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米国や世界はイラクの政権を変える「責任」または「権利」があるのか
2002年11月8日
Omar
BadawiとFaiz Ahmadによるチョムスキー・インタビュー
(翻訳:寺島隆吉+岩間龍男)翻訳公開2003年3月11日
以下の記事は元々は「ザ・リンク」(The
Link)の中で、「対イラク戦争:ノーム・チョムスキーとの対話」(11月26日)と「チョムスキー起こり得るイラク侵攻の問題を語る」(2002年12月3日)という二つの記事として出されたものです。
Key Phrases:
他国の政府を転覆する権利と義務!?政権転覆は世界にどんな危機をもたらすか?イランにイラクを転覆させる案!?国連決議687は何を求めているのか?なぜ米国は査察活動を妨害するのか?国連における「イエメン効果」とは?
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イラク攻撃はパレスチナ問題をどこに導くか?南アフリカ共和国のバンツースタン制度とパレスチナの自治政府、「フランケンシュタイン・シンドローム」とは?テロリストグループ「ハマス」「ヒズボラ」「ジェマーイスラミヤ」を誰が育てたのか?軍事的独裁者も世論を恐れている
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質問:米国や世界の他の国々はイラクの政権を変える責任を持っているのでしょうか。そして彼らにはそのような権利があるのでしょうか。
チョムスキー:
誰にもそのような権利はありません。そしてそのような権利がないならば、責任もありません。変える必要のある政権は多くあり、サダム・フセインの政権もそのひとつです。しかし、そのような国は多くあります。例えば米国を例に取ってみましょう。世界の多くの国々は米国を「自分たちと世界に対する脅威」とみなしています。カーネギー財団の古参のメンバーが英国の主流の新聞にそう書いているのを私は引用しています。
ついでに言えば、政権変更についてのこのような話は何も新しいものではありません。これは古い古い政策です。ちょうどこの前の10月に、キューバ・ミサイル危機の記念行事がありました。ハバナの高官の会合に出席したアーサー・シュレンジンジャーは、キューバ・ミサイル危機は世界史の中で最も危険な瞬間であったことを指摘しました。したがってキューバ危機というのは小さな事件ではありませんでした。しかしその危機はどこからきたのでしょうか。それはキューバの政権を変えようとしたために起きた事件でした。
米国はキューバ政府の転覆に全力を傾けていました。最初はテロにより転覆しようとしましたが、それがうまくいかなかったので次にキューバへの侵略が画策されました。これもうまくいかず、より大規模なテロを採用しましたが、これがキューバ・ミサイル危機を招き、実質的に世界を破壊しました。これは劇的な事例ですが、そのような例は他にも多くあります。政権を変えようとする試みは古くからある話なのです。
質問:サダム・フセインを権力の座から引きずりおろそうという米国の動機や方法はさておいて、世界とイラクの人々はフセインがいないほうが暮らし向きが良くなるだろうと多くの人々は信じており、その例としてアフガニスタンのタリバンをしばしばひきあいに出しています。したがってその主張は、軍事行動が正当化されるということになるのですが・・。
チョムスキー:
まず第一にアフガニスタンでの戦争の目的はタリバン政権を転覆することではありませんでした。それは後から考えられたことでした。したがってあなたが考えることはすべて的外れです。
タリバン政権を転覆することに全力を傾けていた人々はいました。例えば、アブドラ・ハクのようなアフガニスタン人たちです。彼は最も尊敬されていたアフガニスタンの指導者の一人でした。
彼の立場は、それ[米国がタリバン政権を転覆しようとすること]が内部からタリバン政権を転覆する努力を台無しにするものだということでした。彼の見解では、米国はその力を見せ付け世界に脅しをかけるためにアフガニスタンを爆撃していたのであって、タリバン政権を転覆するためではないということでした。
アフガニスタン爆撃が正しいとか誤っているとかを議論することはできますが、それは米国の目的ではありませんでした。戦争がほとんど終わりかけていた3週間後にその目的は付け加えられたのです。
世界とイラクの人々はサダム・フセインがいなければ暮らし向きが良くなるのでしょうか。確かにそう言えると思います。しかしAからZまでのリストをたどって、そのようなことが当てはまる多くの国々をあなたは見つけて選び出すことができます。
そのようなことをする権利が米国にあるのでしょうか。もちろんありません。実際もしブッシュの議論や戦争好きの人々の議論を信じるならば、サダム・フセインを転覆するたいへん簡単な方法があります。それは現在追求されている方法に対しても多くの利点があります。その方法というのはイランにイラクを侵略させることです。
恐ろしいことですが、イラン人たちはサダム・フセインを粉々に引き裂くでしょう。サダムの周辺にいるすべての人を彼らは殺害し、大量破壊兵器を破壊し、フセインのいかなる後継者にもきっと大量破壊兵器を開発させないでしょう。それは軍縮にとって大きな貢献となり、イランの解放者が入ってきた時にはバスラやカルバラー(イラクの地名)の路上で人々は歓呼するでしょう。国連についての問題は何もないだろうし米国やイスラエルの死傷者も出ないでしょう。それは全く完全なものなのに、どうしてそのようなことが話題にされないのでしょうか。
この提案には(米国にとって)ふたつの不利な面があります。ひとつは、このような提案では米国が世界で第2位の石油埋蔵量を持つイラクを支配下に置けないことです。もうひとつは、ブッシュ政権が当面の国内問題から抜け出せなくなるということです。その国内問題というのは、ほとんどの米国民にきわめて有害な国内政策を追求しながら、いかに国民を脅して服従させるかということです。それはついでに言えば当面の差し迫った問題です。そういくわけで、その次の冬ではなくこの冬にイラク攻撃をしなければなりません。
明らかにイランによる侵略は全く気の狂った提案ですが、米国の侵略という現実の提案よりは多くのメリットがあります。サダム・フセインは次の冬にはより大きな脅威となるのでしょうか。おそらくそのようなことはありませんし、誰もそんなふうには考えていません。次の冬についての問題は、それが大統領選挙戦の最中であるということです。その時までには、大惨事から我々を救ったということで勇敢なカーボーイが賞賛されるように、勝利を収めねばなりません。だからそのタイミングは純粋に米国国内の問題です。長期的な目標については誰もが何年にもわたって知っていることです。現在ワシントンで事を取り仕切っている人々は、みんなサダム・フセインの支持者です。サダムが最悪の残虐行為を行っている間も、彼らは彼のことを支持していました。
質問:イラクに対する正しい政策は何が必要だと思われますか。
チョムスキー:
大量破壊兵器査察団が(イラクに)戻るべきだと思います。国連決議687の実施がなされるべきです。米国は査察団がイラクにもどることを熱心に妨害してきました。なぜなら彼らは戦争を始めることを望んでいるからです。
国連決議687が言っていることを思い出して下さい。ある部分は引用されますが、引用されない部分があります。その引用されない部分は全く無理からぬ理由があります。その部分は、イラクの軍縮はその(中東)地域全体の軍備縮小や配送システムの全般的なプログラムの一部であるべきだと述べています。
これはたいへん良識のある決議の部分です。実際、国連決議687はイラクの特定地域と(中東の)全般的な地域で行われなければなりません。米国は正にその反対の方向(イラクだけの軍縮)に行くことを望んでいます。
質問:米国の国連大使ネグロポンテ氏は、米国は大量破壊兵器査察団の仕事が進展するよう最大限の努力をしていると強調しています。戦争にうんざりしている国連安保理のメンバーの恐怖に留意しながら、彼は米国により提出された最後の決議案を「平和的な手段よるイラクの軍縮を達成する最善の方法」と呼びました。彼のこの評価についてあなたはどう思われますか。
チョムスキー:それは最悪のものであるということを彼は完璧に知っています。ブッシュ政権はその決議を、戦争を始める権威付けとして解釈していると明確に述べています。それは事実であるし安保理の誰もがそのことを分かっています。それはイラクが査察団を受け入れる可能性を掘り崩してしまいます。それはきわめて明確なことです。
条件が課せられています。それは決議案の中に注意深く書き込まれています。その条件というのは、「うーん、お前たちは条件を満たしていない。我々はお前たちを爆撃する。」とどの時点でも米国が言えるようになっています。だから査察官が午前4時に大統領官邸に現れて5分以内に鍵が渡されなければ、「よし、お前たちは重大な違反をした。したがって我々は明日お前たちを爆撃する。」と米国は言えるのです。
実際彼らは望むことはどんなことでも言えます。この決議は世界の国々が米国の激怒に直面しなくてもよいようにする簡単な方法なのです。世界の国々が米国を恐れるのは当然の理由があるのです。
質問:はじめのうちは、フランスやロシアや他の安保理・常任理事国の側にいくらかの抵抗があったようです。最近彼らは米国の要求を黙認しているように思われますが。
チョムスキー:
率直に言って、彼らは米国に毅然として立ち向かうことはしないでしょう。誰もしません。サダムが米国の同盟国だった時、サダムの主な犠牲者だったイランやクウェートなどの(中東)地域の諸国を含め全世界が戦争を望んでいません。彼らはみなサダムを憎み、彼を取り除きたいと思い、彼の恐ろしさを認識していますが、彼は自分の権力範囲外では誰も傷付けることはできませんし、彼の権力範囲は狭く限られたものです。
きのこ雲(核攻撃)を恐れている唯一の人々は米国の人々であり、たとえ世界の他の誰もがサダム・フセインを軽蔑していても彼の犠牲者になるとは予測していません。明らかに世界の他の誰もが平和的な解決を望んでいます。安全保障理事会決議に関しては、おそらく舞台裏で秘密裏に進んでいたことは、イラク戦争後の米国主導による傀儡政権の富を、どのように分配するのかについての取引が行なわれていたことでした。しかし誰もそれ以外のことは期待できなかったでしょう。
米国が周りの反対を押し切ってまで、とにかく行おうとしていることがあることを知りながら、そのことについて米国との関係を損なうことを望む国はあるでしょうか。特に国連決議は必要ないと最初からずっと米国が明らかにしている時にです。実際米国は次のように明確に言っています。国連がもし米国議会が認めたと同じ権限をワシントンに認めるなら国連は関係があるが、そうでないなら無関係であると。
国連安全保障理事会の誰もが、そしてフランスやロシアや中国やその他の国々は、もし米国がとにかくそれをやるつもりならそれに反対する理由は何もないことを知っています。これは国連における「イエメン効果」と呼ばれているものです。「イエメン効果」というのは1990年の安全保障理事会で湾岸戦争を支持することをイエメンが拒否したことに関係があります。そしてイエメンはすべての援助をカットされ、あらゆる種類の負担を米国によって課せられました。他の国々はそのようなことを受け入れることは望みません。
質問:そうすると、今日の世界の諸問題における安全保障理事会と国連との関連性はどのようなものでしょうか。
チョムスキー:
何もありません。その関連性は全くないと米国は明確にしています。実際彼らはそう述べることさえしました。あなたが高いレベルで言う時、すなわち、もし私たち米国がしたいことをあなたがさせてくれるならば、あなたは関係がありますが、そうでないときはあなたは関係がありません。したがってあなたの質問に対する答えは「安全保障理事会と国連は何も関係がない」ということなのです。
ついでに言えば、それは目新しいことではありません。例えば30年前に戻ってみて下さい。当時の大問題はインドシナにおける米国の戦争でした。国連のすべての国は、おそらく英国とカナダを除いては、ベトナム戦争に反対でした。しかしそのことは論議に上りましたか。いかなる国連決議も議論もありませんでした。その理由は全く明白でした。もしその問題が国連で議論になれば、それは国連の終わりとなることをすべての人々が理解していたからです。
1,2年前に、大変短い期間に、以前のユーゴスラビアでの刑事裁判所がNATOの戦争犯罪を調査するかもしれないという話がありました。しかしそのことはすぐにやめになりました。その期間中にカナダを訪問していた米国の下院議員は『ナショナル・ポスト』のインタビューを受けました。彼はNATOの戦争犯罪をもし誰かが調べるなら何が起きるのかと尋ねられました。彼の答えは、もしそのようなことが起きるならばニューヨークの国連ビルはばらばらに解体されて大西洋に投げ込まれるだろうということでした。象徴的な言い方ですが、それは基本的に正しいのです。
質問:イラクに対する軍事行動はパレスチナ・イスラエル紛争にどのような影響を与えるとあなたは思われますか。アリエル・シャロンの代理人たちは政治的進路を追求する前に、米国がパレスチナ人に関するイラク問題を処理するのをイスラエルは待つだろうと述べています。外務大臣のベンヤミン・ネタニヤフは米国の国務長官補佐官ウイリアム・バーンズの「平和への道路マップはまだ議事日程にない」という言葉をひきあいに出しています。
チョムスキー:
その道路マップが議事日程にあるのかどうか私たちには分かりません。というのはそれがどんなものなのか私たちは知らないからです。実際のところ、私たちはそれが存在することさえ知りません。
パレスチナ人についての計画はあります。リチャード・ペルレやダグラス・フェイスのような権力の中枢に近い人々、そしておそらくラムズフェルドは、中東の再編成について何年も議論をしてきました。そこではあらゆる種類の広範囲にわたる計画を彼らは持っています。
おそらくヨルダンのハシミテ王国がイラクとサウジアラビアの一部地域に拡張され、この再編成の過程でパレスチナ人たちは西岸やガザ地区からだけでなくイスラエルからさえ追い出されるでしょう。特にイラク攻撃がイスラエルを巻き込む紛争になるならば、それは全くありそうもない予想ではないのです。
それは確かに考慮されつつある予想です。そして実際に今イスラエルの報道機関のいたる所でそれは議論されています。しかし、そのようなことは起こりそうにないと私は考えています。しかし確かに議論はされているのです。
対イラク戦争はパレスチナ人にとって全くの大惨事となるでしょう。シャロンは平和の計画を持っています。誰もが平和の計画を持っています。ヒットラーも平和の計画を持っていました。しかし問題はどんな種類の平和かということです。
シャロンの平和の計画は、労働党政府の平和の計画とは少し違ったものですが、パレスチナ人たちの飛び地の自治と管理をある程度認めるものです。これはイスラエルが管理することを望んでいないからです。これはイスラエルに統合される一層広い領土的枠組みの中でのことです。そしてこれは本質的にバラク政府の平和の計画と同じものです。
シャロンのイスラエルの境界線はたいへんに拡張的なものですが、基本的な概念は(バラクと)同じものです。このことについてはたいへんに明確に意思表明されています。2000年のキャンプ・デイビッドにおけるバラク政府の主な交渉者だったシュロモ・ベンアミは、以前は大学の研究者でハト派とされている人物ですが、その彼は1998年の学問的研究の中で次のように説明しました。
「オスロ合意の目的は初めから永久的な新植民地主義の依存状態をパレスチナ人に対して確立することだった。これは南アフリカ共和国の、バンツースターン秩序のようなものだ。」
実際イスラエルの国家安全保障の当局者は40年前の南アフリカの「黒人問題」の解決に綿密な注意を払ってきました。黒人のホームランド、黒人の警察、黒人の行政、すなわち黒人の手で黒人を統制する体制を確立することです。白人の南アフリカ人はそのようなことに煩わされたくないからです。そうすれば白人の南アフリカに依存した発展を期待できるというわけです。
それがイスラエルで真剣に考えられてきたモデルであり、高いレベルで、イスラエルの報道機関で極めて明確に議論されています。それが多かれ少なかれキャンプ・デイビッドの提案の枠組みでした。シャロンがパレスチナ人の飛び地を小さいものにすることを望んでいることを除けば、シャロンの道路マップはそのような秩序の上にありました。
質問:「対テロ戦争」は「フランケンシュタイ・ンシンドローム」の現れなのでしょうか。「フランケンシュタイン・シンドローム」というのは、米国が自ら生み出した敵からわが身を今守らなくてはならなくなっているという意味ですが。
チョムスキー:
それが現実に起きていることですが、もう少しはっきりさせましょう。対テロ戦争は1981年に宣言されました。9.11以後に対テロ戦争を再宣言した全く同じ人々によって全く同じ言い回しによってです。
対テロ戦争は20年間続いてきました。オーウェルなら、いわゆる対テロ戦争が実際はテロリストによる戦争だと私たちに言うでしょう。1980年代を通してワシントンの人々によって指導された対テロ戦争の最初の局面では、米国は中央アメリカや中東や南アフリカなどで大規模なテロリスト的残虐行為を実行しました。それが対テロ戦争の最初の局面でした。
第2の局面は、9.11の時に彼らが再び宣言した対テロ戦争ですが、その矛先はあなたが述べたような組織に向けられることになりました。現在のテロリストというのは、1980年代にCIAとその仲間によって徴募され訓練され組織化され武装された人々です。これはアフガニスタン人を助けるためではなく、おなじみの(米国の)国家や権力のためのものでした。1990年ごろにはそのテロリストたちは彼らが述べているような理由で米国に敵対するようになりました。
これは特に目新しいことではありません。1993年にはその関連グループが世界貿易センターをもう少しのところで爆破するところでした。世界貿易センターの技術者によれば、彼らがもう少しましな計画を持っていたならば、何万人もの人々を殺害しただろうということです。それは2001年のことではなく1993年のことでした。そのグループは西側によって元々は組織化されたものでした。
他の多くのことについても同じことが言えます。イスラエルの主な敵であるテロリストの「ハマス」や「ヒズボラ」を例に取ってみましょう。このテロリストはどこから来たのでしょうか。部分的には「ハマス」の起源は世俗的非宗教的なパレスチナ指導部を掘り崩すために急進的なイスラムグループをイスラエルが支援したことにあります。
「ヒズボラ」は米国に支援された20年前のイスラエルによるレバノン侵攻時に生まれました。このレバノン侵攻ではおよそ2万人の人々が殺害され、(イスラエル側に)何の防衛目的もありませんでした。防衛が目的だったと、かろうじて偽って主張されてはいましたけれども。
それは「ハマス」の場合と同じく、世俗的非宗教的なパレスチナ解放機構PLOを掘り崩すための試みでした。なぜならその交渉の取り組みが扱いにくくなりつつあったからです。最終的にはそれが「ヒズボラ」の結成を手助けすることになってしまいました。
付け加えれば、テロリストの行動は最も強硬で抑圧的な要素にとってたいへん都合のよいものとなりました。テロの増加はシャロンにパレスチナ人を追い出す機会を与え、ロシア人にチェチェンでの弾圧の機会を与え、世界中でそのような機会を与えることになります。
現在インドネシアでも同じようなことが起きているようです。バリ島での爆発事件の背後にあったものはまだ明らかになっていませんが、おそらくそれはイスラム地下組織「ジェマー・イスラミア」Jamat al Islamayaの仕業です。しかし彼らはどこから来たのでしょう。彼らはスハルト独裁政権の努力によって生まれてきた部分があります。
つまり、米国と英国の支援を受けてスハルト独裁政権が国内の人々に対してテロリスト的残虐行為を実行するために、急進的なイスラム教徒とインドネシアの軍隊を結合・同盟させたのです。
実際バリ島の大虐殺はスハルト独裁政権によるテロリスト的残虐行為よりはるかにひどいものでしたが、イスラムグループと軍隊がつながって行われたものです。こういったことはかなり一般的に起きています。
質問:あなたが述べたように、現時点では米国のイラク侵攻は避けられないもののようです。大衆的な抵抗運動は、どれくらいの違いを作り出すことができるのでしょうか。
チョムスキー:
たいへん大きな違いを作り出せます。それが戦争を阻止することができる唯一の方法です。これまでもそれはいつも真実でした。1980年代のニカラグアへの米国によるB52の集中爆撃を阻止したのは何だったのでしょうか。大衆的な抵抗運動です。
その抵抗運動は40年前には十分に強くなかったので、南ベトナムでの集中爆撃を阻止することができませんでした。しかし、1980年代のニカラグアへの侵略を阻止することができました。
現在の戦争反対の抵抗運動は私の知る限りでは先例がありません。戦争が始まる前にこのような大規模な抗議活動があった他の事例を私は思いつきません。ベトナム戦争時にはこのような事例はありません。ベトナム戦争への抗議行動は南ベトナムを粉々に粉砕して4,5年たってから起きました。
空前の反対運動が盛り上がっており、米国の政策のアナリストはこのことに注意を払っています。もしこの運動がさらに大きくなるならば、彼らは懸念することになるでしょう。実際、政府内の高官たちの中における戦争反対のタカ派的な議論は、あまりにも大きな対立が米国内で作り出されるだろうと言っています。
それが懸念の中味です。最悪の大量殺人者でもそのようなことについては心配をするものです。ヒットラーもそのことを心配しました。そして部分的にはそのために、連合国が行なったようなやり方で全国民を動員することをドイツ人はしませんでした。彼らは国民を信頼していなかったのです。そしてそのことが恐らく戦争の努力を後退させたのでした。
軍事独裁者であろうが大量殺人者であろうが民主的な指導者であろうが、大衆の意見については気にかけずにはいられません。
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