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民主主義と教育
マセード(編) 『チョムスキー教育論』 第2章
翻訳:寺島隆吉、公開2005年1月6日
これはNoam Chomskyによって1994年10月19日に、シカゴ市のロヨラ大学で行われた講演「メロン・レクチャー」"Democrasy
and Education" の全訳です。現在、世界の「グローバル化」「アメリカ化」の進行と連動して、日本でも教育の民営化と反動化が深刻になってきています。その点で、この講演は、10年以上も前のものですが、私たちに深く考えさせるものを持っていると思います。なお翻訳に当たっては下記の鎌田さんの訳を大いに参考にさせてもらいました。原文および鎌田訳は次のサイトに掲載してあります。興味のある方は参照していただければと思います。(鎌田幸雄,
民主主義と教育,
16.Oct.2002、"Democracy
and Education", ZNet, 19.Oct.1994)また、この原文は現在、Donaldo Macedo(ed.) CHOMSKY ON MISEDUCATION
(Lanham, MD: Rowman & Littlefield, 2000) に収録されています。
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私が依頼を受けた話題は、「民主主義と教育」についてです。それについてお話しすることを大変嬉しく思っています。
民主主義と教育という言葉は直ちに、二〇世紀の傑出した思想家の一人であるジョン・デューイの生涯と仕事と思想を思い起こさせます。彼はその生涯と思想の多くの部分をこの問題にささげました。
実をいうと私は彼に特別の関心を持っているのです。
このことには多くの理由がありますが、彼の思想が私の人格形成期に強い影響を与えたということも、その一つです。 実際、その影響は2歳の頃からずっと続いています。その様々な理由について、今日は詳しくお話しするつもりはありませんが、とにかくデューイが私の人格形成に大きな影響を与えたことは事実です。
デューイは、晩年には幾分懐疑的になりますが、生涯の大部分を通じて、初等教育の改革がそれ自体で社会改革の大きな梃子(てこ)になり得ると考えていたように思われます。初等教育の改革が、より公正で自由な社会への道案内になると彼は考えていました。「より公正で自由な社会」とは、彼の言葉を用いれば、「生産の究極的な目的が、商品の生産にあるのではなく、対等の立場で互いに連帯する自由な人間を生み出すことにある」ような社会です。
デューイの全ての著作や思想を貫く、この基本的な姿勢は、現代知識人の、二つの有力思潮と深い所で食い違いを見せています。彼の時代に強力だった、その思潮の一つは、当時の東欧における統制経済、すなわちレーニンとトロツキーによって創り出され、スターリンによってさらに巨大な怪物に変えられてしまった体制に関連しています。それについては、彼は1920年代から1930年代に自分の意見を述べています。もう一方の思潮は、米国や多くの西欧社会で構築されつつあった国家資本主義的産業社会に関連しています。すなわち、巨大私企業に効果的に支配された社会です。
これら二つの体制は、イデオロギーも含め、基本的な方向において実際、類似しています。両者は基本的な言動において極めて権威主義的であったし、その一方は今なおその状態が続いています。そして両者はもう一つの伝統、すなわち左翼的自由意志論者の伝統と極めて鋭く劇的に対立していたのです。
この伝統は、啓蒙主義的価値観に起源を有し、労働運動や他の大衆運動の大部分は言うまでもなく、ジョン・デューイ派の人々からなる進歩的自由主義者、バートランド・ラッセルのような独立的社会主義者、大部分は反ボルシェビキであったマルクス主義主流の優れた思想家たち、そして様々なアナーキスト運動の自由意志論的社会主義者を含む思想的潮流なのです。
この独立的左翼思想は、古典的自由主義にその強力な根を持ち、デューイもその一部だったのです。私見では、この独立的左翼思想は、まさに古典的自由主義から成長したのです。そしてこの独立的左翼思想は、国家資本主義的なあるいは国家社会主義的な制度や思想と鋭く対立しているのです。
無論、後者の中には現在米国で保守主義と呼ばれている幾分極端な形式の絶対主義も含まれます。もしオーウェルが今ここにいれば、この保守主義という用語法をさぞかし興味深くおもったことでしょうし、もし本物の保守主義者が一人でもいれば、彼は墓の下で驚いてひっくり返ったことでしょう。
私が強調するまでもなく、このような描写の仕方は、多少穏やかに言っても、一般的なものではありません。しかし、私が思うに、少なくとも一つの長所があります。すなわち正確さという長所です。その理由を次に説明します。
まず、「生産の究極的な目的は、商品の生産にあるのではなく、対等の立場で互いに連帯する、自由な人間を生み出すことにある」というデューイの中心的な主題の一つに戻ってみましょう。それはもちろん教育が含まれています。それこそが彼の最も重要な関心事だったのですから。
教育の目的とは、ここでバートランド・ラッセルの言葉を借りれば、「独裁的支配に価値を与えないこと、聡明な自由共同体市民の育成を支援すること、自由および個人の創造性と市民権との結合を奨励すること」にあります。つまり「庭師が若樹を眺めるように、私たちが子供を眺めること」「適切な土壌と空気と光りが与えられれば素晴らしい形に成長して行く、固有の性質を持ったものとして子供を眺めること」がラッセルの言う教育の目的でした。
実際、デューイとラッセルは、他の多くの事柄では意見が一致しなかったのですが、教育に関しては意見が一致していました。私の見解では、二人は恐らく二十世紀の西洋における傑出した思想家でしたが、彼らは、ラッセルが「人間主義」と呼んだ考えに関しては意見が一致していたのです。
それは、啓蒙主義を根底とし、教育を「空の容器を水で満たすようなもの」と見なすのではなく、むしろ「花がそれ自身のやり方で成長するのを支援するもの」と見なす思想でした。それは、18世紀の考え方なのですが、それを彼らが復活させたのです。言い換えれば、正常な創造的行動様式が花開く環境を私たちに与えてくれたのです。
デューイとラッセルは、このような啓蒙主義や古典的自由主義の優れた思想が革命的な性格を持っていることを共に理解していました。
そして彼らは、まさに二十世紀の前半に、その思想について書き、それを保持し続けたのです。 それらの思想が実行された時にこそ、自由な人間を生み出すことができる、と主張し続けたのです。
それが価値をおくのは、利殖・蓄財や独裁的支配にはなく、平等・共有・協力の下に自由に連帯すること、民主主義的共通目標をたち成するため対等の間柄で参加することにあります。「全ては私たちのために、他の人々のためには何も無用」という格言に対しては、軽蔑のみが存在していたのです。アダム・スミスが「支配者たちの卑劣な格言」と呼んだものです。
今日伝統的な価値観として賞賛し尊重するように、私たちが教えられてきた指導原理は、絶え間ない攻撃に曝(さら)され、徐々に損なわれてしまいました。いわゆる保守主義者たちがここ数十年間にわたって、そのような猛攻を先導してきたからです。
啓蒙主義から始まりデューイやラッセルのような二十世紀の優れた人物に至る「人間主義的観念」と「いま広まりつつある信条」との間の、価値観の衝突が、いかに鋭く劇的なものであるかを認識することは、時間の無駄ではないでしょう。
その「いま広まりつつある信条」はアダム・スミスによって「卑劣な格言」として非難され、また一世紀以上前の活気に満ちた労働者階級の新聞によっても非難されていたものなのです。
労働新聞は、その教義を「自分以外のことは全て忘れ、ただ富を獲得せよ」と鼓舞する「新しい時代精神」と呼び、それを弾劾していました。スミスの「卑劣な格言」です。それは1850年頃から非難され、米国の労働者階級の新聞から弾劾されていたものなのです。
アダム・スミスのよう資本主義者以前の思想家から現在までの価値観の変遷をたどり、それを現在の人々と比較すると、全く驚くべきものがあります。というのは、アダム・スミスは「他者への共感、完全な平等という目標、そして創造的な仕事のための基本的人権」を強調していたにもかかわらず、恥知らずにも現在の人々はアダム・スミスの名前に訴えつつ「新しい時代精神」を賛美しているからです。
例えば、ノーベル経済学賞を受賞したジェームス・ブキャナンを見てみましょう。彼は「各人が理想状態の中で求めているものは、奴隷の世界を支配することである」と書いています。たとえ気づいてこなかったとしても、これが各人の求めているものだというのです。アダム・スミスのような人なら、それを全く病的観念と見なしたことでしょう。
アダム・スミスの本当の思想について私が知る最良の著作は、ここロヨラ大学のパトリシア・ワーハン教授によって書かれた『アダム・スミスと資本主義から見た彼の遺産』です。これこそがアダム・スミスの本当の見解です。もちろん、原典を読むのが常に最良ですが。
この「新しい時代精神」とその価値観についての最もめざましい実例の一つが、いま新聞に掲載されている論評です。それは、東欧の人々を向上させようとして直面している私たち米国の困難について述べています。
ご承知のように、ラテンアメリカやフィリピンなどの私たちの陣営に、米国が惜しまず注いできた「愛情に満ちた保護」を、私たちは今や「新しい受益者」である東欧の人々にまで拡張しようとしているのです。それがもたらす結果は、これらの恐怖に満ちた地域では極めて明白で一貫していたにもかかわらず、米国が何者であり何をしているのかについては奇跡的に如何なる教訓からも免れているのです。
新聞はその理由を問うことが可能であるはずなのに、何故それを問わないのでしょうか。
いずれにしても、私たちは今や共産主義から解放された人々を向上させるために邁進しているのです。それは、私たちが過去においてハイチ人、ブラジル人、グアテマラ人、フィリピン人、アメリカ先住民、アフリカ奴隷等々を「解放した」のと同様です。『ニューヨークタイムズ』は今それらの困難な問題を扱った興味深い記事を連載し、広まりつつある価値観について興味深い洞察を行っています。
例えば、スティーヴン・キンザーが書いた東ドイツについての記事を見てみましょう。その記事は、東独で共産主義体制反対の民衆運動を率いた聖職者の言葉の引用から始まっています。その聖職者は東独で起きていることへの次第に深まる懸念を、「野蛮な競争と金銭欲は私たちの共同体感覚を破壊しつつある。ほとんど全ての人が何らかの恐怖や憂鬱や不安を感じている。」と語っています。この事態は、私たち米国が世界の遅れた人々に対して教示している「新しい時代精神」を、彼らが修得していくにつれて起きてきたことなのです。
次の記事は、資本主義の見せ場・本当の成功談と米国が見なすポーランドに目を向けています。ジェーン・パールズによって書かれたその記事の見出しは「資本主義道路の早い車線と遅い車線」というものです。記事の骨子は、資本主義の要点を理解している者もいるが、まだ遅れた状態にある者もいるというものです。
彼女は優秀な生徒の例と学習の遅い生徒の例をあげています。
優秀な生徒とは小さな工場の所有者です。その工場は「現代資本主義ポーランドの最高に繁栄しつつある例です。そこでは、金持ちのドイツ人や大金持ちのポーランド人特権階級のために、複雑なデザインの結婚式用ガウンを生産し、販売しています」。
他方、この国では、改革が導入されて以来、6月の世界銀行の調査結果によると、貧困は倍増し、収入が30パーセント減少しています。しかし、失業し飢えに苦しむ人々は、百貨店の陳列窓で「新しい時代精神」を賞賛しつつ、入り組んだデザインの結婚式用ガウンを見ることができるのですから、ポーランドを私たち米国がたち成した偉大な成功例として迎えているのも無理はありません。
この優秀な生徒は、「我々は自分自身のために戦わなければならず、他人に依存することなどできないのだ、ということを人々は教育され理解しなければならない」と語り、自身が経営する訓練コースについても述べています。「俺は坑夫だ、それ以上の人間がいるか?」といったスローガンにいまだに洗脳されている人々に、アメリカ的価値観を教え込むコースです。彼らは古い観念を頭から振り払うことが要請されているのです。
そして、多くの人々が「より良き人間」すなわち金持ちのドイツ人のために結婚式用のガウンをデザインできる人間になっています。
これがアメリカ的価値観による成功物語の実例です。そして他方では、資本主義道路の遅い車線に失敗者たちがいるのです。ここでパールズは40歳の炭鉱労働者を例として出しています。彼は「木製の壁板の居間に座り、共産主義下での彼の労働の成果であるテレビ、居心地のよい家具、現代的な輝くキッチンを賞賛している。そして自分になぜ職が無く、家に居て生活保護に依存しているのだろうかと不思議に思っている」のです。彼は未だに「俺は坑夫だ、それ以上の人間がいるか?」に固執し、「自分以外のことは全て忘れ、富を獲得せよ」という「新しい時代精神」を取り入れることができないでいるのです。
この調子で連載は続いています。これはポーランドで何が当然と思われているかを知る上で興味深いものです。
東欧で起きていることは、私たち米国が関わってきた第三世界で長期にわたって起ってきたことの縮図であり、今後そこで何が起きるかの長い未来物語を示すものです。それは米国自身の歴史では衆知のことであり、私たち以前には英国の歴史でも見慣れたのものです。
イェール大学の優れた労働史家であるデビット・モントゴメリーが最近出版した著作があります。そこで彼は、近代米国が労働者の抵抗運動を通じて創出されたことを指摘しています。彼の見解は全く正しいものです。
この抵抗は大変に活発かつ率直なものであり、それは特に労働者階級とその共同体の新聞の中で明確に表明されていました。その新聞は米国で19世紀の初頭から1930年代まで盛んに発行されていましたが、その後、最終的に巨大私企業によって破壊されてしまいます。同じように英国でも、その約30年後に労働新聞や地域新聞は息の根を止められてしまいました。
この問題に関する最初の重要な研究は1924年のノーマン・ウェアの著作です。それは今なお読むに値する非常に優れた研究です。この本はここシカゴ市で出版され、ごく最近にアイバン・ディー社という地元の出版社から再版されました。これは本当に読むに値する本ですし、社会史の分野における本格的研究の出発点となった著作です。
ウェアは、主として労働新聞を参照しながら、巨大私企業が唱導する価値観が如何にして一般の人々の頭に叩き込まれなければばらなかったのか、企業は如何にして正常な人間的感覚を人々に捨て去るように教え込まねばならなかったのか、について論じています。人々は、正常な人間的感覚を、いわゆる「新しい時代精神」と取り替えるよう強制されたのです。
ウェアは主として十九世紀中頃の労働者の新聞を再吟味しているのですが、それによると、それらの新聞は女性労働者たちによって運営されていることが稀ではありませんでした。
また、労働新聞の話題は長期にわたって一貫していました。彼らは、いわゆる「退廃」に関心をもっていたのです。すなわち、「労働者が『賃金奴隷制』に支配されることによって、品位と独立を喪失し、自尊心を失い、人間としての労働者性が衰弱し、文化水準や文化技能が急落するのではないか」と案じていたのです。彼らは「賃金奴隷制」を「家財奴隷制」とそれ程違うものとは見なしていませんでした。なぜなら、このような「人間を家財と見なす奴隷制」を根絶するためにこそ南北戦争を戦ったのだと彼らは信じていたからです。
特に劇的であり、今日の話題である「民主主義と教育」と大いに関連するものは、私たちが「高級文化」と呼んでいる古典文学や現代文学の読書が急速に衰退したことでした。ローウェルの工場の少女たちや職人や労働者たちは古典文学や現代文学を読んでいました。職人たちは仕事をしている間に本を読んで聞かせてくれる人を雇おうとしました。なぜなら彼らはそれらに関心を持っていたし、図書館も所有していたからです。しかし、それら全ては消え去ってしまわねばならなかったのです。労働新聞で、
彼らは次のように述べています。
「もしあなたが自分の作ったものを売るならば、自分の人間性を保持することになる。しかしあなたが自分の労働を売る時、自分自身を売ることになり、自由な人間としての権利を失い、金銭貴族の巨大な体制の臣下になってしまう。というのは、彼らは自分たちの「人間を奴隷化し抑圧する権利」を疑問視する者は誰であれ抹殺すると脅すからである。製粉所で働いている人は自由な人間としての権利を所有すべきであり、私的専制君主によって支配される機械の身分に陥ってはならない。私的専制君主たちは、民主的な土壌の上に君主的原理を確立し、自由と権利・文明・健康・道徳と知性を新しい商業的封建制度の中に堕落させようとしているからだ。」
皆さんが困惑しないように付言しますが、これはマルクス主義のはるか以前の1840年代に、米国の労働者たちが、彼ら自身の経験を語っているものなのです。
また労働新聞は彼らが「買収された聖職者」と呼ぶ人たちを非難していました。この言葉は、メディアや大学や知識階級の人々、すなわち絶対的企業専制主義を正当化する「新しい時代精神」を擁護し、その卑劣で屈辱的な価値観を人々に植え付けようとする護教家たちを指していたのです。約一世紀前の十九世紀後半、アメリカ労働総同盟の初期指導者の一人は労働運動の使命を述べる際に、その標準的な見解を表明しています。すなわち労働運動の使命とは「働く人々が民主主義を拡張することにより産業を制御し、市場の罪悪を打ち破り民主主義を防御することにある」と表明しているのです。
このような見解は全て、例えばヴィルヘルム・フォン・フンボルトのような古典的自由主義の創始者たちには完全に理解できたはずです。というのは、フンボルトは、他の人々との連帯の中で自由に企てられた創造的な仕事が人間生活の中心的価値であるべきだと考えていたからです。このような考え方は、ジョン・スチュワート・ミルに影響を与え、また、同時代人のアダム・スミスも全く同様な考えを持っていました。
フンボルトは「もし人が命令によってあるものを生産したなら、私たちはその人が行ったことを賞賛するかもしれないが、その人の人格については軽蔑するだろう。その人は、自分自身の内なる衝動や欲求に基いて行動する『真の人間』ではなかったからだ」と書いています。「買収された聖職者」は、労働市場で自らを売る人々の間に、このような「真の人間」という価値観を衰退させ破壊することを務めとしているのです。
同様の理由により、アダム・スミスは、分業が人々を「愚かで無知な被造物」に変えてしまうことがないよう政府が仲裁しなければならない、と警告しました。文明化された社会の中では人間がそうなる可能性があるからです。彼は「諸条件が真に自由であるならば、市場は完全な平等へと導いてくれるであろう」という命題に基づいて、市場に対する相当に微妙な支持を表明したのです。それは道徳的な理念に基づく市場の正当化だったのです。これら全てを買収された聖職者たちは忘れ去ってしまいました。彼らの説く話はアダム・スミスのものとは全く異なったものなのです。
デューイやラッセルは、啓蒙主義や古典的自由主義に起源を有するこの伝統の、二十世紀における二人の優れた継承者なのです。さらにもっと興味深いのは、十九世紀初頭以来の、働く男女による闘争と組織化と抵抗の感動的記録です。彼らは、新しい専制主義=国家に支援された巨大私企業が支配を拡張していた時に、自由と正義を勝ち取るために、また彼らがかつて持っていた権利を保持するために闘ったのです。
実は、この基本的な問題は、1816年頃にトマス・ジェファーソンによってかなり明確に定式化されていました。これは、かつての植民地である米国に、英国で始まった産業革命が根づく以前のことですが、この考え方の萌芽を見ることができるのです。
というのは晩年に、ジェファーソンは目の前で起きつつあることに気づき、米国における民主主義的実験の運命について深刻な懸念を抱いていたからです。彼は新しい形式の絶対主義が台頭することを恐れていたのです。それは彼が指導者としてアメリカ革命の時に倒した相手よりもはるかに不気味なものでした。
ジェファーソンは晩年に「貴族的政体論者」と「民主的政体論者」を区別していました。貴族的政体論者とは「民衆を恐れて信頼せず、彼らから全ての権力を奪い、それを高い階級の者の手に委ねようとする人々」を意味します。一方、民主的政体論者とは「民衆を信頼・尊重して彼らと一体化し、(必ずしも常に最も聡明ではないとしても)彼らを公共の利益の誠実で安全な保管人として見なす人々」を意味します。
当時の貴族的政体論者は台頭する資本主義国家の唱導者でした。ジェファーソンはそれを大いなる軽蔑の目で眺めていました。彼は明らかに民主主義と資本主義の間の極めて明確な矛盾を認識していたのです。もっと正確に言えば、目の前に現存する資本主義、すなわち強力な増大する権力を持つ国家により指導され支援された資本主義です。それは、かつての英国に存在し、いま米国やその他の地域にも存在するものです。
この根本的な矛盾は、新しい法人組織が、民主的手続きを経ずに、主として裁判所と法律家たちによって大きな権力を認められるにつれて、ますます増大されています。彼らは、ジェファーソンの言う「銀行や金融機関」を改造したのですが、そのことが自由を破壊することになるだろうとジェファーソンは語っていました。彼は生存中にその始まりをかろうじて見ることができたのです。
新しい法人組織は、主として裁判所と法律家たちによって、権力と権利を持った「不死の法人」に改造されたのです。それは、アダム・スミスやトマス・ジェファーソンのような、資本主義以前の思想家たちが想像もできないような最悪の悪夢でした。アダム・スミスも、既に半世紀前に、このことに警告を発していたのですが、彼はその始まりを見ることがほとんどできませんでした。
ジェファーソンによる貴族的政体論者と民主的政体論者の区別は、約半世紀後にアナーキスト思想家で活動家であったバクーニンによって発展されたのですが、それは、社会科学の予言の中では、現実化した数少ない例の一つです。この理由からだけでも、それは社会科学や人文科学における真面目な学術的教育課程の中で名誉ある地位を得るべきものです。
十九世紀に話を戻しましょう。バクーニンは十九世紀の新興知識階級が二つの類似する道筋のいずれかを辿ることになろうと予言しました。
一つは、彼らが民衆闘争を利用して国家権力を手に入れ、彼の言う「赤色官僚」となり、「歴史上で最も過酷で悪意に満ちた体制を課すことになる」というものです。それが知識階級の一つの流れです。
知識階級のもう一つは、真の権力が別の場にあることを発見し、労働新聞のいわゆる「買収された聖職者」となる流れです。彼らは、国家によって保護された私的権力機構の、真の支配者に奉仕する一派です。彼らは、国家資本主義的民主主義の中で、私的権力機構の支配人あるいは擁護者として、バクーニンの言葉で言うならば「民衆の鞭で民衆を打ち据えながら」支配者たちに奉仕する知識階級です。
この二つの道筋の類似性は全く驚くべきものですが、この類似性は正に現在まで続いているのです。この類似性は人々が一方から他方へ簡単且つ急速に転身することの説明に役立つものです。
この転身は奇妙なものに見えますが、実は見慣れた平凡なイデオロギーなのです。
というのは、私たちは東欧において、まさに今その実例を見ているからです。そこには、特権的資本家と呼ばれる集団がいますが、彼らは旧共産主義体制の支配階級だったのです。彼らは、東欧が標準的な第三世界の社会になると、今や最大の市場礼讃者となり、私腹を肥やしているのです。
このような転向は極めて容易です。なぜならそれは基本的に同じイデオロギーだからです。スターリン主義官僚からアメリカ賛美者への転向も同じものであり、現代史の中では極めて普通のことなのです。それは価値観の大幅な変更を迫るものではなく、どこに権力が存在するかについての判断を、ちょっと変えれば良いだけだからです。
ジェファーソンやバクーニンとは別に、十九世紀において、他の人々も同じ理解に達しつつありました。その指導的な米国知識人の一人がチャールズ・フランシス・アダムスです。彼は既に1880年に、ダニエル・ベルやロバート・ライシュやジョン・ケネス・ガルブレイスらが今日「脱工業化社会」と呼んでいるものの台頭について述べています。注意しておいて欲しいのは、これが1880年であったことです。
つまり、アダムスは私たちの未来が次のような人たちの手に委ねられる新しい社会について語っているのです。すなわち「私たちの大学、私たちの学校、私たちの専門家たち、私たちの科学者たち、私たちの作家たち、そしてイデオロギー的経済的組織の中で実務を行う人たち」の手に未来が委ねられている社会です。近頃では、そのような人たちは「テクノクラート・エリート」とか「実務的知識人」、あるいは「新階級」などといった用語で呼ばれています。
1880年に戻ると、アダムスは「したがって、思慮深い市民の第一の目的は、ある政党や他の政党を権力の座に保ち続けることではなく、法への服従と秩序を強く主張することでなければならない」と結論づけています。
その意味するところは、エリート階層は世界銀行のいわゆる「テクノクラートの孤立」の中で職務を遂行することが認められるべきだということです(用語が少し時代錯誤的ですが、現代用語を使用すれば「テクノクラート」ということになります)。あるいは、ロンドンの『エコノミスト』誌が提唱しているように、「政策は政治から分離されるべし」ということです。
これこそが、いま自由なポーランドで起っていることです。エリート階層は自分たち専用の読者を納得させるだけで良いのです。
それゆえ彼らは民衆が自由選挙で全く異なることを求めていることなど意に介する必要はないのです。民衆は選挙で自由に投票はできますが、政策は政治から分離し、テクノクラートの孤立が進んでいるのですから、民衆の意見は全く重要視されません。これが民主主義なのです。
アダムスが「テクノクラート」について述べた年の10年前、すなわち1870年に、彼は既に普通選挙権について警告していました。というのは、当時、民衆が選挙権を求めて戦っていたので、エリート階層は普通選挙権について懸念を抱いていたからです。彼の警告は次のようなものでした。
「普通選挙権は、無知と悪徳の政府をもたらすことになるだろう。大西洋岸ではヨーロッパ人、特にケルト系のプロレタリアート(あの恐ろしいアイルランド人)が、メキシコ湾岸ではアフリカのプロレタリアートが、太平洋岸では中国人プロレタリアートがその手に権力を握ることになるだろうから。」
アダムスは、二十世紀に発達することになる洗練された技術、政策を政治から分離させることを確実にするための発達した技術を予測していませんでした。民衆の闘争によって選挙権が拡張されたので、その民衆の不満を「新しい時代精神」によって静め、民衆を周辺に追いやっておくことを保証するための技術は、20世紀になって発達したのです。この技術の発達によって、自分たちを、尊厳と自立の権利を持つ自由な人間ではなく、労働市場に売ることしかできない(それも幸運な場合に限られる)消費者の群れと見なすように、民衆を追い込むことが可能になったのです。
ですから、アダムスは実際には古い考えを表明していたのです。
それより80年前に、アレクサンダー・ハミルトンは同じことを明確に語っています。「国民は巨大な獣であり本当の病弊は民主主義である」という考えが存在すると語っているのです。それがハミルトンです。そのような思想は、ジェファーソンの懸念やバクーニンの予言が現実のものとなって行くにつれ、知識階層の中でますます確立されていったのです。
その思想の基本的な姿勢は、二十世紀になって、ウッドロー・ウィルソン政権の国務長官だったロバート・ランシングによって極めて明確に示されます。
その姿勢が、ウィルソンの「赤の恐怖」と言われる事態をもたらし、それは十年にもわたる労働者的思想や独立的思想の破壊へとつながっていったのです。
ランシングは「無知で無能な人間集団がこの世で支配的になる」あるいは「影響力を持つ」ことの危険性を警告しています。彼はボルシェビキの連中がそれを企てていると信じていたのです。それはヒステリックで全く誤った反応でしたが、自分の権力が脅かされていると感じている人々の間ではよく見られる反応でした
このような懸念は、その当時の進歩的知識人たちによっても、はっきりと表明されていました。その主たるものは恐らくウォルター・リップマンによって書かれた民主主義に関する論文でしょう。それらは主として1920年代に書かれたものですが、彼は当時、アメリカのジャーナリズムの重鎮でもあり、また長年にわたって公的問題についての最も有名な論説者でもありました。
リップマンは、「民衆に分をわきまえさせろ。それは責任ある人間が、迷える群集の足踏みや怒号に惑わされずに生活できるようにするためだ。」と助言しています。まさにハミルトンの「巨大な獣」です。さらに、リップマンは、この「無知で干渉好きな部外者たち」は民主主義の中で一つの「機能」を持っている、と述べています。その機能とは「関心を持つ傍観者」として行動することであり、決して「参加者」として行動してはならないのです。彼らは定期的に指導者階級の一員に力を貸すことになっており、それが選挙と呼ばれているものです。そして選挙後は自分たちの私的な関心事に立ち戻ることになっているのです。このような考え方は、実は、当時の学会の、一つの主流理論だったのです。
たとえば、ウイリアム・シェパードは、1934年のアメリカ政治学会の会長就任演説で、「政府は知性と権力を持った上流階級の手中になければならない。無知で無学の反社会的連中によって選挙が支配されてはならないのだ。」と論じています。シェパードは、そうした連中が過去において支配してきたと誤って信じていたのです。
現代政治科学の創始者の一人であり、コミュニケーション論の創始者の一人でもあったハロルド・ラスウェルも、1934年版か1934年版の『社会科学百科事典』の中で、「ウィルソン流の自由主義者によって磨き上げられた宣伝技術は、民衆を制御する素晴らしい方法を提供してくれた」と書いています。ラスウェルはウィルソンを「プロパガンダ戦線の偉大な総司令官」とすら評しています。
第一次世界大戦におけるウィルソンのプロパガンダの成果は他の人々に大きな感銘を与えました。その中にはアドルフ・ヒトラーも含まれています。
そのことは『我が闘争』を読めばわかります。しかし重要なのは、その成果がアメリカの実業界に感銘を与えたことです。これは民衆の心を操作することに専念する宣伝産業の、巨大な拡張をもたらしました。
その当時、宣伝産業の擁護者たちは、「民衆の心を操作する」と、現在よりも正直に述べていました。それは、1934年版の『社会科学百科事典』の中で、ラスウェルも自分が論じていることを「プロパガンダ」と説明しているのと同じです。しかし現在、私たちは「プロパガンダ」といった用語を使用しません。私たちはもっと巧妙になってきているのです。
ラスウェルは政治学者として、この一般大衆を統制する新しい技術の、さらに洗練された活用法を提唱しました。彼によれば、現代のプロパガンダ技術によって提供された統制法を活用すれば、天与の統治者である知識階層が、巨大な獣の脅威に打ち勝つことができるというのです。
「大衆の無知迷妄」が原因で秩序が破壊される恐れがあるのだから、「人間は、自らの利益の、最良の判事である」という民主主義に関する教条主義に屈服すべきではない、というのがラスウェルの主張でした。つまり、最良の判事はエリート階級なのですから、公共の利益のために自分たちの意志を民衆に強要する手段が、彼らに確保されていなければならないのです。ただし、ここで公益とはジェファーソンのいわゆる上流社会のことなのです。
リップマンとラスウェルは、いくぶん自由主義的で進歩的な周辺意見を代表しており、「巨大な獣」に少なくとも傍観者としての役割を認めています。しかし保守反動の先端には、現代の「ニュー・スピーク」用語で「保守主義者」と誤って呼ばれている人たちがいます。このレーガン支持で国家統制主義的保守反動の人たちは、「巨大な獣」すなわち大衆に傍観者としての役割すら与えるべきではないと考えていました。
そのことは、彼らが秘密テロ作戦に陶酔していることを見れば明らかです。[その一例としてイラン・コントラ事件を見てください] 。その作戦は、米国民を除けば、誰にとっても秘密事項などではありませんでした。犠牲者たちすら、それを知っていたのです。ただし、秘密テロ作戦は米国内の住民にだけは、知らされないように立案されていたのです。
彼らはまた、全く前例のない検閲・扇動・宣伝の政策を主張し、そして自分たちの育成してきた強力かつ介入主義的国家が、富裕層のための福祉国家として、下層階級に悩まされずに、彼らにのみ奉仕するよう画策しました。
近年の大企業によるプロパガンダの急激な増加、最近の右翼的財団による大学への非難、および他のいくつもの傾向は、同じ懸念の異なった顕れ(あらわれ)なのです。その懸念は自由主義エリートたちが「民主主義の危機」と呼んだ一連の出来事によってかき立てられたものでした。というのは、女性・若者・老人・労働者など、それまで周辺に追いやられ政治に無関心であった国民層の運動が、1960年代に急速に発展したからです。彼らは、踏み込む権利のない公的領域に(「正しく思考する」あらゆる貴族的政治家たちは、そう考えたのです)乗り出そうとしていたのです。
啓蒙主義や古典的自由主義は、知識階層による民衆支配やジェファーソン的貴族政治主義者たちによる民衆への猛襲(その自分の立場を保守反動主義に見出そうが、極めて偏狭なイデオロギーの自由主義的部分に見出そうが)に反対したのですが、その伝統を引き継ぐのがジョン・デューイでした。
デューイは「政治は大企業によって社会に投ぜられた影である」こと、また、そうである限り「その影が薄くなっても、その実態は変わらない」ことを明確に理解していました。つまり、表面的改革は限られた有効性しかないのです。民主主義は影の源が除去されることを要求するのです。なぜなら影の源が政界を支配しているだけではなく、巨大私企業という組織そのものが民主主義や自由を危うくするものだからなのです。
デューイは、自分の心に描いていた反民主主義的権力については極めて明解でした。彼の1920年代の言葉を次に引用します。
「今日では、生産手段、交換手段、出版手段、交通手段、コミュニケーション手段を支配するものが、権力を支配する。
たとえ民主主義的な形式が残っていたとしても、これらを所有している者がその国の生命を支配するのだ。金融・土地・産業の私的支配によって私的利益を求める企業、これこそが実際の権力を握る組織であり、それは新聞・報道担当者や他の広報・宣伝手段の支配を通して強化される。これらが強制と支配の源泉であり、そのことが解明されない限り、私たちは民主主義や自由について真面目に語ることなどできない。」
デューイは、自分の語るような教育、すなわち自由な人間を育成する教育こそが、この絶対主義的怪物の足元を掘り崩して行く手段の一つになるものと考え、そのことに希望を託していたのです。
デューイの考えでは、自由で民主主義的な社会における労働者は、自分自身の産業の命運を握るべきであり、雇用者に雇われた道具でなってはならないのです。彼はその基本的な問題において古典的自由主義の創始者たちと意見が一致していましたし、民主主義的で自由意志論的な志向に賛同していました。そのような思想や志向は、産業革命の初期から、民衆による労働運動を活気づけてきたのです。残念ながら、暴力とプロパガンダが手をつなぎ、それを最終的には打ち倒してしまいましたが。
したがってデューイの考えでは、教育の領域で「自由で知性的なやり方ではなく、儲ける仕事のために」子供たちを訓練する事は「非自由的で非道徳的」なのです。その場合、子供たちの活動は自由な参加を許されていないのだから、自由ではないのです。これは再び、古典的自由主義や労働運動の考え方に戻ることになります。それ故、デューイによれば、産業もまた働く人々による統治と自由な連帯に基づいて、「封建主義的な社会秩序から民主主義的な社会秩序へ」と変化しなければならないのです。これは、またしても古典的自由主義と啓蒙主義を源泉とする伝統的アナーキストの思想と同じものです。
特にここ数十年間における巨大私企業による猛攻を受け、学問体系が幅の狭いものになってしまったため、このような基本的な自由意志論的価値観や原理が、現在では異国風で極端なものに響きます。西洋における今日の全体主義者に言わせれば、おそらく「反アメリカ的」にさえ聞こえるでしょう。しかし、これまでの思想の変遷を見れば、デューイが表明してきたような考え方は、アップルパイと同じくらいアメリカ的なものであることは明らかですし、そのことを憶えておくことは有益な事です。
この思想は間違いなく、米国的伝統の中に起源を有しているのです。しかも、まさにその主流の中に起源を有し、如何なる危険な外国のイデオロギーからも影響を受けていません。このような考え方は、通常は歪められたり忘れられていますが、儀式的にも賞賛されている価値ある伝統の中に起源を有しているものです。そして、このような歪みや忘却は、私の意見では、制度のレベルとイデオロギーのレベルの両方で、現代の民主主義が機能不全に陥った結果なのです。
教育は、もちろん部分的には、学校や大学の問題であり、公的情報機関の問題です。このことは、教育の目標が、デューイが主張したように、自由と民主主義にあろうとも、あるいは支配的な組織が要求するように、服従と従属と周辺化にあろうとも、同じです。
しかし、シカゴ大学の社会学者であり、教育と子供たちの生活への経験による影響に関する優れた研究者であるジェームス・コールマンは、多くの研究から、「生徒の達成度を決定する要因として、様々な学校の全体的影響よりも家庭環境の全体的影響の方が、驚くほど大きい」と結論づけています。もっと正確に言えば、彼は膨大な研究を踏まえて、家庭環境の影響力は教育環境の約二倍であるという結論を出しています。それゆえ、社会政策と支配的文化がどのように家庭環境の影響力などを形成しているのかを注視することは、極めて重要です。
これはとても興味深い話題です。この研究は一年前に出版された『富裕国における子供の軽視』というユニセフの報告書によってさらに促進されました。それは著名な米国の経済学者、シルビア・アン・ヒューレットによって書かれています。彼女は富裕国での1970年代末から1990年代初頭までの15年間について研究しました。彼女が述べているのは、第三世界ではなく富裕国についてだということに注目してください。
彼女は、英米社会とヨーロッパ大陸諸国や日本の間に鋭い分裂がある事を見出しました。彼女によれば、レーガン主義者とサッチャーによって先導された英米モデルは、子供たちや家族にとっては大惨事でした。対照的に、ヨーロッパモデルは(出発点で既にかなり高かったのですが)、ヨーロッパ社会が英米社会の有する巨大な利点を欠いているにもかかわらず、子供や家族の状況をかなりの程度さらに改善してきました。
米国は富や利点において並ぶものはいませんし、英国もサッチャー時代に主要な石油輸出国だっただけでなく(特にサッチャー政権下では深刻な衰退はありましたが)米国の顧客としての経済的利点を持っています。それにもかかわらず英米モデルが失敗したことは、サッチャー主義の経済的失敗をさらにもっと劇的に示すものでしょう。これは、イアン・ギルモア卿のような英国の権威的保守主義者すらも述べていることです。
ヒューレットによれば、英米社会における子供たちや家族の大惨事は「イデオロギー的自由市場優先主義」にあります。私見では、彼女は半分だけ正しいのです。なぜなら、レーガン流の保守主義者は自由市場に反対していたからです。
レーガン政権は貧しい人々に対しては自由市場を唱導しましたが、富裕層に対して非常に高額の公的補助金と国家保護を要求し、かつ獲得しました。その点では、先輩の国家統制主義者の程度を遥かに超えていたのです。
レーガン主義を導くイデオロギーをどのような言葉で呼ぶにしても、この暴力的で無法な反動的国家統制主義という特異なイデオロギーを、保守主義という名称で呼び、良き保守主義の名を汚すのは不公正でしょう。レーガン主義をどのように呼ぼうとも、少なくともそれは保守主義ではないし、自由市場主義でもないのです。
しかし、家族や子供たちの大惨事の原因が貧困層に向けられた自由市場にあるとしている点で、ヒューレットは全く正しいのです。また、ヒューレットの言う「これらの国々で野放しになっている、反子供的で反家族的精神」の影響も疑いないものです。これらの国々とは英米社会です。その影響が最も顕著なのが米国ですが、英国も同様です。
この「貧しい人々のための、市場主義的規律に基礎を置く、子供軽視に満ちた英米社会モデルは、子供の養育を大きく民営化し、住民の大部分が子供を養育することを事実上、不可能にしてしまった」のです。これこそがレーガン流の保守主義者とサッチャー流の同類者が結合させた目標と政策だったのです。その結果は、言うまでもなく、子供たちと家族にとっての大惨事です。
話を続けますと、ヒューレットは「英米モデルより支援体制のしっかりしたヨーロッパモデルでは、家族や子供たちへの支援を弱化するどころか強化してきている」と指摘しています。このことは秘密でもなんでもありません。勿論いつものことながら米国新聞の読者を除けば、の話ですが。
私の知り得る限り、この1993年の研究はまだどの新聞にも書評されていません。今日の話題に極めて密接に関連するこの本は、例えば、『ニューヨーク・タイムズ』には、まだ扱われていません。先週の『タイムズ』日曜版の書評欄で、子供と家族の話題を大きく扱い、IQの下落やSAT得点の低下等々に関する憂鬱な予測、また何がその原因となっているのかを議論していたにもかかわらず、この本は取り上げられていないのです。
例えば、ニューヨーク市では、そこで追求され、『ニューヨーク・タイムズ』によって支持されてきた社会政策が、約40パーセントの子供たちを貧困レベル以下に追いやり、その結果、子供たちは栄養不足や病気などで苦しんでいるのです。にもかかわらず、日曜版の書評欄では、この子供たちの実状は、結局はIQの低下とは無関係であるとされているのです。ヒューレットが、この子供軽視に満ちた英米社会モデルで論じている全てのことと同様、これに関連しているものは結局、悪性遺伝子であると言うのです。
要するに、こうなったのは、人々が何らかの形で悪性遺伝子を取り込んでいるからであり、その理由について様々な推測が行われていますが、とにかく市の社会政策とは関係がないのです。例えば、その原因は、おそらく黒人女性たちが子供たちを養育していないことであり、それは彼女たちが気候の良くないアフリカで進化したからだろう、と言うのです。書評者は次のように論じています。
「以上のことが、おそらく原因である。これは非常に真面目で冷徹な科学に基づくものである。にもかかわらず民主主義的な社会が、危険を覚悟で、これら全てを無視しようとしているのである」。
良く躾(しつけ)られた知的官僚は、明らかな要因を避けて舵取りすることを十分に心得ているのです。単純明快な社会政策を原因として起きている教育問題は、分別がある人間には全く明白であり、また著名な経済学者によって、ユニセフの研究書の中で詳細に検討されているのです。しかし、この米国では、この著作は日の目を見る可能性がありません。
これらの事実は秘密ではありません。国家教育委員会ブルーリボン委員会やアメリカ医学会は「ある世代の子供たちが、両親がその年齢だった時と比べて、健康が低下し、世話が減り、将来への準備が整っていないような事態は今までになかったことだ」と報告しています。この事態は産業社会の中での大きな変化です。
これは英米社会の中だけの話なのですが、そこでは、保守主義や家族的価値の名の下に、反子供的反家族的精神が15年間にわたって支配してきたのです。これはプロパガンダにとって真の勝利です。その勝利は、最高指揮官ウッドロー・ウィルソン総司令官にさえ大きな感銘を与える事でしょう。あるいは、スターリンやヒトラーさえ感銘するかも知れません。
この悲惨な事態は、ヒューレットがその著書を書いた1年前に、146カ国が子供の権利に関する国際規約を批准していたのに対し、米国一カ国だけが批准しなかったことに象徴的に表現されています。人権に関する国際会議ではそれがいつものパターンなのです。しかしながら、公正さのために、レーガン流の保守主義がその反子供的反家族的精神において一貫していたことを付け加えるのが適切でしょう。
すなわち、世界保健機構WHOがネッスル株式会社に対して幼児用調合乳の攻撃的販売について非難決議を行いました。それが多くの子供たちを死に至らしめていたからです。その投票結果は118対1でした。その一票がどの国かを考えて見て下さい。 しかし、このことは世界保健機構が「静かなる大量虐殺」と呼んでいるものに比較すれば全く小さなことなのです。なぜなら毎年、何百万もの子供たちが殺されているからです。それは、貧困国に対して自由市場政策を押しつけ、富裕国が援助を拒否した結果なのです。再び、米国は、富裕国の中で最も強欲な記録の一つを持っているのです。
この悲惨な事態のもう一つの象徴的表現は、ホールマーク社によるグリーティング・カードの新しい宣伝文句です。その一つは「学校で最高の日を過ごそう」というものです。これは、彼らが言うには、朝に食べるシリアルの箱の下に貼っておくためのものです。子供たちが学校へ出かける前に、「学校で最高の日を過ごそう」と伝えるわけです。グリーティング・カードの別の一節は「もっと君を毛布でくるんであげる時間があればいいのに」というものです。これは子供が一人で寝る時に枕の下に貼っておくものなのです(笑い)。もっと別の例もたくさんあります。
子供たちと家族の、この悲惨な事態は、部分的には賃金の低下という単純な結果です。国家の企業政策は、ここ数十年間、特にレーガン主義者とサッチャー政権の下で、少数者を豊かにし、多数者を貧困化するために立案されてきました。そしてそれは成功したのです。それはまさに意図された通りの結果を得たのです。
このことは人々が生き抜くためにさらに長時間働かなければならない事を意味しています。大部分の住民にとって、両親は、生活必需品を買うためだけに、おそらく週50時間から60時間働かなければならないのです。ところが他方、企業収益は急上昇しているのです。『フォーチュン』誌によれば、取り引きは停滞しているにもかかわらず、フォーチュン500社の収益は、「目も眩む」記録を更新しています。
悲惨な事態のもう一つの要因は、職の不安定です。これは経済評論家たちが好んで「労働市場の柔軟性」と呼んでいるものですが、学会主流の理論体系の下では良いこととされています。しかし人間の運命が真面目な思考過程の中に組み込まれていないのですから、人間にとっては全く腐りきった事態です。
柔軟性とは「勤務時間外も働いた方が良い、さもないと…
」を意味しています。契約も権利もありません。それが柔軟性というものです。私たちは市場の硬直性から脱しなければならないのです。経済学者なら、その理由を説明することができるでしょう。
両親が勤務時間外も働いており、大半は収入が減っているのですから、その結果を予測するのに偉大な天才は要りません。統計がそれを示しています。もし望むならば、ヒューレットによるユニセフの研究の中に、それを読む事ができます。しかし統計を読まなくても、その結果として何が起きるかは全く明らかです。
接触時間、すなわち両親が子供たちと過ごす実際の時間は、英米社会では、ここ25年間で40パーセントも減少したのです。そしてその大半がここ数年のことなのです。このことは実際には週10時間から12時間の接触時間の減少を意味しています。これは、いわゆる「質の高い時間」、すなわち生活のために特に何もしないで済む時間が事実上消滅しつつあることを意味しているのです。
もちろん、このことは家族の一体性や家族的価値観の崩壊をもたらし、子供の監督をテレビ任せにする事態を急速に増大させています。また「鍵っ子」と呼ばれる一人ぼっちの子供を増やし、子供の飲酒や麻薬使用の要因となり、さらには子供による子供への犯罪的暴力を増加させています。その他、健康や教育や民主主義社会への参加能力、生存能力にさえも明らかな結果をもたらしているのです。SATやIQの低下はもちろんのことです。しかし皆さんはこれらの事態に気づいてはならないのです。ご記憶の通り、これらはみな悪性遺伝子が原因だからです。
とはいえ、これらの事態はどれも自然の法則などではありません。これらは意識的に選択された政策の結果なのです。特定の目的のために、すなわちフォーチュン500社を富ませ、他を貧しくするために立案された政策の結果です。他方、ヨーロッパでは、経済事情が米国より切迫しているにもかかわらず、政策が反子供的反家族的精神に支配されていないため、事態は反対の方向に向かっています。子供たちや家族の生活水準は、米国と比べてずっと良いのです。
このような事態は、英米社会のみに当てはまるのではないということを述べる価値がありますし、強調したいのです。私たちの米国は巨大で強力な国家です。私たちは影響力を持っています。したがって、私たちの勢力圏にいる他の国々が、家族や子供たちを支援する政策を実施しようとした時、何が起るかに注目することは、有益ですし、大変に衝撃的でもあります。例えば次の二つの驚くべき実例を見てください。
私たち米国が完全に支配している地域はカリブ海諸国と中米諸国です。そこには上記のような政策を行った二つの国があります。キューバとニカラグアであり、実際に大きな成功を収めました。ただし、ここで当然にも予測されたことは、これらの国が主として米国の攻撃の的にされたことです。そしてその攻撃は成功しました。
ニカラグアでは、健康の水準が上昇し、識字率が改善され、子供の栄養失調が減少していたのですが、私たちがそこで戦ったテロ戦争のおかげで、生活水準が急落し、今やハイチのレベルまで落ち込んでいます。もちろん、キューバに対するテロ戦争は、未だに長期にわたって続いています。それはジョン・F・ケネディーによって開始されたのですが、そのテロ戦争は共産主義と何の関係もありませんでした。なぜなら、そこにはロシア人は一人もいなかったからです。
実は、その攻撃は、キューバの人々が財源を住民の「誤った」部門に向けていたことに関連していたのです。というのは、キューバの人々は、健康水準を改善しつつあり、子供たちや栄養失調についても関心を寄せていたからです。だからこそ、私たち米国は大規模なテロ戦争を始めたのです。一群のCIA文書がごく最近になって公開されましたが、上記の事実は、この公開された文書に明確に示されています。それによってケネディー政権期の、これまで知られなかった新しい詳細事項が明るみに出ました。この政権は十分に悪質なものでした)。
このテロ戦争は現在まで続いています。 実際、ほんの数日前にキューバへの別の攻撃がありました。そのうえ彼らの苦しみを更に確実にするために経済制裁・商停止を行っています。キューバがロシアと関係しているというのが、長年の口実でしたが、それは完全な欺瞞です。というのは、その政策が開始されたときに何が進行していたか、またソ連が崩壊した後に何が起きたかを見れば、それは一目瞭然です。
ここにこそ「買収された聖職者」の本当の仕事があったのです。というのは、政府の意向を受けて、事実を粉塗するのが彼らの仕事だからです。ソ連が崩壊した後に、私たち米国によるキューバ攻撃が、さらに激化したことに気付いてはならないからです。今までの攻撃理由が、キューバが共産主義やロシア帝国の前進基地になっていることであるとすれば、以上の事実は、いささか奇妙なことではないでしょうか。しかし私たちは情報を如何様にも操作することができるのです。それが「買収された聖職者」の仕事なのです。
だからこそ、ソ連が舞台から姿を消し、キューバを絞め殺すが本当に可能となった後に、状況はいっそう厳しくなったのです。
一つの法案が自由主義的民主党員であるトリチェリ下院議員によって提出され、議会を通過しました。この法案は、キューバとの如何なる貿易も停止させるものでした。米国企業も、その子会社も、またアメリカ製の部品を使用する他国のいかなる企業も、キューバと交易してはならないというのです。
それは明らかに国際法違反でしたから、ジョージ・ブッシュSr. は拒否権を行使しました。しかし、彼は、前回の選挙でクリントン支持者たちによる右派からの包囲を受け、その法案を受け入れることを余儀なくされました。したがってブッシュはその通過を認めざるを得なくなりました。
この件は即座に国連に持ち込まれ、ほぼ全ての国々から米国は非難を受けました。最終投票で、米国は例によって唯一イスラエルの支持を取り付けました。その二国は、ある理由で、ルーマニアをも取り込みましたが、他の諸国は全て反対票を投じました。米国の見解を弁護する国はどこにもありませんでした。それは明らかな国際法違反なのです。他国は無論、英国でさえ、そのことを指摘していました。
しかしそんなことは問題ではありません。重要なのは、手の届く全ての場所で、米国流の反子供的反家族精神を遂行し、極度に分極化された社会を強要することなのです。私たちの支配下にある国がその方向に進もうとしているなら、それが如何なる国であろうとも、私たちはその国を支援するのです。この事態は現在も続いています。
皆さんが望むならば、この問題は、実際に皆さんが何かの行動をおこすことのできるものです。このシカゴでは、「平和のための牧師会」がありますし、「シカゴ・キューバ連合」はキューバに物資を送るための別の手段を持っています。こうして経済制裁・通商停止を掘り崩し、人道的援助を届けることができます。医薬品や医学書や幼児の粉ミルクや他の支援物資を運ぶことができます。それらは電話帳の「シカゴ・キューバ連合」の所に掲載されていますから、電話番号を調べることができます。こうして、この国を覆い尽くしている反子供的反家族的精神、また暴力によって他の地域に輸出されつつある反子供的反家族的精神に、反撃したいと思っている人は誰でも、行動を起こすことが可能なのです。国内で多くの事ができるのと同じように。
私がここで是非とも言っておきたいのは、キューバを絞め殺すために民主党が提案し、議会を通過した法案の影響です。最近、二つの優れた医学学術誌『ニューロロジー』と『フロリダ医学ジャーナル』の今月号(10月号)が、その影響について検討し、明白な事実を指摘しています。クリントン=トリチェリ法によって停止された取引の90パーセントが食べ物と医薬品等の人道的援助であることが判明したのです。例えば、ワクチンを作るための濾過装置を輸出しようとしたスウェーデンのある会社は、その装置の一部が米国製だという理由で、交易を阻止されています。
私たち米国は徹底的にキューバを抹殺しなければならないと本気で思っているのです。私たちは多くの子供たちが死ぬことを確実にしなければならないのです。経済制裁の影響の一つは幼児死亡率と子供の栄養失調の急激な増加です。もう一つの影響は、キューバに広がっている稀な神経疾患です。誰もがその理由が不明であると装っていたのですが、しかし彼らはもちろんその原因を知っていましたし、今は彼らもその原因を認めています。その原因は栄養失調であり、第二次世界大戦の日本の捕虜収容所以来、見られなかった疾患です。つまり、私たちはその疾患を日本から引き継いだのです。こうして、反子供反家族精神はニューヨークの子供たちだけに向けられているのではなく、はるか海外にまで広がっているのです。
私が再度、強調しておきたいのは、ヨーロッパとの違いです。ヨーロッパでは米国と事態は大きく異なっておりますが、その理由も幾つかあります。その一つは強力な労働組合運動の存在です。それが基本的な違いの一側面です。
逆に言えば、米国は他に並ぶものがないほどに実業界によって運営・支配されている社会だということです。その結果、「雇用主の下劣な処世訓」が、皆さんが予想されるように、前例のない程に蔓延しているのです。これらのことは、形式的に民主主義が機能することを可能にする手段の一つなのです。
もっとも今では住民の大半が、新聞が「反政治的」と呼ぶ、政府への嫌悪、政党とその民主的プロセス全体への軽蔑によって消耗してしまっていますが、それもまた、ジェファーソン流の貴族的政体論者にとっては偉大な勝利なのです。何故なら、彼らは「人民を恐れて信頼せず、彼らからあらゆる権力を奪い、より高い階級の者の手に権力を与えることを望む人々」だからです。現在では、それは、多国籍企業とその利益に奉仕する国家や疑似政府組織の手に、権力を与えることを意味します。
彼らにとって、もう一つの勝利は、広がっている幻滅が「反政治的」であるという事実です。これに関する『ニューヨークタイムズ』の見出しに「希望が崩れ、投票者に広がる怒りと冷笑。
増大する政治への幻滅と暗く険悪な雰囲気。」というのがありました。さらに、先週の『ニューヨークタイムズ』日曜版では、反政治が特集されていました。
お気付きですか?権力や権威、すなわち政治の対象として容易に同定できる勢力への「反対・抵抗」が新聞では扱われてはいないのです。政策決定手段を手にし、デューイの言う「政治として社会にその影を投ずる勢力」ですが、それらは知的官僚階級にとっては、見えてはならないものなのです。
今日、『ニューヨークタイムズ』は再び、この話題の記事を載せています。そこでは、道理をわきまえない無教養な人物の「そうさ、議会は腐っている。でもそれは議会が大企業だからなのさ。腐っていて当然さ」という発言が引用されています。それは、見る必要のない、あるいは見てはならないことになっている話です。皆さんは「反政治的」であることが要請されているのです。その理由は次のようなものです。
すなわち、皆さんが政府をどのようなものと考えようが、それは参加し修正し何かをすることのできる制度体系の一部に過ぎないのです。何故なら、現在の法律と原則では、投資会社や多国籍企業をどうしようもできないからです。
したがって、それは見ない方が良いのです。 だから「反政治的」であるより仕方がないのです。これこそが彼らにとって、もう一つの勝利なのです。
「政治は大企業によって社会に投じられた影である」というデューイの意見は、アダム・スミスにとっても自明の理だったのですが、今や私たちには見えないもの、見てはならないものになってしまったのです。
影を投ずる勢力はイデオロギー的機関・制度によって、ほとんど視界から取り除かれてしまい、意識されないものになってしまっているために、私たちは「反政治的」状態に置かれ、行動する力を奪われているのです。この事態は、民主主義にとっては強烈な打撃であり、説明責任を負わない絶対主義的権力体制にとっては壮大な贈物なのです。その権力体制はトマス・ジェファーソンやジョン・デューイのような人ですら想像もできない水準に達してしまっているのです。
私たちには例の選択肢があります。つまりトマス・ジェファーソンのいう民主的政体論を取るか、貴族的政体論を取るかという選択肢です。後者の道は容易な道です。それは体制が報酬を与えるために設計された道だからです。それは、富と特権と権力がどこにあるかを知り、それらが当然にも私たちに求めている目的を理解するなら、豪華な報酬を私たちに与えてくれる道です。
もう一つの道、ジェファーソン流の民主的政体論者の道は、闘争の道であり、しばしば敗北の道です。しかし、それは全く違った種類の報酬を与えてくれる道です。それは、「自分以外のことは全て忘れ、富を獲得せよ」という「新しい時代精神」に屈服した者には、想像することすらできない種類の報酬を、私たちに与えてくれます。その道は現在でも、150年前と同じものなのです。ローウェルの工場の少女たちやロレンスの職人たちが、心を駆り立て初めて挑戦しようと選んだ道です。今日の世界はトマス・ジェファーソンの世界から遥か遠くにあります。しかし、トマス・ジェファーソンの世界が提示した選択肢は基本的には全く変っていないのです。
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