無料-
出会い-
花-
キャッシング
9.11 Families For Peaceful Tomorrows 9.11の遺族の手記
(原文はhttp://www.peacefultomorrows.org./の中のVoices of PTの中にある。)
Personal Statement
個人的な発言
2003年9月9日
Sue Rosenblum
スー・ローゼンブラム
ヨシュアの母
(翻訳:岩間龍男、公開2003年10月13日)
2001年9月11日、私はテレビの前に座って5人兄弟の末息子が死んでいくのを見ていました。ヨシュアは9月15日に結婚をすることになっていました。貿易センターのノース・タワーから煙が出ているのを見ている時、私はヒステリックに「ヨシュア、逃げて!」と叫んでいました。しかし私は彼が死んでしまったことが分かっていました。息子のことと、私から息子を奪った恐ろしい行為のことを考えなかった日は、1日たりともありません。
2回目の記念日が近づくにつれて、私はこの2年間のことを考えずにはいられません。1年目は茫然自失のうちに過ぎました。2年目は実際さらに困難な状態でした。そのすべての現実と非道さが[私の心に]広がったと思います。[貿易センターの崩壊から出た]ほこりが文字通りやっとおさまった今、この時点で私たちはどこにいるのか綿密に見る必要があります。
9月11日の2週間後に、私はヨシュアの追悼式で追悼演説をしました。戦争がその答ではないことをはっきり言いました。というのは、殺人と憎悪はただただますます多くの殺人と憎悪を育てるからです。この世界が生き残るためには、私たちは教育によってこの対立を根絶し始めなければなりません。2年後、テロリズムを一掃すると称して、アメリカは(世界の世論を押し切って)、まずアフガニスタン次にイラクとの戦争をしました。おそらく私の思考過程がどこかとてもおかしいのです。しかし、私たちが成し遂げたことが建設的なことだと考えられることは、理解しがたいことです。この戦争で使用された爆弾やロケットやその他のどんなものでも、その大多数が明らかにテロリストではない何千もの人々の家や頭上に空から落とされました。このことと世界貿易センターに突っ込んだ飛行機と何の違いがあるのでしょうか。これらの人々はアフガニスタンやイラクの市民であるから、9月11日に亡くなった私の息子や他のどのアメリカ人よりも彼らは無実の度合いが少なかったということなのでしょうか。彼らは私たちとは違うから、苦痛や必要性が少ないとでもいうのでしょうか。彼らは刺された時、血を流さないのでしょうか。
だから2年の後に、私はここにいて、同じメッセージを送っています。私の決意は固いので、私のメッセージは声高になります。9月11日に行われた行為は世界の最後の警鐘となるべきでした。復讐はたださらに多くの死をもたらしただけでした。今ある核兵器や生物化学兵器で、このことすべてをどのように終わらせることができるのでしょうか。そのことがすべて終わった時、そのメッセージを伝える誰かが残っているのでしょうか。サダム・フセインの息子たちの死体が確認されたという発表は、私たちを喜ばせるのでしょうか。これが紛争を終わらせるのでしょうか。これが世界の状況の著しい変化をもたらすのでしょうか。
9月11日に死んだ人たちは英雄と呼ばれています。もしヨシュアのことを述べて下さいと言われたら、その「英雄」という言葉はおそらく頭には浮かびません。確かに彼には多くの素晴らしい面があり、おそらく機会を与えられれば、何か英雄的なことをしたかもしれません。しかしその日、彼は単に自分の仕事をしていただけでした。彼は信頼できる若者で、104階のキャンター・フィッツジェラルドの事務所の机のところに座っていました。
これら男女の死は無駄ではなかったとも言われています。武器の使用ではなく対話と和解で、様々な違いを解決できる時、この世界にはすべての信条を持つ人々がいられる場所があることを私たちが理解する時、私たちがすべての人々が存在する権利を認める時、そして最後に私たちが世界平和を達成し始める時、その時にこそ、私はヨシュアがなんらかの目的に役に立ったかもしれないと信じる事ができるでしょう。
[PR]動画