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国家支配と知識人
『アントソフィア』によるチョムスキーへのインタビュー
ZNet, 2003年8月29日(Antosofia, No. 2, Fall, 2003;Mimesis Edition:
Milan)
翻訳:寺島隆吉+岩間龍男、公開2003年9月12日
● マックス・シュティルナー、ミシェル・フーコー、アントニオ・ネグリなどの知識人をチョムスキーがどのように考えているかを知るのに格好のインタビューです。メキシコ先住民の抵抗組織サパティスタの代表的理論家マルコスとも対比されているところ、ブラジルの現状を「仮想議会」という用語で説明されているところも興味深いのではないでしょうか。 (寺島)
● 難しい用語・概念を使って物事を複雑に見えるようにすることはできます。これは知識人たちが行うゲームの一部で、物事は複雑に見えなければならないのです。あなた方はそのようなことにお気づきでないかもしれませんが、それが威光や権力や影響力を得るひとつの方法です。(チョムスキー)
● 知識人はしばしば批判的な見せかけを示しますが、たいへんにその批判は限定されたものです。例えば、ベトナム戦争を「親切な意図」で始めたのだが「失敗だった」として批判するかもしれませが、その戦争は「失敗」ではなく「基本的な間違い」で「不道徳なものだった」と述べるのは行き過ぎになります。(チョムスキー)
● テロリズムについても同じ事が言えます。テロとは彼らが私たちに対しておこなう暴力行為であって、私たちが彼らに対しておこなう行為はテロではないのです。これは一般に認められている論法であり、簡単に論証できることです。これはおそらく歴史的に普遍的なことです。そして他にも無数の具体例があります。(チョムスキー) |
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質問者:
昨年、私たちは「支配の系譜」と呼ばれる学生によって作られたセミナーに取り組みました。私たちはマックス・シュティルナー、ジョルジオ・アガムベン、ミシェル・フーコー、エチエヌ・デ・ラ・ボエシー、ハンナ・アレントを学びました。
私はマックス・シュティルナー Max
Stirnerの『唯一者とその所有』The
Ego and Its Ownに取り組みました。彼は、言語は訓練上の効果があると信じています。なぜなら言葉を通じてイデオロギーに直接向かうからです。だから、この種の言語から自らを解放し、革命ではなく個人的な反抗をすべきだとシュティルナーは言っています。これはあなたの自由で創造的な言語観とは何か異なっています。このことについてあなたはどうお考えなのか知りたいのですが。
[訳注:マックス・シュティルナー、1806年、ドイツのバイロイトに生まれる。ベルリン大学で学ぶが中退。ヘーゲル左派の最北端に位置し、『唯一者とその所有』で一躍その名を轟かせる。インデビヂュアル・アナキズムとかニヒリスティック・アナキズムとして分類されることが多い。]
チョムスキー:
私が思うには、シュティルナーは言語を使って言語を混乱させています。私が言いたいのは、彼の考えは、ハンマーは拷問者によって使われることできるので、ハンマーから自分自身を解放しなければならないかどうか聞いているようなものだということです。確かにハンマーは拷問者によって使われることができますが、家を建てるのに使えます。ハンマーの使用は私たちが注意すべき事ですが、言語は抑圧にも解放にも注意をわきにそらすことにも使えます。彼の考えは人の手は人々を抑圧するために使えるので、あなたは自らを手から解放しなければならないと言っているようなものです。しかしそれは手の過失ではありません。
質問者:
左翼の活動家にとって米国は非常に住みにくいところです。私はあなたの国ではあまり快適ではないと感じています。米国の活動(行動主義)の状況はどのようになっているのでしょうか。
チョムスキー:
状況は本当に複雑です。労働者に根ざした団体や政党はありません。人々は完全に引き離され、この接触がないことが真の問題です。忘れてならないことは、米国史の全てを通じてマルクス主義の運動は決して強くありませんでした。独立したマルクス主義者が影響力を得る雰囲気はありましたが、国の主要な地域ではこれは起こりませんでした。
また米国政府は極端に急進的な国粋主義の集団で、ヨーロッパのファシズムと類似点があります。米国政府は軍事力の大きさの圧倒的な優位に依存して、「帝国の野望」を宣言しました。そして金持ちと私的権力者という狭い階層の必要性に献身している点では異常なものがあります。
米国の人々は本当に一生懸命働きます。どの先進的な産業社会の人々より一所懸命働きます。そしてこのことは多くのストレスを引き起こしています。人々はいつも仕事のことを心配し、恐怖心を持って生活しています。米国内には多くの犯罪がありますが、同じような社会とほぼ同程度の犯罪数です。しかし犯罪に対する恐怖は、はるかに高いのです。多くの点で、米国は世界で最も恐怖心を持った国民です。
その上、活動(行動主義)のレベルは、想定する米国の地域によって変わってきます。米国は多くの異なった傾向を持つ大変複雑な国です。例えば、私は先週、米国で最も大きな大学にいました。この大学は必ずしも米国のリベラルの中心地ではありません。テキサスでしたから。ヒューストンとオースチンに私はいたのですが、地域社会や大学を拠点にしたあらゆる活動がありました。
米国議会がイラクへの武力使用を認めた後、テキサスの大学では、その抗議に何千もの人が関わっていましたし、学生自治会は強い戦争反対の決議を上げていました。国中で同じようなことが見られます。そしてその水準は全く前例のないものです。戦争が公式に始められる前に、そのような抗議は今までには決してありませんでした。
戦争と平和の問題は、幅広い範囲の問題や関心事に関わっている幅広い大衆運動の、形を成しつつあるひとつの要素にすぎません。
質問者:
私は、商店やバーや映画館には、「私たちは決して忘れない」と書いた9.11に関する同じポスターがあることに、強く印象付けられました。ヨーロッパなら恐らく「私たちは常に記憶する」と書いていたでしょう。米国の広告では、復讐への好みがあるようですが....。
チョムスキー:
あらゆる種類の異なった反応があります。つまり、9.11直後には大多数の人々がアフガニスタンへの攻撃を望んでいると報道されました。それは普通の感覚でしたが、今なら大多数の同じ人々が外交上の解決を求めるでしょう。
質問者:
あなたの文章では、世界は「仮想議会」によって支配されていると書かれていますが、そのことについて何かもう少し教えてもらえますか。
チョムスキー:
その言葉は私のものではありません。国際経済学の専門的な文献から借用したものです。「仮想議会」virtual senateは投資家と金融業者から成り立っています。彼らは、経済の根元を堀崩す資本流出・通貨攻撃・その他の方法によって社会経済政策を効果的に決定することができます。それは過去30年間、新自由主義の枠組みによって与えられてきたものです。
現在それをブラジルで見ることができます。「仮想議会」は次のような保障を望んでいます。すなわちカルドーソ内閣が新自由主義政策を変えないという保証です。この政策によって外国の投資家と国内のエリートが大きな利益を得ているからです。国際的投資家、高利貸し、銀行、IMF、国内の富裕層などは、対立候補ルーラが選挙で勝利するかもしれないと認識するとすぐに、彼らは通貨に対する攻撃や資本流出そして他の方法で反撃を行いました。これは国を締め付け大多数の人々の意思が実行に移されるのを防ぐためでした。
ルーラが基本的に国際的新自由主義の体制からはずれることができないだろうという確信を彼らが再び持った時、彼らは緊張を和らげルーラを歓迎しました。彼らが表現しているように、ルーラはブラジルを安全な状態にすると人々を安心させました。言語の特別な使い方には二つの側面があるのです。もしブラジルを財政投資家にとって安全なものにしておくとしても、それはブラジルをブラジル人にとって安全なものにすることになるのでしょうか。
政府はエコノミストが言うところの「二重の選挙区」つまり有権者と仮想議会と向き合っているのです。ルーラ大統領候補はブラジルを人々にとって安全にすると国民に約束しましたが、IMFはブラジルを自分自身の選挙区つまり「仮想議会」にとって安全にしておきたがっています。お金がブラジルに入ってくるよう、選挙の直後にIMFは行動するでしょう。ただしこれは、ルーラ候補が債権者に従う限り、ということです。
これが金融自由化その他の施策の効果です。だからこそ、ひとつの国の社会経済政策を決める支配的な力として「仮想議会」を設立したのです。そのことは人々が自分の国によってなされる決定を自分で支配できないことを意味しています。資本自由化のひとつの結果はかなり明瞭で、民主主義を破壊するのです。
質問者:
これ[ルーラ大統領の誕生]は世界の左翼にとって大きな勝利です。ブラジルはとても大きな国で....。
チョムスキー:
私はルーラ候補に多くの敬意を持っていますが、問題は彼に[国内政策を]操作する余地がほとんどないことです。もっとも彼にはいくつかの選択肢があります。IMFの掌中であっても、とにかく名目的には首長になることができるわけですから、ブラジルにとって何かよい事ができる可能性はあります。まず殺されなければの話ですが....。
質問者:
殺されないことを私たちは願っていますが....。
チョムスキー:
ルーラ大統領候補は国内開発のために資源を使うことができるでしょうが、無秩序な資本移動が個々の政府の進歩的な施策を行う試みを台無しにするために効果的に使えます。経済を刺激したり医療のための費用を増加させようとするいかなる国も、IMFの規範を逸脱する、そういった行為は即座に資本流出によってひどい目にあわされる可能性が極めて高いのです。
[訳注:2003 年 1 月ブラジルにルーラ労働者党政権が誕生した。順調な立ち上がりで現在のところ政権は内外の信頼を勝ち得ている。詳しくは下記を参照のこと。第1章 ブラジル労働者党政権の開発政策と援助
... ]
質問者:
ある程度の違いはあるかもしれませんが、「仮想議会」の概念はネグリとハルトの「帝国」の概念と似ているようです。Michael Hardt & Antonio
Negri, Empire (Harvard University Press, 2000)。
[訳注:アントニオ・ネグリは、政治哲学者であり、既成左翼と一線を画する労働運動(アウトノミア運動)の理論的指導者として知られる.。左テロ組織との関係を疑われ1983年にフランスに亡命、97年に服役を決意してイタリアに帰国する。その後に刊行された共著『帝国』は、ネグリ自身による解説によれば、グローバル市場での秩序形成の本質が、国民国家の枠組では制御できなくなった労働運動に対する資本の再編による「帝国」の構築にあるとし、プロレタリアートに代わる運動主体として“multitude”という概念を用いつつ「帝国」の理論化を試みた著作である。ディプロ2002-8
- Refonder la gauche italienne]
チョムスキー:
「帝国」ですね。正直に言って、それは読むのがとても難しいものでした。私は部分的にしか理解できません。私が理解できたことはかなりよく知られていることで、もっと簡単に表現できるように思えます。しかし、何か重要なことを私は読み落としているかもしれません。
質問者:
はい、その本はあなたと同じ結論にたどり着いていますが、もっと複雑で読みにくいものになっています。
チョムスキー:
もし人々がその本から何かを得るならば、それはそれでいいでしょう。私が理解できたことはかなり簡単なことのようですから、これは批評にはなっていません。私は簡単な方法で言えることを、複雑な方法で言う必要性が分かりません。
物事を複雑に見えるようにすることはできます。これは知識人たちが行うゲームの一部で、物事は複雑に見えなければならないのです。あなた方はそのようなことにお気づきでないかもしれませんが、それが威光や力や影響力を得るひとつの方法です。
質問者:
フーコーの作品もそのようなお考えであなたは見ておられますか。
[訳注:フーコー(Michel Foucault)[1926〜1984]フランスの哲学者。コレージュ-ド-フランス教授。構造主義の代表的な思想家。著書に『狂気の歴史』『言葉と物』『性の歴史』などがある。]
チョムスキー:
フーコーは興味深い事例です。彼はきっと誠実に権力の土台を掘り崩したいと願っていると思うのですが、彼の叙述で権力を補強してしまっていると思います。
フーコーを理解できる唯一の方法は、あなたが大学院生で大学の授業に出て彼の独特の論説のスタイルに慣れることでしょう。そうすれば彼の論説が理解できるのでしょうが、それは彼の目的でないかもしれません。しかしそれが、知識人が権力や威光や影響力を持つことを保障する方法なのです。
何かについて簡単に言えるのなら、隣の大工さんでも理解できるように簡単に言うべきです。いやしくも人間の事柄について理解可能なことは何でも、かなり簡単なことなのですから。
フーコーは本当に面白いと思いますが、彼の表現法については疑いを抱いています。私は彼の言っていることを暗号解読のように読解しなければなりません。そしてその解読の後、おそらく私は何かを読み落としているでしょう。読み落とした点の重要性が私には分かりません。
実際、私は彼が話していることを今まで理解したことがありません。つまり、彼が使う難解な言葉を取り上げて、私が理解でき使用できる言葉に置き換えようとした時、それが出来ないのです。私には彼のすべての叙述は過度に入り組んでいて非常に抽象的なものに映ります。
しかし、難解な点を読み飛ばして現実の事例にまで降りていこうとすると彼の理論はどうなるのでしょうか。フーコーやこの種の理論の困った点は、それが現実の世界に戻った時に起きます。実際、彼の作品の重要性を私に説明できる人が誰もいません。
質問者:
知識人は理論や展望から自らを解放すべきだとあなたは思われますか。例えば、ザパティスタやマルコスのように。
[訳注:メキシコではこのところ「サパティスタ」と呼ばれる覆面集団の話題で持ちきりだ。彼らは、約1億人のメキシコの人口のうち25%(一説には10%)を占める先住民(インディオ)の権利を守ろうとするゲリラ組織である。彼ら自身は、貧しい先住民が多く住む南部のチアパス州の人々で、自分たちが住む38ヶ村に対する中央からの支配を拒否して1994年に武装蜂起し、軍に攻撃されながらも村の自治を守ってきた。サパティスタの蜂起を成功に導いたのは、この組織の戦略立案者やスポークスマンをつとめる指導者「マルコス副司令官」の能力によるところが大きい。今やメキシコで彼の名を知らぬ者はおらず、彼は行く先々でスーパースターのような扱いをうけている。詳しくは田中宇HPメキシコを動かした先住民の闘いを参照。]
チョムスキー:
マルコス自身の思想は興味深いものですが、「理論の欠如」のようなものありません。つまり、ある種の信念や目標や展望などを設定し、何らかの社会分析に積極的に関わろうとしています。拷問に対する見解を表明しようが言論の自由に対して意見表明しようが基本的姿勢は同じです。実際、全く表面的なことでなければどのような問題についてもよいのです。
質問者:
私はあなたのテキスト「目標と展望」Goals and Visions のことを考えていました。目標に集中し展望は忘れることが、時には、より重要だと思うのですが...。
[訳注:"Goals and
Visions", in Powers and Prospects. Cambridge, MA: South End
Press, 1996.
(http://www.zmag.org/chomsky/pp/pp.html).]
チョムスキー:
どちらも忘れる必要はありません。バランスの問題です。あなた方は選択をすべきです。つまり親しい私の友人は私とは随分違った選択をします。例えば、Z Magazineのマイケル・アルバートは未来像を詳しく説明することが大切だと考えています。私が感じるのは、そのやり方が分からない場合に、展望を語ることが目標を詳しく説明することより重要ではないと感じられるということです。これらは妥当な優先順位は何かという考察の問題であり、当然のことですが、違った人々にとっては確かに違ったものとなります。そのことについて一般的に「正しいとか誤っている」ということはありません。
質問者:
知識人の役割についてあなたが話をする時、第一の義務は自分自身の国のことに集中することだとあなたは言われます。このことについて説明いただけますか。
チョムスキー:
最も初歩的な道徳的公理は、自分自身の行動によって引き起こされる結果にあなた方は責任があるということです。ジンギス・カンの罪について話をすることはよいことなのでしょうが、それについてあなたが出来ることはあまりありません。ソ連の知識人が米国の犯罪にエネルギーを注いでも実際、彼らはそのことについて何もできません。それは、彼ら米国人の仕事だからです。
「第一の義務は自分自身の国のことに集中することだ」と認識している人々を私たちは尊敬します。そして面白いことに、公けの敵[の場合には公理は本当に公理なので、誰も説明を求めません。[たとえば、ソ連の知識人が米国の犯罪にエネルギーを注いだ場合、「他人の国のことより自分の国の犯罪にエネルギーを注げ」と言うわけです。]
彼らが論争的になり、時には怒り出しさえするのは、その公理が自分たちに適用される時です。[たとえば、米国人が米国の犯罪にエネルギーを注ぐと「自分の国を誹謗中傷するのか、非国民め!」と言われるわけです。]しかしそれらは公理のままです。[つまり公理は現実に適用されないで公理のままですから人畜無害となります。]
その公理は実際、ソ連の反体制派にとってより、私たちに対して適用されるべきものです。理由は単純です。というのは、抑圧的な国家に住むソ連の反体制派の知識人と違って、私たちは自由な社会にいて、抑圧に直面することがなく、政府の政策に実質的な影響を与えることができるからです。したがって、もし私たちがその公理を採用するのであれば、私たちのエネルギーと献身を最も注ぐことの出来る場所にすべきです。既に述べたように、公けの敵=ソ連の反体制派に比べれば、その説明はもっと明白です。
ところが当然、その公理が自分たちに適用される時には、その公理は嫌悪感を抱かれます。テロリズムの場合にそのことが劇的に見られます。実際、私は米国の多くの知識人の中で「社会の敵ナンバー・ワン」だと考えられています。これは、「米国は世界の主要なテロリスト国家のひとつである」と私が述べたからであり、この主張は明確な事実であるにもかかわらず、左翼のリベラルな人を含め、多くの知識人には受け入れがたいものだからです。
というのは、もし上記のような事実に直面した場合、初歩的道徳的な責任を引き受けさえすれば、自国のテロ行為について私たちは何かできるでしょう。そのテロは私たちが行なっているもので、それは私たちに責任があるからです。他方、公けの敵[ソ連]の犯罪を非難することで自分たちを賞賛しても、私たちはそのことについてほとんど何も出来ないでしょう。
私生活についても言えることですが、初歩的な誠実さはしばしば心地よくないもので、その初歩的な誠実さから巧みに逃げようとする人々がいます。歴史を通じて、しばしばそういったことが彼ら知識人の仕事になりかけたことがありました。知識人は一般的には支配的な制度の中に組み込まれていて、彼らの特権や威光は、権力中枢の利益に適応することで得られるからです。
知識人はしばしば批判的な見せかけを示しますが、たいへんにその批判は限定されたものです。例えば、ある知識人は、ベトナム戦争を「親切な意図」で始めたのだが「失敗だった」として批判するかもしれませ。しかしその戦争は「失敗」ではなく「基本的な間違い」で「不道徳なものだった」と述べるのは行き過ぎになります。
1960年代の終わりごろまでには、大衆のおよそ70%がこの立場[ベトナム戦争は“失敗”ではなく“間違い”だったという立場]を取っていて、今日までその姿勢は変わりませんが、知識人の場合、この立場はごく限られた周縁の人々のものでした。
テロリズムについても同じ事が言えます。テロとは彼らが私たちに対しておこなう暴力行為であって、私たちが彼らに対しておこなう行為はテロではないのです。これは一般に認められている論法であり、簡単に論証できることです。これはおそらく歴史的に普遍的なことです。そして他にも無数の具体例があります。
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