無料-
出会い-
花-
キャッシング
9.11 Families For Peaceful
Tomorrows9.11の遺族の手記
(原文はhttp://www.peacefultomorrows.org./の中のVoices
of PTの中にある。)
Only Human
私たちは弱い人間にすぎない
2003年2月9日
David Potorti
デイビッド・ポトーティ
(翻訳:岩間、公開2003年10月20日)
この原稿を書いているのは、2003年2月である。米国はイラクでの短期の決戦の準備をしている。一方、1945年の2月には、米国は別の短期の決戦を準備していた。この戦いは硫黄島と呼ばれる太平洋の小さな島で起こることになっていた。硫黄島は日本本土への我が国の戦時の前進の重大なステップであった。当時、日本はその国民や近隣諸国や我が国の領土真珠湾を、残忍に扱かっていた。その島は小さかったが、日本人によって強く防備を固められていた。日本人は前もって、硫黄島の支配は連合国にとって戦略的に必要なことをよく知っていた。
にもかかわらず、米国の何人かの人々はその領土を確保するのに、72時間から4日という短期の戦いを予測していた。別の人たちは米国の深刻な死傷者を予測し、15000名の軍人の死傷者を見積もっていたが、その見積もりを出した人たちは、あざ笑われた。ところがこの両者とも見通しが間違っていた。硫黄島を確保するのに、26日間もかかった。しかし、25851名の海兵隊の死傷者をこの戦闘で出した。しかし、この戦闘は第2次世界大戦の無数の戦闘のひとつにすぎなかった。1979年に出版された『暗闇よ、さらば:太平洋戦争の回顧録』の中で、ウィリアム・マンチェスターの回想がある。マンチェスターは彼自身がガダルカナルや沖縄の戦闘を目撃した海兵隊員であった。
当初の戦闘の楽観的な見通しとは違って、マンチェスターは次のように書いている。「硫黄島での死は並外れて強烈なものだった。きれいな傷などなく、死体の断片があるだけだった。それはベルビルの解剖部屋の大隊の軍医のことを思い出させる。ひとつなぎの15フィートの長さの内臓や、腰の所で半分に切断された胴体に、あなたはつまずいた。足や腕や首だけのある頭が、一番近い胴体から50フィートも離れて横たわっていた。夜になると、その橋頭堡は、焼ける肉の悪臭がプンプン臭った。」
最近私はこの硫黄島のことを考えている。というのは、私の父が海兵隊の第4師団にいて、硫黄島にいたことがあるからだ。彼は長生きをして、自分の長男つまり私の兄が世界貿易センターで死亡するのを目撃した。私はスペースシャトル・コロンビア号が火の玉となって地球に帰還したのを目撃した。この帰還は、嬉しい再会となるはずであったが、想像を絶する衝撃的な乗組員の死という結果になった。関係者がどのように感じているのか私にはよく分かるし、それはあまりにも悲劇的だったので耐えることができないものである。
私が考えていることは、軍の概況説明や追悼儀式のことではなく、人間の体そのもののことである。世界貿易センターへの攻撃についての初期の報道を私は覚えている。その報道では、目撃者は「人間の体が雨のように降ってきた。」と述べていた。何百もの靴が空から落ちてきたと記述されていたのを私は覚えている。歩道に落ちてきた腕や足や手のニュース写真は、あまりにもひどいものなので読者は見るに耐えないだろうということで、相互の合意をもとに、すぐに検閲をされた。
今私はスペースシャトルの爆発の記事を読んでいる。4才と6才と8才の3人の息子を連れたテキサスの母親は、オフロードカーに乗っていたが、その時に彼らはひとりのシャトルの宇宙飛行士の焼け焦げた足を偶然見つけた。その女性の隣人は、裏庭で頭部を含むひどく損傷した胴体を発見した。また別の男性は道路の真ん中で人間の胴体を発見した。ここでも再び人間の体が雨のように降っている。
戦争やテロリスムや事故も同じ結果を生み出すが、道徳的には同等のものではないと、主張できる。しかし、その共通の結果は人間の身体の状況についての何か恐ろしく重要なことを説明している。そのことは、結局、私たちは弱く、はかない、短命の人間にすぎないということを思い起こさせる。そのことは、最善の意図や技術があっても、物事は計画通りには行かないことを示している。そして、結局は、今から1年後あるいは5分後の私たちの運命を私たちは支配しているふりをしても、それは幻覚にすぎないことを示している。結局のところ、私たちがイラクに落とす爆弾は、世界貿易センターへの攻撃と同じことになるだろうということを思い起こせば、この戦争は屈辱的な経験になるだろうし、あるいは少なくともそうなるべきだ。恐怖と死を目撃するその子どもたちは、そのことによって永久に人生を狂わせられる。そして死ぬ者にとっては、彼らがどのように、何故、どのような状況で死ぬのかということは無関係なことである。それでも彼らは人間なのだ。それでも彼らは死ぬのだ。
それは屈辱的な経験である。
あるいは少なくともそうあるべきである。
この原稿は2003年2月9日、『Common Dreams』で発表されたものである。
[PR]動画