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アメリカ帝国主義とイギリス同伴主義
On American Imperialism and British Me Too-ism
Noam Chomsky interviewed by Jeremy Paxman
BBC News, May 19, 2004
ジェレミー・パクスマンによるノーム・チョムスキーへのインタビュー、BBCニュース、2004年5月19日
翻訳:寺島隆吉+寺島美紀子、公開2004年6月6日
「もしジョージ・ブッシュがニュルンベルグ裁判所の基準(ニュルンベルグ裁判所関連資料)で判断されるならば、彼は絞首刑でしょう。ジミー・カーターを含めて、第2次世界大戦後の、どのアメリカ大統領もまた同様です。」
この示唆は世界中でおそらく最も人気の高い自由主義知識人、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーによるものです。世界における米国の振る舞いにたいして彼がの最も最近におこなった批判は、彼の新著『ヘゲモニーかサバイバルか:世界的支配を求めるアメリカ』に著されています。
ジェレミー・パクスマンが大英博物館で彼に会いました。というのはチョムスキーは大英博物館アッシリア・ギャラリーで講演をしたからです。ジェレミー・パクスマンは、彼に「講演の趣旨は、いわゆるブッシュ・ドクトリンには何も新しいものがない、ということなのでしょうか」と尋ねました。
ノーム・チョムスキー
そうですね、それは見方によりけりです。たとえばヘンリー・キッシンジャーによれば、それは革命的であると考えられています。彼はそれを革命的な新しいドクトリンだと評しています。
つまり、それは、ウェストファリア体制、すなわち17世紀以来の世界秩序システム(それはもちろん国連憲章によるシステムでもありますが)をズタズタに裂いている、というのです。
しかし同時に、ブッシュ・ドクトリンは、外交政策エリート内部では、非常に広く批判されてきました。とはいえ厳密に言えば、そのドクトリンは、実際は新しいものではありません。それは単に従来のドクトリンを極端にしただけなのです。
ジェレミー・パクスマン
911以後、米国は何を行うと考えられてきましたか。米国はグロテスクで意図的な攻撃の対象となったわけですが、その結果を受けて米国はどんな行動をとると考えられてきましたか。
ノーム・チョムスキー
なぜ 911 を取り上げるのですか。なぜ1993年を取り上げないのですか。実際にテロリストの攻撃が9月11日に成功したからといって、1993年の攻撃も同様の危機だったという分析は変更することはできません。
1993年に同様のグループ(米国がその聖戦士たちを訓練したのですが)が、世界貿易センタービルが今にも爆発されそうになったとき、もっと計画が準備・工夫されていれば、おそらく数万人の人が殺されたでしょう。それ以来、同じことが起こりうることは専門家は誰でも知っていました。
実際、90年代を通して、それを予測する専門的文献がありましたし、何をすべきかも分かっていたのです。なすべきことは戦争行為ではなく警察行為です。警察行為はテロ攻撃を止める方法であり、それは他の場合には成功してきたのです。
ジェレミー・パクスマン
しかし、そうすると、あなたの御意見では、米国は自らネメシス=復讐の女神をつくり出した、ということになりますね。
ノーム・チョムスキー
そうですね、第1にこれは私の意見ではありません。ほとんどのテロリズム専門家の意見です。たとえば、ジェイソン・バークのアルカイダに関する最近の本(これは現存する最良のものですが)をちょっと見てご覧なさい。
そこで彼が指摘しているのは、次のようなことです。彼は、暴力行為のひとつひとつがいかに資金集めを加速化させていったかを記録に沿って検証し、次のように言っています。今それを引用しますと、「それぞれの暴力行為はビンラディンにとって小さな勝利である」というのです。
ジェレミー・パクスマン
しかし、どうしてジョージ・ブッシュが今このように行動していると思われるのですか。
ノーム・チョムスキー
なぜなら彼らはあまりテロについて気にかけていないと思うからです。実際私たちはそれを知っています。イラク侵攻について言えば、イラク侵攻がアルカイダ式のテロの脅威を増加させることになるだろうということは、情報機関のほとんどすべての専門家によって予測されていました。そして正確にそれが起こったのです。その核心は…
ジェレミー・パクスマン
だとすると、なぜ彼はそうしようとしたのでしょうか。
ノーム・チョムスキー
なぜならイラク侵攻はそれ自体に価値があるからです。つまり、確立しようと・・・。
ジェレミー・パクスマン
どんな価値でしょうか。
ノーム・チョムスキー
どんな価値ですかって。世界のエネルギー生産の中心地域に従属国をつくり、そこに最高に安全な軍事基地を確立することです。
ジェレミー・パクスマン
独裁者がいなくなってイラクの人々の暮らし向きが良くなると思われないのですか。
ノーム・チョムスキー
確かに、2つの残酷な制度は取り除きました。ひとつは公に宣伝することになっていますが、もう一つは我々が決して話してはならないとされていることです。
2つの残酷な制度はサダム・フセインの制度と米英による経済制裁制度です。後者は社会を荒廃させ、数十万人の人々を殺し、人々をサダム・フセインに依存せざるを得ないように追い込みました。
今や、制裁は、食料や医薬品を制限することで社会を破壊することよりもむしろ武器の制限へと向けることが可能であったことは、明らかです。もしそのような制裁をしていれば、イラクの人々がサダム・フセインを、米英によって支持された別の怪物を葬り去ったのと同じ方法で、同じ運命に送り込むことは全く不可能ではなかったのです。
これには、ルーマニアの独裁者チャウシェスク、インドネシアの独裁者スハルト、ハイチの独裁者デュバリエ、フィリピンの独裁者マルコス、といった長いリストがあるのです。これらのほとんどは、米英によって支持された怪物=独裁者でしたが、みな民衆の手によって放逐されたのです。
実際人々は、イラクをよく知っている西洋人は、このことをはじめから予測していたのです。
ジェレミー・パクスマン
多分、あなたには御不満かも知れませんが、私には、あなたが、ジョージ・ブッシュやトニー・ブレアのような大統領・首相を民主的に選ぶ制度とイラクのような制度との間に道徳的な差はない、道徳的等価だと言っているように見えます。
ノーム・チョムスキー
道徳的等価という用語は興味深いものです。それは確か、ジーン・カークパトリックによって、外交政策と国家政策決定への批判を妨げるための方法として、発明されたものでしたが、それは意味のない概念です。どちらにしろ道徳的等価などというものはありません。
ジェレミー・パクスマン
もし個人が自由民主主義の中で生きることを選択できれば、それはよいことではないしょうか。もしそれがどうにかして可能なら、その民主主義的価値を広めることによって得られる利益というものがあるのではないでしょうか。
ノーム・チョムスキー
そのことばは私にある質問を思い出させます。ガンジーがかつて西洋文明についてどう思うかと訊ねられたのです。彼は言いました。「そうですね、それは良い考えのひとつかもしれませんね。」
実際、自由民主主義的価値を広めることは良い考えかもしれません。しかしそれは米英が行おうとしていることと同じではありません。それは彼らが過去に行ってきたことでもありません。
私が言いたいのは、米英の支配下にある地域を良くご覧なさいということです。米英は決して自由民主主義を広げては来ませんでした。彼らが広げたのは依存と従属です。
それどころか中東内部で米国の政策にたいする大きく反対があった最大の理由が、この点にあったことはよく知られています。実際これは1950年代に既によく知られていたことです。
ジェレミー・パクスマン
しかし、我々はソビエト帝国下に生きていたときよりも今の方が暮らし向きが良くなったと言う東ヨーロッパの諸国全体の声があります。それは西側世界の行動の結果だと思われますが。
ノーム・チョムスキー
米国が支配している国はたくさんあります。中央アメリカ、カリブ海のような国はアメリカの支配から自由になることを望んでいます。私たちはそこで何が起こっているのかにあまり注意を払っていませんが、彼らは本当にそれを望んでいるのです。
1980年代をご覧なさい。現在のブッシュ政権の担当者は、その当時、レーガン政権の閣僚でした。そのとき数十万人の人々が中央アメリカで虐殺されました。米国はニカラグアに対して大規模テロ攻撃を行いました。主に民衆を擁護する教会への攻撃・戦争でした。彼らは大司教を暗殺し、6人の指導的イエズス会の知識人を殺害しました。これがエルサルバドルでのことです。それはぞっとするような時代でした。彼らは何を押しつけたのでしょうか。それは自由民主主義だったのでしょうか。否です。
ジェレミー・パクスマン
あなたはこの米英間の関係について2−3度言及されました。何故トニー・ブレアはアフガニスタンやイラクに対してあのような行動をしたのでしょうか。
ノーム・チョムスキー
そうですね、英国外交史を1940年代にまで戻って見てみるならば、一つのことが分かります。英国は決定をしなければなりませんでした。
当時の英国は世界第1の強国でした。米国は世界中でもずば抜けて富裕国でしたが、ある地域を除けば、地球的場面における支配者ではありませんでした。
しかし第2次世界大戦が終わる頃には、米国が支配的強国になるはずだというのは明確で、すべての人はそれを知っていました。
ですから英国は選択しなければなりませんでした。最終的には独立方向へ動こうとするヨーロッパの一部になるか。あるいは外務省のいわゆる米国の従属的同盟者になるかです。
そして最終的選択をしたのです。米国の従属的同盟者になるという選択です。永国の指導者はこれについては何ら幻想を持ってはいません。
たとえばキューバにおけるミサイル危機のとき、機密を解除された文書を見れば、彼らがイギリスを全く軽蔑的に扱っていることが分かります。英国が危機にさらされていたにもかかわらず、ハロルド・マクミラン英国首相は何が起ころうとしているのかについて通知を受けてさえいませんでした。英国は本当に危険だったのです。
ある高官、おそらくはディーン・アッチャーズでしょう(誰だか確認されていません)が、彼はイギリスを次のように評しました。彼の言葉は次のようなものでした。
「英国は我々の軍隊の位階で言うと中尉の程度だ。流行(はやり)言葉で言えばパートナーだけれど。」
そうです、イギリス人は流行(はやり)言葉を聞きたがっています。しかし、支配者は現実の用語を使います。それはイギリスがしなければならなかった選択なのです。それがブレアが決断した理由です。なかなか公には言えませんが。
ジェレミー・パクスマン
ノーム・チョムスキーさん、ありがとうございました。
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