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米国と中東について
ハウズヒーン・O・カリームによるノーム・チョムスキーのインタビュー
『コーマル新聞』2004年1月2日
(翻訳:寺島隆吉+岩間龍男+寺島美紀子、公開2004年3月22日)
米国政策への批判者としてあなたはどんな政治的派閥に属していらっしゃいますか。
あなたの著作のいくつかで、あなたは言いました。米国の権力が大きくなっているので将来の希望は全くないと。何故あなたは悲観的な人間なのでしょうか。
あなたをイスラエルに反対するもっとも過激なアメリカ人だと批判する人がいます。またユダヤ人としてあなたは自分自身を憎んでいるのだという人もいます。どのようにしてあなたはイスラエルを批判するようになったのでしょうか。
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米国政策への批判者として、あなたはどんな政治的派閥に属していらっしゃいますか。
民主党か共和党かという意味でなら、答えはどちらでもありません。
米国は基本的にはひとつの党しかない状態であると、しばしば政治学者によって指摘されてきました。すなわち、民主党と共和党という2つの派閥をもつ財界政党であるということです。
国民のほとんどがそれに同意すると思われます。
時には80%を超える非常に高いパーセンテージの人が、政府は「わずかの人々や特別利益団体」にだけ役立っていて、「国民」にではないと考えています。
競い合いになった2000年の選挙でも、約75%がほとんど道化芝居で、自分たちには全く関係のない、金持ちの寄付者や党幹部や宣伝産業によって演じられたゲームであると見なしました。宣伝産業は得票獲得のため候補者たちに無意味なことをしゃべるように訓練したのです。
これは実際の選挙以前のことで、実際の選挙では一般投票の半数以下の支持しかなく、ブッシュは詐欺的に選出されたと告発されています。
これらの点に関し私は国民大多数の意見に同意したいと思いますし、より民主的な文化を作るための、なすべき重要な課題があると考えています。民主的文化のなかでこそ選挙はさらに意味あるものとなり、一般民衆による進行中の政治参加もまた意味あるものとなるからです。
より真面目な主流の政治学者たちは米国を「民主主義」としてではなく、「ポリアーキー(多頭政治)」として描きます。すなわちエリートの決定と定期的な大衆の承認というシステムです。
20世紀アメリカ社会哲学の第一人者ジョン・デューイの結論に確かに大きな真実があります。彼の主要な仕事は民主主義についてですが、その結論というのは、主要な経済制度の民主的運営があるまでは、政治は「大企業によって社会に投げかけられた影」になるだろうというものです。
イラクと中東にアメリカが駐留する目的は何ですか。
主要な目標は、異論を挟む余地なく、イラクを含めてペルシャ湾岸地域の膨大なエネルギー資源を支配することです。
それが、イラクという国がイギリスによって作られたとき以来の、西側工業大国の主要な関心事でした。それはイラクの石油埋蔵量がイギリスの手中にあることを保証し、新興国家イラクが湾岸に自由に接近するのを妨げるものだったのです。
当時、米国は世界情勢の主役ではありませんでした。しかし第2次世界大戦後、米国はずば抜けて支配的な世界的強国になり、中東のエネルギー資源の支配は主要な外交政策になったのです。その前任者たちにとってそうだったのと同じように。
1940年代に米国の立案者たちは、(彼らの言葉によれば)湾岸のエネルギー資源が「戦略的政治権力の驚くべき資源」であり「世界史における最大の物質的貴重品のひとつ」であると認識していました。
当然のことながら、彼らはそれを支配しようとしました。しかし長年の間彼らはあまり自分で使用しておらず、将来的にも、米国情報機関によると、米国自体は、より安定した大西洋内湾(西アフリカと西半球)資源に依存するだろうということです。
それでもなお、湾岸の資源を支配することに非常に高い優先順位をおいているのは、当分のあいだ湾岸が世界のエネルギー需要の3分の2を供給すると予測されるからなのです。
主要な石油産業のひとつの歴史が事態を物語っているように、石油への貪欲さが「夢の域を超えた利益」を生むことは事実ですが、そのことは別としても、その地域は依然として「戦略的政治権力の驚くべき資源」すなわち世界支配のテコとなっています。
湾岸のエネルギー資源を支配することは敵の行動に対する「拒否権」を与えます。これは指導的な政策立案者ジョージ・ケナンが半世紀も前に指摘していたことです。
ヨーロッパとアジアは非常に良く理解し、エネルギー資源に独自に接近する手段をながく模索しつづけてきました。中東と中央アジアに権力を得ようとする策略のほとんどが、これらの問題に関係があります。
その地域の諸国民は、受動的であり従順である限り二次的なものとみなされています。少なくとも彼らが自分たちの歴史を記憶しているのならば、クルド人と同じくらいこのことを知っている人はほとんどいません。
米国の政策立案者たちは確かにイラクに従属国を作るつもりなのです。可能ならば民主主義形態をもつものですが、それは単に宣伝目的のためです。
しかしイラクは、もしあまりにも独立を模索するようなら、イギリスが当時その地域を管轄していたときに「アラブの前衛」と呼ばれていたような背後にイギリス権力をもつ従属国なるでしょう。それはここ1世紀の間、その地域のおなじみの歴史です。
それはまたここ1世紀の間、米国が西半球にある自分の領土を管轄するやり方でもあります。それには、いかなる奇跡的変更も、その兆しもありません。
米占領軍はイラクにどんな主権国家も受け入れないような経済計画を強要してきました。それは実質的にはイラク経済が西側(ほとんどは米国)多国籍企業と銀行によって引き継がれ支配されることを確実にするものです。
それが課せられてきた諸国にとっては、それは悲惨な政策でした。実際、そのような政策は今日の裕福な諸国と元植民地の間の今日的な鋭い違いの主要な理由なのです。
もちろん、いつもその「前衛」を運営することに協力することによって自らを豊かにしている勢力がその国の内部にあります。
米軍の占領以来、今までのところ、石油産業は外国の奪取から逃れてきました、それはそれがあまりにも露骨になるからです。
しかし注意が別のところに向けられた時、それはその方向に向く可能性があります。[つまり、何かの事件をきっかけに石油産業も略奪されていくでしょう。]
さらにワシントンは既に「米軍地位協定」を強要する予定であると発表しています。それは米国に軍事基地・イラク駐留軍を維持する権利を与えるものです。決定的なことは、それが世界主要エネルギー資源の中心地における第一に安定した米国軍事基地になるということです。
アメリカの歴史と政策の専門家として、クルド人がイラクにおけるアメリカの計画に完全な期待をかけ信頼をおくのは適切だと思われるでしょうか?
誰かを信用することについては、有名なクルド人の諺を、私よりもあなた方のほうがよくご存知でしょう。それは誰にとっても同じように有効です。
が、自己の歴史に熟知しているクルド人には、彼らが1975年に米国によってどのように裏切られたのかを思い出す必要すらないでしょう。そのときクルド人はイランで米国の従属国に=イラクよって虐殺されるままになっていました。
またサダム・フセインが最悪の残虐行為をしている期間を通じて、そしてイランとの戦争が終わったずっと後になっても、現在ワシントンを任されている人々が、サダム・フセインを支援していたことなども思い出す必要がないのです。
そのとき、ブッシュ・シニア政権は公然と次のように宣言し、フセインを支持する理由を述べたのです。つまり、米国の輸出業者たちを支援するのが米国政権の責任だというのです。もちろん彼らは友人サダムを支援することがいかに人権と地域の「安定」に貢献するのかといういつものレトリックを付け加えていましたが。
これらの人々、現在ワシントンの権力の座にある人は、1991年の[シーア派とクルド人による]反乱をサダムが押しつぶした時にもサダムを支援しました。その反乱は暴君[サダム]政権を転覆してしまったかもしれないのに、フセインを支援し政権を支えたのです。
彼らは再びその理由を次のように説明したのでした。その理由は、「ニューヨークタイムズ紙」によれば、米国にとって「世界最良のもの」とは、サダムがやっていたまさにその方法でイラクを支配する「鉄拳軍事政権」であり、またサダムを転覆させようとしている人よりも、イラクの「安定」に対する希望をサダムが提供している、というわけでした。
現在、米国政府は南部の大量墓所とハラブジャでの虐殺に憤慨するふりをしていますが、それこそ純粋かつ見え透いた詐欺です。それは、その残虐行為が起こった時に彼らがどう行動したのか見ることによって明らかです。
もちろん彼らはそのすべてを知っていたのですが、全く気にかけませんでした。しかも、その後ハラブジャ大虐殺について憤っているふりをしながら、この十年間、彼らはどれほどの医療援助を犠牲者に供給してきたというのでしょうか。それどころか、この事件は米国とは何の特別な関係もないものとされているのです。
不幸なことですが、それが、権力システムが機能する標準的なあり方なのです。国内の知的階級が高い理想を掲げ適切な口実で権力システムを守ってくれるだろうことを知っているので安全なのです。
ヒトラー、日本のファシスト、そしてさらに言えばサダム・フセインのような最悪の大量殺人者にさえも同じことが言えます。
弱者にとっては、権力システムに信頼を置くことはただ単に大災害を求めることになります。彼らは強力な国家に協力することを選択してもよいのですが、もしそうするならば、彼らは幻想なしにそうべきなのです。
そしてもう一度言いますが、このことをクルド人が一番よく知っています。イラクにいるクルド人だけでなく、トルコや他の地域のクルド人も最もよく知っています。
米国はイラクで大量破壊兵器を見つけられませんでした。現在は中東に民主主義を実現するということを話題にしています。この計画は成功するでしょうか。彼らの言う民主主義は本物でしょうか。
大量破壊兵器を発見することに失敗して、ワシントンはプロパガンダを「民主主義の確立」に変えました。それは「“唯一の問題”がサダムが武装解除するか否かだ」という当初の主張が偽りだったことをはっきりと証明することになります。しかしたいへんに従順な知識人階級と忠実なメディアがいるので、道化芝居は何の困難もなく進んでいくことができるのです。
新しいプロパガンダの主張を評価するために、分別のある人は次のようにたずねるでしょう。「民主主義への切望」を宣言する人々が、どのように実際に行動してきて、そして彼らの利害が危険にさらされている今日どのように行動するのかと。
私はその記録すべてに目を通すつもりはありませんが、この主張を検討することに関心を持つ人々は必ずすべてに目を通すべきです。そして彼らは発見するでしょう。「民主主義」が認められていても、それは「トップダウン形式の民主主義」である時のみであり、その中では米国経済および国家利益に協力するエリートたちが支配を保持するのです。
私はたまたまラテンアメリカの民主主義に関する権威者の一人の言を引用していますが、彼は内部の人間として書いているのです。彼はレーガン政権時代の「民主主義啓蒙」プログラムの任に当たりましたが、それは中央アメリカを荒廃させ、中東と南アフリカに恐怖の痕跡を残しました。
さらに同じ政策が少しの変更もされずに今日も追求されています。米国はウズベキスタンに民主主義をもたらしていますか。あるいは赤道ギニアはサダム・フセインと匹敵する怪物に同じように支配されていますが、米国はウズベキスタンに民主主義をもたらしていますか。それどころか、その怪物はブッシュのホワイトハウスに温かく歓迎されています。なぜなら彼は非常に大きな石油のプールの上に座しているからです。
宣伝システムによって民主主義を「夢想的に」追求する指導者として描かれているポール・ウォルフォイツを見てみましょう。彼の「心臓は」、貧しいイスラム教徒の受難を引き受け、そのために「血を流している」というのです。
おそらくそれは、なぜ彼が現代最悪の大量虐殺者・拷問者のひとり=インドネシアのスハルト大統領の主要な擁護者のひとりだったのか、そしてスハルトが内部の反乱によって打倒される直前の1997年までずっとスハルトを賞賛し続けてきたのかを説明しています。
そのような行為を続けることはあまりにも容易なことなのです。金持ちで権力のある人にとって、自らについての幻想を持つことは満足を与えるものであり都合のよいものです。多くの人は自分たち自身を誉めそやすことは全くもって快適なことだと知っています。それが歴史の至る所で行われる知識人の主要な役割であるのです。
弱くて無防備な人にとって、幻想を信じることは賢明な方向ではありません。数世紀に及ぶ帝国の実践の犠牲者は確実にそのことを理解すべきです。
国家安全保障を守るためだという米国の現在の戦争は合法的でしょうか。米国の安全保障をあなたはどうお考えですか。
米国の安全保障はテロと大量破壊兵器(WMD) によってのみ脅かされています。両者は遅かれ早かれつながる可能性があり、おそらくぞっとするような結果をもたらすでしょう。
米国と他の情報機関と独立した外交政策アナリストたちは、イラク侵略はテロの増加とWMD拡散につがるだろうと予測しました。そしてその予測は既に証明されたのです。その理由は明らかです。
世界支配の権力者は、2002年9月の国家安全保障戦略において、信頼に足る口実や国際的な許可がなくても、攻撃したいと思えば誰でも攻撃するという意図を発表しました。
そのとき、その権力者は、言ったことが本気だということを世界に証明しようと、直ちに「モデル作戦」に着手をし始め、重要な国[イラク]を侵略しました。当然その国は事実上、無防備であることが分かっていました。
これを見て、狙われた標的は「ありがとう、どうぞ私の喉を掻き切ってください」などと言いません。むしろ彼らは[核兵器などの]抑止的手段に手を出し、そして時には復讐するようになるでしょう。
誰も米国と軍隊で戦うことはできません。米国は米国以外の世界中をあわせたのと同じほどお金を[軍事力に]使っているのですから。しかし弱者は武器を持っています。すなわちテロとWMDなのです。
だからこそ専門家はほぼ共通して、国家安全保障戦略の宣言とイラク侵攻とによってテロとWMDは拡散するだろうと予測しているのです。ブッシュ政権は情報機関や独立アナリスト同様にこれを理解しています。
彼らも米国の国家安全保障が侵害されたり国民が厳しい脅威にさらされることを好みません。しかし、それが彼らにとって、その他のものと比較して高い優先順位を占めているわけでは全くないのです。彼らにとってもっと大切なのは世界を支配すること、そして反動主義的国家プログラムを一挙に成し遂げてしまうことです。つまり、民衆を市場の破壊システムから守るように制定された過去1世紀の進歩的法案を解体することを意図しているのです。
彼らはまた非常に強力な国家を望んでいます。彼らは政権を取るやいなや政府支出を極端に増加させました(米国経済の現状と比較してみれば、それはよく分かります)。それは20年前、レーガン政権時代に初めて権力掌握したとき以来の最も高いレベルにまで達したのです。
しかし彼らが発展させようと望む強力な国家は金持ち特権階級の利益に奉仕し、一般民衆にではありません。そして彼らが目指す国外および国内の目標は、国家の安全や生存よりもはるかに重要なのです。
それは全く目新しいことではありません。いくらかでも歴史を知っている人は、政治的指導者たちが、しばしば権力・支配・富を求めて破局の危機を選択するものなのだということを認識するでしょう。
どの程度まで米国は国際的な合法性と合意を求めているのでしょうか。
長い間、米国は安全保障理事会、国際司法裁判所、国際法と国際機関に対して一般的軽蔑を示してきました。それは全く論争の余地のないことです。
しかしこの政権は国際法と国際機関に対する軽蔑の度合いが極端すぎて、外交政策エリートに空前の避難を浴びせられさえしました。さらに、あまりにもあからさまで図々しいのでその話題を論じる必要すら実際はないのです。
国連や他の国際機関はその独立性を守ることに成功したのでしょうか。
明らかに成功していません。ブッシュ政権は1年前に国連に対して、米国の命令に従うことによって「適切」になりえる、さもなければ(コリン・パウエルが言ったように)討論研究会になってしまうだろうと通知しました。それは続いてきましたし、今日も続いています。イラクの場合に限ったことではないのです。
中東に限って言えば、米国はイスラエルという従属国を保護するという過去30年間の実践を続けてきました。安全保障理事会の決議を拒否し、国連総会の決議を阻止し、そしてもちろんその従属国=イスラエルにたいする軍事援助と経済支援を与え、イスラエルがパレスチナ西岸地区の価値ある肥沃な地区を領土化することを許し続けてきたのです。
それが、米国が1960年代以来、安全保障理事会の決議を拒否する先頭に立ってきた(英国は2番目で、3番目以下を大きく引き離しています)理由のひとつなのです。1960年代は、植民地が独立した結果として、あるいは戦争から工業大国が回復した結果として、国連が米国支配から幾分か独立し始めた時期でありました。
もちろんそれが唯一の理由ではありません。米国は他の様々な問題について同じように安全保障理事会の決議に拒否をしました。その決議の中にはすべての国に国際法を守るよう求める決議まで含まれていました。米国を名指しこそしていませんが、すべての人はそれが誰に向けられているのかを知っていました。
あなたは米国をテロリストの指導者だと考えていましたが、それは何故ですか。そしてどの程度、米国は人間の価値を守ることができたのでしょうか。
私は米国を「テロリストの指導者」と呼んだことはありません。しかし米国の国家テロと、従属国のテロに米国が決定的な支援をしてきた長くて恐ろしい記録を詳細に実証してきました。
この記録を再検討する際、私は「テロ」という用語の米国政府による公式定義を使っています。しかしほとんどの人はその公式定義を使うのを快く思っていません。なぜならこの公式定義に従えば米国の行為が「テロ」だとすぐに分かってしまう結果となるからです。
もしあなたが確信できないなら、現在に至るまで続いている充分な証拠書類をご覧なさい。たとえばクルド人の歴史をご覧なさい。
国家テロへの決定的な米国支援は、1990年代には主にトルコでした。その時トルコは(イスラエルとエジプトは別とし)米国の軍事援助の主要な受取り手になりました。その援助を通じてトルコは、何百万人ものクルド人を荒廃した地方から追い立て、数万人を殺し、想像しうる限りの蛮行を行いました。それは1990年代で最悪の恐ろしい犯罪であり、それもあなたのほんの近くで行われたものなのです。
私は、イスタンブールの惨めなスラム街で、その結果のうちのいくつかを個人的に見る機会がありました。そこへと難民が追い立てられていました。また、ディヤルバクル(トルコ)の都市の壁の中でも、彼らは生き残ろうとしていました。他の所でも同じような状態が見られます。
しかしあなた方はそのすべてを知っておく必要があるのは確かです。すぐ隣で起きていることなのですから。しかも、それは物語のほんのわずかな一部分でしかありません。また国家テによるの残虐行為の直接的実行を省略しているのです。それについては、長くて醜い記録があるのです。
実際、米国は、ニカラグアに対する攻撃では、結局は国際的テロリストと同じだと、国際司法裁判所で唯一非難された国です。国際司法裁判所はレーガン政権にニカラグアに対するテロ戦争を終了させなさい命令しました。現在ワシントンで権力の座にある人たちのほとんどは当時のレーガン政権のメンバーなのです。
もちろんレーガン政権は裁判所命令を無視し、ただちにテロ戦争をエスカレートさせ、国際司法裁判所の判断を支持する安全保障理事会の決議を拒否しました。
米国のこうした実践は決して米国だけのものではありません。むしろそのような実践は、一般に犯罪を犯す権力に共通のものです。もう一度言いますが、それは犠牲者には何世紀もの間よく知られていることです。あるいは少なくともそのはずです。
権力システムは人間的価値を保護することができるのでしょうか。確かにできますし、時にはそうします。米国も含めてです。これが起こるのは、人的価値を保護することが権力の利害に役に立つときだけであり、また目覚めた市民がそれを要求するときだけなのです。
それらの要素の双方が、1990年代にイラクのクルド人を米国が保護した原因でした。一方、それは同時に、国境を越えた[トルコの]クルド人を残虐に抑圧することになりました。なぜならトルコに対して米国は決定的な軍事上外交上の支援を与えていたからです。
しかしながら米国民はこれらの犯罪に過去も現在も気がつかないままでいます。大量の証拠がメディアと知識人階級によって隠蔽されたからです。それはいつものことですが。
あなたの著作のいくつかで、あなたは言いました。米国の権力が大きくなっているので将来の希望は全くないと。何故あなたは悲観的な人間なのでしょうか。米国の民主主義モデルは成功しないという意味なのでしょうか。
私はそんなことは決して言っていません。むしろ正反対です。より良い将来への大きな希望があります。またそれを作り上げることは、米国、一般には西側の、そして世界の他の国の人々のための第1の責務であるであるべきです。非常に希望に満ちた徴候があり、それを私は絶えず力説しています。
「米国のモデル」についていえば、それはあなたが何を意味しているかによります。米国の人々は称賛に値する多くのすばらしい業績を持っています。たとえば、言論の自由の保護は私の知る限り世界でもユニークなものですし、多くの他の権利も獲得されています。これらは上からの贈り物だったわけではなく、献身的な大衆闘争の結果なのです。もしそれがあなたが念頭に置いているモデルであるのならば、米国やその他の場所で、それがもっと成功してほしいと私は願っています。
もしあなたが「米国のモデル」によって、ブッシュの国家安全保障戦略で宣言され実際に実行されていることを意味しているのならば、あるいは相互につながっている超国家企業群と2,3の強力な国家に世界支配を引き渡すよう計画されている新自由主義経済モデル(国際ビジネス紙が「事実上の世界政府」と呼んでいるもの)を意味しているならば、私は確かにそんなことは成功しないことを願っているし、私たちすべてはそう願うはずです。
どの程度まで、メディアとプロパガンダはアメリカ市民を政府方針に従わせることに成功しているのでしょうか。政府方針に反対の人はいったいその声を他の人に届けられるのでしょうか。
それはいろいろあるでしょう。たとえばイラク侵攻を取り上げてみましょう。その侵攻は、国家安全保障戦略とともに、実質的には2002年9月に発表されました。
大規模な政府とメディアの宣伝キャンペーンがそれに続き、急速に米国世論の大部分を完全に国際的な領域から離脱させました。
大多数はサダム・フセインが米国にとっての差し迫った脅威であると信じるようになり、サダムが2001年9月11日の犯罪に責任があり、アルカイダ等と協力して新しい残虐行為を計画中だと信じるようになりました。そう信じたことが当然のことながら侵攻を支持することに密接につながっていたのでした。
それらは完全に間違いだったとすぐに分かりましたが、そんなことは問題ではありませんでした。大声で絶え間なく宣伝された嘘は、高い精度の真実になります。それでもなお、宣伝キャンペーンはほんの部分的に成功しただけでした。侵攻に反対する抗議運動はヨーロッパや米国の歴史上のすべてを越えるレベルにまで達しました。
米国が南ベトナムを1962年に攻撃したとき、そのときには意義を挟む余地なしに攻撃が行われたので、全く抗議運動がありませんでした。抗議運動は4−5年たっても重大なレベルに達し始めることはありませんでした。そのときには米国の攻撃の主要目標になっていた南ベトナムは実質的には破壊されていて、侵略はインドシナ全域に広がっていました。
しかし現在、西側の歴史上初めて、戦争が公式に宣言される前に、イラク侵攻に反対する巨大な抗議運動が起こりました。それは、権力システムが、人々の良き部分の支配をいかに失っているのかという多くの例のうちの、ほんの一例にすぎません。
米国だけでなく世界的にもグローバルな正義の運動が起こったことは、これもまた前例がないことなのですが、これもまた、もう一つの顕著な例です。そしてもっと多くの例があります。
あなたをイスラエルに反対するもっとも過激なアメリカ人だと批判する人がいます。またユダヤ人としてあなたは自分自身を憎んでいるのだという人もいます。どのようにしてあなたはイスラエルを批判するようになったのでしょうか。
そういった非難はおもしろいですね。聖書のことを知っている人はその起源も知っているのです。その非難は王アハブまで遡ります。彼は聖書の中では悪の権化でした。王アハブはイスラエルを嫌う人として預言者エリヤを非難しました。イスラエルの王アハブの法廷にへつらう人たちは同意しました。
ヘブライの予言者エリヤは、法廷にへつらう人たちの現代用語を借りるとすれば、「自己嫌悪のユダヤ人」でした。なぜなら彼は王の方針を批判し、正義と人権の尊重を要求していたからです。
同じような非難は古いソビエト連邦でもおなじみでした。反対者はロシアを憎んでいると非難されました。そして軍事独裁政権や全体主義国家でも例があります。
そのような批判は全体主義的な価値観を持っていることを深いところで反映しています。熱心な全体主義者にとって、支配権力は人々・文化・社会と同一視されるべきなのです。イスラエルは王アハブであり、ロシアはクレムリンなのです。全体主義者にとっては、国策の批判は国家と人民の批判なのです。民主主義と自由に関心を持つ人々にとって、そのような非難は単に茶番です。
もしベルルスコーニを批判するイタリア人が「反イタリア」だとか「自己嫌悪のイタリア人」だと非難されたら、ローマやミラノでは嘲笑を引き起こすでしょう。ムッソリーニのファシズムの時代にならばそれも可能でしたでしょうが。あなたが言及しているように、そのような態度が「自由社会」で表明されているということが特におもしろいですね。
私は実際特にイスラエルを非難しているわけではありません。私は米国の決定的な役割を強く批判しているのです。結局のところ米国つまり私の国を批判しているのです。米国は従属国=イスラエルの野蛮な犯罪を支援し、平和的政治的解決を妨げているのです。それは1970年以来、実質的に全世界によって支援されてきている路線に沿った解決策です。
全体主義的な思考にとっては、これは「イスラエルを憎むこと」であるか「米国を憎むこと」なのです。イスラエルの王アハブと彼の法廷にへつらう人たち、クレムリンとその共産党統制委員、権力への下劣な服従を迫る他の人たち、こういうだけが疑いなくそれに同意するのでしょう。これまでの歴史がそうであったように、自由・正義・人権を大切にする人たちは別の道をたどるでしょう。
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