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主権と世界秩序
Noam
Chomsky
カンザス州立大学マンハッタン校
1999年9月20日
講演の文字起し、James R. Benkard
今晩の演題「主権と世界秩序」は実は一年以上も前から選ばれていたものですが、今から考えると先見の明があったと言うべきでしょう。この演題「主権と世界秩序」は大変教訓的な意味で1999年の標語となりました。
主権に対する関心は二つの局面を経てきています。第一の局面は世界の眼がUS/NATOによるユーゴスラビアへの爆撃に注がれていた年の第一期にありました。そして第二の局面はこの数週間、すなわち東チモールにおける新しい残虐行為に関係しています。
第一の局面で、私たちが人類史で新しい時代に入りつつあるという「豊富過ぎる事例」を目の当たりにしました。つまり自称「啓明国家」が自分たちが正しいと信じたときに主権と国際法という古い概念を無視して軍事力を自由に行使して良いという時代に入ったのです。ところが他方、「啓明国家」は自分たちの使命として「人権擁護」という伝統的な原則に従って行動するというのです。これはオルブライト国務長官が言明したもので、ニューヨ−クタイムズはこれを畏怖の調子で報道しています。
この使命は、オルブライトのような人たちによれば、世界のある一部の国々、すなわち「ならず者国家」だけを対象にしたものだそうです。今日では、それはキューバであり、かっては自由世界に復帰する前のニカラグアがそれに当たります。あるいは1990年以来のイラクです。サダム・フセインがアメリカの言いなりにならなくなったときにイラクは「ならず者国家」になったのです。しかし勿論、1990年以前の、彼がまだアメリカの友達であり同盟国であったときは「ならず者国家」ではありませんでした。その時、クルド民族を毒ガスで殺戮し、反政府運動をする人たちを拷問にかけ、実際、彼の生涯の中でも最も悪質な犯罪を犯していたにもかかわらず、アメリカから大量の軍事的経済的援助を受け、「ならず者国家」とは呼ばれなかったのです。それどころか、これらの行為にたいして、「啓明国家」から更なる軍事的経済的援助で報いられたのでした。
これが1999年の前半の事態でした。私たちは、現代をリードしているモラリスト、政治家、学者等々から、主権とか国際法とかいう時代遅れの概念に妨げられない啓明国家、そのリーダーシップの下に突入しようとしている画期的な時代について、歯の浮くような賛辞の洪水をたっぷりと聞かされてきました。
第二の局面は、この数週間の事態です。世界の調子が急激に変化し、世界の関心は東チモールに移行しました。そこでは、この25年間の間に進行していたテロ、暴力行為、殺戮が再燃しました。それは実際、人口比からすると、ホロコースト以来の最大最悪の殺戮です。
ところが、ユーゴスラビアと違って今度の場合、インドネシアに主権など無いにもかかわらず、インドネシアの主権は丁重で且つ最大級の尊敬をもって尊重されねばならないことが判明したのです。もちろん、インドネシアは東チモールに主権など持っていないからです。インドネシアが東チモールに侵攻したことに対して、大国、特に啓明国家、とりわけ、そのリーダーであるアメリカから与えられた支援で得た居住権は別にすれば。
そこに今、私たちが主権というものに重大な関心を持たなければならない理由がありますし、そこでは人権が重要ではなくなっているのです。そこでは第一局面で確立されたはずのより広い使命を脇に置かねばならないのです。私たちはどのような行動を取るにしろ、軍事援助を保留するときと同じように、侵略者たちの許可・招請状を求めなければならないのです。なぜなら、そのような行動は主権国家への内政干渉になるからです。ですから私たちは、そのようなことをすることは考えてはならないというわけです。
ですから突然、ここで世界の風景が逆転してしまうことになります。セルビアの場合は、たまたまアメリカの地域政策に抵抗するヨーロッパの片隅だったので、主権に対する完全な軽蔑と蔑視だったのに、アメリカの従属国で現代における最大級の大量殺人者に話が移ると、今度は、主権に対する関心は空高くにまで持ち上げられ、私たちはその主権を、しかも実際には存在しない主権をうやうやしく尊重しなければならなくなるのです。これは実に興味ある変化・移行で、したがって幾つかの疑問が当然、出てくることになります。いったい何が起きたのか。どこに違いがあるのか。
すぐに頭に浮かぶ違いは、つい先ほど私が指摘したものです。つまり、前者の場合は、主権が重要でない国家というのは、たまたまアメリカに敵対する国で、後者の場合は、それがたまたまアメリカの従属国だったということです。それは一つの仮説を提示するものですが、その問題をしばらく脇に置き、幾つかの他の質問を考えてみましょう。
今年の前半は画期的な新しい時代の幕開きをたっぷりと目撃した時期だったことを私は先に指摘しましたが、だとすれば第一の質問は、啓明諸国家の外では、どのような意見・態度が見られたのか、というものです。ついでながら、啓明国家とはどんな国で、どのようにすれば啓明国家の地位を手に入れることが出来るのでしょうか。啓明国家クラブのメンバーになるにはどのような資格が必要なのでしょうか。
ところが、そのクラブのメンバーになるための基準は実に簡単だということが分かりました。というのは、それは単に定義によるだけなのです。つまりアメリカが啓明国家だと認定すれば、それで終わりなのです。啓明国家になるのは過去の行跡によってではないのです。事実、過去に何をしたかは無関係だと言明されていますし、もし本当に啓明国家の過去の行跡を調べれば、ほとんど誰にもその資格が与えられないことが分かるでしょう。それは定義によって真実であるに過ぎないのです。アメリカが啓明国家であるのは自分でそう言明しているからに過ぎないのです。その戦闘犬であるイギリスが啓明国家なのは、アメリカの命令に従う限りにおいてなのです。そしてその十字軍に入隊するものは誰でも啓明国家ですし、それ以外はすべて「ならず者国家」なのです。ですから違いをはっきりさせることは実に簡単です。
啓明国家の外では画期的な新時代に対してどのような姿勢が取られているでしょうか。自称啓明国家の外では、主権と国際法に対して示された蔑視に衝撃と困惑が広がりました。
たとえばインド、タイ、あるいはラテンアメリカなどの場合、かなり共通した反応、すなわち恐怖が広がったのです。世界の大半がどのような態度を示したかはサンパウロ大司教の言葉でかなり良く表されています。大司教は湾岸戦争の後、「彼らは次にどこを攻撃しようとしているのか、しかもどんな口実で?」と尋ねたのです。そこで世界のあちこちで戦争抑止策についてかなりの話し合いが持たれました。啓明国家に対して自国を防衛するためにの核兵器あるいは他の抑止力について話し合いが持たれたのです。なぜなら啓明国家はソ連という抑止力が全く無くなったので今や明らかに自由に暴れまわることができるようになったと他の国々は感じているからです。
事実、もし世界をかなり公平に見渡してみれば、ひとつの正確な記述は次のようなものになると私には思われます。つまり、一つの国家が暴力を意のままに行使できる能力を持てば持つほど、主権に対する蔑視、すなわち他国の主権に対する蔑視が大きくなるということです。合衆国は、他のどの競争相手国と比べてみても、暴力を行使できる圧倒的に大きな能力を持つようになりましたし、この時点で、大きさは最大限に達していました。そして、その暴力を行使する力が弱まるにつれて、その国は従来に見られたような犠牲者になっていくのです。
事実、その境界点は今日言われている「南北」問題の境界に極めて接近しています。それは古い帝国主義国と古い植民地国との区別を婉曲的に言いなおしたものとも言えます。以前の植民地国では衝撃・恐怖・困惑が広がっています。他方、帝国主義国では、その中でも特に大国では、暴力使用に対する障壁、」すなわち国際法や主権といったものを乗り越えようとする巨大な流れが広がりました。
それは世界情勢のかなり一般的な帰結です。もし世界のあちこちで見る批評を読めば、それが正確なものであることが分かるでしょう。そして、それは再び世界で起きていることについての幾つかの仮説を提示していることになります。
このことはしかし、さらに幾つかの性格付けを要求しています。というのは、啓明国家の指導者、アメリカという啓明国家の自称リーダーの主権に対する姿勢が、私が先ほど提示したものより、もっと陰影を帯びたものだからです。
確かに他の国に対して主権は侮蔑の念を持って投げ捨てられるものです。言いかえれば、正しいと信じれば私たちは暴力を意のままに行使できます。なぜなら自分たちを啓明国家だと定義しているからです。
しかし他方、自国の主権と私たちの属国の主権は大切な宝物のように守らねばならないものなのです。私たち自身の場合、ことは明白です。実際それを無視することはかなり困難です。たとえば、ほんの少し前のことですが、合衆国は国際刑事裁判所設立の受け入れを拒否しました。それは戦争犯罪と人道に対する犯罪を起訴しようとするものですが、その受け入れを拒否する理由はかなり直截なものでした。つまりそのような裁判所の存在を受け入れると自国の主権を相手に譲り渡すことになるからというのです。そして私たちの主権は侵すべからざるものだから当然そんなことは出来ないというわけです。
それは余りにも鉄面皮な姿勢だから何らかの批判を受けずには済みませんでしたが、しかし余り注目を引かないけれど重要なことは、このアメリカの姿勢はかなり一定不変なのもだということです。たとえば国際人権規約、これは世界人権宣言の条項を補完する規約ですが、これに署名し批准する際、合衆国は恐ろしい過去の記録を持っています。しかもそれは世界で最悪なもののひとつです。もっと具体的に言うと、たとえば「子どもの権利条約」(Convention On Rights of the Child)の場合、世界では二つの国を除いて全ての国で批准されています。その二つが合衆国とソマリアです。しかしソマリアは政府を持たないので批准しようがなかったのです。
しかもこれはかなり一般的なことです。「かなり」どころか、もっと悪いとすら言えます。なぜなら、厳密に言えば、合衆国はいかなる規約も批准したことがないからです。その理由は、批准されたいかなるものも、しかもこれとてそんなに多くはないのですが、留保付きだからです。その留保には実質上は「合衆国には適用されない」と書かれているのです。だから、批准された条約・規約は多くはないにもかかわらず、その上、ここでは適用不可と診断されてしまうのです。
今年の初め、新しい啓明時代の幕開けのときに面白い例がありました。相変わらず新聞では大きな見出しにはなりませんでしたが、注意深く紙面を見ていた人なら気づいたでしょう。アメリカとNATO諸国が戦争犯罪に関して世界刑事裁判所に告訴されたという事件です。世界刑事裁判所は手続き的理由でこれを却下しました。その告訴が間違っているからという理由ではなく手続き的理由によってです。その手続き的理由というのは、この件は世界刑事裁判所になじまないという完璧な法律的論拠を合衆国が提示したというのものでした。そして世界刑事裁判所は正しくも、この議論を受け入れたのです。その論拠とはどんなものだったのでしょうか。
その件はジェノサイド条約を理由に告訴されました。ところが世界刑事裁判所の規則は双方が、つまり紛争の全ての当事者による司法権の受諾を要請しているのです。さもなければ世界刑事裁判所は判決を下すことが出来ないとしているのです。そしてアメリカの主張は、合衆国は世界刑事裁判所の司法権を受諾していないというものでした。なぜなら、合衆国は確かにジェノサイド条約を批准してはいるけれど、(約40年も遅らせた後での批准ですが)それは「アメリカの同意なしには合衆国には適用されない」という保留つきで批准したのであり、そのような同意を当然ながら与えるはずもないからです。
だから従って合衆国は上記の件で世界刑事裁判所に告訴されることはありえないし、上記の件の内容がどのようなものであろうと関知しない、というわけです。これは法律的には正しい議論で、だから世界刑事裁判所はこの告訴を却下しました。私が言うように、これが典型的アメリカなのです。ことが自分の主権に関わるときには貴重な宝石のように徹底的に擁護し、それが敵である場合は無に帰するというのがアメリカのやり方なのです。
さらにそれはもっと広い範囲に拡大されています。というのは合衆国は法的義務となっている負債・分担金の支払いを拒否することによって実質上、国連を崩壊させつつあるからです。その負債・分担金は契約によって要求されているものですが、合衆国はそれを支払っていないのです。それを支払うことによって主権が侵害されるというのですなぜ我々が行動する自由を犠牲にしてまで我々がコントロールできない組織を支えねばならないのかというわけです。だからアメリカは国連の分担金を支払わないというのです。
事実、1990年代までにアメリカの国際条約違反があまりにひどくなってきていたので、国際法の専門家団体、アメリカ国際法協会(American
Society For International Law)は機関誌の最近号で「条約を真面目に取り扱うこと」と題する論文を載せ、条約附則義務に固執してアメリカが恥知らずにも支払い拒否を続けていることに非難の声を浴びせています。
アメリカが支払い拒否に固執する理由は相変わらず同じで、保持されねばならないアメリカの主権をそれは侵害するからというものです。それは世界貿易機構(World Trade Organization)についても同じで、これはアメリカが創設した組織だけに特に興味ある事例です。それにも、もちろん規則がありますが、アメリカは自分が選ぶ段になると平気で規則を踏みにじるのです。
それで例えば、キューバへの残酷な禁輸措置によってアメリカが世界貿易機構規則を踏みにじっているというので、欧州連合は世界貿易機構に提訴しました。この禁輸措置は他の国への第二次的領域外制限を含んでいるから、WTO規則違反です。しかも、食料や医薬品の供給さえも実質的に妨害しようとしている点で、勿論これは甚だしい国際人道法違反です。
これに対してアメリカは国家の安全保障からする例外措置だと反論しています。キューバの子どもたちが餓死したり医薬品の不足のため死亡したりすることを確実にすることで合衆国の存続が維持されているというのです。だから従って、キューバへの禁輸に関しては、たとえそれが自分の創設した組織WTOの権威であっても受け入れるわけにはいかないというわけです。
これが国家安全保障の問題であるという考えかたはあまりに馬鹿げているので真面目に議論するに値しませんが、自分自身の主権に対しては極端なまでに固執する姿勢を示す好例でしょう。ところが他方で、人権を擁護するという使命に基づいて啓明国家が世界をリードする新しい時代、だから国家主権はもはや重要ではない新しい時代に入ったとして皆が歓呼の越えを上げているちょうどその時に、アメリカは自分の主権、自分のやりたいときにやりたいことをする権利を主張しているのです。
この何年間とキューバへの攻撃は冷戦を口実として正当化されてきました。キューバは私たちを絞め殺す悪の帝国の触手になっているのだから、というわけです。しかしそれは何時のときも完全な嘘でした。というのはキューバ政府を転覆させるという決定が密かになされたのは1990年3月でしたが、その時点ではキューバとソ連の間には何も重要な関係はなかったからです。冷戦が終わった後、キューバへの攻撃はいっそう激しさを増しました。これらの事実だけでも、冷戦を口実とした議論は完全に崩壊します。が、今では情報公開され極秘事項から解除された事実を見たとき、そこに見出されるアメリカの本当の理由はもっと興味深いものです。
ケネディが政権に就いたときにした最初の行動はキューバへの攻撃を拡大することでした。ケネディ大統領はラテン・アメリカに特使を派遣し南半球の状況を調査させました。その報告書は歴史家アーサー・シュレジンジャーを通じて大統領に手渡されました。もちろんそれはキューバを論じ、キューバが合衆国に投げかけている脅威についても叙述しています。その脅威とはシュレジンジャーから引用すると「事態を自分の手中に収めようとするカストロの考えが広まっていくこと」であり、これは富が一部に集中しているラテンアメリカのような地域では深刻な問題だというのです。もう一度シュレジンジャーを引用すると、「貧困で権利を持たない民衆が、キューバ革命の例に刺激されて、まともな生活をする機械を要求しつつある」、これが脅威だというのです。だから明らかにこれに対して防御しなければならないし、この脅威を食い止めるためにテロや禁輸や侵攻すらも遂行しなければならないというのです。
冷戦の要素はたまたま付随的なものだったのです。シュレジンジャーは付け加えて「ロシアが陰でうろつき、開発資金を提供したり、一世代で工業化を成し遂げたモデルとして自分を提供したりしている」とも言っています。これが真の意味での冷戦問題だったのです。
ついでながら、以上のことを通して考えてみると、1917年以来の冷戦とは何だったのかということがよく分かるはずです。独立を求めるこれらのモデルや努力がアメリカにとって容認できないものだったということです。というのは彼らは全く違った土台の上に組織された世界秩序を覆してしまうからです。それは特権階級、富裕階級、権力者たちの利益に沿って組織されねばならず、彼らの主権は擁護され尊重されねばならないのです。そして他方、その他のひとたちの利益や主権は投げ捨てられ無視されても構わないのです。
付け加えておかなければなりませんが、今年の初めには主権に対する蔑視は何も新しいものではありませんでした。それはヨーロッパのある国に対する爆撃を正当化するかたちで正にその頂点に達しました。しかし主権に対する蔑視はアメリカの歴史と同じ位に古いものです。
他国の主権は自分の邪魔になるのであれば、いわゆる「ならず者国家」なら、考慮に値しないのです。しかし自国の主権と属国すなわち自分の側につく国の主権は保護されねばならないのです。これは何も新しいことではありませんし重要なことでもないのです。覚えて置いてください。これは全く無関係なのだと彼らは言明しているのです。それが事実なのです。
この他国の主権と国際法への侮蔑は、属国の主権(と勿論、自分自身の主権)を尊重することへの強い主張とともに、しばしば荒々しい粗野なやり方で公に表明されてきました。これらは重要なことですから、このことに注目して置いていただきたいのです。
たとえばディーン・アーチソンDean Achesonという人物がいます。彼は非常に尊敬されている政治家で、戦後世界をつくりあげた人物の一人でもあります。また彼はケネディ政府のシニア・アドバイザーでもありました。その彼が1962年にキューバへの明らかに違法な禁輸措置が講じられたとき、アメリカ国際法律家協会で公にキューバを弁護したのです。その弁護の中で彼は、アメリカの「権力、地位、威信」に対するキューバの挑戦にアメリカが適切に対応することは「何ら法的問題とはならない」と指摘しました。したがって合衆国の威信、権力、地位が危険であったとしても、何ら国際法上の問題は起きるはずのないことなのです。それどころか私たちは全くそれを超える存在なのですから。
彼は、国際法にはそれ独自の「使い方」があり、その「使用法」とは条件が許す限り心地よい言いまわしで「自分たちの立場を美化することだ」と述べました。しかし、それ以外の方法で、もし私たちの威信、権力、影響力が危険なら、国際法は無関係なのです。
合衆国は勿論その地位を創り出しはしませんでした。もしそのような地位を持ち逃げできれば、アンドーラAndorraを含めて世界のどの国もそれを持ち逃げするでしょう。合衆国はたまたまそれを持ち逃げすることが出来ただけなのです。それがブロックで最大の悪漢であることの意味なのです。諸君はそのようなものを持ち逃げすることが出来るのです。諸君はまた自分たちが啓明国家であり、あらゆる種類の素晴らしい使命を遂行出来るという点で、壮大さを自我自賛し、それを持ち逃げできるのです。
さらにもっと劇的な例は、それは自由を価値とする社会のあらゆる学校で教えられたはずのものですが、1985年にニカラグアによってアメリカを相手とする告訴が国際司法裁判所に持ち込まれたときの合衆国の対応、公けに向かっての対応です。合衆国は国際司法裁判所の司法権を拒否しました。にもかかわらず国際司法裁判所は「軍事力の違法な行使」としてアメリカを断罪しました。言いかえればニカラグアに対して戦争犯罪行為を行なったと判決を下したのです。合衆国政府法律顧問は、なぜアメリカが国際司法裁判所の判決を受け入れないかを公式理由を述べました。その理由は「国連の構成国は私たちと見解を共有することを期待できないし、重要な国際問題についてしばしば合衆国に敵対している。したがって、いつ国際司法裁判所の規則が適用されるかを決定する権利を我々は自分のものとして留保するし、アメリカが関与するいかなる紛争についても国際司法裁判所の判決を強制的なものとして受け入れる予定はない。とりわけ合衆国の国内法に関わることで、合衆国で決定されたことについては一切、国際司法裁判所の判決を強制的なものとして受け入れる予定はないからである」というものでした。
この場合、合衆国の国内法に関わる問題というのはワシントンのニカラグアに対する戦争で、国際司法裁判所が軍事力の違法な行使として断罪したものです。確かに、これは学校で教えられるべきことですし、すべての人が知り記憶に留めるべきことです。しかも自由を価値とする社会では知られて当然のことです。
また元の国務長官ジョージ・シュルツの言明も知られてしかるべきものです。彼はレーガン政権の「ミスター・クリーン」と見なされた人物でですが、これを次のように説明しています。つまり「もし権力の陰が交渉のテーブルに投げかけられなければ、交渉とは条件付降伏の婉曲的言い方に過ぎない」と彼は言うのです。そして彼は方程式の力学的要素を無視してユートピア的法律的手段、国連とか世界刑事裁判所のような外側の調停機関を重用するひとを非難しています。
これらの言明は現代史に先例が無いわけではありません。その例を幾つかすぐ思い浮かべることが出来ます。それはリビアの都市、トリポリとベンガジにアメリカが爆撃を加えて多くの民間人を殺した時に発せられたものです。
ちなみに、この爆撃はテレビの最も視聴率の高い時刻に合わせて計画され実行された史上初めての爆撃でした。それは東海岸標準時の午後7時丁度に始まるよう極めて注意深く時間を計算されていて、3大テレビ局が最大のニュース番組を持つ時間帯でした。そして全くの偶然ですが、それらのテレビ局はたまたまリビアに報道局員を派遣していて(もちろん、そこには現在も彼らは常時、駐在していますが)、劇的事件が起きたとき、それを映像に収め、テレビニュースを編成する第一時間帯に本部に送信することが出来、適切な編集を加えることが出来たのです。これはどういうわけか注目すべきものとされていないのですが、とにかく起きた事実なのです。
これら全てのことは、やはり知っておく価値のあることですし、教える価値のあることです。また、このことは主権、とりわけ自国の主権に対するアメリカの姿勢について多くのことを教えてくれるものです。他国の主権は1770年以来、当時と同じように現在も軽蔑の念を持って取り扱われているのです。
十分な記録があるものと比べるとほとんど些細なと思われる例をひとつ取り上げます。それは合衆国すなわちクリントン政権がアフリカのひとつの貧しい国への薬品供給の半分を破壊することに決め、何千人か何万人か誰も分からないほどの人を殺してから丁度1年経った時のことです。それは一種の無差別無目的な軍事行動だったと今では認められていますが、それは全く構わないことなのです。なぜなら他国の主権など何の意味があるのでしょうか。重要なのは自国の主権なのですから。それが啓明期の第1局面で起きたことなのです。
そこで次に第2局面に移りましょう。ここで私たちが目にするのは、この威厳ある地位を占め主権が尊重される国が、合衆国だけでなく、その属国も含まれるという事態です。
例えばインドネシアです。インドネシアは現代史の中では最も残虐な殺戮の歴史を持つ国のひとつです。しかし、今年199年に東チモールでまた新しい虐殺が始まったとき、インドネシアの主権は、本当は主権が存在しないにもかかわらず、極めて注意深く尊重されました。
思い出してください。東チモールにおけるインドネシアの主権は、クウェートにおけるサダム・フセインの主権に当たるものですし、占領されたフランスにおけるナチス・ドイツに匹敵するものです。存在する主権の量を正確に測ってもゼロなのです。しかし実際は尊重され、宝物のように大切にされているです。
アメリカの公式的立場は、それは彼らの責任問題である、というものでした。東チモールの秩序を維持するのはインドネシアの責任だというわけです。彼らによって占領された東チモールでは恐らく人口の3分の1が殺戮されているにも関わらず、「それは彼らの責任であり、東チモールから彼らを引き離すことを我々は望まない」と言うのです。
この詳細については後でもう一度たち返ることにしますが、上記のアメリカの姿勢はこの数週間の間、殺戮行為が無視できなくなる程度に昂進するまで、ずっと変わることはありませんでした。実際、クリントン政権が国内の圧力と国際的圧力、特にオーストラリアによる圧力に押されて、遂にささやかな動きをするまで、この姿勢は変わりませんでした。
クリントンは遂にインドネシアの将軍たちに、これはうまくないよと幾つかの暗示を示さねばならなくなったのですが、事態を逆転させるには、それだけで十分でした。そのことは逆に、事態を収拾させるための潜在的力をアメリカが持っていたのに、これまでそれを使わなかったことを示すものです。
それはともかく、この事態は私が現在この話をしている間にも続いているのです。私がこの講演をしている間も、何十万もの人々が東チモールの山の中に追い込まれ、誰もが知っているように、明らかに餓死しかけているのです。簡単に食料を空から投下する力を持つ国が近くにいるにもかかわらず、です。その国は食料を山中で餓死し掛けている人々に食料を空から投下する論理的技術的能力を持っているのですが、ところが、その人々は、当の合衆国によって武装され訓練された軍隊、合衆国によって支援された軍隊によって山中に追い込まれた人たちなのです。
しかし皆さんには起きている事態が見えません。実際、その事態について話している人物すら気づきません。なぜなら、それはアメリカ人にとって問題外の事態だからです。私たちの使命は人権の擁護だということを思い出してください。ただし人権が恐ろしいやり方で踏みにじられていても、それが自分の属国による場合は別です。なぜなら私たちはこの25年間、この東チモールや他の場所でも、虐殺・殺戮があったにもかかわらず、その属国を支援しつづけてきたのですから。
したがって餓死しかけている難民に空軍を使って食料を投下することは出来ない相談なのです。わが国の空軍は主権が重要ではない国の民間攻撃目標を正確に破壊する能力を持っているにもかかわらず、です。その国では、ピンポイント爆撃をし民間施設などを正確に破壊することが出来るのです。それは素晴らしいものです。しかし、にもかかわらず、餓死しかけている人たちに食料を投下する能力を持っていないのです。それは古代史の話しでもないし、先週の話しでもなく、それは今日の話しなのです。
そうです。主権は合衆国によって認められ、また合衆国によって否定されるのです。これらは大国の特権に属し、それにお追従を言う人たちが、何故これが気高く高尚なのかを法廷で説明しなければならないのです。
さて合衆国と他の自称「啓明諸国」は人権に対してどのような姿勢を持っているのでしょうか。実はみな同じ答えなのです。「力が正義」だと言うわけです。その例は多数にわたりますが、1999年の事例だけに絞り、ここでは東チモールを取り上げます。皆さんの眼から隠され知らされていないと思われる「出来事の要約と非難」のいくつかについて、学説上の純度を保護するため、まず簡単に復習をしておきたいと思います。
アメリカに支援され、アメリカの属国になっているインドネシアは、1975年、東チモールに侵攻しました。もちろん侵略する何の権利もありません。その侵攻はアメリカの武器で行なわれましたが、インドネシアとの取り決めでは、自衛以外には使わないことになっていたものです。アメリカの武器が不法に試用されているという事実が多くの注目を浴びないようにするため、その侵攻が速やかに遂行されるよう、アメリカは密かに意向を表明していました。
アメリカは武器の輸出禁止を宣言していました。というのは武器の輸出に多くの抗議が寄せられていたからです。しかし、その裏で、アメリカは宣言を踏みにじり、その直後に武器をインドネシアに送ったのです。それにはインドネシアがのどから手が出るほど欲しがっていた対ゲリラ戦用の装備も含まれていました。これに対して国連安全保障委員会は侵攻を全会一致で弾劾し、直ちに撤退するようインドネシアに命じました。しかし効果がありませんでした。
なぜ実効性を持たなかったについては、ここにアメリカ大使の説明があります。この言葉は、前にも増して、私たちが享受する自由に価値をおく人なら誰にとっても記憶されるべきものです。世界情勢、国際法と人権に興味をもつ人なら誰にとっても記憶されるべきものです。このひとはDaniel Patrick Moynihanと言い、ニューヨーク選出のリベラルな上院議員で、当時は国連大使を務めていました。彼は事件の数年後、1978年に回想録を書いています。その回想録の中で彼は国連安全保障委員会がなぜ無力だったかを説明しています。
彼が言うには「合衆国は自分たちの希望する方向に事態が進行することを望み、そのように事態を進行させるよう工作した。合衆国が望んだのは、国連がどのような手を尽くそうとも全く無駄である、ということを証明することだった。この任務は私に任され、私は比類のない成功を導き出した。」
実に開けっぴろげで正直な説明です。彼はまた自分の成功が何に基づくものかも自覚していました。彼は上記に続けて次のように述べています。「事件の次の数ヶ月間に約6万人の人が殺され、これは人口比からすると第2次大戦のとき東ヨーロッパでヒトラーが殺した人の数と同じである。」(これは彼の言葉であって私の声ではありません。)そして彼が言うには、「この事件が新聞から姿を消したとき、事態は本当に成功した」のです。
確かに事件は新聞紙上から消え、アメリカの目から見た事態はまったくの成功でした。しかし戦闘は停止したわけではありません。報道が停止しただけなのです。その後に起きたことはカーター政権に引き継がれました。「人権政権」と言われたのに、インドネシアに新しい武器を供給し、それが直ちに攻撃をエスカレートすることに使われ、民族皆殺しと言われるほどになりました。
人々は山に追い込まれ、それに対してインドネシア軍はジェット機やナパーム弾など、「人権政権」によって供給された新しい武器を使って大規模な攻撃を加えました。こうして人々はインドネシアの統制する地域に追いたてられたのです。カーター政権の言い方では、大多数の人々はインドネシア政府によって「保護される地域」へ移住したのです。
東チモールの教会や他の団体が現地で何が進行しているのかを世界に知らせようとしたのは、丁度このときでした。その当時、殺された人の数として推計20万人という数字が教会から提示されましたが、その数は現在では広く認められています。当時は否定されましたが、今はこれが認められている数字です。
そして事態は現在まで続いています。まさにこの講演をしている今にまで事態は続いているのです。今年の初めに希望の瞬間がありました。というのは1月にインドネシアの暫定大統領が住民投票を提案したからです。その投票で東チモールの住民が独立か自治かを決めるというのです。
インドネシア軍は虐殺行為を激化させることで直ちにこの提案に答えました。彼らはコパサスと呼ばれる特殊精鋭部隊を新たに送りこんだのです。それは合衆国によって訓練され、合衆国の武器で武装され、その残虐行為は東チモールだけなく至る所で悪名を馳せていた部隊です。彼らは東チモールに派遣され、「ミリシア」という準軍事部隊を組織しました。
ノーベル平和賞を受賞したチモール人のJose Ramos Hortaによれば「ミリシア」の多くははインドネシア人ですが、それが直ちに大規模のテロ活動を開始したのです
このアメリカでは、そのことについてはほとんど報道されていませんが、事態は進行います。それどころかひどくなっています。これは心ある人の全てが知っている事態です。しかしこれに対して合衆国はあいまいな態度を取りました。この事態に対して何もしようとしなかったのです。反応することを拒否しました。それどころか、この間ずっと、インドネシア軍に対する武器供与と軍事訓練は継続されていたのです。
実際、1997―98年に政府が許可したインドネシアに対する商業的武器売却は5つの仲介業者によって増大さえしているのです。また国防総省がつい1週間前に発表したように、アメリカのインドネシア軍に対する軍事訓練の演習は8月25日まで続いていたのです。何と、これは住民投票の5日前です。しかもこの軍事訓練は「人道的訓練と災害救助」と称されていました。作家ジョージ・オーエルもこんなに巧くは命名できなかったでしょう。
さてその次に何が起きたでしょうか。住民投票の前にしてテロがエスカレートしていた最中の4月に、それは残虐行為が頂点に達しつつあったときですが、その時、合衆国はインドネシアにひとりの軍事顧問を送ったのです。インドネシア陸軍参謀総長であるウィラント将軍と話し合せるために太平洋管区の長官であるブレア提督を送りこんだのです。名目的には殺戮行為を止めさせるためということでした。
ところが、ブレア提督がウィラント将軍に実際に話したことはアメリカが引き続き支持援助を継続するということだったことが後で判明したのです。これは最近Alan Nairnによって暴露されたものです。彼は独立のジャーナリストで、インドネシアだけでなくあちこちで素晴らしい仕事をしていますが、実際このため最近までインドネシアの刑務所に投獄されていました。このことはアメリカでは何の報道もありませんでしたが、最近やっと釈放されました。これは多分、主として議会の圧力によるものでしょう。
それで、ブレア提督はこの支持援助を継続するメッセージを与えるためにインドネシアに行ったのですが、それはまさに醜悪な殺戮のひとつが起きた直後のことでした。教会に非難していた住民の約60人が殺された事件です。獣じみた殺し方でしたが、これは多くの残虐行為のひとつに過ぎません。
これに対して何が起きたでしょうか。住民は驚くべき英雄主義を発揮し、投票所に向かったのです。そして大規模なテロ行為、脅迫、殺人にもかかわらず、また何万人もの人たちが山に追い込まれ、そこに身を隠していたにもかかわらず、人口の99パーセントが勇気を奮い起こしてこの事態に立ち向かい、圧倒的多数が独立に賛成票を投じたのです。
これに対する反応は東チモールを実質的に壊滅させるという動きでした。現在は9月の初めで、投票後2週間近くたっていますが、何千人か何万人か、いったい何人の人が、殺されていくのか誰にも分かりません。人口の半分か、あるいはそれ以上の人たちが家から追い出されています。まさに目をふさぎたくなるような残虐行為です。
そこで遂に合衆国も一つの態度を表明せざるを得なくなりました。つまり、そのような残虐行為に反対を表明したのです。この時点でやっとインドネシアは残虐行為をやめたのです。しかし、これは逆にいえば、この間ずっとアメリカが止めさせようと思えばいつでもインドネシアの残虐行為をやめさせることが出来たことを意味しています。
ところで、ニューヨーク・タイムズの名誉のために言っておきますが、ニューヨーク・タイムズは囲み記事でこのことを報道しました。誉めるべきことをしたときは、やはり誉めてやるべきなのです。9月15日に、インドネシア研究をしているJohn Roosaは、住民投票のとき、監視員をしていましたが、なかなか良い囲み記事を書き、それをニューヨーク・タイムズが載せたのです。この記事の中で彼は真実を指摘しました。
彼は「大虐殺が予測されていたのであれば、逆にそれを防ぐことも容易にできたはずだ」、しかしクリントンは「躊躇し」、「平和維持軍の派遣について議論することを拒否した」と述べています。これは真実です。これがまさに今年ずっと進行していたことで、平和維持軍について考慮することさえ拒否するアメリカにオーストラリアの人たちが怒りを強めていた時でもありました。
過去の記憶を少しでも持っている人なら、これが20年前に起きたことを、ほとんどそのまま再現したもの、しかも醜い再現であることを知っている筈です。20年前にも何十万人ものひとが殺されたのですが、その大殺戮の後、米国ジャカルタ外交団のメンバーが東チモールを短期だけ訪問することをインドネシアがやっと認めたことがあります。彼らは小人数なら認めても安全だと感じたのでしょう。そのメンバーの一人がカーター政権のひとりで、マスターズ大使Ambassador
Mastersでした。マスターズ大使はその惨劇を目撃しましたが、彼に同行した人たちはその惨劇をカンボジアの惨劇に匹敵するものとしたほどです。
その次に来るのが、世界的なインドネシア研究の権威であるベネディクト・アンダーソンBenedict Anderson、彼はインドネシアを専門とするアメリカの歴史家ですが、その彼による国際連合の場での証言です。彼の証言によれば、マスターズ大使は「9か月もの長い間」東チモールへの訪問を遅らせ、国内においても政府の中で人道的援助の要求を拒否して、赤十字や人道的援助が入ってきても大丈夫との「青信号」がインドネシアの将軍から送られてくるまで訪問を待たせたのです。
不幸なことに、これらのことは全てアメリカの人権に対する姿勢のかなり典型的事例のひとつです。またその理由も典型的なものです。ジャカルタ駐在の大使高官の一人が述べているように「インドネシアは重要だけれど東チモールは無視してよい」のです。
その理由はニューヨーク・タイムズの第1面でもっと詳細に説明されています。そこで二人のアジア専門記者が正しく指摘しているように、クリントン政権は政治的計算をしなければならなかったのです。つまり一方では200万の人口を持ち、資源豊かで莫大な利益を得ることのできる国と、他方で80万人しか人口のない貧困貧窮の国とを比較し、その重要性を計算をしなければならなかったのです。それらの価値に関して計算をすれば、どのように反応すべきかはかなり明白です。
それはアメリカの高官たちによってもっと分かりやすい比喩で表現されています。彼の言うには、東チモールでは「レースに参加する犬はいない」のです。言いかえれば、そこで何が起ころうと問題ではないのです。
ところが数週間前に彼らは調子を変えました。実際レースに参加する犬がいると言うのです。しかも大きな犬が、つまりオーストラリアと言う犬が。オーストラリアが騒いでいるし、それは重要だというわけです。だから今や私たちにもレースに参加する犬がいるし、したがって態度も変えざるを得ないというわけです。
私たちアメリカの援助で拷問され殺戮された東チモールの人たちは、この25年間、どうしていたでしょうか。彼らは決して小さな犬どころではありません。人権というのはこんなふうにして生きて働くという典型でしょう。
ちょっと今年の第1局面を振り返ってみましょう。この4月、画期的な新しい時代の幕開けで幸福感に浸っていた丁度その最中に、ワシントンでNATO50周年の記念式典がありました。これは広く報道されました。しかし実は喜びに満ちた記念式典ではありませんでした。というのはコソボにおける民族浄化という暗雲の下での会合だったからです。民族浄化への強い関心と重たい気分でいっぱいでした。ここでは政治批評家やジャーナリストを賞賛すべきでしょう。呆れてものが言えないほどです。というのは、1990年代における最悪の民族浄化がNATO内で行なわれているという事実を見逃すことが出来たのですから。それも境界の外ではなくNATOの内部、すなわちNATO南西部の一角で起きている事実です。
具体的にはNATOの一員であるトルコのことです。そのトルコは欧州評議会(Council
of Europe)と欧州司法裁判所(European Court of Justice)の管轄下にあり、民族浄化と他の残虐行為を理由に何度となく弾劾を受けていました。それらのうち8回は昨年のことです。コソボのすぐ向こうです。そこでは二・三百万人もの難民が生まれ、約3500もの村が破壊されているのです。コソボの7倍です。何十万人もの人が殺されました。これらは皆クルド人の人たちです。コソボ爆撃の後も、それ以前も、コソボの向こうでは放置されたままです。
これはどのようにして起きたのでしょうか。
これが起きたのはクリントン政権のためです。なぜならトルコ政府は約80パーセント、アメリカからの武器を使っているからです。1992年にトルコ政府がクルド反乱軍からの交渉案を退けた後、残虐行為は1990年代に激増しました。にもかかわらずクリントン政権は増大する武器をトルコに送りつづけたのです。実際、トルコは世界における主要な武器輸入国になりました。しかもこれはジェット機やナパーム弾などの近代兵器です。記録を調べれば、想像し得る限りのあらゆる残虐行為が遂行されたことを見出すでしょう。
これらは全てNATOの中で行なわれたことで、この90年代に行なわれたことなのです。しかも現在も続いていることなのに、NATO50周年記念式典では無視されました。実際、式典の間ずっとです。新聞のデータ―・ベースで検索してみてください。もちろん面倒なら、しなくても結構ですが、いずれにしても、そこでは何も見出せないでしょう。
トルコで行なわれていることは、とてつもない残虐行為、大規模な民族浄化、考え得る限りのテロと拷問です。しかし、それを遂行しているのは啓明国家なのです。事実上それを可能にしているのはNATO内部の、啓明国家のリーダー、アメリカなのです。だから批評し報道するメリットがないのです。
ところが他方、この同じ時に、敵国とみなされているユーゴスラビアで行なわれている民族浄化については、アルバニア人にたいして同情の念で一杯になるよう仕向けられているのです。すなわちコソボにおける民族浄化です。そこで最後に、この問題を見ておくことにします。
さて私たちは典型例、今日もう一度くわしく調べる予定にしていた問題、コソボにおける残虐行為に立ち返ることにします。これには何度も繰り返して唱えられている一種の経文があります。それは少なくともコソボ問題では私たちは正しいことをしたというものです。確かに私たちはあちこちであらゆる種類の悪事を働いてきたが、今度ばかりは正しいことを下というのです。私たちは自分たちの原則と価値観に基づいて完全に利他的に行動したし、これは歴史の完全な分岐点だというのです。合衆国は人権を守るために完全に利他的に行動し、だからこそ新時代を画するこの幸福感を持っているのだというわけです。
残念ながら、それは論理的に正しくありません。私が言うのは、それは事実かどうかということです。だから事実は正しく関連付けられねばならないのです。そこで、その事実を見てみましょう。
ここにその標準版があります。先週、ニューヨーク・タイムズの外交問題に関する主力専門記者、トマス・フリードマンによって繰り返し載せられた記事ですが、彼はコソボへのアメリカの干渉は決定的な違いを作り出した、それは民族浄化を阻止し、したがって合法的なものだったと言っています。
この繰り返して何度も載せられた言説にはひとつだけ問題があります。議論の余地なく、事実は全く逆だと言うことです。大規模な民族浄化は空爆の結果であって、その原因ではないと言うことです。これは議論の余地がない事実です。それは登録された記録で国境を越えた難民の数を調べるだけで簡単に分かることです。コソボは残念ながら爆撃以前も世界の他の多くの場所と比べて決して居心地の良い場所ではありませんでした。しかし、大規模な民族浄化は爆撃以後に起きたのです。
空爆は3月24日に始まりました。当時、難民の世話をする国連難民高等弁務官事務所は難民を一切記録していません。記録が初めて現れるのは爆撃3日後のことです。爆撃1週間後の4月1日、そこで初めて最初の国外追放に関する日報が記録されています。その後、皆さんがよくご存知の60―70万人という数字に上昇していきました。
その上、これは予め予想されていたことなのです。実際、アメリカ軍の指揮官、彼は実質的にはNATO軍の指揮官でもありますが、Wesley Clark将軍によれば、それは「完全に予測されたことだった」のです。彼が言うには、爆撃が虐殺行為を急激にエスカレートさせるだろうということは「完全に予測されていた」ことだったのです。その理由は明白です。もし人々を爆撃すれば、その人たちは決して爆撃した相手に花を投げることはありません。彼らは反撃します。彼らは敵の強いところで反撃しません。自分たちの強いところで反撃するのです。だから彼らはニューヨークを爆撃するためにジェット機を飛ばしたりしません。彼らが反撃するのは、自分たちが優勢を占めている地上です。つまり残虐行為をエスカレートさせるのです。
さらにまたクラーク将軍は続けて次のように述べています。彼の言葉を引用すると、NATOの作戦は「セルビアの民族浄化を阻止するための手段として計画されたものではない」と言っているのです。これが真実です。それ以外にありえなかったでしょう。なぜなら最悪の民族浄化は爆撃がまさに引き金になったのですから。民族浄化は結果であって原因ではなかったのです。
その上、残虐行為は予測されていたことで予測可能だったにもかかわらず、それに対する何の準備も無かったのです。事実、もっと悪いことには、その直前に、合衆国は国連難民高等弁務官への財政援助を削減する手続きを進めていたのです。これは難民の世話をする責任機関ですが、アメリカが分担金の支払いを拒否したため、人員を大幅に削減せざるを得なくなったのです。
合衆国とイギリスは予期される殺戮に対して何らかの準備することを拒否しただけでなく、難民の世話をする責任を負う組織の財源を削ることまでやったのです。彼らが遂行しようとしている爆撃によって、つまりNATO軍指揮官の命令のおかげで難民が生まれるだろうと言うことは予測されていたにもかかわらずです。これらが全て重なって、それがクリントンとブレアの犯罪性を本質的な意味で増大させているのです。
事件の表面を掻くだけに終わりました。もっと詳細な点についても語るべきだったのかもしれませんが時間がありません。そこでぜひ皆さんにもっと詳しく調べていただくよう、お願い致します。そうすれば簡単に事実を十分に発見されることと思います。事実は曖昧ではありません。この選ばれた一つの事件だけでも、事実を調べてみれば、飾り立てられ高みに持ち上げられたレトリックの唯の一言も、そのまま信じてはならないということがお分かりになるはずです。これまで私が話したことで、まだきちんと議論していない他の事件については、これ以上立ち入る時間がないので皆さんにお任せします。
実際、歴史をもう少し詳しく調べていただければ、私がここで述べたことの全てが本当に私たちの身の回りで起きていたことを知っていただけると思います。それはある種の悲劇です。いやそれよりはもっと悪い、鼻持ちならないもの、1世紀もの長きに渡って継続していたものの再現なのです。ちょうど100年前、同じ話がありました。いかにして啓明国家が世界の未開民族に文明をもたらすか、彼らの主権をいかに無視しなければならないか、という話です。なぜなら啓明国家は文明すなわちキリスト教と人権をもたらさなければならないという使命を持っているからです。一つの例をあげれば、アメリカがフィリピンでやったようにです。
いま私たちはその結果がどのようなものであったかを正確に知っています。私たちはその結果を知るために待つ必要はありません。私たちはその啓蒙と文明がどんな結果を世界にもたらしたかを示す1世紀もの歴史を持っているのです。だとすればこの新しい局面と言われるものが何か違ったものになると期待できる合理的理由が見出せるでしょうか。世界のほとんどはそのように考えていません。自称「啓明国家」の外では、ヨーロッパ帝国主義の最悪の日々、それにともなう傲慢さと自己賛美がよみがえってきたものとして受け止められ、強い不安と関心が広がっています。
私たちのような民衆にとっても、つまりかなり自由な社会に住み、比較的、特権を享受しているものにとっても、以上のことは避けることの出来ないものです。恐ろしい犯罪は、それを放置しておけば必ず起されるのです。私が話しているのは火星の出来事でもないし、フン族の王アッティラの犯した犯罪でもありません。私が話しているのは軍隊によって現在、遂行されつつある犯罪についてなのです。その軍隊は原理上、私たちの管轄下にあり、もし望めば、統制可能なはずのものなのです。
私たちが直面しているのは自然の法ではありません。これらは意思と選択の問題です。また私たちは過去をやり直すことは出来ません。しかし少なくとも現在に立ち向かうことは出来ます。私たちはそれに誠実に立ち向かい、そこから教訓を学び、その教訓を未来を生かすために使うという選択は出来るはずなのです。
(翻訳:寺島隆吉)
Notes
1 国連が西暦2000年を「平和の文化、国際年」と定め、2001年から10年間を「世界の子どもたちのための、平和と非暴力の10年」と決議した事情については伊藤武彦(1999)に詳しく説明されている。またこの論文では1998年にパリで国際大学学長協会が平和の文化を推進するために大学の果たす役割について5つの問題提起をおこなったこと、1999年にはコスタリカで「平和の文化」心理学者国際シンポジウムが行なわれ、「コスタリカ声明」を発表したことなどを紹介していて興味深い。
2 末尾の資料(Appendix)は全て高橋奈保子、益岡賢、文殊幹夫(1999)から採った。日本が東チモール問題でいかに恥ずべき役割を果たしてきたかは上記の他に古沢希代子(1999)および村井吉敬(1999)に詳しい。また最近の東チモール情勢については石田伸子(1999)、オルタ編集部(1999a.b)、
ジーン・イングリス(1999)を参照されたい。特に月刊誌『オルタ』は第三世界の最新情勢を知るには欠かすことの出来ない資料である。しかしチョムスキーがこの翻訳で述べているような視点で東チモール情勢が分析されているわけではない。私がチョムスキーを翻訳したいと思った理由がここにある。
3 アンドラ(Andorra)
はヨーロッパ南西部、フランスとスペインの国境をなすピレネー山脈中にある共和制の小国。正式国名はアンドラ公国。面積は約468km2。人口は7万人(1996年推計)。フランス大統領とスペインのウルヘル司教区司教が象徴的な共同元首をつとめる。715年間、アンドラはフランスの統治者とスペインのウルヘル司教の共同主権のもとにおかれ、2人の元首には年貢がおさめられてきた。1992年12月に、共同元首には象徴的な権利のみをのこし、主権を国民のものとする新憲法が総会議で可決され、93年3月、国民投票により承認された。同年5月4日、憲法が公布され、独立した立法府、行政府、司法府をもつアンドラが誕生、同年7月、国連に加盟した(以上『MicrosoftEncarta百科事典99』)。チョムスキーが「そのような地位を持ち逃げできるならアンドラを含めて世界のどの国もそうするでしょう」と述べたのは、このようなアンドラの歴史を念頭に置いているのであろう。
4 チョムスキーが祖国アメリカの恥ずべき側面を赤裸々に暴いたものとしてチョムスキー(1970) (1994)などがある。前者はベトナム戦争を論じたものだが、日本のアジア侵略の仕方とアメリカのそれとを詳細に比較していて実に興味深いものがある。また後者は、エル・サルバドル、ニカラグア、グアテマラ、パナマなど国別に例を挙げ、アメリカの中米政策がいかに殺戮に満ちたものであったかを詳細に記述していて、読む人に畏怖の念さえ覚えさせる。
References
石田伸子(1999)「東チモール報告:“自分たちの国は自分たちでつくる”、新しい国造りへ動き出した東チモールの人々」『月刊オルタ』12月号:17−21.
伊藤武彦(1999)「平和の国際文化年について」『日本の科学者』11月号:5―8.
井上礼子(2000)「世銀東チモール支援国会議:新しい国づくりの希望と課題」『月刊オルタ』2月号:5-7.
オルタ編集部(1999a)「東チモール、激化する独立派住民への攻撃:ラウラ・ソアレスさんに聞く」『月刊オルタ』7月号:20−22.
オルタ編集部(1999b)「緊急報告、東チモールに平和を!:古沢希代子さんに聞く」『月刊オルタ』10月号:15−19.
シャナナ・グスマオン(2000)「“極端な1年”の後で」『月刊オルタ』2月号:5-7.
ジョビト・レゴ(2000)「草の根の人々こそが独立を勝ち取った主人公だ」『月刊オルタ』2月号:10-11.
ジーン・イングリス(1999)「東チモール、“ゼロからの出発”に夢を託して」『月刊オルタ』11月号:21―23.
高橋奈保子、益岡賢、文殊幹夫(1999)『東チモール:奪われた独立、自由への闘い』明石書店.
チョムスキー(1970)『アメリカン・パワーと新官僚:知識人の責任』(木村雅次・水落一朗・吉田武士、訳) 太陽社.
チョムスキー(1994)『アメリカが本当にに望んでいること』(益岡賢、訳)現代企画室.
古沢希代子(1999)「東チモールと“日本の貢献”:自衛隊派遣のまやかし」『軍縮問題資料』12月号:72―77.
古沢希代子(2000)「国際社会は東チモールにどう関わってきたか」『月刊オルタ』2月号:14-15.
フェルナンダ・ボウジェス(2000)「政治的にも経済的にも自立した社会をつくりたい」『月刊オルタ』2月号:9.
村井吉敬(1999)「市民は東チモールのために何をなすべきか」『月刊オルタ』10月号:2―3.
レアンドロ・イザーク(2000)「独立のために犠牲になった人々は今も私たちとともにある」『月刊オルタ』2月号:8.
Chomsky, Noam (1986) What Uncle Sam Really Wants. Berkeley,
CA: Odonian Press.
Chomsky, Noam (1969) American
Power and The New Mandarins. New York: Pantheon Books.
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