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9.11 Families For Peaceful
Tomorrows 9.11の遺族の手記
(原文はhttp://www.peacefultomorrows.org./の中のVoices
of PTの中にある。)
Can I Get A Witness?
私は証言を手に入れられるのか
2002年5月30日
David Potorti
デイビッド・ポトーティ
(翻訳:岩間、公開2003年10月22日)
完全な追悼週間が作られた。この追悼週間は月曜日の休日と木曜日の伝統的な記念日の間に挟まれている。これはまた世界貿易センターの復旧作業の閉会行事とも重なった。そしてたくさんの証言が行われてきた。
フランスではブッシュ大統領がオマハ海岸のDデイ[ノルマンディー上陸作戦の日]の墓地を訪れ、その連合軍の占領に活躍した兵士と今日の「自由に耐えられない人々から我々の自由を守る」兵士を等しいものと見なした。
ニューヨークでは牧師が「自由の女神の永続的なの警戒と希望のたいまつを脅かす、すべての人々」からアメリカを守る軍隊を祝福した。その一方で、自由の女神像を訪れることを望む人々は監視カメラで顔写真を記録され、顔面の認識技術で分析され、知らないうちにデーターベースに目録を作られた。
そして私のノースカロライナ近辺では、人通りの激しい商店街の外で胸に勲章とつけた退役軍人が、次のように書いた看板を持って立っていた。「バーゲンセールをするために、数千人の人々は死んだのでしょうか。」[この追悼週間は商売を繁盛させるためにあるのではない。]
今日は、彼が言いたかったのは数千の人々が死んだことより商売を優先させていることだったようで、私は彼の誠実さを疑ってはいない。そしてとりわけ、私たちの証言が私たちに委ねられた唯一の仕事だと私は考えるようになった。
私の両親が息子つまり私の一番上の兄ジムを9月11日に失った1週間後に、私たちの家族の家の正面の玄関に私たちが集まっていた時、1台の車が近づいてきた。私たちが今まで会ったことのないその男性は、地方新聞で私たちが肉親を亡くしたことを読んでいたことは明らかだった。彼はきちんと畳んだアメリカ国旗を持って、私たちの玄関の階段を登ってきた。「お母さんですか。」と彼は国旗を手渡しながら尋ねた。母親は彼にどなたですかと尋ねたが、「そんなことは重要なことではありません。」と彼は答えて、去って行った。国旗が彼の証言であり、彼が私たちに与えなければならない唯一のものであった。私たちは兄の追悼式でそれを掲げた。
この春、第二次世界大戦の退役軍人である私の父は再び玄関にいたが、今度はほうきを持って立っていた。誰かが居間の窓に石を投げ、父はガラスを掃いていた。それは個人的な[恨みによるもの]ではなかった。その投石は、先月両親の家の近所で起きた28件の公共物破壊のひとつだった。その容疑者は子どもだろうと推測されていた。その子どもはおそらく監督されておらず、仕事もなく、片親あるいは両親から面倒をみてもらっていないだろうとのことだった。
私の心に投げつけられた石はまた、その犯人の心の叫びのひとつの形であった。つまり、その犯人のコミュニケーションの不足や、認めて欲しいという叫び、怒りの表明と考えられる。物珍しそうに、私の両親はその石を窓の敷居のところに置いておいた。おそらく証拠として、あるいはその石がどうやって居間に入ってきたのか考えるために。しかし、[両親の家に投げられた]その石や他の家庭の窓に投げられた石は、何か答を求めているメッセージだと私は考えている。結局、それらの石は何らかの理由があって投げられたのだ。[9.11テロも何らかの理由があったはずだ。]
「平和な明日を求める9.11遺族の会」(戦争に代わる解決策を求める9.11の犠牲者の家族のグループ)の会員として、私は兄の死について公に語っている。9.11とその後の日々の私の証言は、私が[他の人々と]分かち合うべき唯一のものだ。私たちのグループの他の会員は、この冬のアフガニスタン訪問の証言の責任を負っている。アフガニスタンで彼らはアメリカによって行われた現地での一般国民への爆撃の結果を直接学んだ。
彼らはカブールに住む10代の少女ハンガマ・オメルからのメッセージカードを持ち帰った。「あなたの美しい国での9.11の状況を気の毒に思います。ご存知かもしれませんが、同じ状況が私たちの国でも過去20年間繰り返して起きてきました。私たちの挨拶を受けて下さい。私たちのことを忘れないで下さい。」
別の人々は自分たちの信仰は忘れてはならないのだということを耳にしている。私の町でのある宗教上の集まりで、現代の問題に信仰を持つ人々がどう対応すべきかという課題に直面して、公の宣誓をした。彼らは自らを「正義と平和の教会」と宣言し、決議と誓約の声明を発表した。「私たちは地域社会で予言的に重要な証人になることを切望しているが、私たち自身が将来どのようになるのか分からないのであるが....世界で解放と和平と正義の行いの神の存在の証言を行う努力をすることを我々は決意している。」
何人かの人々は他の証言に挑戦している。「あなたはキリストを主張するが、シーザーのような行動も主張している。」と、シアトルのトリニティユナイテッドメソジスト教会のリック・ラング牧師はブッシュ大統領のことを述べている。というのは、ブッシュはイエス・キリストは彼のお気に入りの哲学者だと言っていたからだ。「もし神がこの時代にあなたを選んだのなら、キリストの名においてイエスの価値と未来像に仕えて下さい。すなわち、飢える人々に食べ物を与え、服を身にまとっていない人々へ衣類を与え、囚人を解放し、負債を取り消し、敵を許し、聖なる年を実践して下さい。その時こそ、あなたを通じてこの国とすべての国民は祝福されるでしょう。」
この春、「平和を求めるイスラエル・パレスチナで肉親を亡くした家族の会」の旗を掲げて、別の証言グループが、アメリカに証言を持ってきた。イツハク・フランケンサルは、正統のユダヤ教徒だが、テロによって子どもを失った親の集まりを作った。これは彼が19歳の息子アリクが1995年にハマス[パレスチナの過激派]によって誘拐され殺害された後のことだった。[イスラエル・パレスチナ]紛争で愛する者を失ったユダヤ人とアラブ人の親たちと接触をして、彼は無数の同じ気持ちを持つ人々を見出した。
彼らはイスラエルとパレスチナの旗で覆った1050の棺を持ってニューヨークまでやって来て、その棺を国連の前に置いた。彼らの肉親の死の証言を行い、政治家が明らかに行えないことを彼らが行っていることを証明した。彼らは和解を発見し、自分たちが受けた苦痛を他の人々と分かち合うことを選択した。彼らは自分たちの例によって、暴力を終わらせることは遠い目標ではなく、私たちがする決断であり、私たち一人一人の力にかかっているものだということを証明した。
数週間後に、私たちの「平和な明日を求める会」は広島と長崎の被爆生存者の日本の代表の訪問を受けた。彼らは自らのことを「核兵器廃絶をめざす広島の会」(HANWA−長崎の同様の組織はNANWAと呼ばれている)と呼んでいる。そして彼らの訪問は「核兵器の使用可能性へ警鐘を鳴らす」ことだった。これらの人々は1945年8月の彼らの都市への攻撃で生き延びてきた人たちであった。彼らは現在60代から70代の年齢だが、自分たちの経験の証言を行うことに献身してきた。
ヤマオカ・ヒデノリは爆撃によって孤児になり、子どももいる家族の友人の狭くて混み合った家庭に引越しをしなければならなかったことを回想している。その家の子どもたちは彼をいじめ、彼がいることに憤慨をしていた。この痛々しい幼年期の状況は、彼が爆撃のことを思い出す鏡のようなものであり、30年間アメリカを憎んできた原因であった。
他の人たちは死体の海の中でわずかに生き残った人々の1人としての恐怖を語った。ある女性の姉妹は爆撃では生き残ったが、傷があまりにも痛むので数日後に自殺してしまった。別の人は生き残るために草を食べたことを語った。そして四つ葉のクローバーを幸いにも沢山見つけたことを回想している。後になって彼女はその葉は放射能によって引き起こされた突然変異であることを知った。
彼らは定期的に個人的な証言を繰り返している。しかし、日本の若者でさえ「平和に退屈する」ようになっていると報告している。「忘れてはならない」ということを教えられ、(この手記を書いている時点では)日本は唯一の被爆国であるとうことを事あるごとに思い出すようにされても、多くの人々がこれらの年老いた政治家や女性にますます注意を払わなくなっている。それでも彼らは自分たちの重要な証言を行い続けることを主張している。
今年の春、スタツテ島のフレッシュ・キルズ・ゴミ処理場は、世界貿易センターの瓦礫の無残ではあるが適切な行き場であるが、この場所自身が証言に役立った。ある人のDNAが少量の人間の遺骸と一致したのだ。その遺骸は私の兄であった。すなわち親指の爪の大きさの骨の小さなかけらが確認された。これは人間の遺骸の1000個のうちの一つであり、当時19000個の人間の遺骸から1000個分の身元が確認されていた。その遺骸は平和公園のニューヨーク検死者医の事務所の外にある間に合わせの白いテントの中の2列の冷凍トレーラーの中にある。それぞれの前には証言を行いにやって来た家族のために花の飾ってある証言台がある。
壁の上には巨大なアメリカ国旗があり、これは後にスミソニアン博物館に飾られることになっている。その巨大な国旗は9月11日の犠牲者の手書きの名前が書かれたおよそ3000の小さな旗でキルティングされている[刺し子に縫い合わされている]。さらに他の小さな旗は、ツイン・タワーで命を落とした115人の違った国籍の人々がいたことを示している。人間の遺骸と同じように、それぞれの旗は証言をしているのである。また、私たちの最近の歴史のすべての戦争と人間の死も----ジョージ・ブッシュのノルマンディーの海岸の高台から、東南アジアのキリング・フィールド[カンボジアのクメール・ルージュ勢力が行った自国民200万人虐殺のこと]、パナマとエルサルバドルの共同墓地、ジェニン[パレスチナ西岸の都市、ここでもイスラエルによってパレスチナ人の虐殺が行われた]の瓦礫に至るまで----証言している。これらの形跡は証人となり証言を行っている。私の両親の窓に投げ込まれた石、アフガニスタンから来たメッセージカード、中東から運ばれた棺のように、それらの証言が私たちに投げかけられているのである。それらの証言は生き続け、テロと戦争の無益さを私たちに語りかけている。
デイビッド・ポトーティは9月11日の犠牲者の家族のメンバーによって設立された組織「平和な明日を求める会」で活動している。
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