違いもありません。
Pacitti:詳しく説明いただけますか。
Chomsky:ハーバート大学に「消えゆく投票者プロジェクト」と呼ばれるプロジェクトがあります。それは、選挙での投票の大規模な分析を行い、なぜ過去20年間に、投票者が選挙に興味を失ってきたのか分析を試みたものです。彼らが分析したことのひとつは、無力の感覚ということです。すなわち、あなた方は政治的過程に影響を及ぼすことは何もできないと感じているということです。
昨年は、そのような感覚が、以前のどんな時よりもはるかに上回った新しい記録を作りました。選挙の直前に、75%の人々が、選挙は全くないと感じていました。すなわち選挙は大量の政治献金者や政党のボスたちによって行なわれる一種のゲームと感じていたのです。
すべての宣伝活動や広告産業が候補者を作り上げていました。つまり、あるジェスチャーを使ったり、ある言葉で演説をしたり、といった訓練を候補者にさせているのです。得票数を増加させるかもしれないと研究が示しているとおりの行動をさせるわけです。
しかし、候補者は自分の言うことを本気では言っていませんし、聞くほうも彼らの言うことを理解できないと想定されています。すべてが無意味で、ある種の宣伝広報活動ゲームにすぎないのです。
Pacitti:つまり、イタリアで起きていることは同じようなことだと感じておられるわけですね。
Chomsky:私が理解できる限りでいうと、それはとてもよく似ています。が、私はイタリアのことはよく知りません。しかし、いま私が述べたことは、もともと米国と英国で始まった動きで、今世紀の初めまで遡ります。
英国の保守党は、第1次世界大戦までに一般の人々を選挙制度から閉め出す方法はもはやないということを認識しました(私達はそのことを記した内部資料をもっています)。彼らは、一般の人々は参政権を広げようとしている労働組合の見方であることを認識し、それで、いわゆる「政治的な戦争」へと方向転換をしなければならなかったのです。
それは宣伝広報活動と呼ばれるもので、つまり煽動のことです。それによって人々の姿勢や考え方を支配し、人々を他の関心事に向けさせ、政治的な世界から人々を閉め出そうとするものです。というのは、あなた方はもはや力で人々を支配できなくなったからです。
米国でも同じことが行なわれました。上記と同じ理由で同じ時期に宣伝広報産業の大きな成長がありました。なぜなら最も進んだ、より民主的な社会では、社会がより大きな自由を手に入れているので、人々を支配する手段として、宣伝が暴力に取って代わります。そう信じるに足る十分な理由があります。
Pacitti:1990年、ベルルスコニは、秘密結社P2フリーメイスンのメンバーだったことを否定して、偽証罪で有罪となりました。これは反共の組織で、政治的目的のためにイタリアの公安警察を使っていたのです。
彼の有罪判決は、後に大赦によって無効となった多くの判決のひとつです。P2を米国が支援していたと一般に主張されていますが、これはあなたが仰っていることを確認しているように思われます。
Chomsky:確かにそうです。私の知る限りでは、イタリアは第2次世界大戦以来、その民主主義に打撃を与えようとする米国の努力の主な標的でした。特に1948年には、左翼が選挙で勝ちそうでした。というのは、左翼は多くの信望を得ていたからです。なぜならファシズムに対するレジスタンスを支えてきましたし、労働組合の後ろ盾にもなっていたからです。
しかし、米国は(それに対抗する)計画を持っていました。国家安全保障会議の第1企画部(NSC1)は、イタリアの民主主義をどうやって転覆させるかということに関心を寄せていました。当時、それが問題だと考えられていたのです。
彼らの結論は、食料援助を差し止め、ファシストの警察を復活させ(実際、彼らはそのことを行ないましたが)、労働組合を弱体化させることによって、イタリアの民主主義に打撃を与えることができるとするものです。そして、そのようなあらゆる種類の術策が使われました。
そして、これらの術策が効果を発揮しないなら、つまり、それでもなおイタリアで左翼の政治的な勝利がある場合は、米国は国家戦時体制を命令しイタリア政府に対する準軍事的な行動を支援するとの結論を出したのです。国家安全保障会議の方針は勝利をして、それは1970年代まで(恐らくそれ以降も)続きました。
私たちは1970年代までしか知ることができません。なぜなら、内部文書はそこで止まってしまっているからです。それには秘密結社P2を支援することも含まれていました。
マフィアを再建し、天皇ヒロヒトを復活させた英米軍
Pacitti:ここイタリアでは、ベルルスコニは、国政選挙の時に、シチリア島のマフィアから大きな支援を受けたのではないかという重大な疑惑を持たれています。
Chomsky:はい、しかしシチリア島のマフィアはどこから来たのでしょうか。ご存知のように、マフィアはムッソリーニ政権によって解体されていました。マフィアが再建されたのは、英米軍がシチリア島とイタリア南部とフランス南部を初めて通り過ぎた時でした。
マフィアが再建されたのは、レジスタンスの力を削ぎ、左翼運動に打撃を与えるためでした。そういったことは、イタリアだけのことではありませんでした。それは世界的な現象でした。それは日本にも影響を及ぼしています。ファシズムの勢力を支え、左翼運動に打撃をあたえるために、第2次世界大戦後、米国は天皇ヒロヒトを復活させました。
Pacitti:ということは、伝統的なイタリアの腐敗形態は、米国の多様な腐敗形態よりは深刻なものではないということなのでしょうか。
Chomsky:フランスでは強力な反ファシスト抵抗運動と労働運動がありました。そこで、フランス南部は即座に、イタリアの次に、最初の攻撃対象のひとつになりました。労働組合や左翼運動に打撃を与えようとするものでした。そのことをするために、彼らはフランス南部でコルシカ島のマフィアを復活させました。
そして、そのことが世界中のヘロイン不正取引の原因となっています。マフィアに支払いをするために、彼らはマフィアにヘロイン生産の独占権を与えたのです。いわゆる「フレンチ・コネクション」についても同じことが言えます。それが、戦後の麻薬問題が発生した原因なのです。
Pacitti:あなたが、問題をより広い世界的な文脈の中で捉えておみえになることは、私にも分かっています。しかし、このイタリアで私たちができること、なすべきことは、他に何かあるのでしょうか。私たちがやっていないことやイタリアの文脈を越えたことで何かあるでしょうか。
Chomsky:イタリアの場合、確かにマフィア・コネクションなどの犯罪行為を表に引き出すことは価値があります。それは人々が知るべき事実だからです。
しかし、イタリアでの大きな問題は、私の知る限り、人々はそのことを多かれ少なかれ知っているのだけれども、そのことに注意を払わないことです。彼らは恐るべき圧力のもとにいるので、注意を払わないのです。
これはイタリアだけでなく世界にも当てはまります。民衆を政治の世界から締め出そうとする動きです。1960年代に起きたことは、国際的なエリートにとっては、非常に恐ろしいことでした。『民主主義の危機』の中に、あなた方はこのことを、顕著に、おそらくもっとも顕著に見ることができます。
支配層にとって「民主主義の危機」とは何か
Pacitti:それはデビッド・ロックフェラーが創設した「三極委員会」Trilateral
Commissionによる最初の主要な研究ですね。
Chomsky:その委員会は、そのほとんどがヨーロッパと米国と日本の自由主義的国際主義者のエリートから成るものでした。それは主としてカーター政権のような人たちによる委員会でした。つまり、アメリカ的社会民主主義と国際主義という意味での自由主義者だったのです。
彼らが大変に気にしていたのは、民主主義の増大でした。すなわち、普通は無感情で受動的な大衆の一部が、1960年代を通して、組織化され、政治の世界に入り、彼らの要求を主張し始めたのです。その中には、女性や労働者や少数民族や老人が含まれていました。彼らの大部分は、一般には、通常、受動的な人々だったのです。
民主主義がうまくいくと考えられていたやり方は、政治体制が個人の専制政治や個人の権力者の掌中にある時です。そして、そのことが侵食され始めたのです。だから彼らが『民主主義の危機』で言っていたことは、過度の民主主義は良いことではなく、危機であるということでした。我々は従って、もっと穏健な民主主義を持つべきであり、人々を受動的で無関心な状態に戻さなければならない、というわけです。
彼らが言うには、若者たちを教化することに責任をもつ、いわゆる「公共機関」について頭を悩ましていることを公けに示さなければならないと言っています。これは私の言葉ではなく、彼らの言葉です。要するに、学校や役人やメディアや教会のことです。
今や民衆は教化の効かない人間になりつつあり、余りにも独立した思考力をもち思慮深くなりすぎている、活動的になりすぎているというわけです。そこで、この状態を逆転させるために何かがなされなければならない、と言うのです。
それ以来、人々を周辺の存在に戻すための大きな努力がされてきました。これには様々な形態があります。ひとつの形態は、いわゆる新自由主義の枠組みの中で国家を最小限にするものです。だから、公の世界からの政策決定権を取り除き、私的な手に戻すのです。これが、あれやこれやの民営化の形なのです。
もうひとつの形態は、財政の権限を集中化させることです。だから、欧州中央銀行は莫大な権限を持っていて、議会に対しては責任がないのです。もっと重要なことは1970年代以来の金融の自由化です。これは、ブレトン・ウッズ体制を解体するものです。
この金融の自由化は経済学者のいわゆる「仮想議会」を作り出します。つまり、あなた方は投資家たちが言うことに注意を払わなければならず、さもなければ経済を破壊してしまうことも出来るからです。しかも、これは政府が行なうことに巨大な制約を課します。
今まさに、公共サービスの取引についての総合的合意に関する大変に重要な会合がもたれています。それは公共サービスを民営化するということです。この公共サービスというのは、政府ができるあらゆることを意味しています。例えば、教育や健康保険法です。
Pacitti:それはまさにベルルスコニが考えていることです。
Chomsky:これは国際的に起きていることの小さな一部であることを記憶しておきましょう。左翼の土台を掘り崩す努力が行なわれているところは全て、この自由化民営化が姿を現しています。
あなた方は昔と違って今は彼ら左翼を拷問部屋に入れることはできないのです。ですから、あなた方は他の方法を見つけねばなりません。ひとつの方法は宣伝です。もうひとつの方法は、気ちがいじみた消費主義で、人々を大規模な消費に誘い込む方法です。
米国の経済は、新自由主義の政策のもとで苦しんできました。それは世界的に見られる現象ですが、それは消費者の支出である程度まで維持されています。その結果、各世帯の負債は自由に使える蓄えをはるかに越えています。
しかし、金融資本家にとって、それは良いことです。なぜなら、人々をどうしようもない借金の罠に閉じ込めるからです。その結果、単に働くことのみに追われ、事態の意味を考える力さえ奪われていくからです。
だから、幼年期から子どもたちは、買え、買え、買えという宣伝に毒されます。同じことが多くの国々で行なわれています。第三世界も負債の罠に閉じ込められています。IMFと世界銀行からの巨大な宣伝によって、借金を強制されたからです。これらが、人々を支配し私的専制を持続するための保障策なのです。
Pacitti:ここイタリアで私たちができる唯一のことは、これらのことを明るみに出すことだと、あなたはお考えですか。
Chomsky:何が起きているのかを、人々が理解できるよう援助するようにして下さい。それは、あちこちでの小さな腐敗堕落を明るみに出すことではありません。
大切なのは、私が今まで述べてきたことが真実だと言うことです。あちこちの小さな腐敗事件は周辺部で起きた部分にすぎません。それらの事件に人々があまり動転しないのは正しいことです。
こいつは腐敗している。あいつは腐敗している。それが何なのでしょうか。もっと重要なことは、より深くに横たわっている組織的構造的な特質です。それは例によって、人々を管理し支配することに関係しているからです。
Pacitti:私たちは本や論文を書き続けることによって、この様な動きに抵抗すべきだと、あなたはお考えになりますか。
Chomsky:私たちは人々を組織化しなければなりません。何人かの学者に読まれるだけなら本には意味がありません。しかし、もしその本や論文が一般大衆に届き、組織化の努力の一部になるのならば、話は違います。例えば、最後には国際的な行動につながるような種類の本や論文のことです。そこから大規模な組織化が生まれます。それが今まで述べてきたことを阻止する方法です。(翻訳:寺島隆吉+岩間龍男)
Domenico
Pacittiは国際ジャーナリストで学者。彼は現在、ピサ大学で英語と米国文学を教えている。
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