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イラク占領とサダムの裁判
マシュー・テンピストによるノーム・チョムスキーへのインタビュー
『ガーディアン』 2004年3月16日
翻訳:寺島隆吉+岩間龍男、公開2004年3月31日
米兵の死者数に多くの関心が集まっていましたが、私は個人的にはそれは部分的には宣伝による誇張だと思っています。世論調査は何度も何度も米国人は高い死亡者数をすすんで受け入れることを示してきました。彼らはそれを好まないけれど、もしそれが大義名分であるならば、喜んでそれを受け入れます。
いわゆるベトナム・シンドロームのようなものはありませんでした。それはたいていは作り話でした。この場合にも、500人ぐらいの死は嘆き悲しまれるのでしょうが、もしそれが大義名分に値する死であると彼らが考えるならば、その死を[戦争を]継続しない理由とは考えていません。決してそんなことはないでしょう。問題は戦争の大義名分、その正しさなのです。
戦争のすぐ後の4月までの世論調査によれば、米国人は「米国でなく国連が戦後の政治的経済的復興に主な責任を持つべきである」と考えていることは、かなり明確に示されていました。強力で永続的な軍事的外交的イラク駐留に至るような事態を、米国政府が維持する努力については、ほとんど支持がありませんでした。
実際、そのような支持がないため、それはほとんど議論されていません。米国がおそらく3千人もの職員を擁する世界最大の大使館を建設する計画であることに気づいている米国人はあまり多くありません。[しかし] 軍部は自らが望む期間、永続的な基地と実質的な米軍の駐留をすることを計画しています。その事実は僅かしか報道されていません。[ですから] ほとんどの人々はそのことを知りません。イラク経済を外国企業が自由に収奪できるようにする命令も、注意をよく払っている人には知られていますが、一般の人々には知られていません。
イラクが形式的な主権しか持たず、中東地域で米国が他の軍事行動をする基地となり、従属国の状態が長期化することを、一般の人々はほとんど支持していません。このようなイラクへの関与の仕方はほとんど大衆的な支持がありません。それはそういった政策へのより大きな反対理由となっています。死傷者の数にもまして、そのことがそういった政策への不安理由となっています。
(サダム・フセインの)裁判はある程度信頼性のあるなんらかの国際的な援助のもとで行われるべきです。これはサダムがいかに怪物であっても「明らかな勝者による裁判」のような、信頼性のない裁判にしないためです。
したがってまず第1に形式の問題があるのと同時に内容の問題があります。その裁判はサダムの共犯者たちを被告人席に座らせるべきです。つまりイランとの戦争のあと長きにわたり、彼の最悪の残虐行為の間中、彼に決定的で実質的な支援を与えた人々です。彼らは、1991年にサダムが反乱を押しつぶしたとき再び彼を援助しました。その反乱はサダムの政権を首尾よく打倒したかもしれないものでした。
それらの人々はすべて裁判にかけられるべきです。彼らは必ずしも等しく責められるべきではありませんが、彼らはすべて決定的に関わっていました。その中には80年代のヨーロッパの国々、ロシア、フランス、ドイツその他の国々が含まれます。そのすべての期間にわたって米国と英国は決定的に関わっていました。1991年の反乱鎮圧も含めて。
またそれにはイラクに残酷な経済制裁を加えた制度の責任者も裁判にかけられるべきです。その制裁制度は数十万人の人々を確実に死に追いやり社会を完全に荒廃させたので、他の所 [例えばスハルトのインドネシア]で起きたようなこと、すなわち内部から政権を転覆するということが出来ませんでした。
そこでは、米国や英国が同じような怪物を支援していたのですが、内部から政権転覆が起きました。同じようなことがイラクでも起きていたかもしれません。ただし経済制裁によって社会が荒廃させられず、人々が単に生きていくため暴君[サダム]に頼らざるを得ないということがなかった場合のことですが。
実際にその証拠が今日明らかになりつつあります。ケイ氏の調査などで、サダム政権の支配力が末期にはいかに弱いものであったのかが明らかにされているからです。
したがって、程度がいかなるものであれ、サダム・フセインの残虐行為に加担した者は、同様に責められるべきであり、誠実な裁判が何らかの方法でこの件を扱うべきなのです。
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