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囚人のジレンマ、
ミッケイ・Z、2004年5月9日
ZNet Commentary、May 09, 2004
Prisoners' Dilemma 、By Mickey Z
翻訳:寺島隆吉+寺島美紀子、公開2004年5月22日
<<この論文を読んで、米軍によるイラク人捕虜の残酷きわまりない扱いや拷問は、実は南北戦争以来のものであること、フィリピン占領下では凄惨きわまりない様相を呈していたことなどが、初めて分かりました。これが戦争の、いつになっても変わらない実態なのか、というのが読後の正直な感想です。なお米国政府が開発してきた拷問技術については拷問について、イスラエルもアラブ人を拷問(益岡賢)をも見てください。ここには具体的な拷問マニュアル「1963年のKUBARK対ゲリラマニュアルや1983年の人材開発訓練マニュアル」についての解説があります。>>
「あなたに不条理を信じさせる力を持つ人は誰でも、残虐行為を行わせる力を持つ。」(ボルテール)
それがまるで自然力でもあるかのように、我々はしばしば忠告されるのです、「戦争は地獄だ」と。そして企業情報操作は戦争に地獄をもたらす当人を隠蔽するように企図されているのです。
1960年代のテレビの喜劇シリーズ「ホーガンの英雄」専用の、あるウエブサイトでは、ひとつの特別なエピソードが次のように描かれています。
「連合国は戦争捕虜収容所を爆撃しないことを知っていたので、ドイツ人は実験的なロケット爆弾を第13捕虜収容所に隠す。ロンドンは連合国の科学者を送り込んで、その爆弾の写真を撮らせ、破壊させる。クリンク大佐の注意をそらせるために、英雄達は彼がその年度の司令官に任命されるように手配する。」
<註:テレビの喜劇シリーズ「ホーガンの英雄」については下記のサイトを参照>
http://www.fact-index.com/h/ho/hogan_s_heroes.html
「同盟国は捕虜収容所を爆撃するつもりはない。」
この宣言はプロパガンダの影響を例証することにおいて成功を収めています。(したがって、ナチ捕虜収容所についての人気のコメディもまた同じ働きをしています。)「ホーガンの英雄達」の著者は、アメリカとその同盟国が公正な戦いをするという命題に誰も異議申し立てをしないだろうし、自分もそれを当然のことだと考えていたのです。
最近のイラク囚人に対する残虐行為に対する米国政府の声明に基づいて、多くの人は今日でも、明らかに、上記の命題をいまだに当然のことだと受け取っています。テレビ番組「60ミニッツU」で放映された写真があるからといって、いったい他のどんな理由で、それほどまでに皆が驚く必要があるのでしょうか(たとえば、「善良な米国人」がそのような状況下でいかに行動するものなのかを理解するためには、このアメリカの刑務所内で200万人の囚人がどんな扱いを受けているかを見るだけでよい。)
リチャード・マイヤー将軍、同盟軍最高司令官は、「あの残虐行為は組織的なものではありません。そしてそれは本当に恥です。おそらく、ほんの一握りの兵士の行為が、我々の陸軍・海軍・空軍、海兵隊の名誉を汚している。」と我々に断言しています。
ブッシュ大統領は「囚人達があのようなやり方で扱われたということに私は深い嫌悪を共有している。あのような扱いはアメリカ人の本質を反映するものではない。それはアメリカでは行われないやり方だ。」と付け加えています、(ママ)
我々(やマイヤーズやブッシュのような人間)は、我々の(ママ)軍人を英雄(パット・ティルマンでも誰でも?)と見なすように訓練されています。そしてその英雄達の一人が間違いを犯したとき、我々はまた次のように考えるように教えられているのです。すなわち、すべての軍事介入においては善良な人間でも火器には火器をもって戦う以外には何の選択肢も残されていない場合もあると。
<註:元プロ・フットボール選手で、アフガンで戦死したPat Tillmanについては下記のサイトを参照>
http://blog.livedoor.jp/latelateedition212/archives/447947.html
多分もっとも悪名高い例は無名の米国陸軍少佐で、1968年2月8日付けAP通信によって次のように紹介されたものです。ベントレというベトナムの町を米国が襲撃したことについて訊ねられ、「町を救うために、町を破壊する必要ができた。」と、その陸軍少佐は説明しています。
聞き分けのない子どもに「仕方なく平手打ちを喰わせるけど、親の方が傷ついているのだよ」と言う親のように、米国は圧倒的な軍事力の前でもひるまない連中には、時には罰せざるを得ない場合があるというわけです。宣伝扇動機構は我々に次のように言います。
「戦争中は、米国でさえ、時にはほんの少し荒っぽいことしなければならない。我々の英雄達はほんの少し手を汚すかもしれない、もちろん、自由の名においてだがね。悪を扱うのに、いったい他にどのような方法があるというのか。我々は兵士たちが手に負えない状態になるのを望まなかったのに、悪者が米国にそうさせるよう追い込んだのだ。」
敵の人間性を失わせ、残虐行為をするために、そのような人間以下の状態を活用するための原型が米軍にあり、それが、米国の引きも切らない外国紛争政策を助長してきました(それは同時に、住んでいる民族の絶滅や民族差別による隷属状態を伴ってきました)。無情な宣伝扇動のおかげで、いまや多くの人が、軍隊の作戦劇場における不法な米軍の行動を、容易に受け入れ、そしてしばしば奨励しさえするようになっているのです。
マイヤーズ将軍は、囚人の虐待は組織的なものではないといいますが、記録資料は我々に別のことを教えています。アメリカ人同士が互いに戦っているときでさえ、非人間的な茶番劇が進行していました。歴史家ケネス・C・デイビスは南北戦争時の「戦争捕虜収容所は、戦争の最も恥ずべき悲劇的・非人間的側面を象徴するものだ。」と言っています。ジョージア州アンダーソンビルの、特別南軍収容所にいた四万五千人の囚人の中で、一万三千人が夏の暑さと病気と不十分な食事と医療が原因で死んだのです。
「ホーガンの英雄達」、そんなものは存在しなかったのです。
北軍の軍人ヘンリー・ハーンベイカーはゲティスバーグで捕らえられ、アンダーソンビルに連れてこられました。彼は「焦げるほど熱い太陽」の下に何の覆いもなく留め置かれた、と書いています。「両足の太陽に晒されている側はすべて水ぶくれになり、弱者は衰弱した」と、ハーンベイカーは報告しています。「切断手術は日に少なくとも6回に達し、そこから回復して生き延びた例を私はひとつも見ていない。」
アンダーソンビルはヘンリー・ウィルズによって統括されていました。彼は「(火縄)銃」でよりも「捕虜収容所での取り扱い」によって「クソ北部人」を多く殺したと言われています。ウィルズは後に、南北戦争戦後、北軍によって死刑執行された唯一の南軍兵士となりました。
北軍の状況も決して良くはありませんでした。ニューヨーク州エルミラにおける北軍収容所は、一万二千人以上の南軍捕虜を収容しましたが、三千人近くが冷酷な状況下で死にました。収容所は「ヘルミラ(地獄のエルミラ)」とあだ名を付けられていたほどです。
その40年以上も後になって、米西戦争の結果として、米国は太平洋で残酷な征服戦争を戦いました。1900年までに更に七万五千人以上の米国軍隊(米陸軍全体の4分の3にあたる)がフィリピンに送られました。圧倒的な軍事力を前にして、フィリピン人はゲリラ戦術に方向転換しました。『ニューヨーク・ワールド』紙の1901年2月5日版は、米国のゲリラ戦への対応を、若干ですが次のように報道しています。
「我軍はあちこちで土着民に残虐行為を行っている。大尉や中尉は時折、裁判官であり、執行官であり、死刑執行人である。『これ以上の捕虜をマニラに送り込むな』というのが、3ヶ月前に将軍=植民地総督から出された口頭による命令だった。一人のアメリカ人軍人が殺されたことに対する復習として、すべての家々を焼き尽くし、容疑者というだけで住民を殺し回ることが、いまや慣習になっている。」
ベトナムの小村やイラクでの最近の結果が残酷にも示しているように、フィリピンの村民は「リコンセントラド」と呼ばれる強制収容所に集められました。
捕えられた兵士と一般市民は等しく「水療法」という拷問を受けました。「フィリピン・アメリカ戦争百周年記念イニシャティブ」という資料によれば、この拷問は「捕虜の喉に4−5ガロン(16−20リットル)の水を無理矢理に飲ませ、恐怖で白状するよう追い込む、その後、腹の上に誰かが跪いて座り、水を体から押し出す。その拷問は『友人』が口を割るか死ぬまで繰り返される。」というものでした。
もしその「友人たち」が反撃したら、米国は「賭け金」を引き上げる準備が整っていました。つまり、米国の小隊が待ち伏せ攻撃で全滅させられたとき、ジェイコブ・W・スミス准将、ウンデッドニー大虐殺の古参兵(ウンデッドニー大虐殺では米国陸軍がラコタの住民=男女子供の推定三百人を殺害した)は、「10歳以上のすべての人間」を殺せと命令を出したのです。
「捕虜は必要ない。私が望むのは殺し尽くし焼き尽くすことだ。それが多ければ多いほど、私の喜びは倍加する。」とスミスは宣言しました。「私はすべての人間が殺されるのを望む。米国に対して実際に敵意をもち、武器を持って戦ってくる可能性のある人間すべてを殺せ。」
それから百年後、ジョン・ケリーが、自分はベトナムで「何千人もの他の兵士が犯したのと同じ種類の残虐行為を犯した」と認めているにもかかわらず。ジョージ・W・ブッシュは戦争犯罪を容認しているのです。
すなわち、これは詰まるところ組織的な拷問であるということなのです。
(この記事は、6月にCommon Courage Press『共同勇気通信』誌で公表されることになっているミッケィ・Z著「七つの致命的なスピン−戦争プロパガンダの背後にある嘘を暴露する」からの抜粋です。ミッケィ・Z連絡先はmzx@earthlink.netです。)
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