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プロパガンダの過去・現在
言語の副次的な用法 Collateral Language
デイビッド・バーサミアンのチョムスキー・インタビュー
July 29,2003
翻訳:寺島隆吉+岩間龍男(公開2003年8月3日)
メールでお送りいただいたチョムスキー翻訳を送ります。米国人が恐怖を持ちやすい理由を、その歴史に遡って述べているところは、「ボウリング・フォ・コロンバイン」の映画の漫画の部分でも描かれていたことであり、面白いと思いました。また、この記事でチョムスキーが述べていることは、我々の身近なところにも多々あると思いました。(岩間龍男)
またもや岩間先生の下訳のおかげでインタビューの最新版をお送り出来ます。イラクの経済と軍事支出はクウェートのおよそ3分の1であり(人口はイラクの10%)、周辺国の誰もがイラクを脅威とは感じていないのに何故アメリカ国民だけがイラクを脅威だと感じているのかを、このインタビューは明快に解き明かしています。
最近イギリスでは、情報操作をして「ありもしなかった大量破壊兵器」を理由にイラクに戦争を仕掛けたということでブレア首相が非難を浴び始めています(また、そのため科学者がひとり自殺に追い込まれました)が、実は情報操作のルーツが第1次大戦の英国情報省にあったこと、その宣伝戦の先頭に米国知識人が駆り出されていたことも、このインタビューにおける興味深い論点のひとつではないかと思います。(寺島隆吉)
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ノーム・チョムスキーはマサチューセッツ工科大学の言語哲学学科の大学教授である。彼は多くの本を書いているが、彼の最新の本は『パワーとテロ』と『中東の幻覚』である。彼の『9.11』は世界的なベストセラーである。
バーサミアン:
近年ペンタゴンとメディアは、一般市民の死者を述べるのに「副次的被害」という用語を採用しています。様々な事件に関して人々の理解を作り出す言語の役割についてお話下さい。
チョムスキー:
それは歴史的にも古くからあるものです。それはあまり言語とは関係がありません。言語は互いに交流し合い意志伝達をする方法です。だから当然、コミュニケーションの手段です。その背後で概念を支えている背景は更により重要で、意見や態度を形成し、従順さや従属性を生み出すために使われています。当然それはより民主的な社会で作られました。
情報省と呼ばれる組織的な宣伝の省は、第1次世界大戦中に英国にありました。その省は、文字通り、世界の精神を支配する仕事を持っていました。彼らが特に気にかけていたのは、米国の精神、特に米国の知識人の精神でした。もし米国の知識人に英国の戦争努力の崇高さを確信させることができれば、米国の知識人は、ヨーロッパの戦争に関わりを持ちたくなかった本来の平和主義者=米国民に、狂信とヒステリーの発作を起こさせ、この戦争に参加させることができると、英国情報省は考えていました。英国は[世界の中で特に]米国の支援を必要としていたので、英国はその情報省に主に米国人の意見、[とりわけ]オピニオン・リーダーを狙わせたのです。これをウイルソン政権は「広報委員会」という最初の国家宣伝機関を設立することによって対処したのです。
それは、リベラルな米国の知識人であるジョン・デューイの集団で主に目覚しい成功を収めました。彼らは実際、次の事実に誇りを持っていました。すなわち、彼らの叙述によれば、歴史上初めて、軍部の指導者や政治家によってではなく共同体の責任のあるまじめなメンバーつまり思慮深い知識人によって、戦時の熱狂が生み出されました。彼らは宣伝のキャンペーンを組織化し、その宣伝によって2、3ヶ月のうちに、相対的に平和主義的な人々をドイツのあらゆる物を破壊することを望む反ドイツ狂信者に変えることに成功しました。それはボストン交響楽団がバッハ[ドイツの作曲家1685-1750]の曲を演奏できないような事態にまで至りました。米国はヒステリーに追い込まれたのです。
ウイルソンの宣伝機関のメンバーには、広告産業の指導者となったエドワード・ベルナイスと、20世紀の世論を先導していた知識人でありマスメディアで最も尊敬を受けていた人物であるウォルター・リップマンのような人々が含まれていました。その経験から彼らは明らかに[教訓を]引き出しました。[例えば]1920年代の彼らの著述を見ると、「我々はこのことから大衆の心理や考え方や意見を支配できることを学んだ。」と彼らは言っています。「宣伝によって我々は合意を捏造できる」とリップマンは言っていますし、「社会のより知的なメンバーが」いわゆる“合意の巧みな計略”によって、人々を思い通りに動かせる」とベルナイスは言っています。「それは民主主義の本質」であるとも彼は言っていました。
それはまた広告産業の勃興につながってきました。広告産業が始まった1920年代の考え方を見ることは興味深いことです。これは[大量生産システムを開発した]テーラー主義の時期でした。この時、労働者はロボットになるように訓練され、すべての動作が支配されました。そのことは、人間をオートメイション化することにより、非常に効率的な産業を生み出しました。ボルシェビキもそのことに非常に感銘を受けました。彼らはそれを真似しようとしました。実際、世界中がそのことを試みました。しかし、思想統制の専門家は、仕事中のコントロールだけでなく仕事から離れた時のコントロールもできることに気づきました。以下が彼らの決まり文句です。
無益なことに考えを誘導し、仕事から離れた時も人々をコントロールせよ。たとえば流行を追いかける消費生活のような、人生の表面的な物事に人々を集中させ、基本的に人々を我々にとって手のかからない対象にせよ。事を取り仕切るべき人々に、大衆からの妨害なしに、事を行わせよ。なぜなら、公の活動領域で事を取り仕切るのは民衆の仕事ではないからだ。
そのことから膨大な産業が生まれます。その範囲は広告業から大学までに及んでいます。しかも、それはすべて、民衆は放置しておくと余りにも危険すぎる存在だから彼らの考え方や意見を統制しなければならないという考え方に、強く傾倒しています。
より民主的な社会でそのことが発展したのは特に印象的です。ドイツやボルシェビキのロシアや南アフリカや他の場所でも、この真似をしようとしました。しかしそれはいつも明らかにたいては米国をモデルにしたものでした。それには妥当な理由があります。力ずくで人々を支配できれば人々が考え感じることを支配するのはそれほど大切なことではありませんが、力ずくで人を支配する力を失った時、今度は人々の考え方や意見を支配することが必要になってきます。
このようにして私たちは現在に至っています。現在までのところ、大衆はもはや国家の宣伝機関を喜んで受け入れなくなっているので、レーガンのOffice of Public Diplomacyは違法と宣言され、遠回りをしなければなりませんでした。その代わりに私的な専制政治機関がそれを引き継ぎました。これは政府から命令を受けているのではないが、もちろん政府と密接なつながりがありました。それが現代の私たちのシステムです。それは非常に人前を気にするものです。あなた方は彼らがしていることについてあまり考える必要はありません。というのは、業界の出版物と学術的な文献が親切にあなた方に教えてくれるからです。
例えば1930年代の、現代政治学の創設者であるハロルド・ラスウェルをひも解いてみてください。リベラルなウイルソン主義者であったハロルド・ラスウェルは、1933年の主要な出版物であった社会科学百科事典で「プロパガンダ(宣伝)」という記事を書いています。その中のメッセージは次のようなものでした。「“人々がその人自身の利益の最良の審査員である”という民主主義の教条主義に我々は屈してはならない。」(ついでながら、これらはすべて引用です。)
最良の審査員は彼らでなく我々だというのです。そして「人々は彼らの一番の利益を理解するにはあまりにも愚かで無知だ。我々は偉大な人道主義者なので、彼らの利益のためにも、我々は彼らの意見を無視し彼らを支配しなければならない。最も良い方法は宣伝である。宣伝については何も否定的なものはない。」こう彼は言いました。「それはポンプの柄と同じくらい中立的なものだ。あなた方は良かれ悪しかれその宣伝を使うことができる。そして我々は高潔で素晴らしい人々なので、愚かで無知な大衆の意見を無視し意思決定のいかなる資格からも排除するために、ずっとこの宣伝を使うだろう。」
レーニン主義の原理もほぼこれと同じでした。大きな類似があります。ナチもこれを取り上げました。ヒトラーの著書『我が闘争』を読むと、ヒトラーは英国による米国への宣伝に非常に感銘を受けていました。その宣伝が第1次世界大戦を勝ち取ったものであるとヒトラーが論じたのも無理のないことであり、彼は今度はドイツ人の中でもその準備を整えると誓い、民主主義を模倣した自分たち自身の宣伝システムを開発しました。ロシア人たちもそれを試みたが、あまりにも雑なものだったので効果がありませんでした。南アフリカ共和国もこれを使ったし、他の国々も現在までのところそれを使ってきました。しかしこの宣伝の実際の先頭にいるのは米国です。なぜなら、米国は最も自由で民主的な国であり、考え方や意見を支配することはとても重要なことだからです。
あなた方は『ニューヨークタイムズ』で、これについて読むことができます。大統領のマネージャーであるカール・ロウブについての興味深い記事があります。基本的に彼は大統領の番人で、大統領に何を言い何をすべきか教える人です。この記事ではカール・ロウブがやっていることを述べています。彼は直接に戦争の計画に関与していませんし、ブッシュもそうでした。この戦争計画は他の人々の手中にありました。しかし彼の目的は、戦時の強力な指導者として大統領を描くことであると、彼は言っています。これは次の大統領選挙に狙いを定めたものであり、共和党が国内で予定の政策を押し通すためのもので、彼はそれに神経を集中させていました。
その政策は減税のことで、彼らは経済再生のための減税と言っていますが、実際は金持ちのための減税です。その減税や他の計画を彼はわざわざ列挙してはいませんが、大金持ちや特権階級のきわめて少数のものの利益になるように立案されていて、大衆に不利益を与えるでしょう。その記事の中では述べられていませんが、もっと重要なことは、社会福祉制度の基礎を破壊しようとしていることであり、学校や社会保障などを要するに人々がお互いになんらかの関心を持つべきであるとの考えに基づくいかなるものも削除してしまおうとしていることです。それは恐ろしい考えです。
しかし、それが恐ろしい考えだということは人々の心から消し去らねばなりません。「あなた方が共感や連帯感を持つべきである、あなた方は町中の身体障害の未亡人が食べていけるのかどうか気にすべきである」といった考え方は人々の心から消し去らねばなりません。
デイビッド・バーサミアン:
明らかにイラク戦争に関して、米国の世論と世界の世論の間には大きなギャップがあります。あなたは、これは宣伝の成果だと考えられますか。
ノーム・チョムスキー:
そのことについては疑問の余地はありません。イラクについてのキャンペーンは昨年9月に始まりました。これはあまりにも明らかなことだったので、主流の出版物の中でも論じられました。たとえば、UPIの主要な政治評論家であるマーティン・シャリフは、このキャンペーンがどのように行われたのか長い記事を書いています。9月というのは、中間議会選挙運動の始まった時期であり、その時に戦争の宣伝のドラムが打ち鳴らされ始めました。それには2,3の不変のテーマがありました。ひとつの大きな嘘は、イラクが米国の差し迫った安全の脅威であるということでした。今彼らを止めなければ、明日にでも彼らは私たちを破壊するだろうというものです。二つ目の大きな嘘は、9.11のテロの背後にはイラクがいるということでした。誰もそれをストレートに述べてはいませんが、そのようなことがほのめかされていました。
世論調査を見てみましょう。世論調査はたいへん直接的にその宣伝の効果を反映していました。その宣伝はメディアによってばら撒かれました。彼らは調査結果を捏造したのではなく、調査のための宣伝をばら撒きました。それを高級官僚やあなたが好むどんなことにでも、そのせいにすることができます。しかしそのキャンペーンは世論調査に非常に素早く反映されました。9月までそしてそれ以降、上下の揺れはありますが、およそ60%の人々がイラクは私たちの脅威であると信じています。議会が大統領に武力行使の権限を与えた10月の宣言を見てみると、イラクは米国の安全の脅威だと述べています。現在までのところおよそ半分かおそらくそれ以上の人々が次のように信じています。イラクは9.11に責任があり、イラク人がその飛行機に乗っていたのであり、新しいテロを計画しているのだと。
しかし世界の他の人々は誰一人としてそんなことは信じていません。イラクが自分たちの脅威であると見なしている国はありません。イラクによって侵略されたクウェートやイランでさえ、イラクを自分たちの脅威とは見なしていません。イラクはこの地域で最も弱い国であり、経済制裁のために数十万人の人々が死に、おそらく人口の3分の2が飢餓すれすれの所にいて、イラクはこの地域で最も弱い経済力と軍隊しか持っていないからです。その経済と軍事支出はクウェートのおよそ3分の1であり(人口はイラクの10%)、他の国々と比べればもっと低いレベルです。もちろんこの地域の人々は、そこに超大国がいて海外の米軍基地であるイスラエルがあることを知っています。イスラエルは数百の核兵器と大規模な軍隊を持ち、あらゆるものを完全に支配しています。
しかし米国内だけに恐怖心があり、先ほどのような考え方があります。この考え方が大きくなってきたのはやはり宣伝のせいです。米国がそういったものに影響を受けやすいことは興味深いことです。これには文化的背景があり、これも興味深いことです。しかしその理由が何であれ、相対的な基準で米国はたいへんに恐怖心を持った国です。米国におけるほとんどすべての事に対する恐怖心のレベルは、犯罪や外国人のことを取り上げてみても、並外れたものです。あなた方はその理由を議論し調べることはできますが、とにかく、そういった背景があるのです。
デイビッド・バーサミアン:
宣伝に引っかかりやすくさせているものは何なのでしょうか。
ノーム・チョムスキー:
それは良い質問ですが、宣伝に影響を受けやすいのではなく、恐怖に陥りやすいと言っておきましょう。米国は恐怖心を持った国です。この理由について私は正直なところ理解できませんが、そういった恐怖心は確かに存在し、その恐怖心は米国史上古くからあるものです。それはおそらくアメリカ大陸の征服と関係があります。そこでは原住民を皆殺ししなければなりませんでした。奴隷制度でも、危険と見なされる人々を支配しなければなりませんでした。というのは、彼らがいつ反抗してくるか分からなかったからです。それはとてつもなく大きな安全保障の考えを反映したものかもしれません。
米国の安全保障は他のどの国をも大きく越えています。米国は半球を支配し、二つの大洋を支配し、その反対側も支配し、決して脅かされることはありませんでした。米国が脅かされた最後の時は、1812年の戦争でした。その時以来、米国は他の国々を征服してきました。そして何らかのかたちで、このことは誰かが私たちの後を追いかけて来るだろうという感覚を生み出しました。だから米国は結局たいへんに恐怖心を持つようになりました。
カール・ロウブが政権の中で最も重要な人物である理由があります。彼は[大統領の]イメージ作りを担当する広報活動の専門家だからです。だから、人々に恐怖心を持たせ、強力な指導者が差し迫った破壊からあなた方を救ってくれるという印象を作り出すことによって、国内の政策日程をこなし、国際的な政策を実行することができます。『ニューヨークタイムズ』はそのことを実質的に述べています。というのは、そのことを隠し通すことは難しいからです。それがメディアの第2の天性だからです。
デイビッド・バーサミアン:
あなたに論評してほしい新しい語彙解釈のひとつに「組み込まれたジャーナリスト」という言葉があるのですが。
ノーム・チョムスキー:
それは面白い言葉です。ジャーナリストがそれを喜んで受け入れていることも興味深いことです。本当に誠実なジャーナリストならば自分のことを「組み込まれた」ジャーナリストと喜んで自称する人は誰もいません。「私は組み込まれたジャーナリストだ」と言うことは、「私は政府の宣伝者だ」と言うことと同じです。
しかしその言葉は受け入れられるのです。それはそのジャーナリストがする事は何でも正しいのだという概念を植えつけるのに役に立ちます。したがって、あなたが米国の単位に組み込まれているならば、あなたは客観的であるということになります。
実際、ピーター・アーネットの事例で、ある意味では非常に劇的に同じ事が浮き彫りとなりました。ピーター・アーネットは賞賛に値する多くの業績を持つ経験豊かで尊敬を集めるジャーナリストですが、まさにそのために彼はここ米国では憎まれています。同じ理由からロバート・フィスクも憎まれています。
デイビッド・バーサミアン:
フィスクは英国人で、アーネットはもともとはニュージーランド出身ですね。
ノーム・チョムスキー:
フィスクはずば抜けた経験を持つ、尊敬を集める中東のジャーナリストです。彼は常に中東にいて、優れた仕事をしてきており、この地域を良く知っていて、[米国にとっては]恐ろしいレポーターです。彼は米国では軽蔑されています。あなた方は彼の記事を目にすることがほとんどできません。彼について述べられることがあるとすれば、彼は何らかの方法で非難されるときです。その理由は彼があまりにも独立した存在だからです。彼は「組み込まれたジャーナリスト」には決してならないでしょう。ピーター・アーネットも、イラクのテレビでインタビューをしたために非難されています。米国のテレビでインタビューをして誰か非難されるでしょうか。そんなことはあり得ません。それは素晴らしいことになるだけです。
デイビッド・バーサミアン:
2001年のアフガニスタン攻撃は2,3の興味深い用語を生み出しました。あなたはこれについて論評しています。ひとつは「不滅の自由作戦」であり、もうひとつは「違法の戦闘員」でした。間違いなくこれらは国際的な法学における新機軸でした。
ノーム・チョムスキー:
それは第2次大戦以来の新機軸です。第2次世界大戦後、国際法の比較的新しい枠組みが確立され、これにはジュネーブ協定も含まれています。そしてここで述べられているような「邪魔になる敵の戦闘員」というようないかなる概念も、ジュネーブ協定は許していません。捕虜を捕まえることはできますが、「違法の戦闘員」といった新しいカテゴリーはありません。
実際それは古いカテゴリーで第2次世界大戦以前のものです。その当時はどんなことでもすることが許されていました。しかし、ナチの犯罪を正式に有罪にするために確立されたジュネーブ協定のもとで、これは変えられました。したがって、現在では捕虜は特別の身分を持っているものと考えられています。しかしブッシュ政権はメディアと裁判所の協力を得て、第2次世界大戦以前に戻ろうとしています。
その当時は人道にたいする罪と戦争犯罪を扱う重要な国際法の枠組みがありませんでした。そしてブッシュ政権は侵略的な戦争を行うことだけでなく、爆撃対象とする人々や捕虜を何の権利も与えられない新しいカテゴリーとして分類することまで宣言しているのです。
それどころか、ブッシュ政権はそういったことをはるかに越えるところまで行っています。ブッシュ政権は米国市民を含む人々を米国内で逮捕し、無期限に監禁する権利を現在主張しています。対テロ戦争(あるいは大統領が呼びたがっているどのようなものでもいいのですが)、それが終わったと彼が判断するまで、家族や弁護士に会わせず、告訴状もなしに彼らを拘束するのです。これは前代未聞のことです。
そしてそれはある程度まで裁判所によって受け入れられています。それは今のところ承認されていない新しい「第二次愛国法」と時々呼ばれているものを上回るものです。それは司法省内部にあったものですが、漏洩しました。
現在までのところ新聞でそれについての法学者などによる2,3の記事があります。それは驚くべきものです。彼らは、司法長官が米国の安全に有害かもしれない行動にその人物がなんらかの方法で関わっていると推測するならば、証拠がなくても、市民権や基本的人権を剥奪することを主張しています。
このような例を見つけるためには、かつての全体主義国家にまで遡らねばなりません。「敵の戦闘員」はそのひとつです。これらの人々の処遇、例えばグアンタナモ湾の捕虜収容所で行われていることは、第2次大戦以来の、国際人道法の最も初歩的な原則の全般的な侵害です。すなわち、捕虜に対するこれらの犯罪が、ナチへの反作用として正式に有罪とされて以来の、国際人道法に対する最も初歩的な原則の侵害です。
デイビッド・バーサミアン:
3月31日に「ナイトライン」で「これは侵略ではない」と言ったことを引き合いに出されているトニー・ブレアについて、あなたはどう思われますか。
ノーム・チョムスキー:
トニー・ブレアは米国のよき宣伝代理人です。彼ははっきりとしたもの言いをしますし、内容も言動と一致しています。見たところ人々も彼の風貌を好んでいるようです。
彼は第二次世界大戦以来、英国が人前を気にしながらも取ってきた立場に従っています。第二次世界大戦中、多くの内部資料がありますが、英国は明白な事実を認識していました。すなわち、英国は、かつては世界支配の権力を持っていましたが、第二次世界大戦後はそうはならず、米国がその力を持つだろうということでした。
英国は選択をせまられていました。全く別の国になるのか、あるいはいわゆる米国の従属的パートナーになるのかということです。英国は従属的パートナーの役割を受け入れました。それが、それ以来、英国が取っている立場です。英国は、[米国によって]最も恥ずべきやり方で何度も何度も顔を蹴られてきました。しかし彼らはそこに静かに座り、考えて言いました。
「いいですよ。私たちは従属的パートナーになりましょう。私たちはいわゆる[米英]連合に対して、外国の人々を残忍に扱い殺害してきた何世紀もの私たちの経験を教えましょう。私たちはそれを得意としていますから。」
それが英国の役割であり、恥ずべきことです。
デイビッド・バーサミアン:
しばしばあなたの講演で、いつも尋ねられる質問があります。それは「私は何をすべきなのでしょうか。」という質問です。これは米国の聴衆から出てくる質問ですが。
ノーム・チョムスキー:
確かにその通りです。米国の聴衆からです。第三世界でそのような質問は聞きません。
デイビッド・バーサミアン:
どうしてなのでしょうか。
ノーム・チョムスキー:
トルコやコロンビアやブラジルやその他の場所へ行っても、「私は何をすべきなのでしょうか。」と彼らは尋ねません。彼らは自分たちがやっていることを話します。
「私は何をすべきなのでしょうか。」と人々が尋ねるのは、非常に特権的な文化の中においてだけです。私たちは自分たちに開かれたあらゆる選択肢を持っています。トルコの知識人、ブラジルの田舎の人、そのような類の人が直面している問題には[そのよう選択肢は]何もありません。
私たちは何でもできます。そして米国の人々が慣れている考え方というのは、私たちは自分にできる何かしなければならない、それは簡単なことですぐに効果があり、そして私たちは普段の生活に戻ることができるというものです。
しかしそれはそうはいきません。あなたが何かをしたいのであれば、毎日毎日それに身を捧げなければならないでしょう。あなたはそれがどういうものか正確にお分かりだと思います。それは教育プログラムであり、組織化することであり、積極的行動主義です。そのようにして物事は変わっていくのです。
あなたはテレビを見に明日にでも家に帰ることができるような魔法の鍵になるようなものを求めていますが、第三世界ではそのようなものはありません。
デイビッド・バーサミアン:
あなたは1960年代に米国のインドシナ介入に反対をする早い時期からの活動的な反体制活動家でした。その時何が起きようとしていたのか、そして今何が起きようとしているのかということの展望をあなたはお持ちです。米国でどのように反体制活動家の運動が発展してきたのか述べていただけますか。
ノーム・チョムスキー:
実は、現在いかに大学教授が反戦活動家であり学生たちがそうでないかについて述べられている『ニューヨークタイムズ』の別の記事があります。確かに学生が反戦活動家だったときとは違って学生は今は活動的ではありません。
レポーターが話していることは、1970年頃、そして本当のことですが1970年までに、学生たちは活発に反戦の抗議活動をしていました。しかしこれは南ベトナムに対する米国の戦争が始まってから8年後のことでした。この戦争はこの時までにインドシナ全域に及び、この地域を徹底的に破壊していました。
しかし、1962年に公式に発表されたこの戦争の初期の段階で、米国の航空機は南ベトナムを爆撃し、ナパーム弾の使用が認められ、食料の作物を破壊するための化学兵器や実質的に強制収容所である「戦略村」に何百万人もの人々を追いやる計画が認められました。これらは全て公になっていたが、抗議はありませんでした。
誰かがそのことについて話をすることは不可能でした。何年もの間、ボストンのようなリベラルな町においてさえも、戦争反対の会合を公けに持つことはできませんでした。なぜなら、メディアの支援を受けた学生たちによって、そのような会合はぶち壊されたからです。私のような話し手が無傷でその場を逃れるためには、数百人もの州警察を回りに配置しなければならなかったでしょう。
反戦の抗議行動は戦争開始から何年もたってから起きました。その抗議行動が起きるまでに、すでに数十万の人々が殺され、ベトナムの大部分が破壊されてしまっていました。こうして戦争が開始されて何年も経ってから、やっと抗議行動が始まりました。
しかしこのことのすべては歴史から消し去られています。というのは、そのことは真実をあまりにも多く語るからです。それは多くの人々の、そしてたいていは、若者たちの何年にもわたるたいへんな活動[が必要]でしたが、最後には抗議運動となって結実しました。
現在はこれをはるかに凌ぐ事態となっています。しかし『ニューヨークタイムズ』のレポーターはそのことが理解できません。リポーターは誠実だと私は思いますが、彼女は、私が思うには、教えられたとおりのことを正確に言っているだけなのです。
つまり現実の歴史を人々の意識から消し去らねばならないので、[最初から]巨大な反戦運動があったと言っているのです。[これでは]献身的な努力が意識や理解の重要な変化をもたらすことが出来るということが学べません。それは、人々に持たせるには、たいへんに危険な思想なのです。
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