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9.11 Families For Peaceful
Tomorrows 9.11の遺族の手記
(原文はhttp://www.peacefultomorrows.org./のVoices
of PT中にある。)
The Ongoing Process
巡る思い
2003年9月8日
Paula Shapiro
パウラ・シャピロ
(翻訳:岩間、公開2003年10年17日)
この随筆は私の息子エリック・アダム・アイゼンバーグの死を嘆き悲しむ私の巡る思いを記したものである。息子はAONの従業員と一緒に人々が避難するのを助けていた時、世界貿易センターのサウス・タワーで死んだ。この随筆では、私が心の平穏をどのように見つけてきたかについても述べた。
その日、私はニューメキシコのギャラップで朝6時に起き、病気の友人のためにパンを焼いていた。いつものように、CNNニュースはつけてあった。最初の飛行機が世界貿易センターに激突した時、それは事故だと私は思った。どのビルで息子が働いていたのかはっきり分からず、私は彼に電話をするために受話器を取ろうとした。ちょうどその時、電話が鳴った。それは息子からの電話で、自分は大丈夫だと知らせるために電話だった。飛行機が激突したビルに彼はおらず、彼らは避難をしているところであった。息子に「愛しているよ」と私は言ったかどうか覚えていないが、そう言ったと思いたい。
私はCNNニュースをそれからも見ていたが、およそ20分後に2機目の飛行機がサウス・タワーに激突した。息子のエリックが何階で働いていたのか私は思い出せなかった。エリックの携帯電話に電話を何度もしたが、彼の録音された声だけが聞こえたのを覚えている。
1日中電話が鳴り続けた。私の娘と私は2〜3時間おきに電話で話し、友人からの多くの電話があった。ニューヨークにいる友人たちは、私の息子を探しに出かけてくれた。その日の遅くに、私は83歳の私の両親に、エリックが行方不明であることを知らせるために電話をした。しかしその日のほとんどは、私は恐怖と苦しみの中で意識が朦朧としていた。
ついに私たちはエリックはおそらく89階にいたと結論付けた。
2001年9月11日、私はナバホ族(Dineh)(*Dinehはナバホ族が自分たちの言語で自分たちを呼ぶ言葉で、「人々」という意味。ナバホはスペイン語で泥棒という意味で、侵略者のスペイン人が彼らのことをこのように呼んでいた。)の全寮制の学校のソウシャルワーカー・カウンセラーとして働いていた。この学校は600人を超える子どもたちの面倒をみており、私は主に寮にいる小さな子どもたちの面倒をみていた。私は9月13日の水曜日にこの仕事に戻った。それは家にいるとCNNやMSNBCのニュースを否応なしに見てしまい、私の頭がおかしくなってしまうからだった。
子どもたちもこの事件を怖がり動揺していた。これらの子どもたちの多くは親類を失っていたので(私が働いた他のどのような文化圏の人々よりその数は多い)、彼らの共感や弔慰の気持ちは激しいものがあった。職員は学校のホールで私と会い、私と一緒にいるために立ち止まってくれた。女性職員は私と一緒になって泣き、男性職員は私の肩をたたき私の手を握って「気を確かにもってくれ」と言ってくれた。私はこれほど人々の愛と好意を感じたことは今までになかった。
しかし午後になるまでに私はヒステリー状態になり始め、その場所に入りたくなくなった。二人の別のカウンセラーであるルシア・ミッチェルとパトリシア・トデチネと会っている時に、私はどのように自分が感じているのかを話した。彼らはすぐに呪術医に提案をして、私をイサドレ・ビゲイと話ができるように隣に連れて行ってくれた。イサドレも学校の専門的な相談員のひとりであった。
当時、私はナバホ族の何人かのよい友人に恵まれており、彼らの文化と少しばかりの彼らの精神的な診療を教えてもらっていた。私はいくつかの癒しや神の恵みの儀式や会合にも出たことがあった。幸いにも、そのようなことが愛をもって提供されると、私は容易に様々な精神的見通しを調和させることができる。
イサドレは何をしてほしいのか私に尋ねた。すぐに私は彼に言った。「私はエリックがどのように死んだのか知りたい。彼は今生きているのかどうか知りたい。私の心の中で起きてくるこのヒステリックな気持ちをなくしたい。」彼は私の目を長い間、見つめて、私のことを助けられと思うと私に言った。そしていつどこでその儀式をするのかの話し合いがあり、ルシアが彼女の家を提供してくれた。
次の日、暗くなってから、私たちはルシアの家に集まり彼女が用意してくれた食べ物を食べた。
私はその儀式の多くを意識的にはあまり覚えていない。イサドレは自分が見つめる石炭の中で、私にエリックを見せようとしていた。私の質問に対して彼が次のように答えたことを覚えている。「エリックが死ぬには時間が長くかかった。彼は燃えている何階もの床を落ちていったから。」エリックにどのように死んだのかという質問をしてしまったことを私は後悔した。イサドレは私に言った。「エリックは今もう大丈夫で、違った方法で君のところにやって来るだろう。」
そして彼は他の伝統的な魂の救済の儀式をしながら、神聖なナバホ族の癒しの儀式を続けた。その儀式の間、彼はナバホ族の儀式の言葉を話し、それを私に翻訳してくれた。儀式の終りに彼は言った。「今日は私ができることすべてを行った。」儀式の終りに私は立ち上がった時、少し気分がよく軽く重荷が減った感じがして、9月10日の気持ちになっていた。
これが私の癒しの始まりだったと思う。
2002年8月まで私はギャラップにいた。ナバホ族の友人たちが私に多くの贈り物と神の恵みと癒しを与えてくれた。ナバホの人々は本当に私に親切で、愛と援助を差し伸べてくれた。
2002年の秋、私は「平和な明日を求める9.11遺族の会」に出会った。これは私の人生において次に大きな癒しの贈り物であった。もし私がこの個人的な精神的荒廃を積極的なエネルギーに変える事ができなかったならば、この悲劇的な経験は本当に耐えられなかっただろうと思う。
「平和な明日を求める9.11遺族の会」は、現代の極めて重要な倫理的問題のひとつについて同じ気持ちを持つ者が集まっている場所だ。これは私たちの悲しみを平和のための行動に転化させる努力について、[米国の戦争推進勢力からの批判から]自己防衛をしなくてすむ場所だ。共感が理性を満たす場所のように感じられる。「平和な明日を求める会」は私に即座に共感のネットワークを提供してくれた。私たちはすべて肉親を失うひどい経験に苦しんできたばかりでなく、様々な理由から、私たちの苦しみを他の人々が経験しないようにする解決策を模索するため、私たちの苦しみを使うことを選んだ。
ゆっくりとしたスタートだったが、「平和な明日を求める会」に私はますます深く関わるようになってきた。このことは、私が自らの苦しみを情熱的な行動に変える機会となった。
「平和な明日を求める会」が世界を変えられるかどうか私には分からないが、人々に語りかけ人々の信条に働きかけることは心理的な成長や癒しにつながるということは、はっきり分かる。そして苦しみを積極的な力に変えることは、きっと人々の精神に衝撃を与えるに違いないと思う。
さらに実際的な言い方をするならば、「過去は未来の姿を予見して、戦争は平和な明日を作り出すには劣悪なノミ(鑿)であると大声で述べている。」――マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの言葉
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