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トルコで、中東平和の見通しを語る
Chomsky’s
Dyyarbakir Speech
2002年3月25日
私の個人的な意見で(この講演を)始めさせていただけるならば、私がここにいることはとても感動的な体験であるということです。私は今までのクルド族のトルコにおける壮大で悲劇的な歴史を、特にここ10年間で私が発見したすべてのことから、最善を尽くして学んできました。しかし、現在抵抗をし、自由と正義のために闘っておられる人々の実際のお顔を拝見することは、ただ単に学ぶこととは全く違ったことであります。
私は何度も人々がその母国語を使うことの権利についての私の意見を述べるよう頼まれてきました。言語学者としては、私はこのことについては何の意見も持ち合わせていません。人間としては、議論することは何もありません。それはあまりに自明のことだからです。
文学の世界であろうが、公の会議であろうが、その他のどのような場合にでも、人が望むように自由に母国語を使う権利は、根本的本質的人権であります。それについて、これ以上言うことはありません。
自分自身の言語で選択科目を取る権利、それを求める学生や父母の、この去数週間にわたる運動は、単にこの基礎的な人権を改めて主張していることにすぎません。それは、検討されるべき問題ではありません。人はただ勇気を褒め称えることができるだけです。抑圧と逆境の中でこの運動を推し進める人々の勇気を。
文化的な権利の問題は、議論の余地なく明白な権利なのですが、文化的な権利の問題の向こうに、さらに難しくて複雑な政治的権利の世界があります。これらの問題はいま世界中で起きていることであります。
ヨーロッパで今起きている健全な発展のひとつは、民族国家が低落し、ますます地方分権化する傾向であります。カタロニアからスコットランドに到る地域で、伝統的な言語や文化、慣習、政治的な自治の復活があります。この復活は、本質的な自治権をもった地方で構成された連邦の構成といったものに繋がるかもしれません。私は、そうあるべきだと考えています。
実際、それは昔のオスマントルコ帝国のようなものだと思います。オスマントルコ帝国には多くの誤った部分がありました。しかし、その幾つかの点は基本的に正しかったのです。すなわち、この帝国はその枠組みの中で、高い程度の地方の自治と独立を残したという主な事実です。
その帝国は不幸にも独裁的で腐敗し残酷なものでした。しかし、私たちはそういった負の側面は、消し去ることができます。そして、オスマントルコ帝国の肯定的な側面は、おそらく何らかの仕方で復元されるべきであります。
そして、その種の枠組みは発展してほしいと私は願っています。その枠組みの中で、人は自治的なクルドを私は期待できると思います。それは、その地域の無数のクルド族を、自己統治すなわち自治的で文化的に独立し政治的にも活発な地域に統合できます。皆が望んでいるような友好的で協力的な国家の、民族的文化的な集団の幅広い連合の一部として統合できると思います。
次に起きてくる問題は、そのような目的を達成するための闘争の方法に関わることです。ここでの根本的な問題は、それらの闘争は暴力でなされるべきなのか、あるいは非暴力でなされるべきかということです。
ここでは私たちは2種類の問題を区別しなければなりません。その2種類の問題というのは、道徳的な問題と戦術上の問題です。
道徳的な問題に関しては、私の個人的な見解は、暴力の使用を主張しそれに着手する者は、その必要性に対する、たいへんに重い立証責任が要求されるということです。私の意見では、その立証責任はほとんどめったに満たされません。
他方、非暴力の抵抗は道徳的にも戦術的にも、非常に適切なものです。しかし、非暴力の基本原則があります。すなわち「もし、あなた方が抑圧を受けている人々に喜んで寄り添い立つのでないならば、あなた方は非暴力を説くことはできない」ということです。さもなければ、あなた方はそのような非暴力を相手にお説教はできないのです。
私は(クルドの人たちのような)抑圧に苦しむ人々のすぐ傍にいるわけではありません。ですから、それに対して私の意見を表明することはできますが、その人たちに行動の指示やアドバイスを与えることはできません。
抑圧が抵抗につながり、抵抗はしばしば暴力になるということは、歴史の特徴であります。もし、抵抗が暴力の形をとるなら、その抵抗は必ずテロリズムと呼ばれます。それはすべての人々について言えることであり、世界の最悪の大量殺人者たちにも言えることです。
だから、例えば、ナチは、ヨーロッパで彼らが行なっていたことを、パルチザンのテロリズムから人々を守るものとして、述べていました。ナチの目には、自分たちは、外国から指導されたテロリストであるパルチザンから、合法的なフランス政府(所謂「ヴィシー政権」)を守っているのだと映っていたのです。満州にいた日本も全く同じことです。彼らは、中国の悪党たちのテロリズムから人々を守っていたのです。
宣伝は、もし、それが信用されるべきものであるならば、たとえどんなに低俗であっても、その中に、ある真実の要素を持っているはずなのです。そして、ナチや日本の侵略者のような最悪の大量殺人者たちの場合でさえも、彼らの主張には真実の要素がありました。
捻じ曲がった判断力であったとしても、彼らの主張は合法的なものでありました。他の国々によってなされる主張についても同じことが言えます。例えば、米国やトルコや他の国々も、テロリズムから人々を守っているのだと主張しているのです。
テロリズムの概念に関しては、実際には二つの概念があります。ひとつは「テロ」という概念であり、もうひとつは「反テロ」という概念です。例えば、米軍のマニュアルを見てみると、「テロ」と「反テロ」が定義されています。そしてその定義で面白いことは、「テロ」と「反テロ」が実質的に同じであるということです。「テロ」は「反テロ」とほとんど同じであることが分かってきます。
主な違いは、誰がテロリスト暴力の行為者であるのかということです。もしそれが私たちの好まない誰かであるならば、それはテロリズムです。もしそれが、私たち自身も含めて、私たちの好む誰かであるならば、それは反テロリズムなのです。しかし、そのことは別として、テロ行動の定義は、ほぼ同じです。
テロリズムと反テロリズムのもうひとつの重要な違いは、いわゆる「反テロリズム」は通常、国家によって実行されるということです。それは国家によって行なわれるテロリズムなのです。
そして、国家は(莫大な)資源を持っており、そのことによって個人的なテロリストよりもはるかに暴力的で破壊的な行動を可能にしています。したがって、その最終的な結果として、国家のテロリズムは世界の他のどのような組織のテロリズムより、はるかに重大なものとなります。
新聞記などで、テロリズムは弱者の武器であるという記事をいつも読まされ増す。それは完全に誤りであり、真実とは全く反対のことであります。他の武器と同様に、テロリズムは、強い国、特にさらに強力な国々によって効果的に使われています。
そういった国々は、世界のテロリズムの親玉であります。彼らが自らのテロリズムを「反テロリズム」と呼んでいることを除けばですが。
いま毎日、私たちは「テロに対する戦争」があるのだと聞かされています。その「テロに対する戦争」は最も強力な国々によって宣言されてきたものです。事実、そのような戦争宣言は2度目なのです。
というのは、20年前の1981年に「テロに対する戦争」は宣言されています。レーガン政権は、その就任時に、次のように宣言しました。
米国の外交政策の焦点は国家によって支援された国際的なテロリズム−現代の疫病―となるだろう。我々は世界からそのような悪を追い出すだろう。
その戦争は再び同じ言い回しで宣言されています。そして、ほとんど同じ人々によって宣言されているのです。20年前の最初の「テロに対する戦争」の指導者たちの中に、現在の「テロに対する戦争」を指導している人々がいるのです。そして、その「テロに対する戦争」の結果も同じようなことになりそうです。
最初のテロに対する戦争の焦点は、中米と中東でした。そしてこれらの地域の両方ともが、1980年代の大規模なテロリズムの場面でした。
このテロリズムの大部分は、とりわけ米国とその子分と同盟国によって行なわれたのでした。ほとんど先例のない規模で。
その詳細にまで立ち入る時間はありませんが、例えば中東において、最も極端なテロリストの行動は、イスラエルのレバノン侵攻でした。この侵攻は、米国によって支持され、武装され、支えられたものでした。この侵攻により、その政治的目的のために、2万人の人々が殺害されました。
何の見せかけもありませんでした。イスラエルの占領地の効果的な支配を保障する米国・イスラエルの政策を促進するための戦争であるということは、イスラエルでは公然と認められていました。
それは、その地域における、米国によって直接に実行され(あるいは米国に決定的に支持された)テロリズムのひとつの例にすぎません。このテロリズムは、事実上の限界という点で、他の事例を上回るものでした。
中央アメリカでは、レーガン政権は当初、(ベトナム戦争時の)南ベトナムでのジョン・F・ケネディの政策モデルに従おうと試みました。すなわち、化学兵器やナパーム弾やB52の爆撃で、米軍による侵略をすることによって、直接的に南アメリカを攻撃しようとしたのです。
しかし、レーガン政権はその意図からは退かなければなりませんでした。なぜなら、米国の人々はこの間の20年間のうちに、実際の行動や抗議活動や組織活動を通じて、かなりの程度まで教養が高くなってきていたからです。従って、レーガン政権は南ベトナムで行なったような直接的な侵略は、あきらめなければなりませんでした。
その代わりに国際的なテロリズムにその進路を変えました。今まで世界が見たこともないような、並外れた国際テロリズムのネットワークをレーガン政権は作り出しました。
リビアのような小国がテロ行動を行ないたいと思う時、彼らはカルロス・ジャッカルのような個人も殺し屋を雇います。他方、米国のような超大国が国際テロリズムを実行したい時、その超大国は、台湾やイスラエルやネオ・ナチの将軍の支配下にあるアルゼンティンやイギリスやサウジアラビアなどのテロリスト国家を雇います。
他のテロリスト国家は、地方の代理人と一緒になって、その仕事の大部分を実行します。米国は資金や(軍事)訓練を提供し、全体の指揮を取ります。その効果は恐るべきものです。数十万の人々が殺害され、あらゆる想像可能な種類の拷問が行なわれます。
過去10年間のトルコ南東部で行なわれたことから、あなた方はすべてのことをご存知だと思います。そして、それはついに、民衆の抵抗を押しつぶすことに成功しました。
また、上記の戦争には、現在流行の言い回しを借りるならば、ある種の「文明の衝突」が含まれていました。米国は(中央アメリカの)カトリック教会と闘っていたからです。
というのは、カトリック教会は(米国にとって)重大な誤りを犯したからです。すなわち、カトリック教会は「貧しい人々のための優先的選択」「圧倒的な多数派の貧しい人々のへの献身」という方針を採用したからです。それは米国には受け入れがたいものでした。
したがって国際テロ戦争は、大部分はカトリック教会に向けられました。その恐るべき10年間は、大司教の殺害で始まりました。その10年は、6人の指導的なイエズス会の知識人の殺害で終わりました。その10年間に、多くの司祭や尼僧や信者が殺害されました。もちろん数万の小作農や労働者や女性や子ども達も、通常の犠牲者でした。
そのテロリズムはあまりにもひどいものだったので、国際司法裁判所は米国の国際テロリズムが非難し、そのテロリズムを終わらせ賠償金を支払うよう命じました。また、すべての国が国際法を守ることを求める国連安全保障理事会の付帯決議が採択されました。それが米国を念頭にしていることは誰もが知っていました。
しかし、その世界法廷の決定は、軽蔑をもって単に捨て去られました。それどころか、その国際テロ戦争は即座に拡大しました。こうして、すべての国々に国際法を守ることを呼びかけたその安保理決議は拒否されたのです。
これらすべては歴史から消し去られています。それが歴史なのです。しかし、そのことは私たちが(常日頃)聞かされている歴史ではありません。
9月11日に、同じ人々によって、同じ言い回しで、同じ戦争が、再び宣言されて以来、数え切れない多くのメディアは、新しい「テロに対する戦争」を精力的に報じてきました。
しかし、あなた方は、その同じ人々によって遂行された最初の「テロに対する戦争」でどんなことが起きたのか、懸命に見つけ出さねばなりません。それは消え去ってしまっているからです。
実に単純な理由のために、それは消え去っています。テロリズムというのは、彼らが我々(米国)に行なったことに限定されているからです。我々(米国)が彼らに行なったことは、たとえそれが千倍以上恐ろしいことであっても、物の数には入らず、消え去ってしまうのです。
それが歴史の法則であります。超大国によって歴史が記述され、権力の召使となることを選んだ知識階級によって歴史が語られる限りは、それが歴史の法則となるのです。
中東の問題に話を移させて下さい。もちろん英国が長い間、中東地域を支配してきました。英国は支配的な権力でしたし、中東地域を支配する枠組みを持っていました。
当初は、中東地域は直接的な軍事力によって支配を受けていました。しかし第1次世界大戦後、英国は弱体化して、直接的な軍事力ではもはや支配できない立場になりました。したがって、英国は別の技法を使い始めました。
英国が使い始めた軍事的技術は、一般市民を空軍力で攻撃することでした。空軍力はその頃ちょうど利用可能な状態になっていました。だから英国は航空機で一般市民を爆撃し始めたのです。
また英国は毒ガスを使用するようになりました。これは主にウインストン・チャーチルの影響を受けてのことです。彼は実際、野蛮な怪物でした。植民地の長官として、チャーチルは彼が「未開の種族」と呼ぶ人々に対して、毒ガスの使用を命じました。未開の種族とはクルド人やアフガニスタン人のことであります。
彼はこれらの「未開の種族」対して、毒ガスの使用を命じました。なぜなら、未開の種族は「強烈なテロ」を引き起こしかねないので、毒ガスの使用はイギリス人の生命を救うことになるからだと彼は言いました。
これは軍事的な側面であります。毒ガスの使用が第1次世界大戦後、究極の残虐行為であったことを思い起こすことは価値あることです。
この詳細については、私たちはもはや学べないでしょう。10年前に英国政府は、「開かれた政府の政策」を宣言しました。これは政府をガラス張りにして、人々や市民が政府についてより多くを学べるようにしたものです。
「開かれた政府の政策」が第1に行なったことは、未開の種族に対しての毒ガス使用に関係するすべての文書を、公文書館から取り除くことでした。そのように歴史は進んできたのです。
また中東地域の支配には政治的な側面があります。英国の考えは「アラブの前衛」を作り出すことでした。「アラブの前衛」というのは、英国の支援に依存する弱小国家のことです。英国が現実の支配を行なう上で「構造的な虚構」として役立つ国家です。
米国が英国に取って代わった時に、米国は英国のモデルを本質的には引き継ぎました。中東地域は「アラブの前衛」、すなわち弱小の腐敗した国家によって支配されるべきものだったのです。
この「アラブの前衛」の国家は、自分たちの延命を外部からの支援に依存しています。そして、彼らはその地域を管理できるのです。その背景には、必要な時には巨大な軍事力を持った米国がいました。
そして米国は、一種の攻撃犬である、いわゆる「英国」を配下に持っていました。英国は時には、ソ連支配下のウクライナと同じ程度の「独立国」に見えました。その主な機能は、何世紀にもわたる経験から学んできた奉仕を実行することでした。
その奉仕については、英国の指導的な政治家ロイド・ジョージによって述べられています。彼は、極秘に「我々は黒人を爆撃する権利を持つべきである」と書いていました。
それは重要なことであります。それが、ご主人である米国がなんらかの支援や「国際社会」のために行動しているという口実が必要な時の英国の役割なのです。「国際社会」という用語は米国のことを意味しており、他の国が米国と歩調を共にする社会を意味しています。
米国はさらに新機軸を加えました。中間的なレベルの周辺国家を加えたのです。その国家は、ニクソン政権の言葉で言うと、「巡回地方警官」ということになります。
米国流の慣用句である「巡回中の地方警官」というのは、路上で勤務している警察官のことです。この場合、「地方警官」は米国の従属的な国家を指し、警察本部はワシントンにあります。
トルコが最初の「地方警官」でした。トルコは、アラブの前衛が最も危険な敵から民衆から保護するのを、さらに確実にする仕事を受け持つ「地方警官」になったのです。しかし、トルコは「地方警官」のひとりに過ぎません。
シャーのもとでのイラン(王政のイラン)はもう一人の「地方警官」でしたが、1967年にイスラエルがアラブ民族主義の中心(エジプト)を打ち破った後、イスラエルがその同盟に加わりました。
パキスタンも長い間、そのメンバーのひとつでした。その考えは強力な軍事力を持つ非アラブ国家を作ることでした。その仕事は土着の勢力からアラブの前衛を保護することでした。
というのは、その土着の勢力は「奇妙な考え」を持っていたからです。例えば、その地域の富や資源は自分たち所に来るべきものであり、西欧の金持ちやその仲間の人々に行くべきではないという考えを持っていたのです。
そのような考えは「急進的な民族主義」と呼ばれ、それに直接の責任を持っている「巡回中の地方警官」によって抑圧されるべきものでした。そして、「地方警官」が土着勢力にとって大した脅威とならない場合、今度は米国とその攻撃犬(英国)が、「地方警官」を基地として使用しながら、介入をするのです。
石油が中東への関心の第1の理由でした。現在は第2の理由があります。それはたいへん重要なものです。それは水であります。水は非常に重要なものであり、水資源が使い果たされつつあるので、将来はさらに重要になってくるでしょう。
ここでのトルコの役割はさらに欠くことのできないものになっています。というのは、トルコは、特にトルコの南東部はこの地域のための主要な水の供給源だからです。そして水の支配は、石油の支配とちょうど同じように、米国の政策立案者たちが「拒否権」と呼ぶもの、それを行使する機会を提供しているのです。
もしあなた方が他の国々への水の流れを終わらせることができるならば、そのことは他の国々を整列させ、自分たちの思い通りにできるでしょう。それが恐らくダムや他のプロジェクトの意味ある目的ということになります。
つまり、水の支配権を米国の子分の手にゆだね、それを保障することは、その地域を支配することになります。それは逆に、おそらく反抗的な分子に対する拒否権を行使することになるでしょう。
この地域(トルコ)における1990年代の大規模な残虐行為に対する米国の大きな支援は、この間における世界で最悪のものの幾つかであります。
その支援は、この地域を支配する米国のシステム内でのトルコの役割に基づいています。それは米国がトルコ人を好きだからなのではなく、この地域でトルコができる奉仕を好んでのことです。
もしトルコが「急進的な民族主義」に屈服するならば、すなわち米国から独立するならば、トルコは他の急進的な民族主義国家と同じ運命に苦しむでしょう。
同じことがイスラエルや他の従属国に対する米国の支援についても言えます。もし彼らが彼らの機能を果たせば、彼らは大丈夫です。しかし、もし彼らが決められた列からはみ出せば、それは大丈夫ではありません。
私が言うのは、すぐ隣のイラクでそのことを目撃しています。サダム・フセインが、ただ単にクルド族を毒ガス攻撃し、反対者を拷問にかけ、大規模に人々を虐殺している限りは、彼は大丈夫でした。
英国と米国は彼を支持し続けました。フセインの残虐行為の後でも、大量破壊兵器の開発の方法と、彼がとても必要としていた支援を、英国と米国はさらに供給し続けました。但し、彼が誤りを犯し命令にそむくまでは。
英国と米国にとって、フセインの不服従は受容しがたいものでした。したがって、フセインは消えてもらわなければならないのであり、おそらく別の同じような人物に取って代わられるべきなのです。そして同じことが他の従属国にも言えます。
どんなに多くの残虐行為をしても、世界システムの中で彼らが自分たちの役割を成し遂げ続ける限り、彼らは受け入れられます。すなわち、金持ちや権力者が受け取るに値すると考えているもの、その地域の富と資源と市場などを保障する役割です。
9月11日という最近の話題に簡単にふれたいと思います。私たちがいつも聞いていることは、9月11日以後、すべてのことが変わってしまったということです。
しかし、よい経験則があります。すなわち、もし何かが何度も何度も明白なこととして繰り返されるならば、たぶん上記の言い方は明らかに偽りであるということです。
今回の場合、9月11日以後、ほとんど何も変わっていません。大国の政策や目標や関心事や利益は以前のままです。しかし幾つかの変化がありました。ひとつには、現在、世界中の厳しく抑圧的な要素が、ワシントンに支援を要求しながら、その民衆の恐怖や関心を利用して、ますます強烈に彼らの政策を追求する好機の窓口ができたということです。
いつものように、抑圧は抵抗を生み出し、それは今回の場合も当てはまります。米国でも新聞の見出しや知識人の論評とは逆方向の動きがあります。9月11日以後、人々はより開放的になり、より疑問を持つようになり、より違った意見を持つようになりました。より多くが抗議行動に加わり、より多くが進行中の進展に関心を寄せています。
世界中でも同じことが言えます。2週間前に、ブラジルでワールド・ソウシャル・フォーラムという国際会議がありました。この会議には、世界中から、大衆運動や農民、労働者、環境保護論者、女性グループなど、すべての種類の人々が6万人集まりました。彼らは多くの非常にまじめで建設的な公開討論を組織し、その討論は世界の主要な問題に取り組みました。
これが世界規模の民衆による反対運動の中心部分です。これは、権力者による世界的規模の政策に反対するプログラムを考え出し実行する運動です。富と権力がすでに集中している手の中に、さらに多くの富と権力をもたらそうとする政策に反対する運動です。
ここトルコでも同じことが言えます。トルコでは、トルコ人もクルド人も勇敢に抵抗しています。社会を、より開放的で自由で正しいものにしようとする変革のために、彼らは働いているのです。
彼らは西洋の人権活動家が賞賛し、そこから学ぶべきモデルであります。彼らは、たいへん厳しい状況のもとで、どんなことがなし得るのかということの、勇気を与えてくれる事例を私たちに示しています。抑圧や国家暴力を克服し、より品格のある人道的な社会を建設する運動のモデルです。
彼らの闘争と目標は、他の人々が何かをもっと成し遂げようとする時に勇気を与えるものであります。そして、繰り返しになりますが、そういうわけで、私が数日間ここであなた方とご一緒できることは、かけがえのない特権であり名誉であります。
質問1
ご承知のように、クルド族の言語はトルコでは抑圧され、教育制度から排除されてきました。個人のアイデンティティと母国語の関係は何なのでしょうか。
一方の側では、グローバルな言語として広範囲に渡って、英語の使用があります。もう一方の側では、グローバリゼイションの反対の流れとして地方の言語の復活があります。
こういった文脈の中で、あなたはヨーロッパや他の地域での母国語の復活をどのように評価されますか。
回答1
フランコ体制下のスペインでは、地方の言語は抑圧されました。人々はバスク語やカタロニア語や他の言語を話すことができませんでした。
それらの言語はスペイン語ではなく、別個の言語です。バスク語はスペイン語とは何の関係もありません。ファシズムが打ち負かされた後に、これらの言語は復活しました。
これらの言語はもちろん消滅していなかったのです。秘密警察が聞いていなかった時には、それでもなお人々は、彼らの家庭の中や友人たちとその言語を話していたのです。
私の個人的な経験を話します。私の娘のひとりはフランコ体制の崩壊の後にスペインに住んでいました。彼女はバルセロナに住んでいました。
私が講演でヨーロッパにいた時、私は彼女のもとに訪れました。これはフランコ体制崩壊の2年後のことでした。
その時は、カタロニア語の標示は全くありませんでした。路上のすべての標示はスペイン語でしたし、路上では誰もがスペイン語を話していました。そこを旅行したならば、人々の言語がカタロニア語だとはあなた方は思わなかったでしょう。
私が5年後にそこを訪れた時には、スペイン語は見当たらず、カタロニア語だけでした。街路の標示も本も教育制度もすべてカタロニア語でした。その言語は復活していたのです。
同様のことが、バスク地方や他の場所でも起きています。そしてこのことは、いたるところで起きています。例えば、英国内でもこのことが言えます。
ウエールズ語は昔はあまり聞かれませんでした。今あなた方がウエールズに行って、子どもたちが学校から出て来る時に彼らの話し言葉を聞くと、彼らはウエールズ語を話しています。その言語は復活したのです。
これはヨーロッパ内部の健全な動きの一部です。ヨーロッパは、民族国家の制度から、「地域の集合体のヨーロッパ」と時々呼ばれている、地域の連合体に向かいつつあります。より大きな連合の中で自分自身の言語や文化や政治的な自治を持ち始めているのです。れはきわめて健全なことであります。
質問者が言われた個人のアイデンティティについては、全くの真実であります。というのは、あなた方の個人のアイデンティティは、母国語と密接に関わっているからです。
もし、意志伝達や日常会話や表現や文学や歌などあらゆる目的のために自由に使うことを許されていない言語があるならば、それは基本的人権の侵害であります。人格の縮小です。
従って、その言語の自由は守られ回復されなければならないし、多くの場所で起きているように、それは可能なことなのです。地方の言語に起きてくる問題は、大きくは選択の問題であり、支配できない歴史的な力の問題ではありません。
ウエールズ語が再びウエールズの人々や彼らの文学などの言語になるとは、予測できませんでした。そのことを予測する方法はなかったのです。彼らがその結果を成し遂げようと選択をしたから、そのようなことが起きたのです。
EUの中央集権化の反動として、ヨーロッパでは地方分権化が起きているのです。いわゆる「グローバリゼイション」の中央集権化への反動は、地方の言語や文化や関心やすべての種類のグループの復活を含んでいます。例えば地理的に境界線のない女性解放論者のグループです。
しかし、それは達成されなければなりません。自然には何も起こりません。他のすべての人権のように、それは献身や傾倒や闘争によって、成し遂げなければなりません。さもなければ、そういったことは起こらないでしょう。
英語が国際的な言語になっていることに関しては、それは別の問題であります。それは誰が支配者であったのかという問題です。英語が世界言語であるのは、英国と米国が世界を征服したからです。
世界がより多様になるにつれて、国際的なコミュ二ケーションの他の言語が現れるのではないかと私は思っています。
英語が国際的な言語になっていることは、それは地方の文化や言語や文学などの復活や生命力とは別の問題です。これらの発展は、全く並行して進行できます。
質問2
「自由」の概念をあなたはどのように定義されますか。
回答2
私はそのようなことは定義しようとは思いません。それは私たちが理解する基本的基礎的概念ですが、定義をすることはできません。
私たちは、そのような概念を理解はできますが、言葉で定義することは望むことができません。私たちはそれらの概念を、私たちの行動や献身で定義します。
自由というのは、私たちがそこから作り出すものであります。もし私たちが抑圧や権威や違法の組織に反対して立ち上がるならば、私たちは自由の領域を拡大していることになりますし、それが自由の何たるものかということになります。
それは私たちが作り出すものであり、言葉で定義するものは何もないのです。
質問3
米国が主導する「世界新秩序」の中では、「文化」の概念はどのような扱いを受けているのでしょうか。
回答3
それは意志と選択の問題です。歴史は物理学のように、自然の法則を持っていません。歴史は人々が選択し決定することによって決まるのです。そういうわけで、だれも何も予測できないのです。
もしあなた方が人間に関する諸事についての予測の記録を見てみても、何も予測できないことが分かるでしょう。その主な理由は、あまりにも多くのことが、意志や選択や決定や遂行によって決まってくるからです。
だから、新しい世界状況のもとでの文化的な自由にどんなことが起きるのかは、あなた方のような人々が何をしようと決定するかによって変わってくるのです。
もしあなた方が、活気があって活発な独立した文化を作り出し維持するならば、その文化は将来も存在するでしょう。もしあなた方がそうしないと決めるなら、もしあなた方がブラジルのメロドラマを聞いて清涼飲料水を飲みたいならば、独立した文化は消滅するでしょう。これは選択の問題なのです。
質問4
あなたは「ノー」と言うことを知っている米国市民です。伝記によれば、あなたは十才の時以来、人間を縛る組織に異を唱える抵抗者だったそうですが、このことの秘密は何なのでしょうか。
回答4
その秘密はきわめて簡単なことです。米国では数百年の間、他と同じように、人々は自由と正義の領域を拡大するために懸命に闘ってきて、成功を収めてきました。
その結果として、私のような人たちが幸運をつかんでいます。その結果として、私たちは勝ち取られた自由を謳歌する特権を得、それを楽しむことができるのです。
これらは与えられた物でもないし、憲法の中にある物でもないし、権利の章典の中にあるものでもありません。
米国の制度の主な創始者のひとり、ジェームズ・マディソンは、「羊皮紙の関門」(憲法や権利の章典などの文書を指す)だけでは、人々を抑圧から守ることはできないだろうと述べました。
あなた方が好む、どんな素晴らしい言葉を取ってみても、あなた方はその言葉に意味をあたえなければなりません。闘いと献身によってその意味は与えられるのです。
そしてこのことは、何世紀にもわたってなされてきたのであります。その成果は極めて意義のあるものでした。その結果として、米国の人々は大きな範囲で自由を手に入れました。
先ほどお尋ねの秘密は、あなた方が背後に残してきた歴史にあります。比較的自由な社会を作ることに身を捧げてきた民衆の歴史です。それがお尋ねの秘密です。
質問5
クルド人の問題全般、特に国際的な陰謀でクルド人の指導者をトルコに引き渡した問題における米国の役割について、あなたはどうお考えですか。
回答5
米国は世界で起きるどんなことにでも、ある役割を持っています。米国は、世界で最強の国家だからです。
米国はこのトルコにおける事態の進展に関心をもっていますし、疑いなくクルド人の問題にも関わっています。
ここだけでなく、イラクにおいても同じことが言えます。例えば、米国は70年代の初期には、イラクにおけるクルド人の暴動を支援していました。
しかし、ある時点になると結局、イラン・イラクの取引が行なわれ、米国はクルド人を売り渡すことを決定して、クルド人は虐殺されました。
その後、担当者であったヘンリー・キッシンジャーは議会で批判を受けました。彼は最初はクルド人の闘争を支援し、そして彼らがもはや役にたたなくなった時、彼らを捨てて、その結果として虐殺が起きたからです。
彼は有名なコメントを述べています。それは次のようなものです。「外交政策は伝道の仕事と混同されるべきではない。」
このトルコでも、特に恥ずべきやり方で、まさについ最近の数年間、同じことがありました。
質問6
ご存知のように、クルド人の抵抗は平和的な闘争方法に変わりました。この新しい政策について、あなたはどうお考えになりますか。
回答6
あなた方のほうが私よりよくご存知だと思います。これは初めてのことではありません。
1993年にクルド人の抵抗勢力によって停戦が宣言されました。EUはそれに対して建設的に答えるようトルコに圧力をかけようとしました。
しかし、トルコは、米国の決定的な支援を受けて、その戦争を拡大しました。そのことは何年にもわたる更なる残虐行為や破壊につながりました。
現在は、平和的政治的解決へ向けての別の動きがあります。それは正しい動きだと私は思います。問題はトルコ政府の反応がどのようなものになるのかということです。このことは米国の態度によっても大きく左右されます。
トルコ政府からの建設的な反応はあるでしょうか。私たちはそうなるように努力しなければなりません。米国の人間として、私たちは自らのやり方で努力しなければなりません。事態は進展可能です。それは正しい方向です。そして、それは実りある結果に通じると私は思います。
質問7
ご存知のように、イスタンブールで「文明の共存」が開かれますが、そこにはクルド文明の代表は出席していません。
この会合は「文明の衝突」のアンチテーゼになることになっています。「文明の衝突」論についてのあなたのご意見をお聞かせ下さい。
回答7
クルド文明の代表がいなかったのは、パレスチナ文明や他のどの抑圧されたグループの代表もいなかったことと同じ理由によるものです。
これらは、世界の強国や他の強力な勢力の会合なのです。彼らは自分たち自身以外、だれも代表していませんし、更には文明を代表しているわけでもありません。
サウジアラビアのエリートの生活はおそらくロンドンを中心としています。そこが彼らの属する所なのです。もし彼らがコントロールできない国内の暴動があったら、彼らが逃げる場所はおそらくそこです。
彼らはサウジアラビアの人々とは、ほとんど関係がないのです。それは他の国々の支配階級のエリートが、自分自身の国の人々とほとんど関係がないのと同じことです。例えば、米国政府も米国の人々を代表していないのです。
米国の人々は、政府によって追求されている最も重要で基本的な政策の幾つかに強く反対しています。したがって、その政策は秘密裏に追求されねばなりません。「文明の衝突」についての話はたいていは宣伝です。
イスラムが敵だと考えられていることについては、それは明らかに真実ではありません。何故なら、1980年代、すべての議論を支配していた米国の主な外交政策は、中米における戦争についてで、これらはイスラムに対してではなく、カトリック教会に対する戦争だったからです。
ラテンアメリカのカトリック教会は、何世紀にもわたって金持ちに仕えた後に、貧しい人々を救う努力をするようになりました。そして、ただちに彼らは米国の敵となったのです。多くのテロリスト残虐行為は教会に向けられました。ここに文明の衝突があるのでしょうか。いいえ、全くありません。
それと同時に、米国は世界で最も反動的なイスラム教国サウジアラビアを強く支持していました。サウジアラビアはその出発点から、米国の子分でした。また米国は、世界中で見つけ得る、最も過激なイスラム原理主義者を組織していました。というのは、彼らは最良の殺人者であり、米国は彼らをロシアに対する武器として使っていたからです。
インドネシアは最大のイスラム教国で、スハルト大統領が1965年に政権の座について以来ずっと、米国の素晴らしい友人でした。彼は国内で大虐殺を行い、おそらく100万人を殺害し、その大部分は小作人たちでした。彼は即座に米国の大きな友人となり、その友人の座に居座り続けました。現代における最悪の犯罪の幾つかを犯しながら。
1995年にクリントン政権はスハルトのことを「私たちの仲間のようなもの」と述べました。これで真実を示すには十分でしょう。世界は文明の衝突に分解するのではなく、言語や文化を越えた権力者の利益集団に分解するのです。そして、たいていは自国の民衆と戦っているのです。
「文明の衝突」の概念は、冷戦が終わった後に流行するようになりました。冷戦終了時には、民衆を動員するために、共産主義とは別の、新しい脅威の宣伝の枠組みが必要になったからです。「文明の衝突」は、それ以外のなにものでもありません。
質問8
米国のイラク攻撃の確率はどのくらいあるのでしょうか。そのことは、トルコやクルド人にどのような影響を与えるのでしょうか。
回答8
これは、今日、議題にのぼっている重要な問題です。米国のイラク攻撃の可能性には2つの理由があります。
第1の理由は米国国内の問題です。もしあなた方がブッシュ政権のアドバイザーなら、何を言うでしょうか。
あなた方は、エンロンのスキャンダルに人々の注意の焦点をあわせるよう言いますか。そして、金持ちのために提案されている減税がすべての社会的な計画の土台を削り去って、大部分の人々を深刻な問題の中に置き去りにするという事実を、あなた方は言うでしょうか。
人々にこういった政策に注意を払うことを、あなた方は望むでしょうか。明らかにそうではありません。あなた方が望むことは、人々が怯え権力の傘のもとに群がることです。あなた方が彼らにやっていることに注意を払わせないことです。そして、ごく一部の金持ちと強力な部門の利益になるよう奉仕するのです。
だからあなた方は、軍事的衝突を持つことを望みます。それが国内の側の問題です。
国際的な側面では、イラクは世界の2番目に大きい石油の貯蔵所です。1番がサウジアラビアで、イラクは2番目です。米国はこの巨大な動力源と富の支配を決して捨てないでしょう。
そして今、万一イラクの石油が国際的な制度の中に戻っていくならば、米国のエネルギー会社ではなく、かなりロシアやフランスやその他の国々の支配下に入ることになるでしょう。そして米国はそういったことは許さないでしょう。
したがって、米国はどうにかしてイラクが米国支配の国際的なシステムに再び入ってくることを保障するようにするだろうと、私たちは、はっきりと確信を持つことができます。だとしたら、あなた方はこれをどのように達成するでしょうか。
一つの計画があります。この計画はご存知のように、トルコで議論されてきました。その計画は、米国がトルコを雇われ軍隊として使い、地上部隊でイラク北部を征服するというものです。その間、米国は2万フィートの高度から爆撃をします。
トルコにたいする報酬は、ムスル(Musul)とカーカック(Kerkuk)の石油資源の支配権を手に入れることになるでしょう。ムスルとカーカックはいつもトルコの一部とみなされてきた所です。
そして米国にとっては、それは、その敵ロシアとフランスと他の国々がその地域の石油に特権的に近づくことを阻止します。その間に、米国はなんらかの様式でイラク南部を引き継ぐでしょう。
クルド人には何が起きるのでしょうか。考えるのもおぞましい事ですが、それはおそらく、あれやこれやのひどい虐殺になるでしょう。彼らは、そのような虐殺過程の真っ只中に放り込まれることになるでしょう。
トルコにとっては、正しいか誤りであるのかといった問題は別として、それは非常に危険な動きになります。また米国にとっても大変に危険な動きです。それはその地域全体を吹き飛ばしてしまう可能性があるからです。それはサウジアラビアでの革命につながる可能性があるからです。(しかし)誰にも分かりません。
ブッシュ政権の閣僚は、これらの計画あるいは同様の計画を追及しており、あなた方はその論理を見ることができます。彼らがそのような計画を実行することを許されるかどうかは、別の話ですが。
私はかなり懐疑的です。それに反対する議論が、おそらくあまりにも強いと私は思います。しかし、彼らは自分自身のことを知りませんし、きっと誰も知ることはできないのです。
(翻訳: 寺島隆吉+岩間龍男)
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