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中東和平への展望 「質疑応答」
Prospects
for Peace in the Middle East
Noam
Chomsky
Presented
at the First Annual Maryse Mikhail Lecture
“No
peace without justice; no justice without truth”
The
University of Toledo, March 4, 2001
質問1
「私たちアメリカの援助でサダム・フセインがこれら残虐なことをしたのだ」という議論に対して、もう1歩、踏み込んだ議論をしてほしいのですが。
もしだれかが「まあ、あなたの言うことは正しい。それは私たちの誤りだった。だから、いま私たちはそれを糾そうとしているんだ」と言ったら、あなたはどう言われますか。
答1
私たちアメリカはそれをどのように糾しているのか、ですね。
まず、それはよい答ですが、問題は、実際それは誠実になされるべきだ、ということです。
もしビル・クリントンやジョージ・ブッシュなどが「ああ、このサダム・フセインという男は化け物だ。こいつは私たちアメリカの援助で究極の罪を犯したのだから、彼を追い払わなければならない。」と言うなら、それはひとつの突破口になるでしょう。そのとき少なくとも私たちはその問題に誠実に立ち向かう可能性が出てきます。
では、その次に出てくるべき論理的な答とは何でしょうか。もし彼が私たちの援助で罪を犯したのであるなら、まず誰が罰せられるべきでしょうか。彼が「ああ、ごめんなさい。それは誤りでした」と言ったと仮定しましょう。それで十分でしょうか。
いや、それでは十分ではないでしょう。もし誰かが大きな罪を犯したとしたら、その時、その人には責任があるわけです。ところが、クリントンはその援助に反対しなかったし、ジョージ・ブッシュはフセインに援助をした当時の大統領である彼の父親を責めるつもりがありません。
これらがアメリカの政策なのです。これらが何年も一貫しているアメリカの政策です。
だから、事実、サダムも、「ああ、私はその時、罪を犯した。しかし今は、私は良い人間だ。なぜなら私は再び同じことをするつもりはないから」と言うこともできます。しかし、私たちはそんなことを受け入れるわけにはいきません。
もし、私たちが罪を犯したら、私たちはなぜ自分がそうしたかを自分自身に問い糾すべきです。そして、私たちはそれに責任があるのかを自分自身に問い糾すべきです。
このような自分自身への問いは、さらに私たちを別の問いに連れ戻すことになります。つまり、現在の事態を打開する方法が、「イラクを爆撃し、経済制裁を加え、その結果、サダムの力をさらに強化し、他方、イラクの人々を死と貧困に追いやることなのですか」という問いです。
誰もそんなやり方が良いとは信じていません。だとすると、上記の政策は、本当は別の理由のために遂行されていると結論せざるを得ません。私たちは、その裏にある本当の理由を見つけ出さなければならないのです。
しかし、いずれにしても、「もし誰かが“そうだ。サダムは私たちアメリカの援助で罪を犯したのだ”と言うのであれば前進への大きな1歩だ」と言うあなたに私は同意します。それは前進への良い1歩になりうるからです。
質問2
最も難しい問題であるエルサレムの問題についてはいかがでしょうか。
答2
私はエルサレムの問題は最も難しい問題であると考えてはいません。それは最も易しい問題のひとつだと思っています。
たいへんに優れたイスラエルの社会学者バルーチ・キメリング Baruch Kimmerlingは、キャンプ・デイビッドの交渉の最中に、ニューヨーク・タイムズのような新聞ハーレッツに(次のような)記事を書きました。
すべての問題の中でこれは最も容易な問題であり、ほんの数分で解決し得るものである。もう少しかかるかもしれませんが。以上のように彼は言いました。
彼が指摘している点は正しいと私は思います。NYTの事例はあなた方メディア関係者が手腕をふるえるひとつの事例です。それに対して手腕をふるう方法が多くあります。あなた方はエルサレム問題を扱う多くの技術的な方法を考えることができます。
あなた方が手腕をふるえないことがあるとすれば、それは私が既に述べてきたことです。すなわち、占領地を解体して幾つかの飛び地にし、それを幾つかの大きな地域と共にイスラエルに統合したことです。
そのことについては、あなた方はどうしようもできません。そして、そういうわけで、そのことについては誰も語りたがらないのです。クリントンもイスラエルも明白な理由のためにそのことを話したがりません。
では、なぜアラファトもそのことについて話したがらないのでしょうか。その理由は、エルサレム問題の場合、彼はアラブ諸国から支持を得ることができるからだと私は考えています。
パレスチナ人撲滅の問題については、アラブ諸国は余り気にしていません。もしイスラエルがパレスチナ人を抹殺し取り除いたとしても、彼らは喜ぶでしょう。というのは、(アラブ諸国にとっては)パレスチナ人は厄介者だからです。自分たちの民衆が厄介者であるのと同じように。
だから、アラファトがエルサレム問題に焦点を合わせる理由は戦術的なものであり、そのことがアラブの「前衛」諸国から彼が支持を得ることができる問題であるからです。
その理由はアラブ諸国が自国の民衆を恐れているからです。もし彼らがエルサレムを放棄してしまうならば、民衆は激怒するからです。
質問3
もしパレスチナ人が(パレスチナ自治区から)立ち退いたとしても、おそらくアラブ諸国は気にすることはないでしょう。
しかし、パレスチナ人は立ち退こうとはしていないことは明白です。とにかくそういうことは、まだありません。
私は国の弁護士会のグループの一員でした。そして弁護士会は、パレスチナには南アのアパルトヘイトと同じ状況があることを知っています。
つまり、仕事をするためにアジアの人々を連れ込んでおり、今ではオスロ合意は死んでしまっているのです。
そして、イスラエルにもはや左翼はないということを理解していました。オスロ合意は今や機能していないのです。
それで、もしオスロ合意が死んでしまって、有効に機能していないならば、次の歴史としてあなたは何を予想されますか。
答3
できれば私はあなたに同意したいのですが、しかし同意できません。
私たちは暴力の効果を過小評価する傾向があると思います。もし歴史にざっと目を通すならば、暴力はいつも成功をおさめています。
そしてオスロ合意が機能していないという証拠はありません。なぜならオスロ合意は、ショロモ・ベン・アミShlomo Ben-Amiが述べているとおりのものだからです。
つまり、オスロ合意とはイスラエルが占領した地においてパレスチナ自治政府がイスラエルに対して永久に新植民地主義的依存関係を作り出そうとする努力だったからです。
ですからオスロ合意は十分に機能する可能性があるものなのです。
確かに米国やイスラエルが喜ばない(パレスチナ人の)一定レベルの抵抗はあるが、それを抑圧するために使う多くの暴力の手段を彼らは持っています。
また人間が耐えることができることには限界があります。実際、限界があるのです。そのことは支配者が歴史を通して理解してきた事柄です。
ですから、暴力はいつも有効に働くのです。もし、私たち、あなた方と私、米国の人々が、それを許すならば、つまり、私たちがもし暴力がまかり通ることを許すならば、再び暴力はうまく働くでしょう。
ちょうどエリコ(パレスチナの古都)に対して行なわれたことのように、人はあらゆる術策を考えることができます。それはすべてのアラブの都市に対して行なわれる可能性があります。
ヨルダン川西岸の、すべてのアラブの町が、巨大な堀に囲まれ、そのために人々は出入りができなくなるでしょう。
米国はさらに多くのヘリコプターを送ることができます。そして、さらに殺戮を実行し、民間人が集中している場所に一層の攻撃を加えることを可能にするのです。
アメリカ政府は、米国の報道関係者がこの6ヶ月間それについて何も述べなかったように、今度も、彼らがこのことについても何も報道しないだろうとタカをくくっているのです。
その長期目標は、かなりの程度までイスラエルが最初からずっと想定してきたことです。このことは、もっとハト派のイスラエル人でさえ頭に思い描いていたことです。
例えば、イスラエルのすべての指導者の中でパレスチナ人におそらく最も同情的なモシェ・ダヤンMoshe Dayanでさえ同じことを考えていました。30年前の閣僚内における議論で彼は次のような見解を述べていました。
「パレスチナ人には何も与えるな。我々は彼らを犬のように扱うべきだ。そして逃げだせる者は逃げ出すだろう。そうすれば、その後に何が起きるのか分かるだろう。」
この15年間、これは衆知のことです。それは十分に理解されるべきことです。
なぜなら、それは公開された文書に書かれていることですし、当地の反体制出版物の中でも引用されてきたことだからです。
そして、それが政策なのです。ついでに言えば、それはユダヤ人の歴史にとてもよく合う政策です。だから決して無視すべきではないのです。
ユダヤ人は自分たちの歴史を知っています。この地の他の人たちと同じように、私は子供の時にそれを勉強しました。
そして、後にそれを子供たちに教えるのです。特にイスラエルではそのことはよく知られていることです。
ローマの追放について考えてみてください。2000年前に実際それはどんなことをしたのでしょうか。彼らはパレスチナから全ての人々を追放したのでしょうか。
違います。彼らはエリートだけを追放したのです。彼らは小作農の人々を残したのです。小作農の人々は留まりました。彼らは留まり、苦しみ、耐えたのです。
征服者がやって来て、別の征服者がその征服者にとって代わりました。しかし彼らはその征服者たちに適応し、どうにか生き残りました。エリートたちは去り、それが追放と呼ばれます。
再びそういったことが起こらないと言えるでしょうか。
不愉快な事実は、暴力はその内部から抑制されない限り、いつも機能するということです。
米国の暴力を抑制することができる力は、米国の外には存在しないのです。暴力を抑制することができる力は、米国の国内にあるのです。
もし私たちアメリカ人がそれをできなければ、オスロ合意は機能するのです。それは愉快なことではありません。
が、しかし、オスロ合意が機能するであろうということを疑ういかなる理由も私は見出せないのです。
質問4
それでは南アフリカとアパルトヘイトの終焉はどうでしょうか。
答え4
南アフリカで起きたことは大きなことでした。人口の80パーセントが、白人の支配者との取り決めで表面的な自由を獲得できました。
しかし、その取り決めは、白人に大きな経済的支配権を委ねました。そして今や新しい黒人のエリートがそれに加わったのです。
それが起きたことであり、それが達成されたことです。ほとんど、どの歴史においても、このように上手くは行きません。
この事例でさえも、これは非常に部分的な勝利です。南アフリカのほとんどの人々にとっては、たとえあったとしても、大した勝利ではありません。
ケープタウン市外の町やヨハネスブルクのスラム街を見てみて下さい。そこの人々はいかなる勝利も収めていませんし、彼らはそのことをよく知っています。
おそらく、そこでは将来、暴動があるでしょう。ちょうど2,3日前に、このような理由から、マンデラはアフリカ民族会議(ANC)が行なっていることを強く非難しました。
質問5
イスラエル・パレスチナ問題の現実的な解決策は、どのようなものになるとお考えですか。
答え5
そうですね、非常に幅広い国際的な合意があり、それが一時的で可能な解決策です。
その合意というのは、米国以外実質的に世界のすべての人々が支持していることです。
すなわち、他の国連決議によって補完された国連安保理決議242のことです。それはパレスチナ国家の樹立を要求しています。
それは、エルサレムの技術的解決策を必要とするでしょう。つまり、エルサレムを開かれた都市、たとえば二つの国の共同の首都にするなどです。
そして決議242は、おおまかに1967年以前の境界線に沿って、イスラエルとパレスチナという二つの国を認めることになっています。
私は個人的には、それは不健全な解決策だといつも考えてきました。それは、現在の状態よりはよいが、長期的に見て存続できる解決策だとは実際のところ私は考えていません。
それは全く何の意味もありません。それはオハイオ州の真ん中に任意の境界線を引き、米国とメキシコのような独立国をふたつ作ると言っているようなものです。
彼らは全く同じ土地に一緒にいるのです。実際、彼らはヨルダンや恐らく他の国々の人々とも一緒に暮らさなければなりません。
長期的な解決策は、オスマン・トルコ帝国と余り異ならないものになると私は思っています。私はそれを再評価したいのです。
オスマン帝国は不快なものでしたが、彼らは「正しい考え方」を持っていました。つまり、トルコの支配者たちは幸いにも、とても腐敗していたので、人々をほとんど放っておいたのです。
要するに、人々を搾取し略奪することだけに関心を持ち、彼らの問題と彼らの地域と彼らの共同体の運営を彼らに任せ、多くの地方自治権を彼らに与えたのです。
幸いにも私たちはオスマン・トルコ帝国にまでさかのぼる必要はありませんが、その全体像は非現実的なものではありません。
実際、それはヨーロッパが現在、民族国家のシステムを破壊しながら動きつつあるものと同じものと言ってよいでしょう。
この民族国家というシステムは堕落した残忍なものでした。その証拠に、このシステムが確立された500年のヨーロッパの歴史を見て下さい。それはホラー小説のようなものです。
そして、それは徐々に、地方主義とともに、ある種の統合の方向に進みました。そしてそれは意味のあることでした。おそらく、レバント(地中海東部およびその島と沿岸諸国)についても同じことが言えるでしょう。
不快ではあるが恐らく存続可能な二つの国の共存という状態から出発し、次の動きとしてある程度の相互交流や責任の共有がある連邦制のようなものを想像できます。その後さらに統合が進むでしょう。
これは可能なことだと私は思います。これは米国の政策の大きな転換を必要とするでしょう。しかし米国がこれを支持しない限りは、不可能です。しかし、(その気があれば)これは可能です。その第1段階として国際的な合意のようなものがあり得るます。
一発回答のような問題の解決策はありません。即座の解決策はないでしょう。深刻な問題に即座の解決はあり得ません。
しかし、さらなる解決策への道筋を容易にする段階を作り出すこと、これは可能です。建設的な問題解決への筋道を我々は考えることができます。私にはそう思われます。
質問6
白人の南アフリカでやったのと同じように、イスラエルへの投資から手を引くという考えを押し進めることは、いい考えだと思いますか。
答え6
私はこの30年間にわたり米国に主な罪があると考えています。
米国にイスラエルに対する投資減額を要求することは、何の意味もありません。我々がなすべきことは、米国の政策を変えるよう要求することです。
現在は、例えばイスラエルに攻撃用ヘリコプターを送らないことを要求することが意味のあることです。
実際、そういう事実(イスラエルに攻撃用ヘリコプターを送っていること)を米国の新聞に報道させることが、とても意味のあることです。それが、まず手始めです。
そして次に、抑圧するために使われている軍の武器を送ることをやめさせることです。そのようにして、あなたがたは段階を踏んでいくことができます。
イスラエルから投資を引き上げることは、それほど大きな意味はないと私は思います。たとえ、そのような政策が想像できても、です。(実際は想像できませんが)
我々の最大の関心事は、米国の根本的な政策を転換させることだと私は思っています。アメリカの政策が何十年もの間、パレスチナ問題を操ってきたのですから。
そして、そのことは我々の守備範囲にあることです。それが我々の成すべきことです。すなわち、米国の政策を変えることです。
質問7
パレスチナ人の帰還の問題はどうでしょうか。
答え7
パレスチナ人が帰還する権利はあると思います。帰還する大きな権利があります。
例えば、この場所から追い出された人々、生き残った人々に、帰還する権利があると私は思います。彼らには帰還する権利があります。
世界にはあらゆる種類の権利がありますが、世界の現実は、多くの権利が簡単には満たされないということです。
よくあることですが、権利が衝突する時には、あなた方は人道的な解決策を見出すようにしなければなりません。
近い将来、このことについて惨めなパレスチナ難民を誰もあざむくべきではありません。
近い将来にイスラエルに難民の多くを受け入れさせるよう強制する力は世界にはありません。強制することはもちろんのこと、勧めたりすることさえできません。
多くの難民を受け入れさせることは決して出来ないでしょう。恐らく、多くの難民どころか、幾らかの難民でもです。
しかし万一、世界がイスラエルに難民を受け入れさせたならば、多分そんなことは想像し難いことですが、その場合おそらく彼らは世界を爆破するでしょう。
そしてイスラエルがそのようなことができる事を忘れないで下さい。[彼らは核兵器をもっているのですから。]
バトラー将軍は正しかったのです。そして、心配すべきいかなる問題もないでしょう。(??)
だから、この権利は近い将来のうちに認識され人道的なやり方で扱われるべき権利なのです。
しかし、苦しんでいる人々に、「十分に人道的なやり方で彼らの権利は扱われる」と信じさせるような誤解を与えてはいけません。なぜなら、実際はそうなっていないからです。
では、そこから、あなたがたはどのように進めば良いのでしょうか。例えば、あなた方は、難民問題を調停する幾つかの方法を作り出そうとするでしょう。
多くの方法がここに提示されるでしょう。国連決議194で求められていたことは、パレスチナ人の帰還であり彼らへの賠償だったことを思い出して下さい。
賠償は一つの可能性です。我々アメリカには責任があり富もがあるので、我々は容易に賠償ができるし、またそうすべきです。
そして、それはここでの解決を意味するかもしれません。しかし、その解決はほとんどのパレスチナ人は好まないことなのかもしれません。
少なくとも彼らに選択権が与えられるべきです。イスラエルに戻ることについては、それも一つの選択肢であるべきですが、多分それは限定されたものになるでしょう。
質問8:
1983年に出版された『宿命的な三角関係』において、あなたは、アメリカがイスラエルの中でパレスチナ人をそのように扱うことにはある種の危険を伴うと示唆されました。
ソビエト連邦が消滅してしまった現在、我々の悪い行動からいったいどんな危険があると言うのでしょうか?反動となりうるものが何か、いつか、起こるでしょうか?
答え8:
そうですね、ソビエト連邦が大して抑止力を持つと決して思ったことはありません。
確かに、ソビエト連邦は常にその背景に存在していました。
記憶しておいてほしいのは、1990年の崩壊までの期間、ソビエト連邦はこれについての国際的な意見の主流にあったということなのです。
しかし、外交的解決という点で彼らが取っていた姿勢はほとんどヨーロッパと変わらないものでした。
実際、ソビエトの危険がどの程度のものだったかは、非常に重要な文書のなかでブッシュ政権によって示されています。
皆さんにそれをぜひ読んでいただきたいとおもいます。それはすべての人が知るべきでしたし、それほど重要なものでした。
毎年春頃に、ホワイトハウスは議会に軍事予算計画を提示します。これはそうするように望んでいることです。
それは通常ボイラープレート(決り文句)で、毎年同じ話です。しかし面白いことが1990年3月にひとつありました。
1990年3月にそれをどう扱うつもりか?という点です。なぜなら過去50年間の(冷戦の)口実がなくなってしまったからです。ベルリンの壁がまさに崩壊したばかりだったのです。
そこでアメリカの外交政策や自分自身の国に関心を持つ人なら誰でも即座にそれを見たはずです。そしてそれは非常に興味深いものでした。以前とほとんどまったく同じなのです。
アメリカは巨大な軍事体制を必要としているのです。アメリカはいわゆる「防衛産業ベース」を維持しなければならないのです。それはハイテク(高度技術)産業の別名なのです。
アメリカは中東向けの巨大な他国干渉軍を持たなければならないのです、以前と全く同じように。全てが以前どおりです。変わっているものと言えば口実だけです。
そこでアメリカは巨大な軍事予算を持たねばなりません。ロシアのためにではなく第3世界の「技術的洗練」のためにです。そんなわけでアメリカはそれを必要としているのです。
アメリカの他国干渉軍に関する限り、年頭教書で言っているのは、これらは維持されねばならないし、それが主として以前同様に中東向けであるということです。
その後、次の文句が続くのです。
「アメリカの利益に対する脅威が何処にあるか。それはクレムリンの玄関口には決してありえない。」 すなわち、「皆さんごめんなさい、我々は50年間嘘をついていました。しかし今真実を告げなければなりません。なぜならクレムリンはもう活動していないからです。」
そこでアメリカの利益に対する脅威はクレムリンの玄関ドアに置くことが出来なくなって、たまたまイラクの玄関ドアに置くことになったのです。なぜなら皆さんも御記憶の通りイラクは一時、同盟国だったからなのです。
脅威は常に存在してきたもの、すなわち大国から自立しようとする民族主義でした。遂に雲が晴れ、以前の内部記録から、それがかなり明らかになりました。今や公けになってしまったのです。
そうです、大国から自立しようとする民族主義、それが脅威なのです。そしてパレスチナ人が脅威なのは、彼らが民族主義を目覚めさせ自立への運動をかきたてるかもしれないからです。ものです。
今や事実が示すとおり、もう一つ別の大国が周辺にある限り、ことは全く手におえない状態になる可能性があります。
例えば1967年、ちょうど第3次中東戦争の末期、イスラエルが停戦直後にゴラン高原を征服したとき(それはアメリカの願いに反したものでしたが)、核戦争の脅威がありました。
ロシアはイスラエルの行動に怒り狂い、モスクワとワシントンの間で電話ホットラインによる特別の話し合いがありました。東地中海では艦隊同士が一触即発の状態でした。
マクナマラが後にこう言いました、「くそっ、もうちょっとで戦争になるところだったじゃないか。」
世界中いたるところに核兵器があれば、恐ろしい戦争になる脅威が常に存在します。その脅威は現座でもあります。実際、その危険性はおそらく以前よりも今のほうが高いのです。
ロシアは、おそらく15年前以上により今日のほうが脅威です。核兵器に関しては、以前よりもっと脅威です。実際、そうなのです。そしてアメリカがロシアを更なる脅威になるよう援助しているのです。
例えば、クリントン政権はロシアにミサイルを警戒発射体制に置くようにさせました。その意味するところは、「攻撃がもうじき来るぞ」という判断を人間ではなく電子情報に基づいてミサイル発射できるようにしたのです。
クリントン政権がそれを行なった理由は、ABM条約の土台を壊し国家ミサイル防衛構想をロシアに受け入れさせようとする意図からでした。その考えはつまり「それについては心配ご無用―いつでもミサイルの発射できる状態を引き起ことができますよ」というものでした。
しかしロシアは指揮・制御システムが悪化してきています。クルスク原潜に起きたことはあらゆるところで起きるのです。
そこでアメリカがロシアに要求しているのは、これら悪化しつつあるシステムを引揚げ、核配備ミサイルを発射させる時期を決定するために警戒発射体制を使えということなのです。
それは全ての人にとって非常に危険です。そしてその危険性は持続するだけでなく、おそらく増加しつつあります。ミサイル防衛構想NMDは上記の危険をさらに増加させるからです。
と言うのは、NMD核ミサイル防衛構想は抑止力を増加ざせることを必然的要求としていますから、抑止力の競い合いが起き、悪循環の歯止めが利かなくなるからです。
そこでこれらの問題が常に存在してきたのです。何かが起こる、そしてそれで世界の終わりだという脅威が常にあるのです。それは当時も真実でしたし、いまも真実です。
しかし政策立案者が直面している当面の脅威は常に次のものでした。
すなわち、支配地域の民衆が彼らに押し付けられている体制を受け入れないで、自らの政府を転覆させ、独立した民族主義国家の方向に動くかもしれない、という脅威です。
もしそうなれば、アメリカは軍隊で介入せざるを得なくなるわけです。こうして、もし可能ならば介入に踏み切るわけですが、これもそう簡単ではありません。
質問9:
2つ質問があります。
高い文字識字率を持っているにもかかわらず、アメリカ人が消極的受動的なのは何故でしょうか。
そして普通のアメリカ市民が、両陣営を平和の方向に動かし続けるためには、何ができるのでしょうか?
答え9:
そうですね、それについて具体的に話ましょう。かなり高い文字識字率があることは本当です。私はもっと高かったら良いと思いますが、まあ程々の高さです。
一方で、高い識字率は、次のようなことを発見するのに役立っているでしょうか?例えば民間人の集中する場所を攻撃するための攻撃用ヘリコプターをアメリカがイスラエルに対して送っていることを知るのに役立っていますか。
否です。高い識字率は何の役にもたっていません。なぜなら上記のようなことについて読むことが出来るところはどこにもないからです。片隅に追いやられ事実上は無視されている反体制の出版物を除けばですが。
したがって、もし何も読むべきものがないならば、高い識字率を持っていることは大して問題ではないのです。そしてそこから一般的原理をひきだすことも出来るのです。
私がちょうどいま言及した記録を見てください。1990年3月ブッシュ政権の記録です。明らかにそれは今後、重要になる筈の文献です。しかも、それはそこにあるのです。公けになっているのです。
しかし、高い識字率では、それを発見するのに充分ではありません。主流のメディではそれを発見することが出来ないのです。私の知る限り、それは言及すらされていないからです。反体制の出版物は別ですが。
だから、別の場所・別の文献を見るためには、まず自分が何を探しているのかを知らなければならないのです。
例えば、もし物理学者になりたいなら、他の資料が1トンあっても十分ではありません。自分が何を探しているのかを知らなければなりません。事態がどのように機能しているのかを理解することが必要です。
そしてある程度、理解するためには教育が必要で、その教育の力がからみあって重要であるものを選び出すことを可能にするのです。しかしアメリカの教育システムはそうではありません。実際に全く正反対なのです。
アメリカの教育システムはあなたがそのような危険思想になる心配がないように維持しようとしているのです。そしてしばしば成功しています。そういうわけで、アメリカ人は人権虐待を終わらせるための簡単な方法のようなことにすら注意を払いません。
その最も簡単な方法は、確かに、人権侵害の遂行を止めることです。それは当たり前のことのはずです。だから、そのひとが人権問題に関心があるのであれば、その最大の関心事は次のような自問自答であるべきです。
「我々は人権を侵害することを何かやってはいないか?」と。そういうことは止めよう。
しかしながらそれが実際に機能している方法ではないのです。学校や大学、メディア、一般的に知的な文化は、そのように機能していません。
人はさほど誇張しないで次のように言いさえするかもしれません。「自分たちの仕事は、そのようなことに教育が係わり合いになることを阻止することだ」と。
まさに、このような理由で、人道的な介入に大きく焦点を当てながらも、誰か他の人が何か悪いことをしたとき、その犯罪に参加するのを止めさせるためには何もしないという矛盾を抱え込むことになっているのです。
さて、これが一般的・普遍的なのです。この事態が意味することは、「私たちがしなければならないのは識字率の問題から移動することだ」ということです。
識字率はものごとを理解するための前提条件ですが、理解するには組織化と教育とそして全ての活動家が知っている全てことが必要なのです。あらゆる問題においてそれが真実なのです。
中東における平和について我々(アメリカ)には何ができるのでしょうか?非常に多くのことができるのです。
例えば我々(アメリカ)にできるひとつのことは、和平への妨害を止めることです。それが良い出発点となるでしょう。
アメリカが和平の妨害をやめ、その地点まで行ってしまった後で、そのときに初めてアメリカは次の建設的な段階について尋ねることができるのです。
他にも幾つかがあると思います。例えば、つい先ほど論じたことなどです。
質問10:
あなたのお話は「中東におけるファシズムの予想」としたほうが良いのではと思われます。非常に暗い事態です。
イスラエル社会において何か独立した勢力が見られるでしょうか。たとえば女性運動や知識人や労働者から。あるいはパレスチナ社会の民衆から。
というのは、その人たちこそ、この全体的な政策が進行している事態にたいして抵抗を組織できると思うからです。
あるいはアメリカにおいてはどうでしょうか? 運動の一つの方法として何があると思われますか。その運動はどこでも、まだきちんと焦点化されていないように見えますが。
例えば、アメリカの政策が如何に影響し、それに対する反対運動が如何に結集される可能性があるかなどです。
答え10:
そうですね、質問の最後の部分は重要なものだと思います。
確かに、あらゆる種類の素晴らしい行動が至る所にあります。イスラエルでもパレスチナでもあらゆるところに見られます。しかし、ここでは大したことは出来ません。
そうです。ここで起きている事態に関してアメリカでは、私たちは多くのことができます。そうなのです。私たちは多くのことを行うことが出来ます。
アメリカ人の大多数は、二国が平和的に共存するような解決策を常に支持してきました。ほとんどの人はイスラエルへ軍事援助を送ることに反対しています。
そして、もしパレスチナで何が行なわれているのかを知ったら圧倒的な反対が起こるでしょう。それは私たちの手の届くところにある、実行可能なことなのです。
次に「焦点になっていない運動」についてです。さて私はそれについては多くは知りません。
アメリカには多くのエネルギーと行動主義があると思います。また他の国々にはあらゆるものに焦点を合わせた運動があります。
それらは、このパレスチナ問題に焦点を合わせていますか。否です。
しかし、そのような事態が逆に私たちが何かしようとすることのできる何かなのです。
60年代初め、ベトナム戦争に関して、全く同じ質問が可能でした。
例えば、アメリカが他国を爆撃し、大量の人を強制収容所に追い込み、彼らを支配するために食糧の供給を破壊し、そして長い一連の残虐行為を行なっているのに、どうして誰もこの深刻な状況に焦点を合わせないのか?と。
しかし、事実を知ったら、そうだ、わかった、何かをしよう、となるのです。しかし、ここに何も秘密はないのです。何が行なわれねばならないのかを我々は知っているのです。ただ問題は、ものごとをただ見るだけでは、このようなことは起きないのです。
質問11:
中東で何が起こっているのかについて合理的に正確に報告をしているアメリカの出版物があれば、いくつか挙げていただきたいのですが。
答え11:
例えばMERIP社の『中東報告』Middle East Reportがあります。
実際、私がいま講演で引用した興味深い記事は、その雑誌からです。それにはイスラエルの実業家とシャロモ・ベン・アミについての記事があって、英語で書かれています。
それは『パレスチナ―イスラエル広報』Palestine-Israel Bulletinと呼ばれています。イスラエルで刊行されていますが、英語で書かれていす。とても面白い材料が多いのです。
またZマガジンは多くの材料を提供してきました。Znetは多くの情報を持っています。まわりに材料はあるのです。
[追加質問:それが中東に関するワシントンの報告なのですか?]
いいえ。『中東報告』はMERIP社の定期刊行物です。いま自分でそう呼んでいるのです。彼らは最近名前を変えたのです。
質問12:
国連が第2次世界大戦後の権力構造を反映していることを考えれば、それが真の仲裁組織となりうるという希望をお持ちですか、それとも冷笑的ですか?
答え12:
国連に対しては冷笑的になる理由がたくさんあります。あらゆる種類の堕落があります。まさに私自身の経験からの長いお話をすることもできます。それはかなり奇怪なものです。
しかし国連の主要な問題は、超大国が許可することだけしかできないことです。そして「超大国」とは主としてアメリカのことを意味します。
そこで、もしアメリカが何か境界を設け、「おい、おまえ、それをやっちゃいけない」と言えば、それでそれは終わりなのです。国連はそれ以上なにもできないのです。
そこで我々は常に現在地まで退きます。我々は世界中でずば抜けて最も強大な国に住んでいると言う事実を見落とすことはできないのです。
我々が実際したいと望むことができる唯一のことはその国の内部で政策を変えることです。それが偶々、世界中で最も強力な国だからです。
だからそれが恐ろしく重要なのです。だから国連やその他全てのものに関して、アメリカが主要な条件や制限を押し付けることになるのです。
国連があれやこれや他のいろいろなことを行なっているのを責めるのは簡単なことです。しかし国連が超大国の制限のために、それ以外の行動ができないのです。
国連を酷評しようとおもえば多くのことを言うことが出来ます。しかし、大国が制限を加えているために出来ないのだという批判と比較すれば、それは些細なことです。
ですから、それは再び我々の手中にあるのです。我々が議論して問題に関しては、国連は何もできないのです。なぜならアメリカがそれをさせないからなのです。
例えば国連が占領地に監視軍を入れたいと望んでいたとしても、それは暴力を削減させる具体的な方法とはなりえなかったでしょう。イスラエルがそれに反対し、アメリカがそれを拒否したからです。
質問13:
イスラエルの平和グループはイスラエルの政策にたいしてどんな影響を持っていますか? 大学や宗教団体がこのプロセスの主要な構成要素なのでしょうか?
答え13:
「平和グループ」という語はかなり広範囲の用語です。ここで再び話を戻させていただきます。
イスラエルには各要素があります。それらは私が言ったこと全てに対して賛成するだけでなく、私にもっと強く言えと主張するでしょう。
一方で、バラクの今度の申し出に非常に感動する「平和グループ」もいます。その申し出は西岸地区を分離された飛び地に分割するというものでした。
だとすればどちらが」平和グループ」なのでしょうか?
しかし退屈なのは嫌いなのですが、同じことをもう一度言わせてください。
イスラエルにはどんなグループもありません。平和グループ、戦争グループ、他の何であれ、その社会の内部に信頼しうるどんなグループもありません。
アメリカ内に非常に強い支援を持っているのでない限り、如何なるグループもありえません。それは依存関係の結果からしか生まれないのです。
したがって何か要素、すなわち、あなた方や私の見地からする「本物の平和グループ」があるとすれば、それは程度問題です。
つまり、アメリカ内部に意味のある支援をどの程度まで見出しえたかにによって、そのグループが本当の意味で存在するかどうかの信頼性を持ちえるのです。さもなければ何の信頼性もないのです。
私たちはさまざまなグループの長所について議論することができますが、もしそのグループがなしうることに影響力を望むなら、それをここアメリカで行なわなければなりません。いつものように私たちは同じ地点に戻るのです。
問題を客観化しようとするのはとても強い誘惑です。問題を外部のものとして見よう。問題を外部にいる人々が行なっていること行なっていないこととして見るわけです。確かに、そこにはたくさんの問題があります。
しかし最も高い優先順位は、常にそれを内面化することです。それについて我々に何ができるのか?を考えることです。私たちにとっては特にそれは非常に決定的です。なぜなら私たちにはとても多くのことが出来るからです。
私たちは偶然にも普通でないほど自由な国にいます。しかも世界中でもずば抜けて最も強大な国なのです。だからこそ、それが非常に重要で広範囲の選択権を我々に与えているのです。
そこで次のような大いなる疑問が湧いてきます。私たちはその選択権を利用して何かしているのか?私たちは自分たちが享受している素晴らしい機会と特権を正当に使っているのか?
さて、もし私たちが自分自身を省みるなら、自分たちがそれについてほとんど何もやっていないことがわかるでしょう。それが問題なのです。
(翻訳: 寺島隆吉 + 新見明、岩間龍男、寺島美紀子)
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