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[平和運動と大学]
ZNet
July 18, 2003
『コモンセンス』によるチョムスキー・インタビュー
翻訳:寺島隆吉+岩間龍男(公開2003年8月10日)
前回にお送りした「副次的な言語」のひとつ前の記事の翻訳を送ります。インタビューアーの質問が素朴で根本的な内容なので、面白い記事でした。(岩間龍男)
岩間先生の下訳のおかげでチョムスキー・インタビュー「平和運動と大学」の翻訳ができました。いま日本の国立大学は法人化問題で揺れに揺れて反戦平和運動どころではなくなっています。普通だったら有事立法や自衛隊のイラク派遣の問題点を分かりやすく解き明かし世論形成の先頭に立つべき良心的知識人が、そのエネルギーの多くを法人化問題に割かざるを得なかったのが昨今の現状でした。それが当局のもう一つにねらいだったのかも知れませんが、この実情を米国の大学と比較してみると、日本の大学や知識人のありかたについて発見するところが少なくないと思います。インタビューそのものは2002年5月のものですから古いのですが内容は極めて新しいと確信します。またイスラム過激派「ハマス」や「ヒズボラ」も米国やイスラエルがPLOを潰すために援助し育てたのだというチョムスキーの指摘も興味あるエピソードではないでしょうか。(寺島隆吉)
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2002年5月3日、『コモンセンス』はマサチューセッツ工科大学の言語学者であり政治的活動家であるノーム・チョムスキーにインタビューを行った。『コモンセンス』はヒューマニズムと自由思想に関する大学間の機関紙である。
コモンセンス:
あなたはパレスチナ紛争と南アフリカのアパルトヘイトの類似を指摘しておられますが、大学がかつて南アフリカに行ったのと同じ方法で、イスラエルに対して対応すべきだとお考えですか。特に、イスラエルで取引を行っている企業との関係を大学は絶つべきだとお考えですか。
チョムスキー:
[イスラエルと南アフリカの]状況は同じではありません。南アフリカについては、大学が[企業との]関係を断つこと[投資撤退]はさほど重大なことではありませんでした。それは、ゆっくりとした息の長い行為であり、私たちの政府が犯罪的な活動に参加しないよう圧力をかけるためのものでした。例えば、南アフリカへの武器や石油の禁輸措置がありました。大学が[企業との]関係を絶つことは、その枠組みの中では取るに足らない要因でした。パレスチナの場合には、請願の重大な要求として、最小限の条件が満たされない限り、少なくとも武器売却移転の中止が求められるべきです。その要求は私が署名した請願書の中に含まれていました。
コモンセンス:
しかしもし学生たちが地域に根ざした活動家となりたいならば、大学に対し[企業との]関係を断つよう要求することは効果的な方法だと、あなたは思われますか。あるいは学生たちは、[自分の大学の小さな問題ではなく]国の問題にその努力を集中させるべきなのでしょうか。
チョムスキー:
それは妥当な活動だと思いますが、私たちはいかなる幻想も持つべきではありません。それは国家の動きに影響を及ぼすたいへん間接的な方法です。南アフリカとイスラエルの間には基本的な違いがあります。米国がアパルトヘイトの体制を支持している時は、それはアパルトヘイトを維持する決定的な要因ではありませんでした。しかし、イスラエルの場合には、その占領を維持することについて、米国は決定的な要因となっています。そういったことが私たちの選択に影響を及ぼします。その選択は米国政府に特に直接的に向けられなくてはなりません。アパルトヘイトは犯罪でしたが、ワシントンの決定にアパルトヘイトの責任を負わせることはできませんでした。一方、[イスラエルのパレスチナ]占領についての責任をワシントンの決定に負わせることはできます。それが決定的な違いであり、私たちの活動の方向性を選択する際に考慮すべきことです。その占領は離れた所で起きているように見えますが、実際はここ米国で起きていることです。
コモンセンス:
南アフリカとの比較の作業をしてみると、イスラエル・パレスチナ紛争と類似する解決策は、イスラエル人とパレスチナ人が一緒に生活をする一つの国を作ることのように思われます。しかしあなたは二つの国を作ることを支持しておられますが、何故なのでしょうか。
チョムスキー:
[南アフリカとは]多くの点で状況が違っています。南アフリカでは、少数の白人は本当に数の少ないものでした。もし南アフリカの大多数の黒人が、例えばアフリカ民族会議ANCが、二つの国を作る解決策を、つまり黒人が80%の土地を、そして白人が20%の土地を受け取るというような解決策を、望んだのであれば、私はそれに反対はしなかったでしょう。そういうことを決めるのは私ではないからです。イスラエル・パレスチナの場合にもこのことが言えます。私の考えは一つの国を作る解決策はよいものではないということで、60年間この立場を取り続けてきました。これに代わるもっと良い解決策が数十年前にありましたが、現在は十分な選択肢がなく、両者とも一つの国を作る解決策は望んでいません。
コモンセンス:
中東における紛争は宗教的なものだとあなたはお考えですか。
チョムスキー:
それは宗教的なものではないと思います。宗教は[解決のための]多くの道筋を切り落としてしまいます。無宗教のユダヤ人と宗教的なユダヤ人は、多くの事柄で違った目標を持っているかもしれません。しかし、両者とも自分たちが多数を占め物事を支配できる個別の国家を望んでいます。無宗教のパレスチナ人と宗教的なパレスチナ人にも同じことが言えます。ユダヤ人もパレスチナ人もその多くは無宗教です。
コモンセンス:
9.11の攻撃は、宗教の危険性、あるいはさらにもっと広く政治や政府と入り混じった宗教の危険性を示していると主張する人がいます。これは[現在の]状況の正しい分析だとあなたは思われますか。
チョムスキー:
9.11はこの場合、誤った出発点だと思います。この概念を支える証拠としては、1980年代を私たちは見るべきです。
20年前に、CIAは見つけることのできた最高の殺し屋たちを支援し訓練し始めました。それは、妥当で合法的な努力であるアフガニスタン人を助けるためにではなく、ロシア人に被害を与えるために行われたことでした。アフガニスタンにとっては、その結果は破壊的なものでした。CIAが自らの目的のために見つけてきた最高の殺し屋たちは、北アフリカやアラビア半島や他の場所からの過激で急進的なイスラム主義者でした。CIAは、その結果がどうなるのか十分に知りながら、彼らを集め、訓練し、武装させました。そうです、それは宗教の利用でした。
実際、イスラム原理主義者は、かなりの程度まで外部勢力によって支援され手ほどきを受けていました。それはしばしば非宗教的な勢力への武器となりました。1982年にイスラエルがレバノンに侵略をした時、その目的は明らかに非宗教的な民族主義者パレスチナ解放機構PLOを傷つけることでした。というのは、PLOは占領地に関する交渉を強く要求していて、イスラエルはその交渉を望んでいなかったからです。イスラエルは非宗教的なPLOに傷を負わせることにしばらくの間成功しましたが、結局そのために[パレスチナ過激派組織]ヒズボラを生み出しました。占領地でも同じようなことが起きました。[パレスチナ人の]宗教的な者たちは、結局は[パレスチナ過激派組織]ハマスとなりましたが、彼らは非宗教的な民族主義者[PLO]に反対するイスラエルによって実際に支援を受けていました。
コモンセンス:
ということは、これらの例から米国のために私たちが学ぶことができる教訓があると、あなたはお考えですか。
チョムスキー:
米国のキリスト教原理主義者は極めて危険な存在ですが、さらに広い意味合いが含まれています。
今私が述べた1980年代の出来事から私たちが学ぶべき教訓は、目的を達成するために私たちも他の者たちも暴力を使うべきではないということです。その暴力が急進的なイスラム主義者の募集を含んでいようが世界を支配することを望む人々の募集を含んでいようが、です。
1980年代に米国が組織化したコントラの軍隊がニカラグアで大規模なテロリスト攻撃を行った時、彼らは宗教的な原理主義者ではありませんでしたが、その結果はそれと同じくらい悪いものでした。
コモンセンス:
今日のシオニズムは道徳的には人種差別と同じことなのでしょうか。
チョムスキー:
いいえ、それは道徳的に人種差別と同じものではありません。シオニズムは多くの違ったことを含んでいます。私の現在の立場は、かつてシオニストと呼ばれていたものです。彼らは人種差別主義者でしたか。確かにその中には人種差別の要素はありました。
人種差別の要素は私が営んでいる生活の中にもあります。つまり[私以外の]他の誰かがそこで生活していたのですが、彼らは追い出されました。これは、私たちすべてに当てはまることです。[Ex.アメリカ先住民インディアン]
しかし私たちは、そんな大まかには人種差別という言葉を使いたくありません。世界には民族的紛争、文化的紛争、そしてその他の紛争を含む多くの間違った事があります。しかし私たちはそれを人種差別とは呼びません。
コモンセンス:
あなたは、良いテロリズムと悪いテロリズム、あるいはおそらく必要なテロリズムと不必要なテロリズムをどのように区別されるのでしょうか。あるいはテロリズムという言葉を振り回すことが悪いことだとお考えなのでしょうか。
チョムスキー:
良いテロリズムなどないと思います。テロリズムのような違法の手段が使われる正しい違法の対立や闘争があるだけです。しかし、だからと言ってそのテロリズムが合法的だということにはなりません。例えば、アメリカ独立戦争は基本的に正義の戦いでしたが、多くのテロリズムがありました。それは正しいことではありませんでした。テロリズムのない民族解放運動がもしあったなら、私はそのことについて聞いてみたいです。
コモンセンス:
反グローバリゼイション運動の何人かの人たちは、戦術として資産の破壊を使いました。特にシアトルのような大きなデモにおいて。それは適切で有益だったとあなたはお考えですか。
チョムスキー:
ひとつには、私はそれを反グローバリゼイゼイションと呼びません。それは支配的なグローバリゼイションの形を追求したがっている人々が発明した言葉です。いわゆる「投資家の権利のグローバリゼイション」に反対している人々は、グローバリゼイションそのものには反対していません。グローバリゼイションに反対している人を私は誰も知りません。確かに左翼や労働運動もこれには反対していません。彼らは国際主義の概念を基本としており、それも一種のグローバリゼイションだからです。
現代の投資家の権利と国際的な統合の形態に反対する人々は、戦術として資産損壊を使うべきなのでしょうか。私はそうは思いません。それはいくらよく見ても疑わしい戦術です。資産や人々へのいかなる形態の暴力も正当性が示されなければなりませんが、いかなる正当性も見出すことはできません。
コモンセンス:
私たちは日常生活で私たちの理想を一般的にどのように行動に移すべきなのでしょうか。たとえば、あなたはスターバックスでコーヒーを買いますか。
チョムスキー:
スターバックスについて私はよく知らないので、それは答えるのが難しい質問です。しかし、私たちの原則を実行すべきなのかと明らかに問われれば、限界はありますがそうすべきでしょう。人間に害を及ぼすいかなることもせず、いつも聖人のように生活できるとは限りません。それは物理的に不可能なことです。あなたは選択をしなければなりません。世界をよくすためにどのくらいのエネルギーを注ぐのかについて、あなたは優勢順位を設定しなければなりません。それにあなたの100%の時間を当てるわけにはいかないからです。
コモンセンス:
世界の改善、動物の権利と世界的な飢餓のような問題を改善する非常に多くの異なった方法について、活動家はその優先順位をどのように決めればよいのでしょうか。
チョムスキー:
それはあなたの個人的関心やあなたが最も重要だと思うことで行動すべきです。たとえば、世界で最も重要なことは世界を一挙に破壊してしまうかもしれない宇宙の軍事化を阻止することかもしれません。あるいは二,三世代のうちに人間が存在できる条件を破壊してしまうかもしれない環境破壊を阻止することかもしれません。あるいは、米国においてさえ何百万もの飢えた人々がおり、世界中で10億ちかい人々が飢えていることを解決することかもしれません。人々は何が自分たちにとって大切なのか決めなければなりません。そして自分たちは何者であり、自分たちに何ができるのか考えるのです。あなた方はすべての事をできるわけではありません。これらの問題をランク付けする方法はありません。
コモンセンス:
大学の責任は学生たちを教育することであり、学生たちが生活賃金や有害な投資のような「社会的」関心に悩まされないようにすることだと大学側は言っています。これは正しいとあなたは思われますか。マサチューセッツ工科大学でのあなたの経験にはどのようなものがありましたか。
チョムスキー:
大学とは何なのでしょう。それは抽象的な実体しかありません。それはある目的のためにやって来ている人々の集まりであり、その人々には学生や大学の教職員や事務職員がいて、その中味は彼らが決めなくてはなりません。大学の一員としては、私が思うに、私たちの目的のひとつは、人々がきちんとした生活の出来る賃金を受け取れるようにすることででしょう。生活賃金を払うことは大学のすることではなく、教職員や学生がすることであることに注目して下さい。大学は無限の財源ではありません。特定の目的のために使われる一定の財源を大学は持っているだけです。もしひとつの目的のためにそれが使われるならば、別の目的のためには使われなくなるでしょう。だから、もし学生が財源を生活賃金の支払いに充てることを支持するならば、学生は断じてそうすべきだと私は思っています。このお金は無限の財源からは来ていないと理解すべきだからです。これは有限の財源[その大半は授業料または税金]をもつ現存する機関から来ているからです。もしこれらの財源が生活賃金に行くならば、それらは他の使途[たとえば軍事費]に行かないでしょう。
コモンセンス:
大学当局は大学の財源が特定の方法で、つまり学生の教育のために使われていることを確認することが、卒業生やその他の人々への受託者責任だと言っています。
チョムスキー:
彼らはそう言うかもしれませんが、私が思うにはそれは私たちが受け入れるべきでない大学像を受け入れることになります。大学はそれが何をすべきか決める部外者によって所有されている全体主義的な公共施設だと大学側は言っているのです。もし彼らが大学はテロリストの訓練[ex.国家テロリスト=兵士の養成]に使われるべきだと決めたら、それが大学のすべきことになります。私はそれに同意しませんし、誰もそれに同意しないと思います。
大学はそれに参加する人々のことです。確かに大学は営利活動として設立されたのですが、それは私たちが憤慨すべきことです。
もしそれが公立大学ならば、議会が何を大学がすべきかを決める権利を持っていて大学関係者は何も決められないとあなた方は言うのでしょうか。きちんと運営されている大学は、大学関係者の掌中にその決定権を任せています。法的に私立である私の大学を例に取ってみましょう。[この私立大学においてすら]大学理事が大学の講座を指図することに加わるとは誰も考えていません。理事に対応することが大学当局の受託者責任であるのなら、どうして彼らは今述べたようなことをしないのでしょうか。
コモンセンス:
ミシェル・フーコーとのあなたの議論は、左翼にとっても右翼にとっても、ポストモダニズムによって提出された知的挑戦を象徴しているように見えます。ポストモダニズムはアカデミズムの状況では「脅威」なのでしょうか、それともそれは積極的行動主義なのでしょうか。
チョムスキー:
それは30年前のことであり、フーコーが自分自身のことをポストモダニストと呼んでいたとは思いません。そういったことは討論の議題になった問題ではなかったと思います。私はポストモダニズムがどのようなものなのかさえ知りません。自分たち自身をポストモダニストと呼ぶ人々がいます。私は彼らの著作を読みました。ある時にはそれらは興味深く有益だと思いましたが、別の時にはそれらは理解不能で的外れなものだと思いました。彼らの寄稿は、あなたが彼らに与えているレッテル貼りからは離れて、それ自身で評価されなければなりません。ポストモダニズムが何なのか私に聞かれても、私は答えられません。
知識人の世界では人が行っていることを膨らませてしまう傾向があります。大抵それはかなり率直で単純なものです。量子力学という分野がありますが、この分野で何が起きているのか本当に理解するためにはあなた方は特別な訓練をしなければなりません。しかし、そのことに興味を持ちそれを追いかけていてそれを発見しようとしている人にとっては、量子力学で行われている大部分は比較的簡単に理解できるものです。
コモンセンス:
何人かの女性解放論者は、結婚をすることによって人は女性の抑圧システムを永続させていると主張しています。あなたはこれに同意されますか。
チョムスキー:
いいえ、同意しません。私は約53年間の結婚生活をしていますから。確かに抑圧システムになることはあり得ますが、それは選択の問題です。結婚については、本来は何も抑圧的なものはありません。実際のところ、婚姻関係がなくても抑圧的な関係はあり得ます。もしあなたがその議論を本当に追及するならば、セックスを非合法とすべきですし、言語も非合法とすべきです。言語は絶えず抑圧の技術として使われてきました。そうすると私たちは話をすることを止めるべきだということになります。
コモンセンス:
リチャード・ポスナーが最近、国民的知識人のトップランキング100の本を出しました [Public
Intellectuals:: A Study of Decline] 。「国民的知識人」に道徳的な問題について米国人に話しをさせるのは健全なことだとあなたは思われますか。
チョムスキー:
第一に、その本があまりにも愚かな課題を追究しているので、私はそのことについて話しをすることさえできません。その特別な努力の愚かさを脇に置いておくとしても、知識人になることは誰にとっても使命です。つまり人間の重要事項に頭を使いそれに心を傾けることを意味しています。何人かの人々は特権的で力があり通常は体制に順応しているので、公の活動舞台に進む事ができます。だからと言って、彼らが同じ事を考えているタクシー運転手より知的であるとは限りません。タクシー運転手のほうがもっと利口でそのことをもっと理解しているかもしれません。それは権力の問題です。「国民的知識人」とは何なのでしょうか。国民的知識人とは、世の中の主流に乗れる人のことです。どうやってあなた方はその主流に乗るのでしょうか。それは才能ではなく、たいていの場合、体制順応によってです。したがってそれに高い価値はありません。
コモンセンス:
私は有名人の無神論者リストの中にあなたの名前を見たことがあります。「無神論者」としてのご自身の特徴を述べていただけませんか。また今日の社会において無神論者は周縁化されているとお考えですか。
チョムスキー:
宗教的信仰がないからといって、周縁化されていると感じたことはありません。一方、私は無神論者かそうでないのか尋ねられても、それに答えることさえしたくありません。私が無神論者だと思われている説明を先ずしてほしいと思います。私はそのような説明をまだ見たことがありません。
コモンセンス:
前回の大統領選挙ではゴア=リバーマンの選挙運動中に、選挙における弁論で神や宗教が大きな話題になったようですが、何か問題があるとあなたはお考えですか。
チョムスキー:
彼らは私と同じ程度にしか宗教的信仰の厚さを持っていません。しかしもし官職にあなたが立候補したいなら、そして例えばその地域の人々の40%が世界は6000年前に創造されたと信じているなら、あなたは信仰が厚いふりをしなければなりません。しかしよく見れば、ロナルド・レーガンもジョージ・ブッシュもビル・クリントンも私と同じぐらいの信仰心しかないのではないのかと私は疑っています。
コモンセンス:
しかし、信仰が厚いふりをしなければならないのは問題ではないのでしょうか。
チョムスキー:
たいへんに問題です。しかし問題は、彼らが信仰が厚いというふりをしていることだけではありません。問題なのは候補者が広報産業によって作り上げられるような政治システムの中に私たちがいるということです。その広報産業は誰も信じない、誰も信用しない、かつ大衆に大きな意味のある問題を避ける、という立場を取っているということです。大衆に意味のある問題を意図的に避けるのです。なぜなら権力階級つまりエリートと世論の間には意見の違いがあるからです。これがアメリカ民主主義についての問題です。その上、一般の人々はそのことについてよく知っています。
政治家は人々が関心を持っている問題については話をしません。例えば世論調査は、いわゆるグローバリゼイションの問題、つまり貿易赤字や貿易協定や公共の機能を民間の管理に開放することや民営化などが大衆の主要な問題であることを明確に示しているのに、それらの問題は選挙では水面に出てきませんでした。
南北アメリカサミットでの決定が話題となった米州自由貿易圏についての議論もありませんでした。多くの人々はそのことについて知っていました。なぜなら彼らはマスメディアの領域の外で生活し働いているからです。しかし選挙の時には、このような情報を人々から遠ざけておこうとする大きな努力があり、それはメディアの話題になりません。選挙制度で起きることは、「これはあなたがバーで一緒にビールを飲みたいような人ですか」といった類のことです。そして人々は、これは冗談だと知っており、そういうわけで多くの冷笑があります。
コモンセンス:
この数十年のうちにマサチューセッツ工科大学を卒業していった学生たちに何か変化はあるのでしょうか。特に彼らの政治的関心や傾向についてですが。
チョムスキー:
大きな違いがあります。もし40年前にこの大学のホールをあなたが歩いたとすると、白人学生、男子学生、くそ真面目な学生、非常に専門性志向の強い学生を見つけたことでしょう。しかし今日あなたはこのホールを歩くと、学生のおよそ半分は女性であり、おそらく30%はマイノリティーであり、決してくそ真面目な学生でなく、あらゆることに興味を持っている学生がいます。これはこの40年間にわたる大きな変化です。1960年代に大きな変化がありましたが、それ以来その変化は拡大しています。
コモンセンス:
しかし活動家たちは今、過去を懐かしそうに振り返って、ベトナム戦争反対の抗議集会に1000人もの学生を街頭に引き出すことが出来たのに、今は....と言っていますが。
チョムスキー:
何千も、何千もの学生が参加しましたが、現在はベトナム戦争の時のような状態ではありません。しかし積極的行動主義は、1960年代をはるかに超えています。ベトナム戦争反対の抗議はあまりにも限られたものだったので、その戦争が起きたことさえ私たちは覚えていません。2002年3月は、米国空軍が南ベトナム爆撃を開始した、とケネディー政権が公式の発表した40周年にあたる時でした。それは、作物を破壊する化学兵器の使用を開始し、恐ろしい結果をもたらした時でした。2002年3月にナパーム弾の使用を認め、何百万人もの人々を強制収容所に追いやり始めたのです。この40年前に公に始められた戦争、南ベトナムに対する大規模な戦争について、今年の3月に誰かが話しをしたでしょうか。誰もそのようなことはしていません。もちろん、その当時も、誰もそのことを気にする者さえいませんでした。他の国を攻撃することは良いことだったのです。これに対する抗議行動は何年も後に起きました。数十万の米軍が南ベトナム全体で暴れまわって、この戦争が大規模に拡大するまで、ほとんど抗議行動はありませんでした。そうした時点で遂に抗議行動が始まったのです。現在では、 [アフガニスタンの爆撃やイラク侵攻など] 抗議の対象となる事件は十分に悪いので、抗議行動は当時よりも遙かに大規模になっていますが、激しさが当時と比べて小さいのです。
コモンセンス:
この20〜30年のうちに、現在の大学生が言わば世界を動かすようになった時、米国はどこに向かっているのでしょうか。
チョムスキー:
人間に関することで確かなことはありません。[その証拠に] 予測の記録は恐ろしいものです。[記録を見れば分かるように、予測のほとんどは当たっていない。] その理由は、そのような複雑なことを私たちはあまり理解していませんし、その大部分は選択の問題でもあるからです。
数年のうちに進展があって、そのことが米国を大きく変え、これほど文明化された状態になるとは、マサチューセッツ工科大学や米国の他のところを見ても、1960年代には、予測がつきませんでした。それを予測する方法はなかったし、誰も予測しませんでした。
その1960年代は国民的知識人がいわゆる「イデオロギーの終焉」、すなわち、もはや論争もなければ、議論もなく、歴史の終りについて議論をしていた時代でした。今後は、歴史は小さな問題の技術的操作の問題にすぎず、それは専門家によってなされる、というのが考え方の共通の方向でした。これらの専門家たちは次のように説明しました。自分たちはちょっとした手直しをするだけで成長率3%の経済運営をする方法が分かっているので、経済問題はもはやないだろうということでした。したがって、すべての問題は基本的には終わっており、話すことは何もないというのです。
しかし、数年後に米国民は怒りを爆発させました。[歴史を]予測する方法はありません。
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