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チョムスキーとのライブ討論(その3)
2003年11月26日水曜日午後2時
翻訳:寺島隆吉+岩間龍男、公開2004年2月1日
メリーランド州、ホイートン:
米国の権力と行動に憤慨している世界の人々は、イスラエルの完全な破壊とアラブの占領下でのクルド人・スーダン人・他の少数派に対する残忍な仕打ちを支持している人々と同じであるように思われます。彼らは本当は米国の覇権を恐れているのでしょうか、それとも民主主義を恐れているのでしょうか。
ノーム・チョムスキー:
私はその意見には全く同意できません。例えばヨーロッパでは米国の政策への圧倒的な反対があり、イスラエルの破壊への支持は実質的にありません。世界のほとんどの地域においてこれは同じ状況です。
「クルド人の残酷な扱い」に関しては、あなたが考えておられることを明確にすることが重要です。例えば1990年代には、クルド人の群を抜いた最も残酷な扱いはトルコ南東部でありました。そこでは何百万人ものクルド人が家を追い出され、想像し得るあらゆる野蛮な形態の拷問や恐怖のなかで数万人が殺害されました。それは1990年代の恐ろしい最悪の犯罪のひとつです。
そしてその責任は直接ワシントンにまで遡ることができました。ワシントンは武器の80%をトルコに与え、重大な外交上その他の支援を行いました。1997年の1年間だけで、クリントンは冷戦期の総合計を上回る武器をトルコに送りました。これは「国家テロ」キャンペーンの開始まで続きました。この「国家テロ」ということばは、トルコの反体制派によって呼ばれていた言葉ですが、まさにぴったりの言葉ですが、時には政府の大臣でさえもこの言葉を使っていました。
他方、「クルド人の残酷な扱い」に関して、もしあなたがイラクのクルド人のことをおっしゃっているのなら、米国の記録は全く錯綜としたものとなります。1980年代を通じてサダム・フセインの手で最悪の残虐行為をクルド人は受けた時(ハラブジャ、アル・アンファルなど)、サダムはワシントンによって支持を受けていました。
当時のワシントン政権担当者の中には現在再び政権を担っている人々やその直系がいます。そしてそのサダムへの支援は、クルド人に対する最悪の犯罪の後も、イラン・イラク戦争が終わった後も、長い間続けられました。その公式の理由はまったく卑劣なものです。
後にその政策は権益との関係で変わりましたが、それでも錯綜していました。例えば米国(そして世界の他の国々)は、[サダムのクルド人に対する]極悪な毒ガス攻撃の犠牲者に無くてはならない医療援助を拒否しました。この毒ガス攻撃は彼らが基本的に支持したものです。
このような話は他にいくらでもあります。もしあなたが[歴史的な]記録を調べれば、あなたの仮定は成り立たなくなることが分かると思います。そのような記録を調べることを強くお勧めします。
カリフォルニア州、サンディエゴ:
チョムスキーさん、昨晩、『ニューヨークタイムズ』のトーマス・フリードマンは大変な仕事をして興味深い世論調査にたどりつきました。それはブラジルで行われたピュー世論調査で、50%以上のブラジル人はイラク軍が米国に対して十分に抵抗して戦わなかったことに失望したというものでした。
私たちは世界をダビデ対ゴリテアの筋書き[訳注:ダビデに殺されたペリシア族の巨人(聖書)]にしてしまったのでしょうか。もしそうなら、世界とのよりよい関係を促進するために、私たちが唯一の超大国であるという事実をトーンダウンする方法はあるのでしょうか。私がお尋ねしているのは、結局、私たちは世界に敵対しているのでしょうか。何故私たちは世界とうまくやっていけないのでしょうか。
ノーム・チョムスキー:
私はその記者のことも聞いていないし、世論調査も見ていません。その調査は注意深く見たほうがいいと思います。世論調査を解釈するにはかなり注意が必要です。
しかしその反応はほとんど驚くべきことではありません。米国の権力乱用を経験した人々の間では、それに対する途方もなく大きな憤慨があります。例えば私たちがうやむやにしたい事件をブラジル人たちのほとんどは忘れていません。例えば次のような事実です。
ブラジルは以前、穏健な民衆派の大統領を擁していた時がありましたが、米国は軍事クーデターを支援しました(実際は米国が始めたのですが)。そして凶悪なネオナチ的国家安全保障体制の国家を作り、内部からその政権が転覆されるまで、米国はその政権を支援し続けました。
そして不運にもそれが米国国境の南側[中南米]でとてもよく知られている政治パターンなのです。歴史は誤った銃の先端から見るのと逆の側から見るのとでは、たいへん違ったものに見えるのです。
私たちはどうすべきなのでしょうか。まず、過去と誠実に向き合うことです。そして自分たちがやってしまったこと、やっていること、他国の人々が取る態度の理由を理解することです。そしてもし彼らの不満が道理に適ったものであるならば、その不満に答えるよう誠実に行動することです。自分たちが行うべきだと思うことを私はすでに指摘してきましたし、もっと多くのことが著書のかたちで出版されています。
オンタリオ州、ハミルトン:
チョムスキー先生、あなたは何度も米国の主流メディアからほとんど完全に避けられているとおっしゃっています。それにもかかわらず、あなたは今ここにいて、『ワシントンポスト』の招待で(招待されたものと私は推測していますが)このライブ討論に参加をされておられます。あなたはこのような取材をどう説明されますか。あなたのプロパンガンダ・モデルによれば、この種の出来事は実質的に起きないはずですが。
ノーム・チョムスキー:
このフォーラムに出たのはこれが初めてではありません。そしてこれが唯一のものでもありません。
米国のメディアで人前に現れることと他のよく似た社会(例えば英語圏の他の国々)で人前に現れることの間には根本的な違いがあります。それは私だけでなく、「権力者の従順な召使いになる」ことを受け入れないどんな人々にも当てはまります。
(これは現代国際関係論の創始者である著名な米国の学者ハンス・モーゲンソーが米国の知識人に触れた時の言葉の引用です。)
それは世界的なひとつのパターンであり、記録に残っている歴史の起源にまで遡れます。私はそのことについて書きましたが、希なもので大変重要な例外にも言及しておきました。
事実、知識人の勇気や誠実さに頭の下がる国々があります。その例としてトルコがありますが、それについても私は書いたことがあります。
あなたは私の「プロパガンダ・モデル」を読み誤っていると思います。米国が全体主義であり体制従属が厳しく強制されているなどと、私は言っていませんし、それどころか実際そのことを強く否定しています。あなたが触れられた私の共著や他の本で、あなたが主張されていることと全く反対の例を多く引用しています。
[知識人は強制されているのではなく自らの選択として体制従属を選んでいる。これが米国の実態だ。]
バージニア州、アレキサンドリア:
フォリソンの問題が数年前に起きた時、あなたは『ニューヨークタイムズ』でホローコーストは起きたと個人的には信じていると発言されたことが引用されていました。「私は信じている」という条件を付けずに、ホローコーストは起きたと述べれば十分でないのでしょうか。それともホローコーストが起きたかどうかという問題は、理性のある人でも答えが違うというものだとあなたはお考えになっているのでしょうか。
[訳注:ロベール・フォリソンRobert Faurisson。ナチス強制収容所の「ガス室」は実在しなかったと主張したリヨン大学の教員。『チョムスキー世界を語る』(トランスビュー)の222ページ参照。]
ノーム・チョムスキー:
『ニューヨークタイムズ』のそんな馬鹿げた記事を私は思い出せません。もしそのような発言があったとしたら、それは誹謗中傷です。なぜなら、もし私がそんなことを言ったとすれば、それと反対の [ホローコーストはなかった]可能性があることを示唆していることになりますからね。
およそ40年前に私が初めて書き出版された政治的な記述以来の私が書いたものを見る人は誰でも次のことを知っています。そのようないかなる示唆も、『ニューヨークタイムズ』であなたの次のような発言を読んだと私が言っているのと同じことになります。つまり、あなたが子どもの拷問に個人的には反対しているという発言です。[あなたは、このように言われて嬉しいですか。子供の拷問に賛成する誰かが他にいると思われますか。]
ほぼ40年前に書いたことを正確に言えば十分ですし、次のように私は繰り返してしばしば言ってきました。「ホローコーストは人間の歴史上もっとも異常な集団的精神異常の爆発であった。もしナチスの犯罪がなかったとする人々と議論を始めることに同意するならば、それは人間性を失うものである。」
もちろん、すべての事実に関する発言、例えば月は緑色のチーズでできてはいないというような発言には、その前に暗黙の前提として「私は信じる」という言葉がついています。それは発言が事実・経験に基づくものであるということを意味しています。もし私たちがそのことについて真面目になるならば、その結論は数学の大部分にさえ及ぶことになりますが、それはここでは全く無関係なことです。
コロラド州、デンバー:
私は最近イラクでの戦争はその歴史的な理由からベトナム戦争とは違った状況にあるというあなたの発言を読みました。
しかし、メディアの論調を読んだ時、陳腐なものと感じました。現在のそれは「体制側に受け入れられる当時の議論」とまさに同じ範囲にあるものです。
リベラルな人々は「私は侵略を支持しなかったが、今私たちはそこにいるので急いで逃げることはできないし勝利を収めなければならない。」と言っています。右翼の人たちは、侵略は完全に正当なものであると主張し、戦争を批判する人たちは士気を低下させているということで非難しています。
これらの議論はすべて、まず第一に私たちには侵略する権利があり、いったん私たちがそこに行けば「必要な」だけそこに留まる権利があると、前もって仮定しています。
これは1960年代の「公式の」議論とどのように違うのでしょうか。この「公式の」議論は完全に反戦運動の立場を無視するものでした。なぜなら私たちは戦争は不道徳なものであり、[戦争が私たちにとって余りにも金がかかりすぎるものになっているからではありません]、だからこそ止めるべきだと主張してきたからです。
再び反戦運動が「イラクを失った」として非難をされるだろうことは確実に予測することができます。
ノーム・チョムスキー:
ベトナムに関する公の討論はあなたが述べられたとおりでした。重要な事実が議論されたことは決してありませんでした。
特に疑問の余地のない次のような事実は議論されませんでした。すなわち、米国が南ベトナムを攻撃し(それは1962年までに既におこなれていました)、事実上それを破壊してから、インドシナの他の地域の攻撃にまで手を広げたのだという事実です。
イラクの場合は、公の討論はさらに幅の広いものです。その侵略は主流の討論の中でもたいへん激しい言葉で非難されました。アーサー・シュレジンジャーの言葉を私はすでに引用してきましたし、それをさらに詳しく述べることも容易なことです。
したがってその討論はベトナム戦争時とは違っていました。しかしあなたが指摘されているような類似性を私も認識しています。あなたが提案されているように、私たちはその類似性に注意を払わねばなりません。
マサチューセッツ州、グリーンフィールド:
外国での覇権は結局国内での独裁主義を余儀なくさせるということにあなたは同意されますか。現在の状況を考えると、米国の新しいファシズムの局面は避けられないのでしょうか。すでにそのようになっているのでしょうか。
ノーム・チョムスキー:
それはあり得ないことではありませんが、「余儀なく、必然的に」という言葉は望ましくないと思います。一般的に人間に関する諸事についてということですが。
あなたは著名な国際法の専門家リチャード・フォークのいわゆる「グローバル・ファシズム」に関する現在の記事に興味を持たれるかもしれません。
しかし私たちはそのようなことが米国でも外国でも起こることを許してはなりません。
アルゼンチン、ブエノスアイレス:
チョムスキー教授、あなたの思想に関するこの討論会に参加させていただいて光栄です。
何年も前に私たちはアルゼンチンの共通の友人マリア師(修道女)を通じて会ったことがあります。彼女は当時ケネディ・スクールにいました。
私はイラク戦争に関するあなたの発言のほとんどに賛成です。しかし米国とあなた方の民主主義を愛する私のような多くの外国人が驚かされていることは、あなた方の自由を制限しようとする新しい流れです。最近私たちが目撃している、米国愛国法や政府によって取られている他の施策のことです。
JFK国際空港で起きた厄介な状況に私はとても気分が悪くなりました。チリの外務大臣ソウルダッド・アルベアル博士がニューヨークの国連総会に行く時に、彼女は尋問を受けました。これは明らかに国際外交使節に関するジュネーブ条約を侵害するものでした。同じようなことがバチカンのアーカイブ・アンド・ライブラリーの館長、ジョージ・メジア枢機卿にも起きました。
もしこんなことが米国と外交関係のある国の高官で起きるのであれば、現在の規則で適法とされるパスポートや文書を完備している普通の旅行者に、何が起きるか分かりません。
その上、PNAC「新しい米国の世紀のプロジェクト」の人々は全体主義的であり、ある種の「偉大な兄弟」=オーウェルの全体的主義的シナリオがあなたの素晴らしい国に押し付けられるのではないかと懸念しています。
これはあなた方のすべての制度の衰退とあなた方の建国の父祖の遺産の破壊につながるでしょう。
米国第2代大統領ジョン・アダムスは、「米国は人間[独裁]ではなく法律[正義]の帝国の下にいるべきだ」と述べましたが、現在私たちはその反対のことを目撃しています。
[訳注:Big Brother「兄貴」という意味。ジョージ・オーウェルの「1984年」から、世界は三大国にわかれていて、オセアニアの圧制者のリーダーは。"Big
Brother is watching" 「ビッグ・ブラザーがあなたを見守っている」は今、政府や有力者がすべての人々を見ているという風に使われている。出典『英辞郎』。]
ノーム・チョムスキー:
お手紙ありがとうございます。私たちの共通の友人にもよろしくお伝え下さい。
あなたが心配されていることはまさに正しいと思います。そのようなことが他にも多くあります。グアンタナモ湾で起きていることは全く不名誉なことです。
私の最近の著書『覇権か生存か』の中で、私は現政権によって採用されている方法についてのウィンストン・チャーチルの考えを引用して次のように言いました。
つまり、それらはおぞましい事であり、ナチであろうがコミュニストであろうがすべての全体主義の政府の基礎となるものだ。
(私は記憶を頼りにしているので引用を使っているわけではありませんが、語句はともかく内容は合っているとはずです。)
しかし、いま起きていることを誇大視するのもいけないでしょう。現在ここで起きていることはたいへん悪いことですが、過去において起きたことは、この比ではありませんでした。つい最近のものでも同じことです。(もっとも顕著なものとしては、15年続けられた「対敵情報活動計画」Counter Intelligence Program作戦があります。裁判所によって禁止されるましたが。)あるいは、ウイルソン大統領時代の赤狩りも確かにそうでした。
そして世界の他の国々で起きていることも、そんなに違いはありません。何世紀にもわたる困難な闘いで勝ち取られた自由の遺産を守るため大衆の側ではたいへんに大きな努力があります。これは上から与えられる贈り物ではないのです。
あなたが述べられているような事件やさらに悪い事件は起きるものですが、自覚した大衆によって阻止しなければなりません。自由という特権をたとえ制限されたかたちでしか与えられていないとしても、その人々は(豊かな国では大多数を占めているのですが)世界の標準から見れば、並外れた自由があるというのは紛れもない事実です。そのことに自己満足することはないにしても、心に留めておく価値はあります。
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