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ロサンジェルス・タイムズ特集記事(アカデミー賞受賞式でのスピーチをめぐって)
僕はローマ法王に感謝したい
http://www.michaelmoore.com/words/message/index.php
マイケル・ムーア、2003年3月27日
[翻訳:寺島隆吉+岩間龍男]公開2003年4月4日
虚偽(フィクション)の投票で大統領が当選する時代だからこそ
事実(ノンフィクション)を追うドキュメンタリー映画が今こそ必要なのだ。
ムーアは最近ベストセラーになっている『アホでマヌケなアメリカ白人』(柏書房)の著者です。書名からはふざけた本だと思われがちですが、非常に真面目にアメリカのことを憂えている「真の愛国者」の書だと思いました。現在のイラク攻撃を考えるときの必読書の一つではないでしょうか。
この度、アカデミー賞を受賞した『ボーリング・フォー・コロンバイン』は未見ですが、「銃社会としてのアメリカ」を鋭くえぐったドキュメンタリー映画です。力で全てを解決しようとしている現在のアメリカ外交姿勢と国内の銃社会が瓜二つというのがムーアの主張のようです。近くに来たときは自分も見たいものと首を長くしています。(寺島)
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将来のオスカー賞受賞者へ一言アドバイスしたい。教会へ行くことで、オスカー賞の日は始めないほうがいい。これはマサチューセッツ州のサンタ・モニカ大通りのグッド・シェパード教会で気づいたことだった。この日曜日の朝に僕は妹と父と一緒に協会に行ったのだ。
僕のカトリック教のミサについての問題は、牧師さんが言うことを聞いたあとに、僕は時々自分の気持ちがとりとめのないものになってしまうことに気づくことだ。そして人々を殺害するのは誤りだとか、本当に自己防衛でないならば別の人間に対して暴力を使うことは許されないというような狂気じみたことを考え始めてしまうことだ。
そのことをローマ法王は単刀直入に述べた。「イラクでのこの戦争は正義の戦争ではない。したがってそれは罪である。」と。
その考えはその日の朝以来ずっと僕の心の中にあった。その日の朝、僕は教会を去り、小銭を物乞いするホームレスの前を通り過ぎ(アメリカの子どもの6人に1人が貧困の中で生活していることは、別の形の暴力だ)、コダック劇場を回って通りに出た。僕のスタジオのリムジーンでそこを通り過ぎた時、戦争に反対している人たちが逮捕されているところだった。
僕はドキュメンタリー映画『ボーリング・フォー・コロンバイン』でまさかアカデミー賞を取れるとは思っていなかった。(『ウッドストック』以来ドキュメンタリー映画で大当たりをした作品はなかった。)だから、僕は授賞式のスピーチを準備していなかった。いづれにせよ、僕はたいしたスピーチ作成者ではない。その上、オスカー賞に至るまで既に色々な賞を受けていて、受賞の際には同じようなスピーチをしてきた。このような虚偽の時代に僕たちが生きている時には、ノンフィクション映画が必要だということを僕は述べた。
僕たちは、虚偽の選挙の結果選ばれた、虚偽の大統領を擁している。(もし3000人の年配のユダヤ系アメリカ人が―その多くはホローコーストの生き残りであるが―2000年に西パーム・ビーチでパット・ブキャナン[米国の政治家・ジャーナリスト]に投票したとあなた方がまだ信じているなら、フィクションの美の、真の愛好家だ!)
大統領は現在虚偽の理由により戦争を遂行している。つまり、僕たちは世界第2位の石油供給源を得るためにイラクに実際はいるのに、サダム・フセインは大量破壊兵器を備蓄しているためと主張しているのだ。
それが、中産階級への贈り物だと偽って通過させた減税であろうが、アラスカの未開地に穴を開けたいという要求であろうが、僕たちはいつもブッシュのホワイトハウスから次から次へと虚偽の物語で攻め立てられている。
だからこそ、そのすべての嘘を暴露し人々に知らせることができるように、映画製作者がノンフィクション映画を作ることが重要なのだ。人々が民主主義社会で無知であるならば、民主主義はほとんど全く実現されずに終わってしまう。
こういったことを僕はこの間(かん)言い続けてきた。多くのアメリカ人もこのことには同意してくれると思う。僕の著書『愚かな白人』Stupid White Men[松田和也訳『アホでマヌケなアメリカ白人』柏書房として日本では邦訳が出版されている]はいまだにベストセラー本のナンバーワンだ。(現在のところ53週間ベストセラーナンバーワンで、この年のノンフィクションで最もよく売れている本となっている。)
映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』はドキュメンタリー部門でこれまでのすべての記録を打ち破った。僕のウエッブ・サイトは現在1日で2000万のアクセスがあるようになりつつある。(これはホワイトハウスのサイトより多い。)
僕のアメリカの状況についての意見は、未知でも少数意見でもなく、大多数の主流の意見と同じだ。世論調査によれば、大多数のアメリカ人はより強力な環境の法律を求め、「ローとウェード裁判」を支持し[大変な議論の後、1973年に妊娠中絶を認めた裁判]、国連やすべての同盟国の支持なしでこのイラクとの戦争をすることを望んでいなかった。
これが現在のアメリカの状況だ。それはリベラルなものであり、平和を求めるものであり、アメリカの指導者をただ黙認しているだけなのだ。なぜならそれが戦争中にすべきことだとされているし、あなた方の子どもたちがイラクから生きて戻ってくることを望んでいるからだ。
ドキュメンタリー部門のオスカー賞優秀賞が発表される前の、コマーシャルの休みの時間に、僕はこの映画人の集まりもアメリカ人の大多数の一部であると突然に思った。その彼らが僕の映画に賛意を示して投票してくれたのだ。第3世界に対する侵略行為を可能とするために人々を恐怖で操作するブッシュ政権と、部分的には対決する、この映画に。
僕はノミネイトされた友人に身を乗り出して、彼らに言った。「万一僕がアカデミー賞を取ったら、僕はブッシュ大統領とイラク戦争について発言するつもりだけど、君たちもステージの上で僕に加わりたいかい。僕はもうアカデミー賞を獲得したような気分なので、今度は君たちにもその瞬間を持てるように、ステージを僕とぜひ共有してほしいんだ。」
(彼らはみな優れた映画を製作しており、僕は人々にその映画制作者を見てほしかったし、できれば彼らの映画を見てほしかったからだ。)
彼らは皆同意してくれた。
そのすぐ後に、ダイアン・レインが封筒を開き受賞者を発表した。「ボウリング・フォー・コロンバイン。」メインフロアーの全員が立ち上がって拍手をしてくれた。僕は本当に感動し謙虚な気持ちになった。そして他のノミネートされた友人たちに、ステージの上で僕と僕の妻(映画のプロデューサー)に加わるよう合図した。
そして僕は他の授賞式でこの1週間言ってきたことを言った。しかし数人の他の人々しか僕が言ったことを聞き取れなかったと思う。なぜなら、僕が偽(にせ)大統領につての最初のセンテンスを言い終わる前に、マイクロフォンの近くの2,3の男が大声で叫び始めたからだ。(それは僕の左側にいた「舞台係」だったという報告もある。)そして上のほうのバルコニーにいたグループがこれに加わった。
僕がスピーチを続けている時に、とても混乱したのは、この[スピーチの邪魔をする]雑音は聞こえたのだが、メインフロアーを見ている限りは誰一人としてやじる者がいなかったことだ。しかしバルコニーの大多数の人々は僕のスピーチを支持してくれて、ヤジを飛ばしている者をヤジり始めた。
それは叫び声と激励と嘲笑のものすごくでかい不協和音となった。そして僕が思ったのは「おい、僕はこのためにタキシードを着てきたのか」ということだけだった。
私は最後の下りを述べようとした。(最後の下りは「ローマ法王もディキシー・チックス[米カントリー・ミュージックのグループ]も大統領であるあなたに反対していることが分かれば、あなたはもうホワイト・ハウスには長くいられない。」)
そしてオーケストラがその混乱を終わらせるために曲の演奏を始めた。(数人のオーケストラ員が後に僕の所にやって来て、僕が言おうとしていたことを聞きたかったと言って謝罪した。)
僕のスピーチは55秒だった。許可されていた時間より10秒長いだけだった。僕の行為は適切だったのだろうか[それとも不適切だったのか]。
しかし僕にとって不適切なことは、このスピーチで何も言わず、僕のエージェントと弁護士と僕の着付けをしてくれたデザイナーであるシアーズ・ロウブックにただ単にお礼を述べるありきたりのスピーチだっただろう。
僕は国内でも世界でも暴力を使いたいというアメリカ人の欲望についての映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』を作ったのだ。僕がスピーチで述べたことは、僕の映画が言いたかったこととぴったりと一致している。
もし鳥や昆虫についての映画を作ったのならば、僕はそのことについて話をしていただろう。僕は銃について、そして世界と他人に対してそれを使うアメリカ人の伝統についての映画を作った。
ステージに近づいた時、僕はマサチューセッツの教会での、その朝の説教のことをまだ考えていた。過ちが犯されているのを見ている時、もし黙っているならば、それはその過ちを自らが犯しているのと全く同じことだということを考えていた。そして僕は自分の良心と感情に従った。
オスカー賞授賞式の次の日、ミシガン州のフリントに帰る途中で、二人の客室乗務員が「フライトもせずフリントで一晩中釘付けになり、時給で給料が支払われているので、その日はたった30ドル稼いだだけで終わってしまった」ことを話してくれた。彼らはそのことを僕が他の人たちに話してくれることを期待して僕に話しているのだと言っていた。というのは、彼らや彼らのような何百万人もの人々には、発言権がないからだ。
僕たちがいつも見てきた退役将軍のように、彼らはケーブルニュースの解説者を始めることもない。(米軍はABC/CBS/NBC/CNN/MSNBC/Foxなどのメディアから軍隊を取り除いてくれるよう僕たちは要求できないものだろうか。)彼らは、映画を作ってオスカー授賞式の晩に10億の人々に語りかけ始めることもない。
彼らは、自分たちの息子や娘をイラクに送り込むよう求められているアメリカの大多数の人たちだ。そして、ブッシュの仲間が石油を手に入れることを可能にするために、恐らく死ぬようもとめられているのだ。
もし僕が話さなければ、誰が彼らの代弁をするのか。それが、毎日の人生で僕がやっていることであり、やろうとしていることである。2003年3月23日[アカデミー賞授賞式の日]は、僕の人生の中で最も素晴らしい日のひとつであり、今後長く大切にしたい名誉の日であったが、僕の人生のその毎日と何の違いもないのだ。ただし、この日を教会で始めたということを除いては。
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