ノームチョムスキーとの夕べ、
テロに対する新しい戦争
2001年10月18日
MIT(マサチューセッツ工科大学)における
「技術文化フォーラム」での録音筆記
翻訳:寺島隆吉+寺島美紀子
0 はじめに
皆さんがご存知のように、テレビが世界を動かしています。(聴衆の笑い)
しかし私が指名を受け、話をするように要請されたのは、このフォーラムの場であって、テレビではありません。
さて、このフォーラムで私が行いました前回のお話は「軽い愉快な話題」でした。いかに人間が絶滅危惧種であり、かなり短い期間で自己を絶滅させる可能性がある行動パターンを与えられているのかということについてでした。
そこで今回はすこし一息して、代わりにテロに対する新しい戦争という「楽しい話題」にしましょう。
不幸にも、世界は追い続けています。追いかければ追いかけるほど、さらに事態を悪化させる、そんなものを。
0.1.話の2つの前提条件
これから考えますのは、この話の2つの前提条件です。
第1のものは私が事実だと認識できると考えるものです。それは9月11日の事件が犯罪史上で、恐ろしく残虐でおそらく最も破壊的な数の人間の即死だったということです。戦争以外では、ですが。
第2の前提条件は目標と関係があります。私が考えているのは、我々がそのような犯罪の見込みを減少させることに関心を持っている、というのが我々の目標だということです。その犯罪が我々に対するものか、他の誰かに対するものかに関わらず、です。
もしこの2つの前提条件を受け入れないのであれば、私が述べることはあなたに真剣に聞いていただけないでしょう。もし我々がそれを受け入れるのならば、いくつかの疑問点が浮かび、それは互いに密接に関連のあるもので、それが深い思考を生み出すでしょう。
0.2.最初の5つの疑問
第1の疑問、ずば抜けて最も重要なものは、いま何が起きているのかということです。その言外に含まれているものは、それについて我々は何ができるのかということなのです。
第2は、9月11日に起こったことが歴史的事件、歴史を変えることになる事件だという、広く一般的になった仮定と関係があります。私はどちらかといえばそれに賛同いたします。それが真実だと思います。それは歴史的な事件で、我々が問いただすべき質問はまさになぜ?ということです。
第3は「テロに対する戦争」という今日の演題と関係があります。まさに「テロに対する戦争」とは何なのでしょう。そして関連する質問があります、すなわちテロとは何なのでしょうか。
第4は、より狭義なものですが、重要なものです。つまり、9月11日の犯罪の起源・ルーツは何かということです。
そして第5の疑問は、少しだけお話したいのですが、テロに対するこの戦争を戦う際に、そしてそれに繋がる諸状況を切り抜ける際に、どんな政策選択肢があるのかということです。
それぞれについて数点を述べたいと思います。討論に発展すればうれしく思いますし、他の質問をどうぞ躊躇せずになさってください。以上の疑問は顕著なものとして頭に思い浮んだものですが、あなた方には容易にもっと適切な他の疑問が選択肢として思い浮かぶかもしれません。
1. いま何が起きているのか?
1.1.数百万人の飢餓
さて、では始めましょう。アフガニスタンの状況についてお話しましょう。まず『ニューヨーク・タイムズ』のような論争の余地のない情報源に従っていきましょう。(聴衆の笑い)。
『ニューヨーク・タイムズ』によれば、アフガニスタンでは7−8百万人が飢餓寸前の状況にあります。それは9月11日以前でも実際に本当でした。人々は国際的な援助で生き延びていました。
ところが9月16日、『タイムズ』は報告しました。引用しますと、「アメリカはパキスタンに対して、アフガニスタンの一般国民向けの食料および他の物資の大部分を供給するトラック輸送の撤廃を要求した。」
私が判断できる限り、アメリカでは何も反応はありませんでしたし、ヨーロッパにおいてもそれについてはありませんでした。私は翌日の全ヨーロッパの国営放送を聞いていました。私の知る限りでは、何百万人もの大規模な飢餓を起こすことになるその要求に対して、アメリカにおいてもヨーロッパにおいても何の反応もありませんでした。
9月のテロ直後、あるいはその前後、米軍の集中攻撃の脅威が強まり、国際的な援助団体のひとたちは止む無く援助活動から引き上げざるを得なくなり、それによって支援プログラムが大きく損なわれることになりました。
実際、再び『ニューヨーク・タイムズ』から引用しましょう。「アフガニスタンから困難な旅をしてパキスタンに到着した難民は、アフガニスタンでの絶望と恐怖のようすを語っている。アメリカ主導の軍事攻撃の脅威が、彼らの今まで長く続いてきた不幸を、さらに破滅の淵に突き落とす可能性があったから国を後にしたのだと。」
「アフガニスタンは命綱の上に乗っていたのですが、我々がまさにその綱を切ったのです。」このように、撤退させられた援助団体のひとりが『ニューヨーク・タイムズ』で語っています。
世界食料計画は、国連のプログラムで特に主要なもののひとつですが、3週間後の10月初旬に再開することが可能でした。彼らは低いレベルで再開し始めました、食料の出荷再開を。
しかしアフガニスタン内部には国際的な援助団体の働き手を持っていないので、食料の配布機構が頓挫しています。つまり、爆撃が始まるとすぐに、それは一時中断になってしまいました。
その後、援助は再開されるのですが、より低いペースです。一方、援助機関はアメリカの食料空中投下に対する痛烈な非難を浴びせかけました。つまり、食料投下は単なる米軍の宣伝の道具になっていて、おそらくは良さよりも害の方が大きいとして非難しているのです。
以上は、たまたま『ロンドン・フィナンシャル・タイムズ』から引用したものですが、この話の続きは容易に見出すことが出来ます。爆撃の一週間後、『ニューヨーク・タイムズ』は最終面のコラムか何かで報告しました。
「国連の計算によると、すぐに750万人のアフガン人が一塊のパンですらも必要な窮状に陥るだろう。そして厳冬のために多くの地域に物資を届けることが完全に不可能になるまで、ほんの数週間を残すのみである」というのです。
引用を続けると、「しかし爆弾の投下に伴って、物資の引渡し率は、必要とされる程度の1/2にまで落ち込んでいる。」というのです。さりげないコメントです。
しかし、それが我々に語っていることは、西洋文明が虐殺を予期しているということです。そうですね、計算してみると、3−4百万人か、あるいはそれくらいの虐殺です。
同じ日に、西洋文明の指導者は、再び軽蔑をもって申し出を退けました。「犯人だとされるオサマ・ビンラディン氏の引渡しに対する交渉」と「全面降伏を要求する実質的証拠の提示」の申し出を、にべもなく拒否したのです。
同じ日に、国連の食料担当の特別報道官は、何百万人もの犠牲者を救おうとするために、アメリカに爆撃を止めるよう嘆願しました。私が気づいている限りでは、それは報道されませんでした。それは月曜日のことでした。
昨日、主要な援助機関OXFAMとキリスト教徒援助団その他がその嘆願に参加しました。『ニューヨーク・タイムズ』では、それに関する報道は発見できません。『ボストン・グローブ』に1行だけ報道がありますが、他の話題、カシミールについての話に隠されてしまっています。
1.2.静かな大量虐殺
さて、このような例示を我々は容易に続けることができます。が、これら全てのことが示しているのは、まず第1に、いま何が起きているのか、ということです。いま何が起きているのか。それはある種の静かな大量虐殺です。
それはまた、エリート文化、すなわち我々がその一部を成している文化ですが、その我々の文化について多くの洞察を与えるのです。それが示すのは、起きているのが何であれ、何が起ころうと、我々は知らない、ということなのです。
しかし計画は作られているのであり、プログラムは実行されているのだということなのです。しかも、その計画が、この先数ヶ月間で数百万人の人々の死につながることになるかもしれない、という仮定のもとでのプログラムなのです。
非常に冷淡にも、上記のことについて何のコメントもない、それについての何の特別な考えもない計画です。それがまさに正常なことなのです。ここ(アメリカ)において、そしてヨーロッパのある良き部分(イングランド)において。
世界の他の地域においては、そうではありません。実際、ヨーロッパの大部分においてすら、そうではありません。もしアイルランドの新聞やすぐ近くのスコットランドの新聞を読めば、反応は非常に異なっています。
それが今、起きていることなのです。しかし、いま起きていることはまったく我々次第なのです。我々はこれから起こることに多く影響を及ぼすことができるのです。第1の疑問の答えは大まかには、このようなものです。
2.何故それが歴史的事件か?
2.1.アメリカ本土が攻撃を受けたということなのです。
さて、では、第2の疑問、少しだけ抽象的な質問へと話題を向けましょう。我々が3−4百万人の人々を明らかに殺害しようとしている最中だということを、しばし忘れて。
私たちが殺害しようとしているのは、もちろんタリバンではなく、彼らの犠牲者である何百万もの民衆です。
話を戻して、9月11日に起こった歴史的事件の質問に移りましょう。既に述べましたように、それは正しいと思います。歴史的な事件でした。
それは不幸にも、その規模の大きさのためにではなく(その規模は考えるだけで不愉快になりますが)、その規模がそれほど異常というわけではない点に関してなのです。
既に述べましたように、それは最悪で…たぶん犯罪史上最悪の即死者数です。しかし、もう少し効果的なテロリストの犯罪はたくさんあります、そしてそれらはさらに極端なものでなのです、不幸にも。
それでもなお、それは歴史的な事件です。ある変化があったからです。その変化とは、銃が向けられた方向だったのです。それが新しいのです。本質的に新しいのです。そこで、アメリカの歴史を見てみることにしましょう。
アメリカ本土が攻撃を受けた最後の時は、あるいは攻撃の危機にあった最新の事件は、イギリスが1814年にワシントンを燃やした時でした。
アメリカへの攻撃はたくさんありました。パール・ハーバーを持ち出すのはいつものことですが、それは良い類推ではありません。
日本人を、どのように考えようとも、日本人はアメリカの二つの植民地にある軍事基地を爆撃したのであって、本土ではないのです。その植民地は、その居住者・先住民から、あまりよろしくない方法で取り上げられたものだったのですが。
今回、大規模に攻撃を受けたのは本土なのです。周辺への攻撃例なら、いくつかご存知でしょうが、今回のは特別です。
この近年、200年の間、我々アメリカは先住民族の人たちを駆逐し、ほとんど根絶しました。それは何百万人もの人々でした。
メキシコの半分を征服し、その地域一帯から略奪品を運び出しました。カリブ海、中央アメリカなどです。
時にはその向こうまで行きました。ハワイを征服し、フィリピンを征服し、数十万人のフィリピン人をその過程で殺しました。
第2次世界大戦以降、その侵略の範囲を世界中に伸ばしました。そのやり方を私がいまさら描写する必要はないでしょう。
しかしそれは常に誰か他国の人を殺すことだったのです。戦争はどこか他の国で行われ、虐殺されるのはいつも他の人たちだったのです。ここではなかったのです。本土ではなかったのです。
2.2.ヨーロッパ
ヨーロッパの場合、その変化はもっと劇的です。というのはその歴史は我々のものよりもさらにもっと恐ろしいものだからです。我々はヨーロッパの子孫です、基本的には。
何百年もの間、ヨーロッパは世界中で当たり前のように人々を虐殺してきました。それが世界を征服してきたやり方なのです。赤ん坊にキャンディを配るようなやり方ではないのです。
ヨーロッパのこの数百年間の主要な気晴らし(sport)は互いを虐殺しあうことでした。それが1945年に終わりを迎えた唯一の理由は、民主主義とは何の関係もありません。互いに戦争をしないようにしようとか、あるいは他の流行の概念とも何の関係もありません。
関係があるのは、今度、人々がそのゲームを行ったら、それが世界の終わりになることを、すべての人が理解したという事実にあります。なぜならヨーロッパ人は、我々も含めてですが、あまりに大規模な破壊兵器を開発してしまったので、ゲームはすぐに終えなければならないということなのです。
たとえば、歴史を数百年前まで遡りましょう。17世紀、ドイツ総人口の約40パーセントが、たったひとつの戦争で消し去られたのです。
しかしこのすべて血まみれの殺人時代、相互に虐殺し合ったのはヨーロッパ人でしたし、他の場所・植民地で人々を虐殺したのもヨーロッパ人でした。
被植民地のコンゴはベルギーを攻撃しませんでしたし、被植民地インドもイギリスを攻撃しませんでした。被植民地のアルジェリアもフランスを攻撃しませんでした。それが不文律だったのです。
ほんの小さな例外はあります。が、それは規模においてはかなり小さなもので、ヨーロッパや我々が世界中に行ってきた規模からすると、ほとんど目に見えないようなものです。
今回のことは初めての変化なのです。初めて銃が正反対の方向に向けられたのです。そして、私の意見では、おそらく、それが、なぜアイルランド海(the Irish Sea)の両側で、それほど違った反応を見ることになるのか、の理由です。
それに私は付随的に注目してきました。アイルランド海の両側の多くのインタビューを受け、それに答える傍ら、付随的に両側の国営ラジオの違いにも注目してきたのです。
世界はまったく異なって見えるのです。鞭を持っているか、あるいは鞭で打たれることになるのか否かに応じて。この数百年間もの間の経験で、まったく異なったものに世界が見えるのです。
そこで、ヨーロッパと、ここアメリカのような、ヨーロッパの子孫の国でのショックと驚きは、大変よく理解できると思います。
それが歴史的事件なのは、残念ながら規模ではなく、他の理由によるのです。またそれが、なぜ欧米以外の世界の人たち、その大部分の人たちが、それをまったく異なった見方で見ている理由なのです。
残虐行為の犠牲者に対する同情を欠いているのでもなく、それに恐れをなしているのでもないのです。その点に関してはほとんど同じです。ただ異なった視点からそれを見ているのです。
それが、我々が今度の事態を理解したいのなら、重要な点なのです。
3.テロに対する戦争とは何か?
さて、第3の質問「テロに対する戦争とは何か?」と、付随的な質問「テロとは何か?」にまいりましょう。
テロに対する戦争は、お高くとまった調子で、疾病や癌に対する闘いと同じものとして述べられてきました。それらは野蛮人、すなわち「文明の邪悪な敵」によって広げられるものだというのです。そんな印象を私はもっています。
私がいま引用しているこの言葉は、しかし実は、20年前のものです。それはレーガン大統領と国務長官の言葉です。レーガン政権は20年前に就任し、こう宣言しています。
「国際的テロに対する戦争は我々の外交政策の中心になるだろう」と。
そして、それをいま私が述べた類(たぐい)の言葉などで説明しています。そしてそれが我々の外交政策の中心だったのです。
レーガン政権は、文明の邪悪な敵によって広げられたこの疾病に対して、並外れた国際的なテロネットワークを作ることで対応しました。そのネットワークは全く前例のない規模であり、世界中で大規模な残虐行為を行ないました。主として…まあ、部分的には近くの中南米で。もちろん、そこだけではありませんが。
私はここで今、その記録を全てお話できません。あなた方はみな教育のある方々なので、きっとそれについては高校で学んだと思っております。(笑い)
3.1.レーガン:ニカラグアに対するアメリカの戦争
しかし私がこれからお話するケースは、まったく議論の余地のないものです。そこで我々はそれについては詳しく議論しないほうがよいでしょう。必ずしも最も極端な例というわけではありませんが議論の余地がないものだからです。
それが議論の余地がないのは、最も国際的に権威のある国際機関である国際司法裁判所と国連安全保障理事会の判決・決議がそのことを示しているからです。そこで、この件は議論の余地がないのです。少なくとも国際法、人権、正義、他のそのようなものについて何らかの関心を持っている人々の間では。
そこで今、皆さんにある演習課題を出しましょう。そのカテゴリー、すなわち「テロ」の大きさを、次のように簡単に尋ねることによって見積もってください。
「こんな議論の余地のない事件について、先月の新聞記録では、どれくらいの頻度でコメントが出ていますか?」と。
それはまさに時宜を得た質問のはずです。なぜなら、それが単に議論の余地がないものであるだけでなく、先例を提供することにもなるからです。つまり、遵守すべき法律が、このような議論の余地がない国際的なテロにたいして、どのように対応するか、実際どのように対応したか、の先例を提供するものだからです。
そのテロは9月11日の事件よりもさらにもっと極端なものだったのです。私が話しているのは、レーガンがニカラグアに対して行なったアメリカによる戦争についてです。それは数万人の人々を死に至らしめ、全国土を荒廃させ、おそらく回復不能にしたのです。
3.2.ニカラグアの対応
ニカラグアは対応しました。しかしワシントンで爆弾を爆発させるという対応はしませんでした。彼らは国際司法裁判所に提訴し、その事件を提示することで対応しました。彼らは証拠を集めるのに何の問題もなかったからです。国際司法裁判所はその事件を受け入れ、彼らに好意的な判決を下し、アメリカに命令しました。
つまり、それを「軍事力の不法使用」と呼び、アメリカを非難しました。それは言い換えれば、アメリカによる国際テロであり、したがって、アメリカにその犯罪を終了させ大規模な賠償金を支払うよう命令にしたのです。
アメリカはもちろん裁判所の判断をまったく無視して退け、今後一切、裁判所の判決を受け入れないと発表したのです。そこでニカラグアは国連安全保障理事会に提訴しました。国連安保理事会は理事会決議を尊重し、その決議はすべての国が国際法を遵守するよう要求しました。
「国際法を遵守すべき」なのかが誰なのか、具体的には指摘はありませんでしたが、それが誰なのかは、すべての人がわかっていました。アメリカはその決議を拒否しました。現在、アメリカは国際司法裁判所で国際テロだとして非難され、さらに国連安全保障理事会の、「すべての国が国際法を遵守すべきだと要求している」決議を拒否している唯一の国として存在しているのです。
ニカラグアはその後、国連総会に提訴しました。アメリカは、そこでは法律技術的には拒否権がないからです。しかし、アメリカの否定的な投票が結局は実質的には拒否権となってしまいますが。
国連総会では、上記と同様の決議、すなわち「すべての国が国際法を遵守すべきだ」との決議が通過しました。アメリカ、イスラエル、エルサルバドルだけの反対で。
翌年、再び同じ提訴があり、今回は、アメリカはイスラエルだけしか、その提訴に賛同させることができず、したがって2票だけが国際法の遵守に反対することになりました。
この時点で、これ以上、ニカラグアは合法的には何一つ行うことができなくなったのです。あらゆる施策を試したのですが、力に支配された世界では何一つ出来ないのです。
このケースは議論の余地がありませんが、決して最も極端なものだというわけではないのです。我々は多くの洞察力を獲得します。我々自身の文化と社会を見る洞察力と、いま何が起きているのかについて。ただし、次のように尋ねることによってです。
「どれ程このすべてについて我々は知っているのだろうか?どれ程、我々はそれについて話しているか?どれ程それについて学校で学んでいるか?どれ程それがあらゆる点で新聞の一面記事になっているか?」
そして、これは始まりに過ぎなかったのです。アメリカは、上記の国際司法裁判所と国連安全保障理事会の決議に対して、即座に戦争を非常にすばやくエスカレートさせることで応じたのです。しかもそれは民主党・共和党の違いを超えた超党派的な決定だったのです。
戦争という言葉の定義も変えられました。そして初めて公式の命令がなされました。アメリカのテロ軍隊へ、いわゆる「ソフト・ターゲット」を攻撃するように、正式に命令を下したのです。その意味するところは防衛能力のない民間人をターゲットとする攻撃です。そしてニカラグアの軍隊から遠ざかれ、ニカラグアの軍隊を攻撃するなという命令でした。
彼らアメリカ軍はそうすることができました。なぜならアメリカはニカラグア全体の空を完全に掌握していたからです。またアメリカに雇われた傭兵は最新鋭の通信機器を配備され、それはもはや正常な意味で反政府ゲリラ軍ではありませんでした。
ですから、傭兵は上記の通信機器を通じてニカラグア政府軍の配置についての指示を得ることが出来、そこで彼らは政府軍と戦わず農業共同体、健康診療所など、それだけを次々攻撃できたのです。こうして自分たちは何の損失も受けずにソフト・ターゲットだけを攻撃できたのです。それが公式命令だったのです。
3.3.アメリカでの反応はどうだったか?
それに対するアメリカ国内の反応はどうだったのか?それはよく知られています。それに対するある反応がありました。アメリカ政府の方針は、左翼自由主義的見解においてすら、賢明なものと見なされました。
マイケル・キンズレイは、主流メディアの討論では左翼を自認している人物ですが、ひとつの論文を書きました。その中で彼は次のように述べています。
「我々はあまりに迅速に、この方針を批評すべきではない。人権監視団体(Human Rights Watch)が行なっているような批判を。」と。
彼が言うには、「賢明な方針」はかならずや「費用便益分析テストにパス」しなければならないと。すなわち私がいま引用したように、それは「注ぎ込まれることになる血と不幸の量と、その結果として民主主義が最後に出現する見込み」の損益対照分析なのです。
これがアメリカの理解する民主主義という用語なのです。それはアメリカの周辺国で生々しく例証されています。それが彼らにとって自明・原則のことだということに注目してください。つまりアメリカが、アメリカのエリートだけが、その分析を行う権利を持っていて、もしそのテストに合格すれば、そのプロジェクトを追求する権利を持っているのです。
そしてニカラグアの場合、そのテストは合格したのです。そして実行され功をあげたのです。つまり、ニカラグアが最終的に超大国アメリカの攻撃に屈服したとき、メディアの解説者たちは公然と機嫌よく、採用された方法の成功を賞賛し、その成功ぶりを正確に説明したのでした。
そこで私はここで『タイム』からひとつ引用しましょう。彼らは採用された方法の成功を賞賛しました。すなわち「長くて致命的な代理戦争を反政府ゲリラに遂行させる」方法、「経済を大破させ、疲弊したニカラグア国民が、自国の政府を不必要だと思うようになり、それを転覆させるまで戦争を遂行する」方法です。
それは、我々には「最小の」コストを、そして犠牲者には「破壊された橋、動かなくなった発電所、荒廃した農場だけを残す」方法なのです。しかもこれは、その結果として、アメリカの大統領候補者には「選挙勝利の争点」を与える方法なのです。すなわち「ニカラグアの人々の貧困化を終了させる」ことができるというわけです。
『ニューヨーク・タイムズ』は、大見出しで「アメリカ人は喜びで団結した」と書き、この戦果を称えました。
3.4.テロは成果をあげる:それは弱者の武器ではない
このような文化の中で私たちは生きているのです。そして上記の『ニューヨーク・タイムズ』の記事は、いくつかの事実を明らかにしています。
ひとつは、テロは成果をあげるという事実です。失敗することなく、成果をあげているのです。暴力がいつもどおり続いています。それが世界史なのです。
第2に、テロは弱者の武器だというのは一般に言われていますが、それは非常に重大な分析的ミスです。暴力の他のさまざまな方法と同じく、それは主に強者の武器です。実際のところ圧倒的に強者の武器です。
それは弱者の武器だと考えられています。なぜなら強者が教義・考え方の体系を支配し、だから強者のテロが「テロ」と見なされることがないからなのです。今や、それがほとんど普遍的です。歴史的例外は考えることができません。「最悪の大量殺人者」ですら世界をそのやり方で見ているのです。
その例としてナチを取り上げます。ナチは占領したヨーロッパではテロを行なっていませんでした。彼らは地方の人々を抵抗運動組織パルチザンのテロから保護していたからです。もちろん他の抵抗運動と同じく、ナチスに対するテロがありました。ナチはそれに対する報復テロを実行しましたが。
その上、アメリカは基本的にはナチによる報復テロに賛成でした。戦後、アメリカ陸軍はナチのヨーロッパにおける報復テロ作戦の広範囲な研究を行いました。第一に私が言わなければならないのは、アメリカがそれを取り上げ、それを自分で実行し始めたということなのです。しばしば同じターゲット、すなわち、かつての抵抗運動に対して、アメリカがテロ攻撃を始めたのです。
しかし軍はまた、興味深い研究を、公表されているナチのやり方を研究しました。時には、それを批判的に研究しました。というのは、彼らが実行しても効果的ではないやり方があったからです。このやり方は正しくなかったが、あれは正しかった、という具合です。
しかし、ここアメリカに連れてこられたWermach将校のアドバイスによって改良された方法は、対ゲリラ戦、対テロのマニュアルになったのです。それが、いわゆる「低強度紛争」(Low Intensity Conflict)のマニュアルであり、そして現在も使われているマニュアルであり、手順なのです。<註1>
したがって、それはナチが行ったものとまったく同じものではないのですが、それが西洋文明の指導者、すなわち私たちによって行われるべき正しいことと見なされたのです。そして我々はそれ以来それを自分でやり始めたのです。
だから、テロは弱者の武器ではないのです。テロは「我々」文明人に対する抵抗運動が「テロ」なのです。その「我々」は誰であっても良いのです。そして、それに対する鎮圧が「対テロ」と呼ばれるものなのです。そして、もしそれに対する歴史的例外を発見できればぜひ見てみたいと興味を持っています。
3.5.我々の文明の実像―テロをどのように考えるか
さて、我々の文明、我々の高度文明の本質を興味深く示しているのは、この文化が考慮されるやり方です。それを評価するひとつの方法は、まさに、その隠し方です。だから、ほとんど誰もそれについては耳にしないのです。そしてアメリカのプロパガンダと主義主張のちからは、あまりにも強くて、犠牲者の間ですら、ほとんど誰もそれを知らないのです。
もしあなた方が、アルゼンチンの人々に、このことを話したとしても、そのことを肝に銘じておかねばなりません。そうなのです、まさにそれが起こったのです。でも我々はそのことを忘れているのです。あまりにもひどく抑圧され、記憶に残っていないのです。完璧な暴力独占の結果は非常に強力であり、イデオロギーの言葉でも専門用語でも、我々の文化を記述する用語を失ってしまっているのです。<註2>
3.6.ニカラグアが自己防衛権を持ってもよいという考え
さて、我々自身のテロに対する姿勢のうち一つ明らかになってきた側面は、「ニカラグアが自己防衛権を持っても良いという考え」に対する反応です。実際に私はもう少し詳細にこれを検討するため、データベース検索やその他を使いました。
その結果、ニカラグアが自己防衛権を持っても良いという考えは法外だと考えらています。主流のメディア解説で、ニカラグアがその権利を持っても良いということを示しているものは実質的には皆無です。
そして、その事実はレーガン政権とそのプロパガンダに興味深い方法で利用されました。その当時の人たちで、レーガン政権が定期的に次のような噂を流していたことを記憶している人がいるでしょう。ニカラグアがミグ戦闘機を、ロシアからジェット戦闘機を手に入れるだろう、と。
その点でタカ派とハト派が分裂しました。タカ派は言いました。「よし、爆撃しよう。」ハト派は言いました。「ちょっと待て、噂が本当かどうか見てみよう。そして噂が本当なら、その時は爆撃しよう。なぜなら彼らはアメリカにとって脅威なのだから。」
ところで何故、彼らはミグ戦闘機を手に入れようとしていたのでしょうか。
実は、彼らはジェット機をヨーロッパ諸国から手に入れようとしていたのです。が、アメリカは同盟国に圧力を加え、防衛手段をニカラグアに送らせませんでした。なぜならアメリカはニカラグアがロシアの方向に進路を変えるよう望んでいたからなのです。それは共産主義の脅威という宣伝目的にはぴったりなのです。そのときニカラグアは我々にとっての脅威になるからです。
覚えておいてください。ニカラグアはテキサス州ハーリンゲンからちょうど2日で歩いていけたる距離なのです。我々は実際に1985年に国家非常事態宣言をしました。アメリカをニカラグアの脅威から守るために。そして非常事態宣言は長く効力をもちました。こうしてニカラグアはロシアから軍事力を非常に手に入れやすくなったのです。
何故ニカラグアはジェット機が必要だったのでしょうか?そう、既に述べた理由のためです。すなわち全制空権を持っているアメリカが、上空を飛行し、その制空権を利用して次のような命令を反政府テロリスト軍に出すためだったのです。つまり彼らが一般住民、いわゆる「ソフト・ターゲット」を攻撃できるように。それは同時に市民を守る政府軍と反政府テロ軍とを衝突させない方法でもあったのです。
すべての人は、ジェット機が必要な理由は自衛のためだったことを知っていました。彼らはジェット機を何か他のために使うつもりはなかったのです。
しかしニカラグアが超大国の攻撃に対抗して制空権を守ることを認めるべきだという考えは(しかも、この超大国の攻撃は、反政府テロリスト集団に、防衛能力のない民間人をターゲットに攻撃するよう指示命令していたのです)、アメリカでは法外なものと考えられ、しかもそれが一般的な考え方だったのです。
例外はほんのわずかで、ご存知のように実際それを挙げることは簡単です。私は皆さんに私の言葉を鵜呑みにしろと言っているわけではないのです。お手元の資料をよく見てください。ちなみに、我々の州から選出した上院議員も含まれているのですよ。
3.7.ホンジュラス: ジョン・ネグロポンテの国連大使としての任命
我々がテロをどう考えるかという、また別の例がいま起こっています。アメリカはテロに対抗する戦争を進めるために2−3週間前に国連大使をちょうど任命したばかりです。誰なのでしょう?彼の名はジョン・ネグロポンテ。
彼は領土ホンジュラスにおけるアメリカ大使でした。現状も見てのとおりですが、1980年代初期はまさにアメリカ領土だったのです。そこで、ちょっとした騒ぎがありました。その事実について彼は気づいていたはずでしたし、確かに彼は気づいてもいました。
その大規模な殺人とその他の残虐行為は、ホンジュラスの治安部隊によって実行され、それをアメリカが支援していたのです。しかしそれは虐殺行為のほんの小さな一部なのです。
ホンジュラスの植民地総督として(彼は現地でそう呼ばれているのです)、彼はホンジュラスに本拠地を置くテロリスト戦争、ニカラグアに対するテロ戦争の実質的な地方指揮官であり、そのために彼の政府アメリカは国際司法裁判所に非難され、後には国連安全保障理事会にも非難されたのですが、アメリカによる拒否決議になったものです。テロ戦争をさらに進めるために、彼が国連大使に任命され、拒否権の発動となったわけです。<註3>
皆さんが出来るもうひとつの小さな実験は、上記のアメリカ政府の行動に対するメディアの反応がどうだったのかをチェックし理解することです。さて以下で私がお話するのは、この実験で皆さんが発見することになるであろうこと、しかし本来はご自分で発見すべきことですが、それを通じて、テロに対する戦争について、また我々のアメリカについて、多くのことを知ることになるでしょう。
さて、アメリカはニカラグアを再び引き継ぎました。そのときの状況は新聞が賑やかに書いている通りですが、その後、ニカラグアは1980年代にかなり破壊されました。しかし、あらゆる点でほとんど完全に崩壊したのは、それ以後なのです。アメリカが引き継いで以来、経済的に急速に低下し、民主主義的およびあらゆる点でも急速に低下しています。いまや南半球で第2級の貧困国なのです。
実は…お話する予定だったのはホンジュラスのことではなくニカラグアのことでした。既にお話したとおり、ニカラグアを取り上げたのは、それが議論の余地のないケースだからなのです。もし他の地域の国々をご覧になれば、その国家によるテロはもっともっと極端で、その淵源をたどると再びワシントンに行き着くことになります。しかも、それが決してアメリカによるテロの全てではないのです。
3.8.アメリカとイギリスと南ア共和国
例えば、それは世界中の他の地域でも起こっていました。たとえばアフリカです。レーガン政権の時代だけでも、アメリカ・イギリスに後押しされた南アフリカ共和国は、隣の国々を攻撃し、約150万人の人々を殺し、600億ドルの損害を残し、諸隣国を破壊しました。そしてもし世界中を見渡すなら、さらにもっと多くの例を加えることができるのです。
さて、それがテロに対する初めての戦争だったのです。それについては先に私が小さな例を提示しましたが、それに注意を払うべきものと考えられているでしょうか?あるいは、それが南アフリカ共和国のテロと関連しているかもしれない、などと考えるでしょうか?
そもそも、これは必ずしも古代史の話ではないのです。明らかに、そうでないことは、これまでの私の議論を見ればお分かりのとおりです。テロに基づく戦争は、このMITフォーラムにおける先月の主要な話題だったはずです。
3.9.ハイチ、グアテマラ、ニカラグア
ニカラグアがいま北半球で第2級の貧困国になっていることは先に述べました。では最貧国とは何なのでしょうか?
さて、それはもちろんハイチです。大きなスパンで見れば、20世紀にアメリカが行った多くの干渉・介入の犠牲者に入ります。我々はハイチを完全に荒廃させたまま放置しました。それが最貧国である理由なのです。
ニカラグアは、20世紀にアメリカが他国に介入した程度で言えば第2級に位置付けられます。それが第2級の貧困国である理由なのです。実際にニカラグアはグアテマラと地位を争っています。1−2年毎にどちらが第2級貧困国かを入れ替わっているのです。
つまり、その2国はどちらがアメリカの軍事介入の主要ターゲットになるかを、同じように争っているのです。しかし、我々アメリカ人には、このすべてがある種の偶然だと考えられているのです。我々アメリカ人には、それは歴史上に起こったこととは何の関係もないのです。多分。
3.10.コロンビアとトルコ
1990年代最悪の人権の違反者は、10年という長いスパンで見れば、コロンビアです。それは同時に1990年代にアメリカの軍事援助を最も多く受け取っている国でもあり、テロと人権侵害を行ないいつづけてきました。
1999年、コロンビアは、アメリカ兵器の主要な受取人として、世界で第1位の地位を、トルコと入れ替わりました。ただしイスラエルとエジプトを除外しての話ですが。というのは、この両国は別のカテゴリーになるからです。
実は、この両国コロンビアとトルコについて語ることは、現在のテロにもとづく戦争について、更に多くのことを語ることになります。
何故トルコはアメリカ兵器のそれほど巨大な流入を受けていたのでしょうか?アメリカ兵器のトルコへの流入をよく見れば、トルコは常にアメリカ兵器を大量に手に入れていたことが分かります。トルコは、戦略的に重要な場所にあり、NATOの一員でもあるなど、理由はいろいろです。
しかしトルコへの兵器の流入は1984年に非常に急激に上昇しました。冷戦とは何の関係もありませんでした。つまり当時、ロシアは崩壊しつつあったということを私は言っているのです。
冷戦崩壊にも関わらず、1984年から1999年まで依然として急上昇したままでした。1999年にはそれが減少し、コロンビアに主導権を交代したのです。
1984年から1999年までは何が起こったのでしょうか?1984年にトルコはトルコ南東でクルド人に対する大テロ戦争を始めました。そしてその時アメリカの援助が急上昇したのです。軍事援助です。ただし、その援助は銃ではありませんでした。ジェット機、戦車、軍事訓練、などです。
そしてそれは1990年代ずっと残虐行為がエスカレートしていくにつれ高まっていったのでした。援助は続きました。それがピークに達した年は1997年でした。
1997年にアメリカ軍のトルコへの援助は1950年から1983年までの全期間つまり冷戦時代よりももっと多かったのです。それは冷戦がどれほど政策に影響を及ぼしていたのかをも同時に示していますが。
そして援助の結果は恐ろしいものでした。これは200−300万人の難民を引き起こしました。1990年代後半には最悪の民族浄化がありました。数万人の人々が殺され、3500の町と村が破壊されました。コソボ以上にずっとひどいものでした。NATOの爆撃のもとで起きた民族浄化でさえ、これほど酷くはありませんでした。
そしてアメリカはその武器の80パーセントを供給し、その残虐性が増すにつれそれは増加していき、1997年にピークとなったのです。そして1999年には減少しました。なぜなら、いつものことながら、再びテロは効果を発揮したからです。それは主要な担い手、軍事強国によって遂行されれば、効果を発揮するのです。
そこで1999年までに、トルコのテロは成功をおさめたのです。もちろん対抗テロと呼ばれていますが、しかし私が述べたように、それは普遍的なのです。国家テロが有効だということは。
こうして、トルコはコロンビアと武器輸入大国としての地位を交代することになったのです。コロンビアはまだテロリストとしての戦争に成功をおさめていなかったからです。したがってアメリカの武器の受取人として、第1の地位に移動しなければならなかったのです。
3.11.西洋知識人の側の自己賛辞
さて、このすべてを特に顕著なものにしているのは、このすべてが、まさに自己賛辞の巨大な洪水の只中で起こったということです。西洋知識人の側の、この自己賛辞は、おそらく歴史上、他に類を見ないでしょう。皆さん方すべてがそれを覚えていらっしゃるはずです。
それはちょうど2年前でした。歴史上はじめて、いかに我々アメリカが卓越している国かという大規模な自己賛辞が行われました。例えば次のようなものです。
我々がいかに原則と価値のために立ち上がっているか、至る所で行われている非人間的行為を終えるために、我々がいかに献身しているか、それが、あれやこれやの新しい時代をいかに切り拓くことになっているか、等々です。
確かに、我々はNATOの境界間近で、例えばコソボやセルビアその他で行なわれている残虐行為に耐えることができません。それは何度も何度も繰り返されました。ただNATOの境界内では、たとえばトルコなど自分の側に立つ国の残虐行為は、更にもっと悪い残虐行為であっても、それに耐えることが出来るだけでなく、我々はそれに貢献さえ出来るのです。
西洋文明と我々自身を見抜くもうひとつの力は、この残虐行為がどのくらいの頻度でおこなわれたのかとういうことです。よくごらんなさい。私はもう繰り返しません。しかし、その頻度を調べてみることは有益です。それは、宣伝システムにとっては、とても印象的な成果で、これを自由主義社会に運び出し、自分たちがテロリストを撲滅させた成果として宣伝しているわけです。それはかなり驚くべきことです。全体主義国家ですら、こんなことはできなかったと思います。
3.12.トルコはとても感謝しています
そんなわけで、トルコはとても感謝しています。ちょうど2、3日前、エシヴィット首相が発表しました。トルコはテロ反対の連立に参加する、それも他の国よりはるかに熱狂的に参加すると。
実際、彼が言ったのは、自分たちは軍隊を提供し、他国がしたくない仕事もするということでした。そして彼はその理由を説明しました。
エシヴィット首相が言うには、我々はアメリカに感謝すべき負債を負っているのだ。なぜならアメリカは我々に大きな貢献を快く行ってくれた唯一の国だからである。
彼の言葉では、それを「テロに対する」戦争(“counter-terrorist”
war)というのですが、この我々自身の大規模な民族浄化と残虐行為・テロ行為に対してアメリカは我々に大きな貢献を快く行ってくれた、と言うのです。
他の諸国も少しは助けてくれたが、後方で留まっていただけだった。その一方、アメリカの貢献は熱狂的で、決定的だった。そしてそれを行なうことができたのは、知識階級の沈黙があったからだった、というわけです。沈黙というよりは奴隷状態というのが正しい用語かもしれません。
なぜなら、彼ら知識階級であり、容易にそのことについて知ることができたからです。アメリカは、結局は自由な国なのですから、皆さんは人権報告書を読むことができます。その種のものをすべて読むことができるのです。
しかし我々知識人はその残虐行為に貢献することに決めていたので、トルコは非常に喜び、我々に感謝しなければならないと思っているのです。したがってセルビアでの戦争のときと同様に、軍隊を提供するというのです。
トルコはセルビアでF−16を使用し、非常に賞賛されました。それはセルビアを正確に爆撃するために我々が供給したものでしたが、実は、同じ飛行機を使用して同じような攻撃を、既に自国の人民に対し行なっていたのです。その爆撃は、最終的には彼らが国内のテロと呼ぶものを押しつぶすことに成功するときまで行われたのでした。
そして、いつものように、抵抗運動は例の如くテロを含んでいます。それはアメリカの独立戦争の場合でも同じです。私の知る限り、あらゆるケースで同じです。暴力の独占をしている人々が、自分の遂行している行為を、「対テロ」(counter
terror)だとするのと同じなのです。
3.13.連立:アルジェリア、ロシア、中国、インドネシア
今や自体はかなり印象的で、それは「テロに対する戦争」を戦うために現在組織されつつある「連立」と関係があります。そして、その連立がどのようにメディアで表現されているのかを見ることは非常に興味深いことです。
そこで今朝の『クリスチャン・サイエンス・モニター』をご覧下さい。それは「良い」新聞です。それは「最良」の国際的な新聞の一つで、世界の真の姿を報道をしています。そのトップ記事、第1面の記事ですが、アメリカの現状を論評しています。
つまり、以前は、ご存知のように世界の人々は、アメリカを嫌っていました。(例えば、一方的な京都議定書の破棄を見よ。)が、今では人々は尊敬するようになっている、と言うのです。そしてアメリカがテロに対する戦争を主導しているそのやり方に非常に満足しているというわけです。
その最良の例はアルジェリアです。実際にそれは『クリスチャン・サイエンス・モニター』に載せられた唯一の真面目な例で、それ以外は冗談ですが、その記事は、アルジェリアがアメリカのテロ戦争に非常に熱狂的だということを証明しています。
その記事を書いた人はアフリカの専門家です。彼はアルジェリアが世界中で最も極悪のテロリスト国家のひとつであって、ここ2、3年、恐ろしいテロを自国民に対して実際に行ってきたことを知っているはずです。
しばらくの間、これは秘密にされてきました。しかし最終的にはフランスで、アルジェリア軍からの亡命者によって暴露されました。それはフランス全土だけでなく、イギリスやその他の国でも、暴露されています。
しかしここで、我々の記者が非常に誇りに思っているのは、世界中で最も極悪非道なテロリスト国家の一つが、いまや熱狂的にアメリカのテロ戦争を歓迎していることであり、アメリカがその戦争を主導していることに実際、歓呼していることです。
要するに、その記事が示しているのは、アメリカが今や世界でいかに人気があるかということだけなのです。
そして、テロに対する戦争を形成しつつある連立をよく見るならば、多くのことがわかるのです。その連立の主要メンバーがロシアであり、ロシアはチェチェンで殺人的な国家テロ戦争を行なっていますが、アメリカが今までのように背後で時折それを批判するのではなく支持してくれるのを喜んでいるのです。
中国は熱狂的に参加しています。中国も、西中国において、いわゆる「イスラム教脱退論者」に対して行っている残虐行為をアメリカが支持してくれるので喜んでいるのです。トルコは、先に述べましたように、テロに対する戦争に非常に満足しています。
彼らは国家テロの専門家なのです。アルジェリア、インドネシアはアチェやその他の場所で行っている残虐行為に、アメリカでさえ支持をしてくれることに喜んでいます。今我々はそのリストに目を通すことができます。
テロに対する連立に参加している国のリストはまったく印象的なのです。それらは共通する特性をもっています。彼らは確かに、世界中のテロリスト国家の中でも先導的な国家群に入っているのです。そして偶然にも今や、テロ国家群の世界チャンピョンによって先導されているのです。
3.14.テロリズムとは何か?
このようにテロリスト国家のことを論じていると、もういちど元の質問に戻らざるを得ません。テロとは何か?という質問に。もっとも、これまでの議論から、私は推測しています。「テロと何か?」の答えは、もうお分かりのことだと。
さて、ここに、これに対する簡単な答えが偶然あります。公式の定義があるのです。アメリカの法律とアメリカ軍のマニュアルにそれを見つけることができます。アメリカ軍のマニュアルからとられたその簡潔な表現は、十分に公正なものですよね。
「テロは計画的な暴力の使用あるいは暴力による脅迫であり、政治的・宗教的なイデオロギーの目的を達成するために、脅迫・威圧あるいは身にしみる恐怖を通して行われる行為である。」
これがテロリズムなのです。それは十分に公正な定義です。それを受け入れるのは合理的だと思います。問題は、その定義が受け入れられていないということなのです。なぜなら、もしそれを受け入れれば、彼らにとって全て悪い結果が続くからなのです。たとえば、私が今しがた論じてきたようなこと全てについて悪い結果が。
いま現在、国連において重要な努力、すなわちテロリズムに対する包括的な条約を造り出そうという努力が行なわれています。国連事務総長コフィ・アナンが先日ノーベル賞を受けたときの、彼の発言は注目に値するでしょう。
というのは、彼は「我々はテロリズムに対する包括的な条約づくりに時間を浪費すべきではない。むしろ条約の適用に実際、着手すべきだ。」と言っているからです。
しかし問題があります。もし包括的な条約におけるテロリズムの公式定義を使うならば、アメリカにとって完全に悪い結果に到達することになるからです。ですから、それは行われえないのです。実際、それが適用されれば、予想よりも、さらにもっと悪いことになります。
というのは、もしアメリカの公式政策である「低強度戦争」の定義をよく見てみると、それは私が今読み上げたテロ定義の文言に非常に近いものだということが分かるからです。実際、「低強度紛争」はテロリズムの別名なのです。
そういうわけで、私の知る限りすべての国々は、彼らが行っているどんな恐ろしい行動をも「テロ対抗行為」(counter
terrorism)と呼ぶわけなのです。我々はそれを次のように呼ぶこともあります。すなわち「暴動鎮圧行為」(Counter
Insurgency)あるいは「低強度紛争」(Low
Intensity Conflict)と。
ですから、これは重大な問題なのです。現実の定義を使うことが出来ないのです。だから全ての悪い結果を招かない新しい定義を注意深く発見しなければならないのです。
3.15.アメリカとイスラエル:決議案になぜ反対票を?
そのほかにも、いくつかの問題があります。そのうちのいくつかが起こったのは1987年12月、テロリズムに対する初めての戦争がピークに達した時でした。そのとき、テロという悪疾に対する熱狂がピークになったのです。
国連総会はテロリズムに反対するとても強力な決議を通過させ、強い言葉でその悪疾を非難し、あらゆる国にあらゆる可能な方法でテロと戦うように要求するものでした。それは満場一致で通過しました。1国、ホンジュラスだけが棄権しました。2国が反対票を投じました。いつもどおりの2国、アメリカとイスラエルです。
なぜ、アメリカとイスラエルが、強い言葉でテロリズムを非難する重要な決議案に反対票を投じなければならないのでしょうか。テロに対する強い非難の言葉は、ほとんどが、実際にレーガン政権が使用していた言葉と同じものなのに。
理由があります。その長い決議案の中に、あるパラグラフがありまして、その中で次のように言っているのです。すなわち、この決議案では、戦う被抑圧者の権利を何者も侵害してはならない、としているのです。
つまり、人種差別主義的・植民地主義的制度や外国軍隊の占領にたいして戦っている人々の権利を侵害してはならない、としているのです。そして彼らは抵抗を続けているのです。他の人々・他の国家、国外からの援助を受けながら大義のために抵抗運動をしているのです。
ところが、アメリカとイスラエルはそれを認めることができません。当時それが出来なかった主な理由は、南アフリカ共和国のためでした。南アフリカ共和国はアメリカの同盟国で、公式的にも同盟国と呼ばれていました。
南アフリカにはテロリスト勢力がありました。それはアフリカ民族会議と呼ばれていました。そこにはテロリスト勢力が公けに存在していたのです。
一方、南アフリカ共和国は同盟国でしたから、我々アメリカは人種差別主義的制度に反対して戦っているテロリスト・グループ、その行動を支援することが出来ないのも確かでした。そんなことは不可能でしょう。
そして勿論、もう一つ別の理由があります。すなわち、イスラエルが他国の領土を占領していたのです。それが今や35年目に入っているのです。主としてアメリカに支援され、イスラエルは外交的に解決する道を封鎖しているのです。それは30年間にも及び、未だに解決されていません。解決策を持ちようがないのです。
その時もう一つ別の理由があるのです。当時、イスラエルは南レバノンを占領したのですが、それに対して、アメリカがテロリスト勢力と呼ぶ、ヒズボラが戦っていたのです。そして実際、イスラエルをレバノンから追い出すことに成功したのです。
私たちアメリカは、それが誰であろうと、許すことが出来ないのです。軍事的占領に対して戦うことを。その軍事的占領が我々アメリカの支援するものであるときは。だからアメリカとイスラエルは国連の重要なテロリズム決議案に対して反対票を投じなければならなかったのです。
そして私が先に述べたように、アメリカの反対票は…実質的には拒否権の発動だということなのです。しかしそれはまだまだ話半分なのです。というのは、それはまた、拒否権発動をつうじて、国連決議案を歴史から消去することだからです。
なぜなら、このどれ一つとして報告されておらず、そのどれ一つとしてテロリズム年代記には現れていません。もしテロリズム等に関する学術的研究を調べて見ても、私が今述べたことは何一つでてきません。その理由は、間違って悪い人々に銃を持たせてしまったからなのです。
だから注意深くテロリズムに関する定義と学識などを磨かなければなりません。正しい結論に到達できるように。そうすれば尊敬すべき学者、立派なジャーナリストとして扱われるからです。逆に、そのような定義と学識を磨けないひとは、その世界から放逐されるのです。
さて、これらはテロリズム反対の包括的条約を造り出そうとする努力を妨害する諸問題なのです。おそらく我々アメリカは、アカデミックな会議か何かを開催して、テロリズムを新しく定義する方法を考え出すことが出来るかどうか、検討しなければならないでしょう。誤った答えではなく「正しい答え」に到達するために。しかしそれは容易ではないでしょう。
4.何が9月11日の犯罪を?
さて、この問題をひとまず置き、4番目の質問に行きましょう。「何が9月11日の犯罪を引き起こしたのか?」という疑問です。
ここで、2つの範疇の区別をしなければなりません。それは一緒に扱われるべきではないからです。ひとつはその犯罪の実行犯であり、もうひとつは犯罪の「貯水池」です。
というのは、少なくとも、あの犯罪に共感を寄せ、時には支援する人たちがいるからです。あの犯罪は、犯人とその行動に非常に反対している人々の間にさえもアピールする力があるのです。
つまり、上記の2つは異なるものなのです。
4.1. カテゴリー1:犯人らしき人物
さて、犯人に関しては、ある意味で、実際には明らかではありません。アメリカは何か意味のある証拠をいかなる証拠も提示することも出来ないし、提示する気もないようです。
一種のゲームが1−2週間前にあって、そのときイギリスの首相トニー・ブレアがそれを提示しようとしました。このことの目的が何だったのか、正確には分かりません。
おそらくそうすれば、明らかにすることは出来ないが何か秘密の証拠をアメリカが握っているのだ、というように見せることが出来ますし、あるいは第二次大戦時のチャーチル首相のような振る舞いをしてみたかったからかもしれません。
宣伝(Public Relations)の理由が何であれ、彼が発表したものは、真面目な人たちの間では、あまりに不条理だと考えられるので、ほとんど言及さえされなかったのです。そこで例えば『ウォールストリート・ジャーナル』、私の考えでは、はるかに真面目な新聞のひとつですが、12面に小さな記事を載せました。
その記事は、たいした証拠がなかったことを指摘し、その後に、アメリカ政府高官が次のように言っているのを引用しています。
「証拠があるかないかは問題にはならないのだ。なぜならどうでもそれをやり遂げる予定だからだ。なぜ証拠なんかで悩んだりするのかね?」
もっとイデオロギー的な新聞、たとえば『ニューヨーク・タイムズ』のような新聞やその他のものでは、ブレアのことを第1面トップ記事に載せていました。しかし『ウォールストリート・ジャーナル』の反応は妥当なものです。いわゆる証拠なるものを見れば、その理由を理解できるでしょう。
しかし、その証拠が本当だとしましょう。それにしても、その証拠の貧弱さは、わたしにとっては驚くべきことです。ちょっと考えてみれば、皆さん方でも、もっとましな仕事が出来ると思います。どんな情報部も持たなくても(聴衆の笑い)。
事実、次のことを記憶しておいてください。つまりこれは、西洋のあらゆる情報機関が今までにかってないほどの集中的な調査を数週間も行なった後の発表だったということです。何かの証拠を集めようと時間外でも働きつづけた結果が、この発表だったのです。
そして、事件は見た目にも明らかなものでした。それは非常に強力な論拠を持った事件でした。あらゆる情報を入手する前ですらも。しかし、それは始まったところで終わったのでした。明らかな論拠を持ったまま。だが論拠と証拠とは違うのです。
そこで、それが本当だと推測しましょう。事件の第1日目に明らかであるように見えたことが、現在でもまだそうであると。すなわち実行犯が急進的イスラム教徒、このアメリカでは原理主義のネットワークと呼ばれているものであると。そしてビンラディンのネットワークが疑いなくその重要な部分になっていると。
しかし、犯人たちが、そのネットワークにかかわっているかいないかは、誰も分からないのです。そのことは実際にはあまり問題ではないのです。
4.2.誰が彼らをつくり出したのか?
以上が事件のバックグラウンドです。上記の複数のネットワークが事件の背後にあるのです。では、そのネットワークの起源は何でしょうか?
我々はそのことについてのすべてを知っています。とは言っても、CIA以上に、そのことについて知っているものは誰もいないでしょう。なぜならCIAがそれらを組織するのを助け、長い時間をかけて育ててきたからです。
実際、その組織のメンバー1980年代にCIAやその提携者によって集められました。アフガニスタンではなく他の場所で。たとえば、パキスタン、イギリス、フランス、サウジアラビア、エジプトなどです。中国も関係していました。彼らはもう少し早くから、おそらく1978年には、関係していたでしょう。
そのような組織をつくる考えは、共通の敵であるロシアを苦しめようとするために生まれたものです。カーター大統領の国家安全保障顧問、ズビンニュー・ブレゼジンスキー(Zbigniew Brzezinski)によれば、アメリカは1979年中ほどに、その組織作りに関与を始めました。
この日付を覚えていらっしゃいますか。その日付を正確に言うと、ロシアがアフガニスタンに侵略したのは1979年12月だったのです。
よろしいでしょうか。ブレゼジンスキーによれば、当時のアフガニスタン政府に反対して戦っているムジャヒディン(聖戦士)へのアメリカの支援は、その6ヶ月前から始まっていたのです。彼はそれを非常に自慢しています。<註5>
彼が言うには、「我々がロシアを引きずり込んだのだ」のです。彼の言葉では、「アフガニスタンの罠」に引きずり込んだのだのです。つまり、ムジャヒディンを支援することによって、ロシアをアフガニスタンに侵略するよう仕向けた、彼らを罠に落としたのだ、と。
「さて、こうして我々はこの恐ろしい金目当ての傭兵軍を育て上げることが出来た。それは小さな軍隊ではなく、おそらく10万人かそこらの人間だった。そして彼らに見つけ出せる最良の殺人者をかき集めさせたのだ。」「彼らは急進的なイスラム教狂信者で、北アフリカ、サウジアラビアなど、どこからでも。見つけられる限り、どこからでもよかったのだ。」
彼らはしばしば「アフガニ」(The Afganis )と呼ばれていますが、その多くはビンラディンのように、アフガン人ではありませんでした。彼らは、CIAとその友人によって、アフガン以外の別の場所から連れてこられたのです。
ブレゼジンスキーが真実を述べているかどうかは、私にはわかりません。彼は自慢していただけなのかもしれませんが、明らかに彼はそれを誇りに思っています。たまたま、「アフガンの罠」に引きずり込んだ結果、ソ連が崩壊することになったことを知って。
しかし、おそらくそれが真実でしょう。我々はいつか真実を知ることになるでしょう。記録文書がいずれ公開される時になれば。ともかく、それが彼の認識なのです。しかし、次の事実は疑いの余地すらないものです。
1980年1月までには、アメリカが「アフガニ」を大規模な軍隊として組織し、ロシア人に最高度の紛争を仕掛けようとしていたのです。アフガニスタンがロシアの侵略と戦うことは合法的なことでした。しかしアメリカの介入はアフガニスタン人助けていたのではありませんでした。実際、それは国と更に多くのものを破壊することを助けただけでした。
いわゆる「アフガニ」には大義がありました。そして、その組織がロシアを最終的に撤退させたのでした。もっとも、多くの軍事評論家の信じるところでは、おそらく「アフガニ」の存在が、逆にロシア人の撤退を遅らせることになったのです。なぜなら、ロシアは何とかそこから撤退しようと模索していたからです。ともかく、何であれ、ロシア人は引き下がったのでした。<註6>
一方、テロリストの軍隊は、CIAが組織し、武装し、訓練したものですが、ロシア撤退直後から自分自身の行動綱領を追求し始めました。それは秘密ではありませんでした。
その最初の行動のひとつは1981年で、彼らはエジプトの大統領を暗殺しました。サダト大統領はこの組織を創設するのに最も熱狂的だった人物の一人だったにもかかわらず。
1983年、一人の自爆者(彼が上記の組織と関連しているか否か、かなりの闇で、誰も分かりません)が、アメリカ軍をレバノンから撤退させました。その後、同じような行動が続きました。彼らは自分自身の行動綱領を持っているのです。
アメリカは喜んで彼らを動員し組織して彼らの大義のために戦わせましたが、他方で彼らが自分自身の行動綱領を追求するようになったのです。彼らはそれに確信をもっていました。大国のソ連を打ち負かし自信を持つようになったのです。
1989年以後、ロシア人が撤退してからは、彼らは単に戦いの矛先を変えただけだったのです。それ以来、彼らはチェチェンで、西中国で、ボスニアで、カシミールで、東南アジアで、北アフリカで、あらゆる他の場所で、戦いつづけてきたのです。
4.3.彼らは何を考えているのか
彼らは我々に自分たちの考えを語っています。アラブ世界のある自由なTV局で。
アメリカはそのTV局を黙らせたいと思っています。なぜなら、そのTV局はパウエル長官からオサマ・ビンラディンまで、あらゆる範囲のものを放送するからです。
そこでアメリカはアラブ世界の抑圧的な政府と手を組んで、それを封じ込めようとしています。しかし、もしそれを聞くならば、つまりビンラディンが何を言っているのかを聞くならば、それだけで価値があります。
ビンラディンとの、たくさんのインタビューがあります。西洋の一流レポーターによるたくさんのインタビューがあります。もしビンラディン自身の主張を聞きたければ、たとえばロバート・フィスクや他の人のものがありあす。
彼の主張は、この間ずっと首尾一貫しています。彼だけではありませんが、おそらく彼は最も雄弁な人間のひとりです。彼の主張は長期間にわたって、ただ首尾一貫しているだけではなく、彼らの行動とも一致しているのです。そこに、彼の主張を真剣に考えるべきあらゆる理由があるのです。
彼らの主要な敵は、彼らが言うところでは、腐敗し圧制的・独裁的で残酷なアラブ世界の政府です。そのような彼らの主張は、その地域でかなり多くの共鳴を得ているのです。彼らはまたイスラム教体制の防衛も望んでいます。腐敗した政府を取り替えて正しいイスラム教の政府をつくりたいと望んでいます。
それが、自分の故郷の地を追われた理由ですが、あの事件までは、彼らはかの地の人々の共感を得ていました。彼らの見地からは、サウジアラビアのような、世界で最も極端な原理主義的な国でさえ、私が思うに、タリバンのような集団が欠けているのです。
しかも、タリバンは彼らの分家みたいなものですが、にもかかわらず、彼らにとっては、そのタリバンさえもイスラム教徒としては、まだ不十分でなのです。よろしいでしょうか。そのような厳格さの故に地元では支持が少ないのですが、しかし、中東全域では、あの事件までは、彼らは多くの支持を得ていたのです。
また彼らは他の場所にいるイスラム教徒を守りたいと思っています。彼らはロシアを害毒のように憎んでいますが、ロシア人がアフガニスタンから撤退するや否やロシアにおけるテロ行為をやめました。なぜなら、彼らは以前からロシア内に潜伏していたCIAの支持を受けロシアでもテロ行為を続けていたからです。CIAはアフガニスタンにだけ居たのではないのです。
彼らはチェチェンに移動しました。しかしそこでも、彼らはイスラム教徒をロシアの侵略から守っているのです。私が既に述べた他のすべての場所でもまったく同じです。彼らの見地からは、彼らがイスラム教徒を不信心者から守っているのです。そして彼らはそれを確信し、それが、彼らが行なっていることなのです。
4.4.なぜ彼らはアメリカに敵対するか?
さて、なぜ彼らはアメリカに敵対するようになったのでしょうか?それは彼らの言うところによると、アメリカのサウジアラビアへの侵略に関係がありました。
1990年、アメリカはサウジアラビアに永久的な軍事基地を確立しました。それは彼らの見地からすると、ロシアのアフガニスタン侵略に匹敵するものです。サウジアラビアがはるかに重要であることを除けば。なぜなら、そこはイスラム教の聖地の中でも本拠地にあたるところですから。この時点から彼らの活動が向きを変え、アメリカを敵とするようになったのです。
思い出せば、1993年、彼らは世界貿易センターを爆破しようとしました。一部は思い通りにしましたが、すべてではありませんでした。そのほんの一部でした。計画は、国連ビル、オランダ・トンネルとリンカーン・トンネル、FBIビルを爆破することでした。思うに、リストにはもっと他のものもあったでしょう。彼らはいわば一部は思い通りにしたのですが、そのすべてではなかったのです。
この事件で刑務所に拘置されている一人の人物は(最終的に拘置されていた人々の中のひとりなのですが)エジプト人聖職者でした。が、彼は移民局の反対を押してアメリカに連れ込まれたのです。それは「友人」を助けたいと望んだCIAの介入のおかげでした。
その2年後、彼は世界貿易センターを爆発させました。そして、こんなことがあらゆる点で行われてきているのです。そのリスト全てを紹介するつもりはありませんが、もしそれを理解したいとお望みなら、それは首尾一貫しているのです。それは一貫した状況なのです。それを言葉で表すことも出来ますが、この20年間、それは実践で明らかにされています。それを真剣に考えないでおく理由はありません。
これが第1のカテゴリーで、ありうる犯人像なのです。
4.5. カテゴリー2:「支援の貯蔵庫」について
第2のカテゴリー、「支援の貯蔵庫」についてはどうでしょうか?それがどんなものなのかを見つけ出すことは難しくはありません。9月11日以来、起こったことで良かったことの一つは、新聞の一部と討論の一部がこれらの一部を公開し始めたということです。
私の知る限り最良のものは『ウォールストリート・ジャーナル』で、事件直後の2日以内に重大な報告をし始めました。なぜ中東地域の人々が、あのようなテロ活動を支援するのか、その理由について調査し報告しているのです。
つまり、たとえビンラディンに嫌悪感を持っていても、あるいは彼が行なっていることのすべてを軽蔑していても、それでもなお、なぜ多様な方法で彼を支援するのか、という調査です。その中で、ある人は「彼をイスラム教の良心と見なしている」とすら語っています。
いま『ウォールストリート・ジャーナル』や他の新聞では、一般の世論を調査していません。調査しているのは彼らの友人、すなわち銀行家、専門家、国際弁護士、実業家などです。彼らは皆、アメリカと緊密な関係にあるアラブ人たちです。
彼らがインタビューを受けたのは、マグドナルド・レストランで、そのあたりでは優雅なレストランで巣。彼らは極上のアメリカ製の服を身につけていました。それがインタビューしている相手でした。彼らの姿勢がどんなものであるのかを見つけ出したかったのです。
彼らの姿勢は非常に明白、非常に明瞭です。そして多くの点でビンラディンや他の人たちのメッセージと一致しています。彼らはアメリカに対して非常に怒っています。すなわち次のような点でアメリカに怒りを感じているというのです。
独裁的で残虐な政府へのアメリカによる支援;
民主主義へのあらゆる動きを抑制するアメリカの介入・干渉;
経済発展を止めるようなアメリカの介入・干渉;
サダム・フセインを援助・強化しながら、他方でイラクの民間社会を荒廃させるアメリカの政策;そして彼らは覚えています。その記憶を我々が好まなくても、アメリカとイギリスがサダム・フセインの最悪の残虐行為を完全に支援してきたことを。クルド人を毒ガスで殺したことを含めて、そのような残虐行為を英米が支援してきたことを。
ビンラディンはそれを絶えず持ち出していますし、彼らはそれを知っています。たとえ我々がそれを望まなくても。そしてもちろんイスラエル軍のパレスチナ占領は厳しく残酷なものでしたが、それに対するアメリカの支援についても、です。
その占領は今35年目になるのです。アメリカはイスラエルに対して圧倒的な経済的、軍事的、外交的支援を行ってきました。そして現在でも続いています。そして彼らはそれを知っていますし、それを快く思っていません。
とりわけ、そのイスラエル援助政策が、アメリカのイラク政策、イラクの市民社会にたいする破壊政策と一対のものになっているので、なおさら不快感が募(つの)るのです。なぜならアメリカの経済封鎖はイラクの市民社会を日々、破壊しつつあるからです。
よろしいでしょうか。これがテロ活動の支援される大まかな理由です。ビンラディンはこれらの理由を挙げ、人々もそれを認識し支援しているのです。
ところで、上記の意見は、我々アメリカ人が考えるような思考方法ではないのです。少なくとも教育を受けたリベラル人の意見ではないのです。というのは、彼らは、あとで引用するような言い回しが好きだからです。
それはすべての新聞で使われている論評です。もっとも、そのほとんどは、左翼自由主義者からのものですが。私は本当に調査・研究をしたわけではありませんが、思うに、右翼の意見の方が一般的にもっと正直です。
しかし、たとえば『ニューヨーク・タイムズ』を、その最初のオプ・エド・ページ《社説面の反対ページの署名入り評論や囲み記事など》を見てみたら、どうでしょう。その記事は「真面目な」左翼自由主義知識人であるロナルド・スチールの署名になるものですが。
彼はその記事のなかで、「何故かれらは我々アメリカを憎むのか?」 と疑問を投げかけています。この同じ日だったと思うのですが、先に述べたように、『ウォールストリート・ジャーナル』も「なぜ彼らは我々を憎むのか?」という調査を行ないました。
そしてロナルド・スチールが言うには、「彼らは我々を憎んでいる。なぜなら我々が世界中で基準になるべき資本主義、個人主義、世俗主義、民主主義の新世界秩序を擁護しているからだ。」
ところが、同じ日に、『ウォールストリート・ジャーナル』はアラブ系の銀行家、専門家、国際弁護士の意見を調査しています。そして彼らは言っています。
「見よ、我々はあなたがたを憎んでいる。なぜなら、あなた方は民主主義を阻害しているからだ。あなた方は経済発展を妨げている。あなた方は残酷な政府、テロリストの国家を支援している。あなた方はこれらの恐ろしいことを中東で行なっている。」
2日後、アンソニー・ルイスは(Ronald
Steelよりはるかに左翼の人物ですが)次のように説明しました。すなわち、テロリストはただ「黙示録のニヒリズム」を追及しているだけだと。それ以上の何ものもない。したがって我々が重要視するものは何もない、と。
彼の言によれば、我々の行動の結果として有害になりうるものがあるとすれば、それはアラブ人が反テロリズムの共同戦線に参加するのを、より困難にしていることだけだというのです。しかしそれ以外では、我々アメリカの行動は、あの事件とは無関係だというのです。
さて、ご存知のように、この意見は私たちにとってある種の慰めになるという利点を持っています。この意見の御蔭で、私たちは自分自身を良いものと思えるでしょうし、なんとアメリカは素晴らしい国かと思えるでしょう。それは我々の行動の結果を我々が回避できるようにしてくれます。
しかし、この意見には2つの欠点があります。ひとつは、それが我々の知っているすべてとは全く矛盾しているということです。もうひとつの欠陥は、それが、暴力のサイクルをエスカレートさせる、それを保証する完全な方法だということです。
もし砂の中に頭をうずめて暮らしたいと望むなら、そして彼らが次のような理由で私たちを憎んでいるのだというふりをしたいのであれば、それも可能です。
すなわち、彼らはグローバル化に反対だから私たちアメリカを憎むのであり、同じ理由でサダト大統領を20年前に殺したのであり、同じ理由でロシアと戦ったのであり、同じ理由で1993年に世界貿易センターを爆発させようとしたのです。
要するに、これらの攻撃対象になったのは、すべて手をつないでグローバル化を目指す運動の只中にいる人々だとするわけです。が、もしそれを望むなら、そうですね…確かにそれは私たちに慰めを与えてくれます。
同時にそれは暴力がエスカレートするということを確実にするための大きな方法です。それは部族間の暴力と同じものです。「あなたは私に何かをした、だから今度は復讐として、あなたに何か、もっと悪いことをしてあげよう」というものです。相手が自分を攻撃した理由が何なのかは気にせず復讐だけはするというやり方です。私たちはそのやり方を続けているだけなのです。
そして、それはひとつのやり方です。ずいぶん率直なものですが、これが左翼自由主義的な意見なのです。
5. 今後の政策選択肢は?
今後の方針として、どんな選択肢があるでしょうか。選択肢はかなりあります。初めから狭い選択肢を取るとすれば、ローマ法王のような極めてラジカルな人物(聴衆の笑い)の忠告に従うことです。バチカン宮殿は即座に言いました。
「見よ、それは恐ろしいテロリストの犯罪である。犯罪の場合には、犯人を発見し、裁判にかける。したがって彼らを裁判にかけよ。決して無実の市民を殺すなかれ。」
もし誰かが私の家から盗みをした場合、それを行なった犯人はおそらく通りの向こうの、どこか近所にいると考えます。けれど私は攻撃用ライフル銃を持って外出し、近所のすべての人を殺したりはしません。
それは犯罪を扱う方法ではありません。それが、このように小さな犯罪であろうと、ニカラグアに対するアメリカの国家テロリスト戦争のような実際に大規模なものであろうと、更に酷い犯罪であろうと、その中間のものであろうと。
それには沢山の先例があるのです。実際、既に先例に言及しました。ニカラグアの例です。ニカラグアは合法的な手順に従う、国際法を遵守する国でした。恐らく、だからこそ私たちのアメリカ政府はニカラグアを破壊しなければならなかったのです。それは正しい原則に従ったからです。
さて、もちろんニカラグアは、国際法の手順に従った行動をしても、その結果どこにも到達しませんでした。なぜなら、それは大国と衝突する行為だったからです。大国は合法的な手続きに従うことを認めようとしないのです。
しかし、もしアメリカが法律の手順にしたがうことを追求するなら、誰もそれを止めようとはしないでしょう。それどころか、実際、すべての人が拍手喝采するでしょう。そして、そのような沢山の先例が他にあるのです。
5.1 アイルランド共和国軍(IRA)の爆弾
IRA(アイルランド共和国軍)がロンドンで爆弾を爆発させたとき、それはかなり深刻な事態でしたが、それに対するイギリスの対応として次のようなこともありえたのです。
つまり、それが非現実的だということは、さておき、ひとつのありうる答えは、ボストンを破壊することでした。なぜなら、ボストンはIRAの資金源の大半を占めるところだからであり、もちろん西ベルファストにおけるIRAの活動を全滅させるためです。
さて、ご承知のように、その可能性は別にして、このような行為をしたとすれば、全く馬鹿げた白痴的犯罪的行為になったでしょう。しかしイギリスによる事件処理方法は、まさに彼らが行なったとおりのものでした。
すなわち、ご存知のように、犯人を見つけ、彼らを裁判にかけ、そして事件の背後に潜む理由を探す、という方法です。なぜなら、これらの事件は真空から生まれないからです。事件には必ず何らかの理由があるからです。
それが街頭での犯罪であれ、恐ろしいテロリストの犯罪であれ、何か他の犯罪であれ、犯罪には必ず理由があるのです。そして普通、もしその理由を調べてみれば、そのいくつかは正当なものであり、それは公けに申し立てがされるべきものです。
その犯罪がどんなものであれ、それとは無関係に、その理由は公に申し立てがされるるべきものです。なぜなら、その理由は正当なものだからです。そして、それが犯罪を処理する方法なのです。そのような先例はたくさんあるのです。
しかしそれにかんする問題点もあります。一つの問題は、アメリカが国際司法制度を承認していないということです。そこで、そのような犯罪を国際司法制度に持って行けないのです。アメリカは国際司法裁判所の司法権を拒絶したのです。アメリカは国際刑事裁判所の批准を拒否しているのです。
アメリカは非常に強力な国ですから、もし望めば、新しい裁判所を設立するでしょう。自分が手足を縛られないような裁判所を。しかし、いかなる種類の法廷を設置しようとも、問題があります。裁くに足る主たる証拠が必要だということです。
いかなる種類の法廷に提訴しようとも、必ずいくらかの証拠が必要です。イギリス首相トニー・ブレアが証拠に関してTVで話していましたが、それは証拠ではありません。それは非常に難しい仕事です。証拠を発見するのは不可能でしょう。
5.2.指導者なき抵抗
ご存知のように、あの犯罪を行なった人々は間違いなく自爆した人々です。これをCIA以上に知っているものはいないでしょう。
この犯罪を行なった組織は分散的・非階層的ネットワークなのです。彼らは「指導者なし抵抗運動」(Leaderless
Resistance)と呼ばれる組織原則に基づいて行動しています。
それは、アメリカにおけるキリスト教右翼テロリストによって開発された原則なのです。「指導者なき抵抗運動」(Leaderless
Resistance)と呼ばれているものです。
何かを行なうときには小集団を結成するものです。彼らは決してそれを誰か他の人には話しません。それには、前提となる一般的な背景・動機があります。そしてそれを実行するのです。実際、反戦運動の人々はそれに精通しています。我々はそれを「親和グループ」(affinity
groups)と呼んできました。
あなたが属しているものがどんな団体であれ、それがFBIに潜入されていると推測し、その推測が正しかったとしましょう。そのとき、何か重大なことを起こそうとする場合、あなたは会合でそれを言ったり行なったりはしません。あなたがよく知っていて信用できる人、つまり「親和グループ」のひとにだけ話すのです。だからFBIに潜入されることはありません。
それが、いま広まっている運動で何が起こっているのかをFBIが決して見つけ出すことが出来ない理由のひとつです。そして他の情報機関もまた同じなのです。彼らには見つけ出すことが出来ないのです。それが「指導者なき抵抗運動」「親和グループ」「非階層的ネットワーク」に対して潜入することが非常に困難な理由です。
このような組織ではメンバーがお互いを知らないということも十分に可能なのです。ですから、オサマ・ビンラディン氏が自分は関係していないと主張しても、それは完全にあり得ることなのです。実際、アフガニスタンの洞窟にいる人間は、ラジオも電話も持っていないので、そんな人間があのような高度に洗練された先述を計画することが出来ると想像するのはかなり困難です。
彼が犯人である可能性は、この事件の背景の一部としてあり得るにすぎません。ご承知のように、それは他の「指導者なき抵抗運動」のテロリスト集団についても同じです。要するに、それが意味することは、彼が犯人である証拠を発見するのは非常に困難になるだろうということです。
5.3.「信頼性」を確立すること
アメリカは証拠の提示をしたがりません。なぜなら証拠なしでも行動できるようにしておきたいからです。それが今回の報復行動の決定的な部分なのです。
アメリカが安全保障理事会の了承を求めなかったことに気づくでしょう。今回は了承を得ることが出来たはずです。それはアメリカの主張する理由が正しいからではなく、安全保障理事会の他の常任理事国が同じくテロリスト国家であるという理由からです。
彼らはいわゆる「テロに対する連合」に喜んで参加します。なぜなら、そのことが自分自身の行なっている国家テロにたいしてアメリカの支持を得ることになるからです。だからロシアのような国は、拒否権を発動するつもりもありませんでした。それどころか彼らはその連合に参加したくて仕方がなかったのです。
だからアメリカはおそらく安全保障理事会の了承を得ることが出来たのですが、それを望みませんでした。その必要はなかったのです。なぜなら、それはまた、今まで長く続けてきた原則に従っているに過ぎないからです。その原則はジョージ・ブッシュのものではなく、クリントン政権時代に明白に述べられていたものですし、もっと過去に遡ることが出来るものです。
それは我々が一方的に行動する権利があるということです。我々は国際的な許可を必要とはしません。なぜなら我々は一方的に行動するのであって、したがってそれを必要とはしないからなのです。ですから我々は証拠のことなど気にしません。我々は交渉など、する気がありませんし、条約など気にしないのです。
我々は世界最強であり、この地域では最も粗暴な暴漢なのです。我々はやりたいことをやるのです。「了承」「許可」などというものは余計なもの悪いものなのであり、したがって回避されるべきものなのです。専門的な文書にはそれにふさわしい名称すらあるのです。それは「確立された信頼性」と呼ばれるものです。
要するに、信頼性を確立しなければならないのです。それが多くの政策のなかで重要な要素なのです。それがバルカン諸国での戦争でアメリカが相手国に爆撃を加えても許された公けの理由であり、最も真(まこと)しやかな理由なのです。
「信頼性」が何を意味するのかを知りたいと望むなら、お気に入りのマフィアの親分に尋ねてみるのがよいでしょう。彼は説明してくれるでしょう。「信頼性」が何を意味するものなのかを。
そして国際問題でも全く同じなのです。それが大学では難しい用語を使って語られる、ということを除けば。しかしそれは基本的には同じ原理なのです。それが意味を成し、通常に機能しているのです。
ここ数年、この問題について書いてきた重要な歴史家として、『威圧と資本とヨーロッパ諸国』という本の者著チャールズ・ティリーがいます。彼が指摘するのは、暴力が数百年間、ヨーロッパの主導的原理であり、その理由はそれが実際に有効だからだというのです。
ご存知のように、それは実に当を得た表現です。ほとんど常にそれが機能しているのです。暴力の圧倒的な優勢とその背後にある暴力文化を有しているときには。したがって、そこでは、それに従うのが賢明なのです。
つまり、合法的な道、法に従った道を追求するのは、困難のすべての原因を作り出すことになるのです。ニカラグアも同じ道を追求しましたが、アメリカはこれを無視し、ニカラグアは逆に潰されてしまいました。
もしあなたが正しい法の手続きに従おうとしたなら、実際、非常に危険な扉を開けることになるのです。ニカラグアと逆の場合も全く同じです。例えば、アメリカがタリバンにオサマ・ビンラディンを引き渡すよう要求したときのタリバンのように。
タリバンは、この要求に応じました。それは西洋的観点からすると完全に不条理で異様なものと見なされるものでした。すなわち彼らが言うには、「よろしいでしょう。しかし最初に何か証拠を下さい。」こうしてタリバンは自分に非があることを認める結果になってしまったのです。アメリカの罠に陥ったのです。
西洋では、それはバカバカしいことだと考えられています。それは自分たちが犯罪を犯した証拠だとみなされるからです。どうして彼らは「証拠を出せ」と求めることができるのでしょうか?私たち西洋人の場合、誰かを引き渡せと要求されたら無視するのです。「証拠を見せろ」などとは決して言いません。(聴衆の笑い)。
5.4.ハイチ
実際、上記のことを証明するのは簡単です。我々は事件をでっち上げる必要はないのです。例えば、ここ数年間、ハイチはアメリカにエマニュエル・コンスタント(Emmanuel Constant)を引き渡すように要求してきました。
彼は超一級の殺人者です。彼は1990年代半ばの数年間で、おそらく4000から5000人を、ハイチの軍事政権下で虐殺したという主要人物の一人です。その政権は、ついでながら言えば、暗黙にではなくブッシュやクリントン政権に公然と支持されて来たのです。皆さんの幻想に反して。
ともかくも、彼は超一級の殺人者なのです。たくさんの証拠があります。証拠に関しては何の問題もありません。彼はハイチで既に裁判にかけられ、有罪の判決を受けています。そしてハイチが要求しているのは、アメリカが彼を引き渡すことです。
さて私が言いたいのは、皆さん自身で調査をしてほしいということです。そして、それについてメディアがどれだけ議論をしたのか知って欲しいのです。実際に、ハイチは2週間前に改めてその要求をしました。しかし、どのメディアもそれについてはまだ言及さえしていません。
2年間に4000から5000人の人を殺したことに責任のある、有罪判決を受けた殺人者を、なぜ我々アメリカが引き渡すべきなのでしょうか?勿論、その必要はありません。なぜなら、実際、もし我々が彼を引き渡すなら、彼がなんと言うか誰も分からないからです。
おそらく彼はこう言うでしょう。「自分はCIAから資金を提供され援助された」と。おそらく、それは真実でしょう。だからこそ、我々はその扉を開けたいとは思わないのです。そして、それは彼だけではないのです。次に、その例をあげましょう。
5.5.コスタリカ
私が言いたいのは、コスタリカの例です。ここおよそ15年間、民主主義の宝であるコスタリカは、アメリカにジョン・ハル(John Hull)を引き渡せと要求してきました。というのは、彼はコスタリカで土地を所有しているアメリカ人で、コスタリカがテロリストの犯罪で告訴している人物です。
コスタリカは十分な証拠を持って、彼が自分の土地を基地として使っていたと主張しました。つまりニカラグアに対するアメリカの戦争のための基地として。それは論争の的になるような判決ではありません。皆さんの誰もが覚えていらっしゃるでしょう。国際司法裁判所と安全保障理事会が既に同じ判決を出しているからです。
そこでコスタリカはアメリカに彼を引き渡せと要求したのです。そのことについて耳にしたことがありますか?否ですね。
コスタリカは実際、他のアメリカ人の土地所有者、ジョン・ハミルトン(John Hamilton)の土地を没収しました。補償金を払いました。代償金を提供したのです。
ところがアメリカはそれを拒否しました。彼の土地を国立公園に変えました。なぜなら彼の土地は、同じくニカラグアに対するアメリカの攻撃のための基地として使われていたからです。
そしてコスタリカはそのことで懲罰的仕打ちを受けることになりました。彼らはアメリカからの援助金を減額され、罰せらたのです。
我々アメリカは、同盟国からの、その種の不服従を受け入れることが出来ないのです。そして我々は同じやり方を続行できるのです。
もし引渡しに関する質問への扉を開けるなら、それは非常に不愉快な方向に導くことになります。そこで、そんなことは行われないのです。
5.6.アフガニスタンでの反応
さて、ではアフガニスタンでの反応はどうだったでしょうか?アメリカ政府の最初の出方、最初の言い回しは、大規模攻撃(それは多くの人々を明らかに殺すことになるものですが)をするぞ、その地域の他の諸国も攻撃するぞ、というものでした。
しかし、ブッシュ政権は賢明にも、その作戦からは手を引きました。というのは、ブッシュは忠告を受けたのです。あらゆる外国の指導者から、NATOから、そして、あらゆる軍事専門家からも。私が思うに、彼ら自身の情報機関からも忠告を受けたでしょう。
「そんな爆撃は最も愚かなことだ。たとえそんなことが出来るとしても。」「そんなことをすれば、あらゆる地域でビン・ラディンが義勇兵を募集するための事務所開きを手助けすることになる。それこそビン・ラディンの思う壺だ。」「アメリカ自身の利益にとっても非常に有害だ。」
このような忠告にしたがって、アメリカは作戦を後退させたのです。そして彼らは、私が既に指摘したような方向転換をしたのです。つまり一種の「静かなる大量虐殺」という方向に転換したのです。
それは…既に私が考えていることは言いました。もうこれ以上何も言う必要がないと思います。私が言わなくても皆さんは理解できるはずです。ちょっと計算をしてみれば、「静かなる大量虐殺」が何を意味しているかを。どれくらいの死者数になるかを。
現在の状況を打開するひとつの賢明な提案があります。それは今まともに考慮されようとしているものですが、それはこの事件の当初からずっと賢明なものとされてきたものです。それは国外に追放されているアフガニスタン人によって、また伝えられるところではアフガン国内の部族長によっても、取り上げられ要求されているものです。
その提案は国連が主導権を取り、ロシアとアメリカを完全に遠ざけることになる提案です。なぜなら、この二国は、ここ20年間、アフガニスタンを実質的に壊滅させようとしてきた国だからです。彼らはこのアフガン問題から除外されるべきなのです。それどころか、彼らはアフガニスタンに大規模な賠償を提供すべきなのです。それが彼らの唯一の役割なのです。
それは、国連が主導権を握り、アフガニスタン内の諸勢力を結集して、壊滅跡から何かを建設しようとする努力です。それが考えうる最良の提案であり、多くの支援があり干渉・妨害がなければ、成功することが可能でしょう。もしアメリカがそれに手を出すことを主張したとしても、止めたほうが良いでしょう。我々はそれに関しては汚点の歴史しか持っていないのですから。
話を元に戻します。今回のアメリカの作戦名に注目してください。思い出してください。当初、その作戦名は「十字軍」になる予定でしたが、それを取りやめました。なぜならPR(宣伝)情報部員が「それでは巧くいかないでしょう」と言ったからです。(聴衆の笑い)
そこで、その作戦名は「無限の正義」(Infinite
Justice)に変えようとしたのですが、またPR情報部員が言いました。「ちょっと待て下さい。それでは、まるであなたが神のように聞こえます。それでは巧くいかないでしょう。」 そこで、それは「不朽の自由」(enduring freedom)と変えられました。
私たちはそれが何を意味しているのかを知っています。しかし幸いにも誰もまだそのことを指摘していません。つまり、そこには曖昧性があるのです。
というのは“endure”とは「耐える」「苦しむ」ことをも意味しているからです。(笑い)。
そして世界中にはたくさんの人々がいます。彼らは、我々のアメリカが言うところの「自由」に、ずっと苦しみ耐えて(endure)きたのです。再び、幸いにも、我々は「非常に行儀の良い」知識階級を持っています。だからこそ誰もまだこの曖昧性を指摘してはいないのです。
しかし、もしそのような指摘がされれば、処理すべき別の問題(すなわち「私たちの言う自由に苦しみ絶えてきた国家と民衆」を今後どうするかという問題)が出てくるでしょう。
もし我々アメリカがアフガンから手を引き、十分に後景に退くことが出来れば、多かれ少なかれいくらかの独立機関、おそらく国連か、あるいは信用できるNGO(非政府組織)が先頭に立って、瓦礫跡から何かを復興しようとするでしょう。多くの援助がありさえすれば。
全てはその援助次第なのです。その後、おそらく何かが現れるでしょう。しかし、それ以外の、もっと他の問題もあるのです。そこで次に、この問題を考えてみましょう。
5.7.テロのレベルを下げる簡単な方法
我々は確かにテロ行為のレベルを下げたいと望んでいます。確かにそれをエスカレートしたいとは思いません。その簡単な方法がひとつあります。だからこそ、それは決して論じられないものです。
すなわち、紛争に参加・介入するのを止めることです。そうすれば自動的にテロのレベルを下げることになります。しかしそれは、このアメリカでは議論してはならないことなのです。
だから、私たちはそれについて議論することを可能にしなければなりません。それがテロのレベルを下げる簡単なひとつの方法だからです。
この問題は別として、私たちはこの種の政策を考え直すべきです。アフガニスタン問題は、そのひとつに過ぎません。
というのは、アメリカはアフガニスタンの国内でテロリストの軍隊を組織化し、訓練してきたのです。それが影響を与えているのです。
我々は今その結果のいくつかを見ているのです。9月11日は、そのひとつなのです。だから考え直さねばならないのです。
アメリカの政策を考え直さなければなりません。というのは、現在の政策が逆にテロリストにたいする「支援の貯蔵庫」を作ることになっているからです。
正確に言えば、それがサウジアラビアのような場所で、銀行家・弁護士などが言っていることなのです。街では、もっと辛辣です。皆さんには想像することができるでしょう。
ご存知のように、それらの政策は石に彫られたものではないのです。(その政策は生きて人を動かしているのです。)
そして更に言えば、見込み・展望がないわけではありません。ここ2週間、確かに明るい光線を多くは発見できませんが、明るい兆しの一つは、公開されるものが増えてきたということです。
多くの問題が公けに議論されるようになりました。エリート集団のなかでさえも。まして一般大衆の間では確かに多くの問題が議論されるようになっています。2週間前には、そうではなかったのです。それは劇的とも言える実情なのです。
私が言うのは、もし『USA TODAY』のような新聞が非常に良い記事・真面目な記事を載せることが出来れば、たとえばガザ地区における生活に関する記事などを。そうすれば確実に変化がおきるのです。
私が先に『ウォールストリート・ジャーナル』について述べたこと…それは変化です。そして一般大衆の間で、敷物などの下に隠すように闇の中に置かれてきたことについて、もっと多くのことが公開され、それに考えようとする意欲が見られます。
これらは良い兆候であり、活用されるべきです。少なくとも、暴力やテロ、さらには潜在的な脅威のレベルを下げようという目標を受け入れる人々によって。
この潜在的脅威(たとえばミサイル防衛構想=宇宙空間の軍事化など)は、非常に厳しいものがあり、9月11日の事件さえも、青ざめさせ無意味にすることができる程のものです。
御静聴ありがとうございました。
NOTES:
1 「低強度紛争」(Low Intensity Conflict)については、橘(2001)に興味ある紹介と分析がある。それによると、アメリカ軍の戦略教範であるFM−20/AFP3-20では紛争を「高強度」「中強度」「低強度」の3段階に区別し、「主として第3世界における、いわゆるゲリラ活動やテロ活動」を「低強度紛争」と考え、どのようにそれを封じ込めるかを軍事技術的に論じている。つまり「低強度紛争」をさらに以下の4つのカテゴリーに大別し、その詳細を記述していると言う。すなわち、(1)Support for Insurgency反乱支援 & Counterinsurgency対反乱支援)、(2)Combating Terrorismテロリズム対策(=反テロリズム&対テロリズム)、(3)Peacekeeping Operation平和維持活動、(4)Peacetime Contingency Operations平時における緊急活動、の4つである。詳細は省略するが、結局、橘は上記の戦略教範を仔細に検討した結果、「このように考えると、先進自由民主主義諸国間の『平和』というのは第3世界諸国の犠牲の上に成り立っているのであり、このような不平等な関係こそ平和に対する障害である事が分かる。」と結論づけている。
2 アルゼンチンでは、1976年3月のクーデタで大統領に就任したビデラ将軍は、国内ゲリラ活動に対してきびしい弾圧政策でのぞんだ。何千人もの左翼系ゲリラが身柄拘束、逮捕された。そして逮捕者の多くが裁判もなく監禁され、拷問をうけたり処刑された。こうした人権抑圧は国際的な非難をあびたが、ビデラにかわって大統領になったビオラ将軍の時代にもつづけられた。(Microsoft ENCARTA Encyclopedia, 2001)またアメリカは、冷戦時代、南米やアフリカや東南アジアで、多くの軍事独裁国家を支援し、武器を提供し、軍事顧問を派遣して、拷問と殺人の方法を教えてきた。これらの軍事独裁国家では、専門のテロリスト、専門の暗殺部隊が、アメリカのCIAによって養成され、それらの国々の市民、活動家、政治家を誘拐し、暗殺し、拷問にかけ、レイプしてきた。アルゼンチンでは、十代の子供ですら暗殺部隊によって誘拐され、拷問された挙句に殺された。
(http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/index.html)
3 John Negroponteは、ホンジュラス駐在大使(1981−1985)で、駐在中にホンジュラスのEl Aguacateで空軍基地を作り、そこでニカラグア政府を転覆させるためのゲリラ、いわゆる「コントラ」を訓練し育てた。その基地は同時に抑留・拷問センターとしても使われた。悪名高い316部隊はCIAとアルゼンチン軍によって訓練され、何百万もの人間を誘拐・拷問・殺害した。Negroponteは、アメリカ議会には嘘をつき、これらの事実を黙認または公認し、残玉行為に加担しつづけた。これらは明らかな人権侵害であり国際法違反でもある。以上の事実は、CIA長官Frederick P. Hitzによって211頁の秘密報告書にまとめられた(1997年8月27日)が、ホンジュラスの人権団体の粘り強い要求の結果、1998年10月22日、その一部が情報公開された。2001年8月の調査・発掘で、基地あとから185人の死体が発見された。ところが驚いたことに新大統領ブッシュは、この男を国連大使に指名したのである。詳しくはインターネット・サイト:Global Concernsを参照されたい。
4 南レバノンでは、1980年代初頭まで、パレスティナ・ゲリラがイスラエルと対決していた。82年にイスラエル軍が大規模な軍事侵攻作戦(レバノン戦争)を行い、パレスティナ・ゲリラは壊滅的な打撃を受け、代わってシーア派レバノン住民の抵抗組織ヒズボラが対イスラエル攻撃を続けている。これに対しイスラエルは国境から幅10〜15kmのレバノン領内を「安全保障地帯」とし、イスラエルが支援する民兵組織「南レバノン軍(SLA)」を配備するとともに、イスラエル軍もたびたび越境作戦を行っている。中東和平交渉でレバノンはイスラエル軍およびSLAの南レバノンからの完全撤退を、一方イスラエルは南レバノンでのヒズボラなどの活動停止を主張している。南レバノンでのイスラエル兵士の死傷者が非常に多いため、イスラエル国内では一方的撤退を求める声も強く、バラク新首相は1年以内にイスラエル軍を南レバノンから撤退させると表明。(『現代用語の基礎知識』2000)
5 カーター元大統領の国家安全保障問題特別担当補佐官だったジノビエフ・ブレジンスキーは、1998年11月15−21日に「ラ・ヌーヴェル・オブゼルヴァチュール紙」(仏)によるインタビューで「アフガンのイスラムはワシントンが作り上げた」と認めた。巻末別掲の資料は、アメリカでは削除して掲載されたが、"Killing Hope: US Military and CIA
Interventions Since World War II", "Rogue State: A Guide to the
World's Only Superpower" を著したBill Blum がフランス語から翻訳したもの。上記の本の一部は、以下のサイトで読むことができる。
http://members.aol.com/superogue/homepage.htm
ただし日本語翻訳は黒田真理子による。この和訳は加藤哲郎氏(一橋大学)が運営するホームページ「イマジン」に載せられていたものである。
6 NHKが放映したドキュメンタリー番組『2正面作戦(スパイゲーム3)』では、元CIA要因が次の事実を得意げに語っている。
a. アメリカがイギリスと協力してアフガン・ゲリラを育てたこと、
b. ゲリラの訓練はアフガンと地形がよく似たイギリスの地が選ばれ、彼らはそこで訓練を受けたこと、
c. その目的はソ連をアフガニスタンに引きずり込みベトナム戦争の二の舞をソ連に演じさせること、
d. ソ連の勢力をアフガンに集中させ、その隙に東欧諸国の反体制グループに反乱を起こさせること、
e. ただし、反体制グループへの援助(資金その他)がCIAからのものであることをさとられないようにすること
f. ソ連を疲弊させるためには、アフガン・ゲリラにソ連軍に負けない程度の武器と資金を援助すること、つまり、戦争を長引かせることだけを目的とする援助だったこと。
この最後の点が最も重要である。米英のアフガン・ゲリラへの援助は、彼らの戦いが正義だからではなく、ソ連を疲弊させることだけが目的だったのである。つまり、戦いが長引けば長引くほど米英にとっては「良い」戦いなのである。だから、アフガン・ゲリラがソ連軍を簡単に打ち負かしても困るし、ソ連軍に簡単に打ち負かされても困るのである。ソ連が崩壊し東欧の反体制運動が成功すれば良いのであって、米英にとってはアフガンがどうなろうと知ったことではなかった。アフガンの兵士や民衆がどれだけ死のうが関心がなかったのである。そのことを上記の映像はよく示している。
REFRENCES
飯塚 正人 2001 よくわかるイスラム原理主義のしくみ:テロと新しい戦争の深みを読み解く 中経出版
板垣雄三(監修) 1998 イスラーム世界がよくわかる Q&A 100 亜紀書房
片倉 もと子 1991イスラームの日常世界 岩波新書
高橋 和夫 2001アメリカとパレスチナ問題―アフガニスタンの影で 角川書店
橘秀和 2000 低強度紛争と平和(研究ノート)『神戸市外国語大学研究科論集』(*)
橘秀和 2000 民主化のグローバリゼーションと低強度紛争戦略(研究班提出論文*)
田中 宇 2001タリバン 光文社
田中 宇 2001イスラムVSアメリカ 青春出版社
寺島隆吉 1999 チョムスキーと国際理解教育とコソボ紛争『岐阜大学教育学部研究報告:人文科学』第47巻第2号:113−134.
寺島隆吉 2000 チョムスキーと国際理解教育と東ティモール問題『岐阜大学教育学部研究報告:人文科学』第48巻第2号:105−123.
寺島美紀子 1999 チョムスキーと東ティモール『朝日大学経営学会経営論集』第14巻第2号:133−152.
藤原和彦 2001 イスラム過激原理主義:なぜテロに走るのか 中公新書
山内 昌之 1995 イスラムとアメリカ 岩波書店
山内 昌之 1998 イスラームとアメリカ 中公新書
山内 昌之 (編集) 1996 「イスラム原理主義」とは何か 岩波書店
モフセン・マフマル 2001 バフアフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ 現代企画室
ノーム・チョムスキー 1994 アメリカが本当に望んでいること 現代企画室
エレン・ランドー 2001 オサマ・ビンラディン 竹書房
* 上記の橘論文はいずれもいずれも下記のサイト
http://www.portnet.ne.jp/~kazu-t/articles/
に収録されている。